パレスチナはガザ地区とヨルダン川西岸の2つの地域に分かれています。1994年に暫定自治が始まって以降、穏健派の政治勢力「ファタハ」が率いる暫定自治政府が全体を統治してきました。しかし2006年に行われた選挙で、イスラエルに武装闘争を掲げる勢力「ハマス」が圧勝すると、アメリカやイスラエルは圧力を強め、ハマス政権は瓦解(がかい)に追い込まれました。
これを不服としたハマスは翌年、ガザ地区を武力制圧し、実効支配を始めます。以降、ヨルダン川西岸をファタハ、ガザ地区をハマスが統治する分裂状態が10年続いています。
返還セレモニーで見た異変
1日朝、私たちはハマス側から連絡を受けて、ガザ地区とエジプトの境界にあるラファ検問所に向かいました。検問所がハマスからファタハに返還される式典を取材するためです。
会場に到着するなり、私は異変に気付きました。ハマスの関係者は宗教的な慣行としてひげをたくわえています。しかし式典の参加者は300人ほどいましたが、ひげをはやした人がいないのです。
「式典にハマス関係者は出てこないな」
直感のとおり、会場を埋め尽くしたのはファタハが率いる暫定自治政府の人々でした。
演壇に立った自治政府の高官は「パレスチナは和解に向けて大きく前進した。分断の過ちを繰り返さないよう努力していきたい」と満面の笑みを見せました。
それとは対照的に、もう一方の「主役」であるはずのハマスの幹部は誰も姿を見せませんでした。
式典の後、私たちはほこりっぽいガザ地区の幹線道路を北上し、地区の北端にあるイスラエル側との検問所、エレズ検問所に向かってみました。
ハマスの検問所はもぬけの殻
そこでは別の異変が待っていました。ハマスが前日まで検問所として使ってきた建物が「もぬけの殻」となっているのです。残っているハマス関係者にインタビューを試みましたが全面拒否。ハマス関係者が旧検問所から荷物を運び出しているのを見つけて、撮影を開始すると、撮影に気付いたハマスの関係者が「何で撮るんだ!」とものすごいけんまくで詰め寄ってきて、撮影を中断させられました。
情報を総合すると、ハマスは1日朝、メディアの関心を南端のラファにひきつけている間にエレズ検問所を目立たないようにひっそり引き払っていました。ハマスにとって検問所の返還はそれほど不本意な決断だったのです。
ガザの住民は歓迎
一方で、ガザの人々は、将来への期待を膨らませています。
「品物が安くなり、自由に家族旅行に行ける日を待ちわびている」
「ガザ地区に対する経済制裁の理由となっていたハマス支配が終わるのだから、これからは支援物資がたくさん入ってきて生活がよくなると思う」
ガザ地区はこの10年、イスラエルとエジプトに封鎖され、人とモノの移動が厳しく制限されてきました。「世界最大の監獄」とも言われる状態が終わりに向かうのではないか、という期待感を住民は口々に語ります。
かつてなく高まるハマスへの不満
今回の動きの背景には何があるのか。
最大の理由はイスラエルとエジプトによる長年の経済封鎖で、ハマスに対する住民の不満がかつてないほど高まっていたためです。ガザ地区では若者の40%以上は失業し、電力供給は1日4時間まで激減しています。
去年ガザ地区では、こんなラップソングがはやりました。
♪10年間住民は待っていたのにハマスは約束した改革を何もしてくれなかった。小さな子どもが生きるために路上で物売りをしているのにハマスの犬どもは政治闘争に明け暮れている。
ミュージックビデオでは、ハマスの最高幹部らの写真を使いながら、ハマス支配を痛烈に批判。私はガザ地区で暫定統治が始まった1994年以来、パレスチナをたびたび訪れてきました。以前までのハマスがイスラエルに対する武装闘争を先導する″抵抗の象徴″として厚い支持を集めてきたことを肌感覚で知っています。それだけに今、ハマスがあしざまにこきおろされ、人気がちょう落しているのは衝撃的でした。
ことし1月には初めてとなる数千人規模の反ハマス集会が開かれ、若者たちは「ハマスは問題を解決できなければガザの統治から去れ」と公然と批判しました。これに対して、ハマスは威嚇射撃をしてデモ隊を強制排除。強権的なハマスの支配に住民の不満はかつてないほど高まっていました。
ハマスの路線転換
ことし5月、こうした不満に押されて、ハマスは強硬路線の転換を打ち出しました。これまで認めてこなかったイスラエルの存在を事実上認め、暫定自治政府を率いるファタハの穏健路線に協調する姿勢を見せたのです。
当時の最高幹部のマシャル氏は記者会見で「ハマスの原則を曲げるつもりはないが、これからはよりオープンに語っていきたい」と述べて、路線転換を印象づけました。このときハマスは10年におよんだパレスチナの分断の解消に向けて、かじを切っていました。
エジプトにラブコール
そのためにハマスが必要としたのは、隣国エジプトの仲介でした。ただ、エジプトとガザ地区の間の地下トンネルをめぐり対立が続いてきました。
ガザ地区への食料や日用品などの運搬ルートとされてきた地下トンネル。エジプト政府はガザ地区から武装勢力と武器が国内に流入しているとして、境界の管理を強化するよう繰り返し要求してきましたが、ハマスはまともに取り合ってきませんでした。
しかし、ことし6月、ハマスはエジプトへの全面協力に踏み切りました。私たちが先月、エジプトとの境界のエリアに取材に行った際、以前は3000個あったとされる地下トンネルは取り壊しが進み、監視カメラも設置されて、新たにトンネルを掘ることはできないようになっていました。
ハマスの広報責任者は「エジプトの同胞たちには、今回の措置がエジプトの安全を保証するものだということを分かってほしい」とラブコールを送っていました。
こうして得られたエジプト政府の仲介のもと、先月10月12日、パレスチナは和解の合意にこぎつけたのです。
中東和平交渉に進展は
ガザの人々は「世界最大の監獄」から解放されるのか。そしてパレスチナ側が統一に向かったことで、暗礁に乗り上げているイスラエルとの中東和平は展望が開けるのか。現時点では楽観できません。
イスラエルはハマスが武装解除しない限り、和平交渉の再開には応じないという閣議決定を先月17日に行いました。鍵を握る仲介役のアメリカも歩調を合わせています。
これに対し、ハマスは武装解除は断固拒否する構えです。
今の状況は10年前とそっくりです。当時はハマスが選挙に勝利して組閣したところ、イスラエルやアメリカ、そしてパレスチナ暫定自治政府からも武装解除を要求されました。ハマスが断固拒否したことで、パレスチナは分断に向かい、孤立したハマスはより過激になっていきました。その結果、この10年間でハマスとイスラエルとの大規模な戦闘は3度も起き、4000人以上もの命が失われたのです。
今回の分断解消を、イスラエルとの和平交渉の再開につなげることができるのか、それとも同じてつを踏んでしまうのか、注目していきたいと思います。
- エルサレム支局記者
- 澤畑剛