僕は時々、『発達障害』と言われます。
皆、誉め言葉として使ってくれていると思っています。(たぶん!)
奇をてらっているつもりは1ミリもなく、
炎上させてやろうという気持ちも1ミリもなく、
毎度、「これは、こうで、こうで、こうなるから…ここに手を打って、ここで待ち構えておいた方が良くないですか?」
と、ただただ正攻法を言っているのですが、途中が切り取られるので、キチ○イ扱いされてしまいます。
その点、ビジネス書は、途中の切り取りが一切ないので、最初から順を追って説明できるので有難いです。
最初から話を聞いていただけると、「ああ、なるほどね」と納得していただけることが多いように思います。
ただ、博報堂ケトルの嶋さんは、「普通の人は、正解が分かっていても、できないんですよ」と言います。なるほど。
「目的や欲求に向かって、周囲を気にせず、あらゆる手段を尽くす人を『サイコパス』というんですよ」と嶋さん。
なんだか、ヤバそうなヤツです。
ただ、
人間の個性は、どの情報を取り入れて、どの情報を切り捨てたかの「編集作業」の結果なので、こんな僕を作ったのは、少なからず僕の周りの人間(編集素材)の仕業です。
絶対にそうなのです。
さて、キングコング西野は誰が作ったのでしょうか?
僕は、考えが凝り固まる前の出会いが、人生や個性を、大きく左右すると考えます。
ありがたいことに毎日毎日面白い人達と仕事をしては、その影響を受けていますが、僕のベースを作ったのは、まだ考えがフニャフニャだった頃に出会った二人です。
一人は、劇作家の後藤ひろひとサン。
20歳の頃から、呑みに行っては、物語の作り方とクワガタの話を語り明かしました。
(詳しくはコチラ↓)
学校の強化で喩えると、後藤さんからは『図工』を学びました。
「ここは、こんな感じで切って、この色を付けると面白いよ」といったことを。
僕ら世代の芸人の道徳には、ダウンタウンさん達が生み出したアレやコレが根を張っていて、それはそれでとても面白かったのですが、後藤ひろひとサンが見せてくれたのは、それとはまったく別で、とにかく「見たことがないモノ」の連続で、それは、その後の僕の「競技に参加するのではなく、競技(枠)から作る」に繋がりました。
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後藤さんの話をすると、長くなるので、この辺で。
今回の主役は、もう一人。
僕が何か問題を起こすと、梶原が決まって、「あんたが、こんなバケモノを作り出したんやろ!責任とりなさいよ!」と指をさす人。
ロザンの菅広文さんです。
菅さんとのファーストコンタクトは今でも鮮明に覚えています。
運が良いことに(まぁ、誰よりも努力したけど)、僕は養成所時代から劇場のレギュラー出番をいただけることができました。
ダウンタウンさんの『ガキの使い』のトークの影響が大きかったように思いますが、当時、「ボソッと(天才的に)面白いことを言う」という芸風が主流で、漫才は“発想至上主義”でした。
僕は「1年以内にブレイクしなかったら辞める」といって実家を出てきた手前、その、人口の多い競技に参加してしまうと(参加することを美徳としてしまうと)、時間がかかると判断。
とはいえ、売れる為には、皆と違うやり方を選んだ人間が「勝っている」と見せる必要があるので、とにかく1年以内に、お笑いコンクールの賞を全て獲ろうと考えた挙げ句、あまりにも短すぎる『ネタ時間』に着目して、発想ではなく、ボケの手数で勝負してみることにしました。
手数を増やす為には、漫才のテンポをあげる必要があるので、テンションを上げる必要がありました。
今では考えられませんが、先輩芸人や、そのファンの方々から「なんで、漫才をテンションを上げてやっとんねん」という批判を毎日のように浴びましたが、批判が高まれば高まるほど、参入障壁も高まり、唯一無二になれるので、内心は「シメシメ」と思っていたのです。
そんな中、突然、目の前に現れたのがロザンの菅さんでした。
菅さんは一言、
「西野が考えていることを教えて」
ゾッとしたのを覚えています。
当時、僕はまだ高校卒業して半年のぺーぺー芸人。
さきほど「唯一無二になれる」と書きましたが、それはどこか強がりで、その実、孤立無援といった状況でありました。
自分の考えを主張しては、「西野はイタイ」「キチ○イ」と囃されて、周りには誰もいませんでした。
そんな中、すでに劇場で大変な人気を獲得していた菅さんがやってきて、声をかけてくださり、しかも「教えて」という言葉を使われたのです。
僕は、山から降りてきたバケモノが初めて人間の優しさに触れ、「トモダチ」や「ヌクモリ」を知った時のような衝撃と、その優しさの奥に潜んでいる「目的達成の為には、あらゆる手段を尽くす」という、嶋さんが僕に感じた『サイコパス』な部分を見ました。
(当時、サイコパスという言葉は知りませんでしたが)
とにかく、ゾッとしたのです。
とはいえ、こうして、僕に初めて話しかけてくれた人であるし、僕自身、話しかけてもらえたことで精神的に救われた部分もたくさんあるので、僕は堰を切ったように「今のお笑い業界が抱えている問題」「確実にやってくる手詰まりの未来」「それらの突破作」を話させていただきました。
菅さんは「面白い」と言ってくださり、その日から毎日会うようになり、PDCA(計画・実行・評価・改善)のスパルタ教育が始まりました。
今は、本当に友達のように(後輩が生意気な話ですが)、「次、こんなことをしようと思うんです」「おお、いいね。それをするなら、たぶん、こうした方が…」と、PDCAが酒の肴(娯楽)となっていますが、当時は、血を吐くほどのスパルタでした。(マジで怖かった!)
本当に毎晩ディベートを繰り返して、ボロ雑巾のようにやられましたので、おかげで外に出た時は驚くほどラクチンでした。
菅さんから学んだのは数学で、
今日の僕の「こうで、こうで、こうすると、ココに流れがくるから、その前にココに手を打っておいて、ココで待ち構えて…」という計算癖は、そこで生まれました。
今回、どうして菅さんの話をしたかというと、今日は菅さんの新刊『身の丈にあった勉強法』の発売日。
このタイミングで、こうして宣伝すると、どうしても“恩返し感”が出てしまいますが、「恩返し」が理由で宣伝なんてしてしまうと(お客さんに商品を売りつけてしまうと)、僕が損をすることは、僕が誰よりも知っています。
僕は徹底して、自分が面白いと思ったモノしかオススメしません。
この本は超オススメです。
『キングコング西野という面倒クセー人間を作った男が書いた本』という目線で読んでいただけると、「そりゃ、西野ができちゃうよね」という結論に至ると思います。
これが僕の原液です。
お時間あれば、読んでみてくださいな。
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西野さんの文章も言葉もしみます
パートナーと村づくりを目指してます♪
そのパートナーに私が感じるのも『サイコパス』な部分です。
もちろんいい意味でです^ ^
自分にはわからない、超人的な発想や、高速PDCAで自分をいじめます。
発想や頭の回転、行動力が突き抜けてる分、周囲がついていけない部分を、私が時々一般目線で話すのですが、彼にとってもっとも心地いいのは、超人的に頭が回転しててそれを吐き出した時。
だから、理解できんやつはいらん!くらい思うのですが、彼が描く世界にワクワクする人が集まってきてるので、それを実現していける場所をつくりたいと思ってます^ ^
(彼はサロンをやってて、私も支えながらも自分でも別でつくってます。)
私は実際に発達障害の診断を受けた者ですが、周りから理解されず「キチガイ」「サイコパス」と言われたことがあり、傷ついてました。
でも大好きで大尊敬する西野さんも同じセリフを言われたことがあったんですね!しかもそれをポジティブに、もしくは何とも思わず受け取ってる姿に励まされました
菅さんとはWEST SIDEだけではなくてそんな深いつながりがあったんですね!
私は今まで無理解や差別に苦しんできたけど、これからは私も西野さんのように理解者や応援してくれる人たちを増やしていい未来や自分を作っていけるように人間関係や環境を変えて頑張ろう
感動しました!
僕も勉強したいのでその本買います!
おちこんでるひとに、
西野さんも発達障害って言われたりするみたいってってゆうと、
ぱあっと顔が明るくなるってゆうのが
何回かありました。
どんどんゆってくれはったらいいなと
思います。
元気で仕事して、楽しそうに暮らしてるひとにみんな親はなってほしいですもん。
西野さんみたいになれたら
希望の星⭐️になってほしいデス❣️
今日から読み始めます。
到着は明後日というクソ田舎ですが
今から楽しみにしています。
革命のファンファーレは朝起きて1時間半で
一気に読みました。
色々気付かされました。
今度の本も楽しみです。