みずたまなおです。
こんにちは。
今回は、数字と伝える技術についてのお話です。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
【目 次】
『星の王子さま』から
ある日、Twitterのフォロワーさんが興味深いことをづぶやいていました。
私はその内容に、冷や水を浴びせられたような目の覚める思いをさせられたのです。
それは、『星の王子さま』からの意訳を抜粋したものでした。
大人は数字が好きだ。新しい友だちができたよと言っても、大人は大事なことは何も聞かない。「どんな声の子?」とか「どんな遊びが好き?」とか「チョウチョを収集する子?」などとは聞かない。聞くのは「その子はいくつ?」とか、「兄弟は何人?」とか、「体重は?」とか、「お父さんの収入は?」などということばかりだ。こういう数字を知っただけで、大人はその子のことをすっかり知ったつもりになる。
言われてみれば確かにその通りで、ハッとさせられました。
同時に、その内容があまりに的確すぎて、返す言葉が見当たらないくらいです。
『星の王子さま』というタイトルは、誰もがみな一度は耳にしたことがあるでしょう。
改めてこの一節を読んで、あなたはどのように感じましたか?
この作品は、フランス人作家(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)による小説で、1943年にアメリカで出版されました。
初版以来、200以上の国と地域の言葉に翻訳され、世界中で総販売部数1億5000万冊を超えるロングベストセラーとなっています。(2015年現在)
なぜ数字を使うのか?
冒頭でもお話ししたように、この本は世界各地の言葉で翻訳されています。
それは、日本のみならず、世界中で同じような現象が起こっていることを意味します。
つまり、世界中の大人たちは、人の特徴を数字からつかもうとしているのです。
では、なぜ大人は人を数字だけで実態を把握しようとするのでしょうか?
数字は非常にわかりやすい指標で、イメージしやすく、何より具体化しやすいという特徴があります。
それは、数字が普遍的であるためです。
日本を含め、ほとんどの国や地域で使用されている十進法(0~9)を使えば、誰しもが共通の認識としてそれをイメージすることができるのです。
「彼は、走るのがとても速い」と表現すると、何となく足が速いのだと想像がつきます。
しかし、あくまでも「何となく」で、ぼんやりとしたイメージを持つことしかできません。
「とても速い」という考え方は人によって大きく異なるため、ある人は自分を基準に考え、またある人はオリンピック級の選手を基準に考える、といった認識の誤差によってイメージのズレが生じるのです。
一方で、「彼は100mを12秒台で走る」と表現すれば、ただちに「足が速い」ということが理解できます。
100mを12秒台で走ることは、世界中の多くの人たちよりは遥かに速く走ることができます。
しかし、オリンピックに出られるかというと難しい。
人によって「足が速い」という定義のばらつきを、数字を用いることでそれを解消しているのです。
数字を使って表現することで、複数の情報をまとめて伝えることも可能です。
「彼は、100mを12秒で走り、クラスで1番足が速いが、学年では3番目だ」
この場合、「100mを12秒で走る」ということは、とても足が速いことがすぐにわかります。
ただ、「学年で3番目」ということは、彼よりもさらに速い人が二人いるということを伝えているのです。
このように相手に何かを伝えようとするとき、数字を使ったときと、そうでないときとでは伝わり方が違ってきます。
より正確に相手に伝えようとするならば、数字を使って説明する方が、具体的かつ効率的です。
何より、個々人の認識の違いからくるイメージのズレも最小限に止めることができるのです。
能動性と受動性
では、私たちはいつからものごとを数字で捉えるようになったのでしょうか。
逆に、私たちはいつまでものごとを数字以外で捉えていたのでしょうか。
私の記憶を掘り起こしてみると、小学校高学年くらいには数字でものごとを考えて始めるようになり、中学生に入るとその考え方が確立されました。
しかし、「数字で捉える」といっても、小学校高学年と中学生では大きな境界線があるように思えてなりません。
つまり、2種類の数字の捉え方があるということです。
それは、学校教育の影響が大きいのだと思います。
小学生のうちは、「負けたくない!」という、自身の内側からわき上がる自主的なものが主でした。
現在では、運動会の競走で順位を決めないという学校もあります。
でも、誰よりも速く走って1番になったときは達成感もあったし、とても嬉しかったのを覚えています。
テストで100点を取れば純粋に嬉しかったけど、悪い点数のときは少し落ち込みました。
「あの人に勝ちたい」とか「この人には負けたくない」というような、ある種の「純粋な闘争心」のようなものに突き動かされていたのかもしれません。
中学生になると、数字の捉え方が一変します。
これまでは、自分の内側からわき上がる闘争心によって自主的に競っていました。
ところが中学生になると、周りから競争することを求められ受動的に数字を捉えさせられるようになったのです。
それは、定期テストなどで学年順位を知ったり、通知表が相対評価であったりしたからだと感じます。
私は、それ自体を否定するつもりはありません。
資本主義の我が国において、大人になれば嫌でも競争しなければならないのです。
それを考えると、自分の現状を数字で真正面から突きつけられる、ということを中学生のうちから経験できることは、悪い面ばかりではなさそうです。
あなたは、いつからものごとを数字で捉えるようになりましたか?
イメージのフレームをつくる
相手に伝えることはとても難しいことです。
まして、口頭で伝えようとすればなおさらです。
私たちは、より具体的に、より正確に何かを伝えようとするとき、数字を用いることは避けられないことなのかもしれません。
具体性を持たせる代表格として「5W1H」がありますが、「いつ」(○月△日 □時)の部分で数字は使用されます。
また、逃走した犯人の特徴を報道で見聞きするとき、必ず数字が用いられます。
数字を入れて具体化することで、私たちは共通の認識のもとでものごとを捉えることができるのです。
ただ、数字ばかりを盛り込んで相手に伝えようとしても、表面上のイメージしか持てないのが現実です。
「どんな人か」と尋ねてみても、身長や体重などの具体的な数字がわかっていたとしても、それはあくまでもフレームが完成しただけで、中身は空っぽの状態です。
つまり、イメージのフレームだけがある状態です。
『星の王子さま』の本のように、数字以外の情報(趣味や休日の過ごし方など)があることで、はじめてその枠組みの内側を埋めることができるのです。
『星の王子さま』はとても大切なことを教えてくれました。
ものごとを数字で考えることは、決していけないことではありません。
ただ、数字以外の情報も交えることで、そこに厚みが増すようになります。
もしあなたが、誰かに何かを具体的に伝えたいとき、①まず数字を使って説明する(フレームをつくる)、②数字以外のことを説明する(フレームの内側を埋める)ことで、より相手に伝えられるはずです。
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