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太陽の当たる場所

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月 3日(金)10時25分28秒
  どうみょうてんさん、誤字があります。せっかくのものですので、直しておいて下さい。

『暁鐘 五十四』
>日本社会のように、『言わずもがな』とか、『以心伝心』などという考えでいると、誤解を生じかねません<
同じ東経135度・北緯35度であっても20世紀の日本と21世紀の日本は別の国です。当然、人も違います。まだ「20世紀からの移民」の方が多いですが。それでも21世紀の国では多様化「“桜梅桃李”化」が進んでいます。これを尊重せずして「異体」での「同心」はあり得ません。
やはり「『言わずもがな』とか、『以心伝心』などという考えでいると、誤解を生じかねません」。

21世紀は「夢の楽園」だと聞かされて来てみたが、実際には……結果はともかく、その「因」を今から創らないといけないのでしょうね。
完結が近い小説『新・人間革命』も次の時代への「因」の創造を価値的にと期待!
と言いつつも、どう結ぶ? 『暁鐘』が平均的に70回とすると、11月22日(ケネディの命日)。本幹の11日(土)は61回。気になるのは、小説では6月下旬になり、「7・18」が近づいていて、それが11・11か11・18にはタイミングが合いそうだということです(どうでもいいことだが)。
新怪鳥誕生が美化されて描かれて小説が完結、バーチャルとリンクして、まさか第二代名誉会長なんてことにならないだろうか?

11月になって色々と考え過ぎてしまう。池田先生は久本雅美さんに「希望だけでいい、希望! 希望! 希望!」とか言われたとか。やはり私もこれで行かねば。

“ダメな時 悲しいと感じる時 いつでも君に思い出してほしい”
“太陽の当たる場所があるから すべての人に希望がある場所”
“僕の可哀想な落ち着かない心が走る場所 太陽の当たる場所がある”
“僕の人生が終わる前に 太陽の当たる場所で僕を見つけなければ”
“すべての人に希望がある場所”
『太陽の当たる場所』スティーヴィー・ワンダー
https://www.youtube.com/watch?v=rL43JE22Ync
 

生仏の隔たり!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月 3日(金)10時06分55秒
  >そんなダメな人たち、ダメな凡夫が日蓮大聖人様の仏法に出会い、信じることでしだいに牧口先生、戸田先生、池田先生のような立派な凡夫に近づいていく、それが宿命転換、人間革命、境涯革命であったはず(投稿者:虹の戦士   投稿日:2017年11月 3日(金)06時46分31秒)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76204

 いい表現ですね。素晴らしい。

 「生仏」――「衆生」と「仏」。周知の通り、爾前教には、この二つに明確な差別がありました。「仏」の「徳」や「智慧」や「力」を強調するためだったと言えます。

 ところが一転、法華経に至ると、「仏」と「衆生」は同じ国土に住む「一体」のものであるという説き方をします。これが「迹門」の「円融」です。さらに「本門」に入ると、「円融は迹門 円満は本門なり」(御義口伝714㌻)とお示しのように、「仏」と「衆生」には「隔たり」という意味の差別(区別)があると説き直します。

 「円満」には「個」があります。「個」の入り混じった混合が「円満」という読み方ができます。「仏」と「衆生」は混合の「一体」(円満)であっても、やはりそこには「隔たり」があるのです。「二」であって、「二」でない「而二不二(ににふに)」です。
 「仏」と「衆生」には「隔たり」があり、生命論的に語れば、「永遠に『仏』である師匠を追い求める『衆生』に弟子の姿がある」ということになりはしないでしょうか。それが「智慧」です。「三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり 智慧とは南無妙法蓮華経なり」(御義口伝725㌻)と仰せです。

 わが胸中に「南無妙法蓮華経」がドカッと居座っていることが、「信」だと言えます。


 

人は安楽に死を迎えることができるのか

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年11月 3日(金)09時45分51秒
  http://jp.reuters.com/article/special-report-us-body-trade-part1-idJPKBN1D00WM

ロイター

特別リポート:米国「死体市場」の闇、貧困層狙う悪徳ブローカー

2015年秋、ごみ収集用大型容器から何とも言えない悪臭が漂い、血の付いた箱が捨てられていることに、

近所から苦情が出るようになった。

同年12月、サザン・ネバダ倉庫の敷地で不審な活動が行われているとの通報があったことを、

地元の衛生当局の記録は示している。

現場を訪れた当局者は、庭仕事用ホースを手にした手術着姿の男を発見した。

男は真昼の太陽の下で、凍った人間の胴体を解凍していた。

サザン・ネバダが、遺体を集めて切断し、部位ごとに医学研究者や研修機関、

その他の買い手に売って利益を得ている、いわゆる「ボディーブローカー」であることが判明した。

担架に乗せられていた胴体も、売るための準備の最中だった。

毎年、多くの米国民が、科学に貢献していると信じて献体している。

だが実際には、その多くが意図せずして、

ほとんど規制されていない国内市場で「原材料」として取引されている。

<中略>


<死体の一大市場>

医学教育や研修や研究において、献体された遺体は不可欠な役割を果たしている。

死体や部位は、医学生や医師、看護師や歯科医の訓練に使用される。

解剖用マネキンやコンピューターシミュレーションでは、

人体で得られるような触覚や精神的な体験を再現することはできないと外科医は言う。

救急医療では、呼吸管挿入の訓練で人間の頭部と胴体が使用される。

手術器具や技術、移植の方法、さらには新薬や治療方法を開発するうえでも、

提供された人間の部位は大いに役立っている。

「人体の提供は絶対不可欠だ」と語るのは、

米医学研究連盟の会長を務めた経歴を持つシカゴのアーマンド・クリコリアン医師だ。

提供された膵臓を使った研究により、1型糖尿病の新たな治療法が生まれる可能性を挙げ、

「献体がなければ、そのような治療は見えてこなかっただろう」と述べた。

貼り付け終わり・・


今の世に無事に死ぬということは難しいように思える。

また、死ねたと思っても・・・これでは無惨でもある。

でも、たしかに医学的見地からこのようなことが必要なのかもしれない・・・

生きても地獄、死んでも・・これでは・・・浮かばれないような気がする。


ヒューマノイドは数年~10年先には現実に社会の中に溶け込んでしまう可能性・・

ヒューマノイド自身に税金が課され、市民権をとるようになると

人間とヒューマノイドの立て分けが曖昧になるかもしれない。

また、人工知能によって人間が幾つかのカテゴリーに分類されていくかも

まさに、人類は大きな歴史的変革の中に居る・・

そうした中、人類に覚醒と希望・活力・生命力を与えるのが大聖人の仏法・・

これを人類に広めなければならない

しかし、この運動に現在赤信号が点滅

第六天の魔王が学会首脳部に降臨・・餓鬼界・畜生界の生命に侵されて・・

宗教者とは思えない欲望まみれなのか__
 

わが友に贈る 2017年11月3日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年11月 3日(金)08時38分37秒
  「受くふは・やすく
持つはかたし」御聖訓。
弛まぬ信心が勝利の源。
清新な朝の祈りから
充実の一日を始めよう!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、「新・人間革命」はどの様な大円団を迎えるのでしょうかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年11月 3日(金)07時26分34秒
  おはようございます。原田怪鳥様、谷川主任伏怪鳥様らが、中日中国大使館参事官と総本部で会談とのコト、誠にご苦労様で~す(笑)

でも、写真に写ってるピンボケした後ろ姿は、谷川主任伏怪鳥様ではないような気がしマスが、いったいだれでしょ~う(笑)


それにしても、海外訪問ばかりが並ぶ「珍・人間革命」はいったいどの様な結末を迎えるのか?

雄飛五十三で、少しばかり山脇友政が描かれたと思い切や、すぐにロシア(当時ソ連)に飛び、暁鐘に至っては、ドイツ・ブルガリア・オーストリア、

イタリア・フランス・そしてアメリカへと、海外訪問のオンパレードですねぇ~(笑)

まるで、日本に話題を持っていくのが、怖いかの如く感じるのデスが、いかがデスかぁ~(笑)

大体、一巻が、四章から構成されているワケですから、30巻は「大山」「雌伏」「雄飛」「暁鐘」の四つになると思われまぁ~す(笑)

と、なれば、「暁鐘」は自動的に最終章となるワケですが、最終章のワリには、海外訪問のハナシばかりで、終わりがまるで見えましぇ~ん(笑)

まさかの連載延長か? 海外訪問を終えて、「さあ、頑張ろう」的なとても「正史」と呼べるモノではない駄作に終わるのか?

情けない弟子や裏切った弟子の様子は、ナニ一つ語られず、上っ面をなぞるだけで終わるのか?

今現在が、「暁鐘五十四」デスから、この調子でいくと、「11・18」までに完結になっちゃいマスよぉ~(爆)

執筆チームの皆さ~ん、「正史」が聞いて呆れますよぉ~(笑)

如何様な大円団を迎えるか? 「正史」と呼んでしかるべきの作品にしていただけマスように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

ダメな凡夫の集まり

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年11月 3日(金)06時46分31秒
編集済
  昔の創価学会は病人と貧乏人の集まり
、学歴もなく世間から差別されてきた人たち
の集まり。みんな心のどこかで自分はダメな
人間かも知れないと思っていたのでは。

そんなダメな人たち、ダメな凡夫が日蓮大聖人様
の仏法に出会い、信じることでしだいに
牧口先生、戸田先生、池田先生のような
立派な凡夫に近づいていく、それが宿命転換、
人間革命、境涯革命であったはず。

私自身を振り返っても、10代から30代ぐらい
まではダメな凡夫の代表みたいな人生。
このままではいけないと思いながら、
同じ馬鹿みたいなことを繰り返すような
人生。それが日蓮大聖人様の仏法や
池田先生の人間革命によって、すこしずつ
よくなってきたと思います。

でも、まだまだダメな凡夫です。

この自分はダメな凡夫だという自覚がないことが
現在の原田学会の問題なのではない
でしょうか。

いつの間にか、経済的に余裕ができて
大学出身の人が多くなり、社会でも政治でも
創価学会出身の人が上の立場にあると
いつの間にか自分はダメな凡夫だという
自覚がなくなってしまうのではないでしょうか。

それを表す言葉が”創価学会仏”。
怪鳥さんやそのお仲間はダメな凡夫そのもの。
本来なら日蓮大聖人の仏法を信じて
三代の会長のような立派な凡夫に
なるように人間革命すべきなのに
自分たちが仏とはとんでもないこと
ではないですか。

ダメな凡夫の集まりでも、日蓮大聖人様の仏法
によって立派な凡夫の集まりにかわって
いくのが創価学会のめざすところだったのでは?

東大を卒業した人はなかなか自分を
ダメな凡夫とは思えないのでしょうね。




http://imagine-happy-life.tokyo/

 

21世紀への選択 戦争の世紀」を繰り返さないために P302 を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月 3日(金)01時13分12秒
  第九章人間の安全保障・・・核兵器のない世界へ P290

21世紀への選択 戦争の世紀」を繰り返さないために P302 を投稿します。

ポイント
*、池田
 「核兵器のない世界」へ、そしてさらには二十一世紀の最終目標として「不戦の世紀」への道を

民衆自身の手で開かねばならない・・・これが、私の変わらぬ信念です。

 そのためにSGIは、世界の心ある人々と友情のネットワークを広げながら、平和創出の民衆の

連帯を築き上げてきました。


*、テヘラニアン

 安全保障の研究も、国家間の関係のみにとらわれ、「人間の安全保障」という視点はまったく無視

されてきました。

 もちろん、国家間の安全保障という観点からも、生物・化学兵器の軍縮など一定の範囲で前進が見

られたことは事実です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「不戦の世紀」への道を開くのは、池田門下生が立ち上げって行動に移すのみ・・・。

「人間の安全保障」と言う観点からの世界平和構築と言うことが、話し合われてのちに、実質的な
実践をしなければなりません。

池田先生は、国家間の利害を調整はなされていますが、「人類益」に立った合意形成を導くことは難し
いと指摘されています。

その話し合いの場が国連であり、それを支援・強化していくのがSGIの使命です。

鈴之助
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

兵衛志殿御書(親父入信御書)2011:04月号大白蓮華より。先生の講義

この法華経の人間観を体現した偉大な民衆群が出現すれば、時代の闇を照らす灯台の存在になることは
疑う余地がありません。

 人間に希望を与える宗教。

 人間に意味を与える宗教。

 民衆の幸福と地球の平和をリードする連帯。

 世界の宗教が切磋琢磨していく時代を迎えていると言えます。

 末法という濁流の中で、人間の可能性を開き、内なる尊極性に万人が目覚める方途を確立されたの
が日蓮大聖人です。

池上兄弟をはじめ、自他共の幸福の大道を開いた門下たちの信仰体験は、日蓮仏法の真価を生活と社会
の中で証明しています。

今、創価学会もまた、人間の中で、生命根源の力を証明する実践を繰り広げています。



 万人の善性と開発という仏の大願を現代に継承した、創価の地涌の信仰体験こそ、末法の民衆の

大いなる希望となることは間違いありません。

末法万年への「未来の物語」を作っていける学会員一人一人の挑戦こそ、“何ものにも代えがたき人々
”として世界から絶讃される時代が到来し始めています。

 「一人一人の人間革命」が、「人類の運命を変える」壮大な試みとなっていくのです。

 絢爛たる100周年へ、凱歌の時代を築くためにも、見事なる創価の同志の勝利劇を飾っていきたい。広宣流布という崇高な大目的に立ち、皆、仲良く信頼をもって、異体同心で勝ち進もう。

   団結また団結

     これが創価三世の家族なり
 

21世紀への選択 戦争の世紀」を繰り返さないために P302

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月 3日(金)01時10分33秒
  21世紀への選択  戦争の世紀」を繰り返さないために P302

池田
 「核兵器のない世界」へ、そしてさらには二十一世紀の最終目標として「不戦の

世紀」への道を民衆自身の手で開かねばならない・・・これが、私の変わらぬ信念です。

 そのためにSGIは、世界の心ある人々と友情のネットワークを広げながら、

平和創出の民衆の連帯を築き上げてきました。

私たちの生きてきた二十世紀は、まことにおびただしい数の戦死者を出しました。

第一次大戦では民間人を含め二千二百万人、第二次大戦では六千万人が命を失ったと

推定されています。

ある学者はこれを評して「戦死の世紀」と名づけているほどです。

「戦争ほど悲惨で残酷なものはない」というのが、人類が大きな代償を贈った末に

得た教訓でした。

しかしいまなお、戦争は一向に止むことがない。

この流転から抜け出るためには、国家中心の安全保障から「人間の安全保障」への

転換が不可欠であり、これをリードしていくのが民衆による平和運動だと思うのです。

テヘラニアン
 会長がおっしゃるとおり、これまで国際社会で安全保障の基軸とされて

きたのは、あくまで国家でした。

 一六四八年のウェストファリア講和条約以来、伝統的な国家体制は、国家間の

安全保障問題を中心に構成されてきたのです。

 その結果、安全保障の研究も、国家間の関係のみにとらわれ、「人間の安全保障」

という視点はまったく無視されてきました。

 もちろん、国家間の安全保障という観点からも、生物・化学兵器の軍縮など一定の

範囲で前進が見られたことは事実です。

しかし、戦争が国策として至上命令となったとき、犠牲を強いられるのはいつも

民衆であるというのが、歴史の教訓でもあります。

近年とくにそれが顕著になっています。

また戦争だけでなく、飢饅や疫病、環境破壊やテロなどの形をとって人間の安全が脅か

されるようになってきており、安全保障の概念そのものを見直す必要が高まりました。

そうしたなかで、国連開発計画(UNDP)や、グローバル・ガバナンス委員会が出し

た報告書を通じて、「人間の安全保障」という新たな概念が構築され、その実現が

国際社会全体の焦点となってきているのです。

池田
 そこで現実に「人間の安全保障」を実現させていくためには、人類益に立った

国際法の拡充をめざすとともに、国連を支援・強化していくことが強く求められると

私は考えます。

長きにわたる「ウェストファリア体制」の下で形成されてきた国際法は、国家間

の利害を調整するためのルールとして発達してきた面が強く、伝統的に国家の

排他的主権が尊重される傾向がありました。

そのために、「人類益」に立った合意形成を導くことは難しく、また仮に合意をみたと

しても留保などによって、実効性に乏しいという限界を抱えてきました。

テヘラニアン
 国際関係の発展の歴史は、次の三段階にわけて通観することができます。

第一段階は「ハード・パワー」の時代。

強者が弱者を支配していった時代です。

次の第二の段階は国際関係が成熟を遂げ、国際法がある程度、国家間のバランスをと

るようになった時代です。

これは「ヘゲモニック・パワー」の時代と呼ばれる時代で、力と説得を使い分け

ながら国際関係の均衡が保たれていく段階です。

現行の国際法は、こうした時代の制約を受けながら形成されてきました。

 しかし、グローバル化の進んだ世界のなかで、危機もグローバルな性格を帯びるよう

になってきており旧来のものでは対応できなくなっています。

 偏狭な国益ではなく、より広範でグローバルな目的観に立つ、新しい国際法を確立

する挑戦を開始すべきであると私も考えます。

 私たちは「ソフト・パワー」のほうがハード・パワーや覇権主義的な力より、より

効果的に働く新しい時代に入りました。

 道義的説得、食べ物や音楽・芸術・映画などを含む文化的影響、そして対話がより

平和的に、より効果的な結果を出しています。


 

Re:ニセモノの護憲派に気を付けろ!

 投稿者:サモンナイト@バンダイナムコ ゲームス  投稿日:2017年11月 3日(金)00時43分58秒
  >>かつて辻元清美議員は、
>>「私は今護憲派と言われていますが、
>>本当のことを言えば1条から8条はいらないと思っています。
>>天皇制を廃止しろとずっと言っています」
>>と発言してたんや。

>>また、この辻元清美議員はやな、
>>かつて著書に、皇室について

>>「生理的に嫌だと思わない?
>>ああいう人たちというか、
>>ああいうシステム、ああいう一族、
>>近くで同じ空気を吸いたくない」と書いてた。

>>コイツに「憲法改正反対!」と言わしてエエと思うか(鬼笑)



辻元議員を擁護するわけではないが、辻元の世代がこのようなことを
過去に主張していた背景には、辻元の親の世代には
戦前の皇民化教育・天皇陛下のために死ぬことについての思想教育があり、
敗戦後にその反動として「天皇の戦争責任問題」が
昭和末期まで語られていた歴史があるわけじゃん。

改憲の主導権は国会で3分の2議席を占有する政党にあるがゆえ、
自民公明が辻元の要望を受け入れて「天皇制廃止」の改憲案を
出すことはまず考えられないだろうし、
明治憲法みたいに「天皇は神聖にして侵すべからず」の神格化を
意図した改憲案が出た場合、それこそ辻元の出番となる(笑)

ま、辻元が立憲民主党を離党もしくは党議拘束に反して
9条改憲や9条自衛隊記載の改憲案に賛成するのかどうかは、
有権者として今後の動向を見守るだけでしょう。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年11月 2日(木)23時51分15秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
皆様方が明日も最高の日であります様に
おやすみなさい

 

ニセモノの護憲派に気を付けろ!

 投稿者:京都乃鬼  投稿日:2017年11月 2日(木)23時46分58秒
  立憲民主党とかというポッと出の政党に気を付けや。

この党の国対委員長に辻元清美議員がなったんやが、
コイツ、護憲派を標榜する党に相応しくない程の改憲派やで(鬼笑)


かつて辻元清美議員は、「私は今護憲派と言われていますが、本当のことを言えば1条から8条はいらないと思っています。天皇制を廃止しろとずっと言っています」と発言してたんや。


また、この辻元清美議員はやな、
かつて著書に、皇室について

「生理的に嫌だと思わない?
ああいう人たちというか、
ああいうシステム、ああいう一族、
近くで同じ空気を吸いたくない」と書いてた。

コイツに「憲法改正反対!」と言わしてエエと思うか(鬼笑)
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月 2日(木)22時56分39秒
  23時に開始です。よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康を祈ります。
 

加計認可へ

 投稿者:政局  投稿日:2017年11月 2日(木)21時46分2秒
  加計獣医学部、認可見通し 文科省設置審「課題はおおむね解消」と評価

http://www.sanspo.com/geino/news/20171102/pol17110220460008-n1.html
 

仏法は徹して己心の法!諸精霊も己心にある!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月 2日(木)18時56分23秒
編集済
  ひとつの視角程度の考察②

 仏法は、徹して「己心の法」です。「己心」に一切があるという説き方をします。変な“神秘”主義に陥らないためにも、「諸精霊」や「回向」は「己心」にその実体があるというようにした方がいいのではないでしょうか。「一念」や「心」を「宇宙」と“一体”とするのはいいとしても、どこか「回向」という特別な手続きがあるかのようにしてしまうのは、いつしか、人間を“神秘”主義の坩堝(るつぼ)に落とし込むことになり、無用な慣習やしきたりの世界に追いやってしまうことになりかねません。それを為政者が利用します。いまの科学で説明がつかない「神秘的」なものはあっても、“神秘”はないと見ます。

 「己心の法」については、このように仰せです。
 「夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり 故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、=中略=一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・ちりも残らず一念の心に収めて此の一念の心・法界に徧満(※遍満)するを指して万法とは云うなり、此の理を覚知するを一心法界とも云うなるべし、但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり、麤法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし」(一生成仏抄383㌻)

 「外典の外道・内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず、然れば経経に勝劣あり人人にも聖賢分れて候ぞ」(蒙古使御書1473㌻)

 「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」(法華初心成仏抄557㌻)

 私の見立てでは、「諸精霊」はそれを思う人の己心にあるという見方です。したがって、「回向」も己心の中の作業です。以前の投稿の【「諸精霊」と「偶像」への考察】でも少し述べましたが、「追善供養」の「追善」は故人に「善」の意味を追加して送るということであって、その「追善」も、やはり送る側の「己心」にあるということです。それが“実の体”と見ます。

 「諸精霊」に「善」の意味を送って「安心」を覚えるのは送る側です。「善」の意味を送るのですから、故人は「善人」です。送る側の己心にある故人の「諸精霊」が、送る人を責めることはありません。「送る側」を傷めません。これが「追善回向」の本質なのではないかということです。意味としての「追善」の実体は、「己心」の中にしかないのです。

 したがって、「追善」する人に、追善する機会やその場を提供する“手間賃”として「供養料」を徴収することは許されても、一律いくらとか、高額を要求することは許されないと見ます。「追善」の行為には何の関係もない「お金」です。日本では古来、この慣習とも、しきたりともつかない風習が、宗教の名を借りて“横着三昧”となってきたと言えます。これらのことは、すでに、悪しき“宗門体制”から解放された時に、しっかりと確認したことではなかったのでしょうか。それを忘れてしまっているようです(笑い)。

 仏典に説かれる「目連尊者の母の供養」も、「追善」が主題です。「母」に送る追善が「母」を成仏したらしめると感得せしめ、それが目連尊者の安心の「実の体」となっていると見るべきなのでしょう。「意味」の世界なのです。実像ではありません。そう思う、信じるという自身の「感得」です。

 「追善」は、「追悪」の反転なのでしょう。瞋りとか、貪りとか、愚痴の「追悪」は聞く人の「己心」を傷めることになります。その自身を傷める他者の「追悪」が怖いのです。だから、意味としての己心の中にある他者の「追悪」の「意味」(=イメージ)を一掃したいのです。さらに、自身に「善」をもたらす「意味」としたいのです。それが「追善」です。聖徳太子や福沢諭吉らを悪く言う人は少ないはずです(むろん例外はあります)。彼らの「言葉」は安心して使います。人倫への“好評”“定評”“総意”があるからです。

 そうして見てみると、「回向」の図式というのは、「故人はこんな人だった」という「知る人」の故人に対する“好評”というか“定評”です。“好評”が故人に追善を送り、その追善が同時に追善者に「安心」をもたらします。「知る人」はやがて、意味として「万人」に拡大していきます。「追善」は、故人に送るようで、実は追善者自身が、懐かしみと同時に「安心」を得ています。“好評”“定評”は実像とは違います。仮想の“垂迹”と言っていいかもしれません。実像は、十界各別のどれが多いかは別にして、むしろ「十界本有」です。「寿量品」にあっては、仏界を意味する「寿」を量るのが「寿量」の意味です。

 周囲の「知る人」が「追悪」の人ではないということは、論理上、自身の「安心」となります。先人たちをそのことを鋭く見つめたのかも知れません。「安心」は成仏を意味する「安楽(涅槃)」です。だから、「故人の悪口は言ってはならない」と言うのでしょう。

 ああ、在世の人でも同じかも知れません(笑い)。身の三悪(殺生、偸盗、邪淫)、意(心)の三悪(貪、愼、癡)、口の四悪(妄語、綺語、悪口、両舌)の身、口、意の「十悪」も、そんな警告を発したものとも捉えられます。

 その意味で、「回向」は“定評”“総意”を軸にして、「万人」という無限へ広げる「意味」の広がり、というのがここでのひとつの見方です。

 もうひとつは、「中諦」「法身」という見方です。これは「空間」の広がりです。「法身」は「三徳」「三身」の双方があります。

 空、仮、中の三諦の「中諦」に約せば、
 「十界の衆生・各互に十界を具足す合すれば百界なり 百界に各各十如を具すれば千如なり、此の千如是に衆生世間・国土世間・五陰世間を具すれば三千なり、百界と顕れたる色相は皆総て仮の義なれば仮諦の一なり 千如は総て空の義なれば空諦の一なり 三千世間は総じて法身の義なれば中道の一なり、法門多しと雖も但三諦なり此の三諦を三身如来とも三徳究竟とも申すなり 始の三如是は本覚の如来なり、終の七如是と一体にして無二無別なれば本末究竟等とは申すなり」(一念三千法門413㌻)
 となります。

 こちらは、現代の科学の言葉で紐解くには、編み出された科学の「言葉」が少なすぎます。ただ、空諦、仮諦を包み込んだ「中諦」、般若、解脱を包んだ「法身」、報身、応身を携えた同じく「法身」が生命の実相であることは疑いなく、その次元で「心」と「宇宙」は一体のものであるとは言えそうです。

 まなこさんの「21世紀への対話」<157>で語られている、
 「――何ら物体の存在しない空間にも、離れた異物体を互いに引き合わせたり、電磁波を伝播させたり、新しい物質を誕生させたりする働きと性質が存在する。そして、質量とエネルギーは等しく、互いに変換されるが、そのエネルギーが多量に集中している場所が物体であり、エネルギーの集中の少ないところが場となる。ゆえに、物質と“場の空間”は相互にまったく異質ではなく、同じものが別の形態をとって顕現したものにすぎない。また、この“場の空間”は、たんなる広がりをもつだけの空虚ではなく、それ自体の性質が、その中に存在する物体に影響を与えたり、ある条件が整えば、物質を生み出す可能性をも含んでいる――と」
 の箇所がそれに近接する概念でしょうか。

 戸田先生、池田先生の教義洞察は、「仏法生命論」として深いものがありました。いまは、身延や釈迦回帰のようなものばかりが目立っています。“カルト集団”批判にたじろぎ、委縮してしまったのでしょう。
 教義は、創価学会の活動の在り方に直接かかわってくるものだけに、あえて踏み込んで考察してみました。

 

昔は普通にあったこと

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月 2日(木)18時49分55秒
編集済
  昔の学会では、活動家さんの話には、そのキッカケとなる体験談が豊富にあったものです
座談会や同時中継や聖教新聞などなど、様々なところにて語られてましたね
時代は変わってインターネットでも語らえるようにまでなってましたね

病気になったことで発心し活動をするうちに全快して、信仰の喜び、信仰の凄さを歓喜の感動で語っていたり

会社が倒産して多額の借金になったことで発心し活動をするうちに全額返済できた上に次のステップがもっと凄いことになった体験談を歓喜の感動で語っていたり

人間関係で悩んでしまったことで発心し活動をしてるうちに、活動を通して境涯があがったことによって相手と良好な関係になったとか、あるいは悩みの相手は左遷とか引越しとかなどで縁が消えたりとか
(昔は活動家さんがよくいわれたことだけど「自分のためにならない相手は相手から離れる」というのもありましたね)

キッカケは様々だけど、発心することになるなんらかの出来事があって、それで活動家という人が多かった印象です
活動家さんはそれぞれ自分なりの体験談を持ってたのが普通でした

活動家さんは普通に経験してたことに感じるんですが
活動家さんとて凡夫ですから、酷いことに遭えば素直に頭にもきますよね

怒りが本心だったのが、御本尊様と向き合い唱題をあげていくうちに、酷いことをする相手がかわいそうとか慈悲の心境が自然と出て「相手の幸福」を祈る心境になり、祈るだけでなく日常生活で祈ったときの心境の通りに相手と接することでなんらかの解決になったり

僕が言うのは野暮に感じるほど昔の活動家さんには当たり前すぎることだったように感じるんですが

これを、「怒り」のプロセスをスルーしてやろうとすると、それは結局のところ「避ける」しかなくなるんじゃないでしょうか
「避け」たところで、それは借金の利子を増やすように、業をさらに追加しながらただ地獄へ向かい破綻を待ってるようなものです

悪徳幹部たちの事実を知るには「怒り」は避けようがないのが実際じゃないでしょうか
さらにいえば、地域の学会員さんは地域の幹部さんとの人間関係は避けられぬことでしょう
それを言わずに済むぐらいの信仰であればそもそも騙されてはいないことでしょう

ポイントは二つあるように見えます

・「事実を知る=怒り」ということになる段階の人がむしろ多いことでしょうから、避けるのではなくむしろ経験しながら「怒り」から「慈悲」となるお手伝いとフォローが必要

・「怒り」の段階を経て「慈悲」というのを理解してる人には、慈悲はどんなものが最善なのか、追求しながら最善を伝えられる人が必要

どちらも池田先生の指導があったと思います
いうなれば、現状はこの二つの段階とで混合状態なので矛盾が起きてるように感じられるのです

僕はどちらも対応できる方法を模索した時期がありましたけど、結局のところは二兎を追うものは一兎も得ずそのものの本末転倒になってしまい「自分に合った役割」に徹するのが最善に感じるんです

・・・と僕は感じてるんですが、広く意見があっていいものに感じられます
しょせんこれば僕ひとりで考えた末のものだし、多くの人の知恵が集まった意見のほうが優れていやすいでしょうからね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

あら(?_?)

 投稿者:公布の番人メール  投稿日:2017年11月 2日(木)12時42分19秒
  池田先生今一度

      公の場に
 

決戦の時、自公 vs 野党市民連合

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月 2日(木)12時18分10秒
  正木氏が異動になったらしい。

これが良い動きなのか悪い動きなのか、まだよく分からないが、注視して行きたい。

政界では立憲民主党という反自公勢力が立ち上がった様に、これから社会のあらゆる分野で、「反攻」の動きが顕著になって来るように思う。

世界的と言うか、宇宙的と言うか、とにかく大きな流れだ。
わづかの小島の主ふぜいが、いくらあせったところで止められるものではない。

日本よりはちょっと大きめの島の主も、相当ヤバくなって来たようだ。
アベとのゴルフも、急遽中止になった様だ。(笑)それどころではないのだろう。

正木氏の話に戻るが、副会長クラスの中で、彼の話と言うか指導だけが納得できた。

他の副会長クラスの話はと言えば、親戚か何かのプロ野球選手の話を、延々と続けるといった類の話ばかりが多く、それでは国会でお経を唱える議員と、大して変わらないのだ。

会合が終わった後「こちとら、ヤクルトファンじゃネェーわ!」と、巨人ファンの会員は怒っていたし、阪神ファンも「20分もあんな話、するなっちゅーねん!」と、当然怒り心頭だった。(笑)

正木氏の話は何時も、「これは私の個人的意見で、大勢の意見ではないが…」という地点から始まる事が多かった。そこが良いのだ。執行部とは違う立ち位置なのが窺えた。

池田先生の思想をベースに、新しい展開があり、しかも納得出来た。
会合後の反応も、久しぶりに良い話が聞けたという、好意的なものがほとんどだった。

他の大幹部の話は、誰かの体験談を紹介しているだけだ。知的興奮というものは、皆無と言っていい。

アホの坂田似が完全に裏返っている今、今後正木氏が、大変だろうが反攻の中心になって行かざるを得ないと思う。


野党が頑張って、特別国会の会期39日間を確保。
モリカケの認可もそろそろ出る。
認可が出なければ、加計学園は開学が間に合わなくなって、倒産するかも知れない。

もし倒産すれば、アベトモを守れなかったという実例となり、アベトモ連合にとっては致命傷。信用を失い崩壊に向かうだろう。

最近TBSやテレ朝でさえ、番組によっては、モリカケ問題を穏便に収めるべきだという論調が見えて来たが、私の気のせいか?
それとも経営陣の意向が働いているとしたら、とんでもない事だ。
私は経営陣を信用出来ない。彼等はどうしても保身に走る。

決戦間近。
否応なく、旗幟鮮明にせざるを得ない時期が迫って来た。


 

1億総ゾンビ化 

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年11月 2日(木)10時19分39秒
編集済
  本日拾った阿修羅の記事

「すでに日本は1億総ゾンビ化 毎日がハロウィーン 背後で死神が鎌をふり上げているのに誰も気づかない・・」

相変わらず白目をむいたり、痙攣しながら突然倒れる人、ところかまわず
寝ルトダウンしてしまう人、転落や鼻血で血まみれになる人が多いようです。

恐ろしいことに、最近では関西でもこういった被ばく被害が増えているようです。
関東産の汚染食品が大量に流通しているのですから、東日本のあとを追うのは
明らかでしょう。

すでに日本は1億総ゾンビ化、仮装は不要、毎日がハロウィーンのようなものです。

自分の背後で死神が鎌をふり上げているのに誰も気づかない。

事態は大変深刻です。

出典:http://www.asyura2.com/17/genpatu48/msg/857.html


だそうですね日本は・・そうでしょうか??

そういえば、外国では信じられない、国民の二人に一人がガン患者だそうで・・

でも、マスゴミは騒がない・・・

ガンでなくとも、組織には難病者が増加していると耳に・・

日本に来て、電車の遅延が人身事故によっての表示、ニュースが多いです。

驚きを超え・・何かを考えさせられます。

1億総ゾンビ化

我らが組織は最高患部連中の生活の乱れ・・ハレンチ行為

やりたい放題・・したい放題・・

アクセンチュアのアドバイスによるメンバーの奴隷化・・

宮田大教授さまによる教学の身延化・・

体曲がれば、影斜めなりの御金言のごとく

しかし、我らは正しい道をそして悪を徹底的に叩く
 

ヒア・カムズ・ザ・サン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月 2日(木)09時53分29秒
  誰か?さん、お久しぶりですね。H会の寺請制度では未就学も管理しています。檀家代表は苦労されていて、それを知るから誰も代わってくれず、私にまで打診して来ました。
そのくせ、未来部を大切にしている印象が無い。ウチの支部は私が五月蠅く言ったせいか、支部での未来部員会開催をしていますが……未就学から18歳までと幅が広すぎる!!
高中小に戻せないとしても、せめて2つには分けてやるべきです。最近、小中一貫校が増えて来たので、そこをひっつけるならそれでもいいが、なら、せめて高等部くらいは別にするべきです。担当する青年部がいないから壮婦で「やっつけ仕事」をしているのが露骨で、非常に気に入らない。組織に人材育成は存在しない。まだタイガースの方がマシだ。

しかしカンピースさん、『暁鐘』を最終章とは宣言されていませんでしたよね? こういう時はよく「感動のフィナーレ」とかって売るものなのですが。
すると次章に続く? すると第30巻は非常に分厚くなりますね。年内あと多くて50回でしょうから、そろそろ区切らないと次章=最終章は非常に薄くなります。
『広宣譜』あたりからやたらと学会歌をいれて枚数を割いたからこうなったのでしょう。どう結ぶのか? 世界桂冠詩人に傷をつけることだけはしないで欲しいものです。

ジョーカーさん、仰る通りですね。「闇は光を嫌う」。あの映画のように『スポットライト』を当ててやらないといけませんね。

“ほら 太陽が昇るよ もう大丈夫”
“ねえ 長くて孤独な冬だった ねえ もう何年も経ったような気さえするんだ”
“でも ほら 太陽が昇るよ もう大丈夫”
『ヒア・カムズ・ザ・サン』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=V0kHokSsokI
ジョージの名曲。親友エリック・クラプトンの自宅で書いた。彼らも普通の人間で富と名声に翻弄され、救いをインド、東洋思想に求めたが太陽の仏法には巡り合えなかった。
 

今日も折伏し、広宣流布の道をつくる。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年11月 2日(木)09時50分41秒
  「今の組織に問題がある。だから折伏しない。」
このような考えが命に芽吹いているなら信心の敗北者。
その人がいくら正義を語ろうとも、残念ながら池田先生の弟子とは思えない。

実際に聖教新聞にも問題はあります。
しかし、今の聖教新聞からも池田先生の指導を学ぶ事ができます。
素晴らしい体験談も数多く御座います。

組織の中にも、池田先生の弟子として立派な信心を貫いている会員は沢山いらっしゃいます。
その方のお蔭で、虹が折伏した友人は信心を貫き幸福になっている。

故に組織を的として否定する発言は、好ましいとは言えない。
創価学会(組織)を的とすれば、そのような会員も含めて攻撃しているようなものです。

しかし、天魔の首を取ろうとしている方は尊敬する。
権力者に潜む魔性の命を凝視し、ブレなくその1点に戦いを挑む。
まさに池田先生の敵と戦う勇者です。

正義を語りながら、破和合僧になっては損です。
虹はふるまいで人を見極めます。

今、折伏しているのか否か。
そして広布を阻むものと、戦っているのか否か。

~~~~~~~~

https://youtu.be/tfKCX8DlVvs

一、
濁悪の此の世行く 学会の
行く手を阻むは 何奴なるぞ
威風堂々と 信行たてて
進む我らの 確信ここに

二、
今日もまた明日もまた 折伏の
行軍進めば 血は湧き上がる
威風堂々と 邪法を砕き
民を救わん 我らはここに

三、
我ら住む日本の 楽土見ん
北山南河は邪宗の都
威風堂々と 正法かざし
駒を進めば 草木もなびく
駒を進めば 草木もなびく

 

「続・正木理事長 そして、その後」

 投稿者:シャクソンファイブ  投稿日:2017年11月 2日(木)09時01分56秒
  宮川氏の許可を得て、ここに記事をUPします。
先日の正木氏の続報になります。
なお拡散自由ですので、よろしくお願いします。



常唱院日護の徒然(つれづれ)に思う。

「続・正木理事長 そして、その後」


御苦労様です。

今日は、一昨日妻と色々と話す中で成る程!と思う事があったので
参考になればとお話させていただく。
二人の誕生石がダイヤモンドであるとの話題から
( 家内は全く貴金属や宝石に興味がなく、以前にも二人の誕生石のダイヤモンドを買ってあげようか?
 と言ったら「いらん!石炭でいい」と)
石炭とダイヤモンドは同じ炭素だけれども、何故全然違うか?
それは、石炭にとてつもない外圧( 数万気圧 )が加えられ、
更に今度は、石炭の中からそれに負けない程のとてつもない熱(数万度)が、
内部から発生して、外圧と内圧の驚異的なせめぎ合いによって、
ダイヤモンドになるのだそうである。

とてつもない圧力が難・迫害であるならば、
石炭が出すとてつもない熱は、難や迫害に負けない信心、師弟である。
との話から「難即悟達」の話になった。

この後、妻が言った言葉が印象的でだったので紹介させて頂く。

以下、妻の言葉。
『私は迂闊にも、「難即悟達」を「難→転換→悟達」と捉えていた。
頭では「即」と理解しつつも、生命では捉え違えていた。
だから、この難に耐えに耐えて、越えたらその先に悟達があると踏ん張っていた。
とんでもない事だ。宇宙の根本法則、仏法では、「即とはイコール」という事だ。
(いく通りかの考えあるけれど)
だから難を受けた瞬間が、既に悟達なんだ。
だから「悟達」に、ふりがなを付けるとすれば、「なん」とふらねばならず、
「難」のふりがなは、「ごだつ」とふらねばならない。
但し、「難即悟達」は、「悟達即難」とはなり得ない。
馬鹿げた理論だけど、「悟達」こそ「如我等無異」という境涯だから、その境涯は戻る事はない。
では、「悟達」にイコールする「難」は、どう捉えるべきか?
これこそ、「難即栄光」だ。「難 を受けられる境涯そのものが、既に「悟達」に到達している。
だから、我々は、「池田先生の弟子」と言う幸せ者達は迫害を受けた瞬間に、
池田先生から「真正の弟子」「如我等無異の弟子」とのお墨付きを戴いたと言う事となるんだ。
だから、私達を迫害した糞尿ども及び関係者全員は「悟達推進菩薩なんだ」と言うのです。
そして二人で「有難う.糞爺の役の悪党ども!」と叫びました。
「御苦労様でした、まもなく焼けただれた地獄の釜の中に、蹴り込んで上げましょう」と告げました。

更に家内は、『大聖人様が竜の口で、まさに首斬られんとされた時、
「只今なり」と泣きながら殉死しようとした四条金吾に
「不覚の殿ばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・約束をば違えらるるぞ」(P914)
と言われ、酷寒の佐渡にて「流人なれども喜悦はかりなし」( P1360 )と言われたが、
難などご覚悟の上の事。
目的は末法万年尽未来際に人類の、否、全生命を救う事にあられ、
仏の設計図のひとつに、当然難が組み込まれていらっしゃる大聖人様が、
何故わざわざ御難の極みの度に歓喜を口にされるのか。
仏がわざわざ口にされる事ではないのに。

常々私は、「歓喜の中の大歓喜とは、いったいどこをさすのだろう」と思い続けてて今、解った。
最も苦難の時、死をも覚悟し抜いた時に、『 歓喜の中の大歓喜が起こるのだ』と、
『何故リサール博士が、死の直前、振り返ったのか』
実は、その歓喜を伝えたかったのではないか』と。
更に松陰先生の「死して不朽の見込みあらば.いつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらば.いつでも生くべし 」も、同じ覚悟である!と。
さすが、と思った。

何か長々と前後不自然な文になったが、
貴重な捉えかただと思ったので紹介させて戴いた。
そこで、タイトルの正木元理事長、そしてその後だが
宮川や未来部が余りにも、
顧問の正木さん居ませんか?
顧問の正木さん、いつ来るんですか?
顧問の正木さんに、連絡を頂きたいのですが?
と頻繁に連絡してくるので、晴れ、11・18には第三文明社顧問からの移動が決まったそうである。
何でも、本部大誓堂にある、何か恩師記念室か何かの室長との事。
ワーッ!もう訪問出来ないじゃん。
栄転なのか?再左遷なのか?はたまた、軟禁なのか?
原田らの外圧に対して正木熱を出せば、ダイアモンドになれるのに!
「難即悟逹 なのに!残念!

仕方ないので、この投稿を読んで下さっている、共に戦う世紀の勇者に送ります。
大難を受ける事が出来る境涯が、既に仏の境涯。
大難に耐えて、堪えて、苦しんで、ではなく、
『難即悟達』
なんだと決めれば、難に戸惑う事もない。
『ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ 』(1143)
(私の家の場合は、女房と酒うちのみてではなく、ただ女房のみ酒うちのみてですが、私はゲコで全く飲めません)
『設ひ・いかなる・煩わしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさわぐ(思索)らせ給うべし 』(1088)
と、思うものである。
 

宮川さんのFBが更新されてましたね

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月 2日(木)08時41分9秒
  宮川さんの更新されたフェイスブック

正木さんは本部の建物(?)へ移動らしい情報
どういう意味合いの移動かは不明のようですが

そして、ダイアモンドと石炭での喩え話
話の流れからは正木さんへ話したい内容のように感じる

『「 難 」を受けられる境涯そのものが、
既に、「 悟達 」に到達している』

妙になるほど、と思った

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

タンブン

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年11月 2日(木)08時37分56秒
編集済
  タイで上座部仏教と出会って知った言葉に
”タンブン”があります。下のリンクに詳しく
まとまっています。

https://matome.naver.jp/odai/2142909794929356201

五戒を守る(殺生をしない、盗まない、犯さない、嘘を付かない、酒を飲まない)
もタンブンなのですが、タイのまじめなお坊さんの生活は日本のお坊さんとは
ちがって、とても厳しい戒律に従った生活だとか。まじめではないお坊さんは
別ですが。

原田学会の怪鳥さんとお仲間は、上座仏教の方から
みるとどのように評価されるでしょうか。

お坊さんに托鉢(ピンダバーダ)するのはお坊さんが
自分のかわりに厳しい戒律を守り仏法を修行して
いるからだとか。それを考えると原田学会の財務と
はいったい何のためでしょうか。

タイ人の私の奥さんが言ってました。”座談会に行くたびに
タイの大白蓮華みたいな機関紙を買うようにしつこく
いわれるけれど、御書全集が1冊あればいいのに。
何でいつも買わせようとするのか、そのお金は誰の
ものになるのか、はじめて座談会にやってきたタイ人の
人にも買わせようとしているので、その人は嫌な顔
をしていた。”

そして、タイでは日蓮大聖人様の仏法ではなく
人間革命を勉強していくそうです。

これからどうなって行くのでしょうか。
広宣流布の目的は日蓮大聖人様の仏法を
世界に広めることなのでは?

原田学会と上座部仏教を比較してみたら、
上座部仏教のほうがはるかに釈迦の教え
に近いと思います。

五戒(殺生をしない、盗まない、犯さない、
嘘を付かない、酒を飲まない)を守ってない怪鳥さんや
仲間たちが創価学会仏といったところで、
タイ人の人たちがどう思うでしょうか。

日蓮大聖人様の仏法や池田先生を利用した宗教ビジネス、
言ってることとやってることがまったくちがう偽善者の集団。
きっとそう思われるでしょう。このままでは世界広宣流布なんか
できないでしょう。

そろそろ原田学会にはかかわらず、我道を歩むときかなと
思っています。原田学会の座談会にはもう参加することは
ないかもしれません。
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http://imagine-happy-life.tokyo/

 

二十一世紀への対話 170

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年11月 2日(木)08時33分26秒
  【池田】 正しい宗教と誤れる宗教についての博士の規定には、私も賛成です。ただ一点について、私は異なる意見をもっています。それは日本の神道に対する評価についてです。
神道は、たしかに、自然のあらゆる存在に尊厳性を認める思考から生まれた宗教です。しかし、なにゆえに尊厳であるのかということになると、神道はそれを裏づける哲学的体系に欠けています。その根底にあるものは、祖先が慣れ親しんできた自然への愛着心です。これは祖先を媒体とした自然崇拝といえるでしょう。したがって、神道にはきわめてナショナリスティックな一面があるわけです。そして、この神道イデオロギーの端的なあらわれが、いわゆる神国思想なるものでした。この神国思想は、周知のように、きわめて独善的なものです。こうしてみると、神道の場合、自然に対する融和性はその一面にすぎず、その裏面に、他民族に対する閉鎖性や排他性をもってしるわけです。こうした性格はあるいは日本の神道にかぎらず、汎神教を伝統とする他の民族信仰のうちにもみられるかもしれませんが――。

【トインビー】 神道にも、それに類する多くの他宗教と同様、明らかに長所と短所とがあります。私のこれまでみてきたところでは、神道の場合も、前キリスト教時代のギリシア人、ローマ人の宗教の場合も、一つの長所として、ともに自然の力を神聖なものと定めたことがあげられます。また、自然に対する畏怖の念を教え込むことによって、人間のもつ自然利用への貪欲な衝動を、ある程度まで抑えました。たしかに神道には、おっしゃる通り弱点があります。そしてこの点では、前キリスト教時代のギリシア・ローマ人の宗教も同じであったことを認めなければならないでしょう。
自然の本質には、人間の本質も含まれます。人間が自然の一部であることは、逃れられない事実です。たとえ人間が、自然を利用するために自らを人間以外の自然から区別しようとしても、それは変わりありません。本来、社会的動物である人間が、その発展過程において、社会を大規模かつ有機的な共同体へと組織化する段階に達すると、人間の集団力は自然の力のうちで最も強力なものの一つとなります。これは、ハリケーンや雷雨や地震、洪水などと同じくらい強力なものです。このため、そうした段階に入ったとき、人間の集団力に対する信仰――家族、国家、教会、その他人間同士の関係からなる網目組織への信仰――は、人間以外の自然の力に対する信仰よりも優位に立つようになります。そして、このとき、元来自然の諸々の力の象徴とされていた神々が、今度は人間の諸制度の象徴としてかつぎ出されてくるのです。
日本では、明治維新以後、このような新しい役割が神道に課せられたわけです。そしてまた、それを遡ることほぼ二十六世紀の昔、ギリシアの万神殿(パンテオン)の神々にも同じ役割が課せられていたのでした。これらの神々は、ギリシア世界が数多くの主権都市国家へと政治分裂し、激しい覇権争いを演じていた頃、各都市国家の集団力の象徴として奉仕させられたのです。
こうした点は、私もたしかに、自然崇拝にみられるはなはだしい弱点だと思います。この種の宗教は、政治色を帯びる以前の本来の形態のものも、また、後に政治面が加味されて変形したものも、ともに、高等宗教に比べると精神的に劣っています。

【池田】 高等宗教としての仏教は、その点、本来の教義においても、歴史的な体験においても、その種の宗教とは明らかに異なる要素、性格をもっています。つまり、土俗的な汎神教を超克してきたのが、仏教であるといえるでしょう。
仏教は、自然の森羅万象と一切衆生とに遍く存在している生命の法を根本こした宗教です。いいかえれば、宇宙と生命に内在する根本の“法”に合致していくことが、仏教の第一義であり、そこから、人間が自然と融和し協調していく道が説き明かされているわけです。万有神教の神々は自然の力や民族の力の象徴とみられますが、仏教はそれらを生命の法体系のなかに位置づけます。しかも、仏教でいう“生命”は、あらゆる人間とあらゆる生物(無生物も含めて)に共通普遍のものですから、ナショナリズムといった特定の人間集団を優先するイデオロギーを、初めから超えているわけです。

【トインビー】 仏教のもつ性質についてのただいまのお話、よく意味がわかります。そのことは、私のいう高等宗教がいかなる性質のものかという点に私を立ち戻らせます。 私が高等宗教というとき、その意味は、人間各自を“究極の精神的実在”に直接触れ合わせる宗教ということです。つまり、同じ“究極の実在”との触れ合いにしても、人間以外の自然の力とか、人間の集団力が具現化された制度とかの媒体を通じて、間接的に触れ合わせるものではないのです。このように定義づけられる高等宗教こそ、現代人が必要としている宗教です。

【池田】 そうした意味での高等宗教が今日切実に必要とされていることは、まさに疑いの余地がありません。ただ私は、さらにつきつめるべき基本的な問題として、それらの宗教が何を根本とする宗教であるかという問題があると思います。すなわち、高等宗教は“神”を根本とすべきか、あるいは“法”体系を根本とすべきか――という問題です。
私の考えでは、現代人がもつべき宗教は、“法”、を根本とする宗教であると思います。このような宗教こそ、合理的思考の試練に耐えるだけでなく、それを超え、リードしうる宗教ではないでしょうか。

【トインビー】 神本位の宗教と法本位の宗教では、どちらがより有効であり、価値があるかという問題が提起されたわけですが、有神論にあっては、“究極の精神的実在”が神人同形のものとして想定されます。すなわち、神とは“究極の実在”が人間的な存在として現われたものとされるわけです。
ギリシア、ヒンズー、スカンジナビアの神々の場合は、その身体面さえ人間に似たものと考えられています。また、キリスト教徒やイスラム教徒にも受け入れられたイスラエルの神ヤーウェは、姿をもたず目に見えないものと想像されていますが、この神もやはり、イスラエル人の聖典には人間的な感情――嫉妬や憤怒――をもつ存在として記述されており、しかもその振る舞いにはそうした感情に左右されるところがあったと想像されています。つまり、ヤーウェの行ないには、人間であったならば当然とがめられ、叱責をこうむるようなところがあったと思われるわけです。
人間は、やはり”究極の実在”に対しても、そこに人間的なものを求めずにはいられないようです。たとえそれが気まぐれな暴君のような存在であっても、そのなかに人間的なものを追い求めるのでしょう。これは、人間社会において、子供が人間である親の手助けや導きを必要とし、大人が指導者を必要とすることからもわかります。しかも、大人の場合、指導者との結びつきは、親族などの血のつながりによるのではなく、指導者がもつ、より優れた知恵と、より強い意志力に託す信頼をもとにしています。
とはいっても、“究極の精神的実在”を神人同形のものとして描き出すことによって、そうした願望を満たそうとするのは、やはり不合理なことです。“究極の実在”が人間的なものであるという根拠はまったくありません。いや、人間に似ているなどとはまず考えられもしないことです。なぜなら、人間は、自然を構成している森羅万象のなかの、ほんの一部にしかすぎない存在だからです。
このように考えると、私も、ゼウス、アテナ、アポロンといった万神殿の神々や、ヤーウェのような唯一神よりも、仏教に説かれる普遍的な生命の法体系のほうが“究極の精神的実在”を、より誤りなく示し出しているように思います。
 

カンピース様

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2017年11月 2日(木)08時12分16秒
  私の地域では、かなり以前からブレザーは着用してませんでした。
それと、統監報告は昨年から世帯から個人に変わりましたので、こどもにもあり?
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、創価班が首都圏総会の開催、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年11月 2日(木)07時41分30秒
  おはようございます。原田怪鳥様、「広宣の勇者創価班」が首都圏総会を開催、誠におめでとうございま~す(笑)

ナニか?「創価班ブレザー」が「創価班ネクタイ」に変更されたとのコト、これでネクタイが売れマスねぇ~、商売繁盛、おめでとうございま~す(笑)

写真では、普通の背広に創価班ネクタイを着用してマスねぇ~、と、いうコトは、今後はブレザーは着用してはいけないのでしょうかぁ~?

池田先生の思いがまた一つ、消されていくのでしょうかぁ~? 寂しい限りデスねぇ~(笑)


また、原田怪鳥様、「男子部の日」を記念する首都圏代表者の集いに御参加、誠にご苦労様で~す(笑)

師と心を合わせて信心に励む時、越えられない壁はないっ、なんて言うより、ナゼ、「ブレザー」が「ネクタイ」に変わったのか?

今後、新調されるブレザーよりネクタイにしたほうが儲けが多いのか? どこかから、ポッケナイナィ~があったのか?

皆さんに、ハッキリと発表されたほうがいいんじゃないデスかぁ~(笑)


爆笑創作座談会では、ナニか? 拡大に先駆だ!、誰が何世帯弘教した!と、勇ましいハナシがトンでマスが、本当デスかぁ~(笑)

志賀男子部長サンのおハナシでは、本年すでに2万7000の拡大をしたとのコトですが、果たしてその中で、育った人が何人いるのでしょうかぁ~(笑)

壮婦の成果や分世帯の数を横取りしていませんかぁ~? あるいは自分の子供の入会を成果に挙げてないデスかぁ~?(笑)

だいたい、それだけ拡大していても、衆院選比例区の数字が落ちているのが、実証デスよぉ~(爆)

「作られた拡大」で煽るのは、いい加減に止めたらいかがデスかぁ~(笑)


そんなコトよりも、11月は本幹があるのでしょうから、原田怪鳥様御自身が、「青年部の見事な活躍」なんて人任せにしないで、

御自身が、何人を折伏し、何人を救ったのかを発表していただけマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)



 

わが友に贈る 2017年11月2日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年11月 2日(木)07時19分15秒
  励ましの真髄は
「話す」より「聴く」。
共感と納得ありて
安心と決意あり!
個人指導の名手たれ!
 

21世紀への選択 核廃絶の指針・・・「原水爆禁止宣言」の意義 P298 を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月 2日(木)02時13分13秒
  第九章人間の安全保障・・・核兵器のない世界へ P290

21世紀への選択 核廃絶の指針・・・「原水爆禁止宣言」の意義 P298 を投稿します。

ポイント
*、池田
 私どもSGIが進める平和運動の原点には、一九五七年九月に戸田会

長が発表した「原水爆禁止宣言」があります。

 その一節に、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利を

おびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」とあります。

そして、叫ばれた。「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」と。

これは、人類の生存を危うくする核兵器の悪魔性を糾弾するとともに、核兵器を生み

出し、これを使用しようとする人間の生命に巣くう魔性を鋭く告発したものでした。


*、テヘラニアン
 「核兵器のない世界」をめざす池田会長の不屈の努力、またSGIの取り

組みについては、私もよく存じております。

実際、私が初めてSGIに注目したのは、そうした活動があったからなのです。

その原点にある「原水爆禁止宣言」を世に問うた戸田会長の名を冠するわが研究所

でも、その深い意義を鑑みて、核廃絶を最優先の研究課題に掲げました。

*、池田

 しかし残念なことに、いまなお、「核兵器は安全保障のために必要」とする核保有国

の立場は変わっていません。

抑止論に固執し、核兵器廃絶に積極的でない保有国をどう方向転換させるか。

そこで重要となるのがNGO(非政府組織)などの民衆運動であると私は考えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

池田先生は核兵器と言う、悪魔の牙を抜くための指針を提示されています。

1、戸田会が発表した「原水爆禁止宣言」を世界へ広める
2、人間の生命に巣くう魔性を鋭く告発
3、「核兵器は安全保障のために必要」という国への方向転換求める
4、SGI、NGO(非政府組織)などの民衆運動推進

池田先生は、仏法哲学から核兵器開発の根本原因を・・・、その悪魔性の根本を「無明」と
「慈悲」戦いである。
生命論からいえば、人々を大量虐殺したり、戦車の下敷きにしたり、原爆投下などは、瞋恚、
すなわち、怒りからくるのである。

SGの生命変革、人間革命の活動によってのみ・・・「権力の魔性」=「無明」を冥伏出来る
と教えられました。

鈴之助
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まなこ様の法華経の智慧 第三巻 より いただきました。 感謝!!

名誉会長: 戸田先生は、全生命で宇宙に瀰漫する魔と戦っておられたのです。戦いは壮絶でした。

その苦痛、その緊張感は、だれにもわからないでしょう。
普通なら、病気になるか、死ぬか、自殺するか、精神に異常をきたすか ・・・、 それくらい、生
命への猛烈な圧迫があるのです。

原爆は「無明」が形になったものと言いましたが、それは「人間不信」と「人間憎悪」が形になった
ものとも言える。

哲学者のマックス・ピカート博士でしたか、原爆は「分裂する世界」の象徴と論じていました。

(「もろもろの原子を結合して原子世界を成立せしめていた力が、いまや一つの世界を爆破し粉砕
するために利用されるのである。原子爆弾が、今日、この時代に ?- 万事を分裂することによって
生き、且つそのために死につつあるこの時代に ?- 発明されたのは、決して偶然ではない」
(『われわれ自身のなかのヒトラー』、佐野利勝訳、みすず書房))

「権力の魔性」は「分裂」させます。人と宇宙、人と人、国と国、人と自然を「分断」させます。

反対に、「慈悲」はそれらを「結合」させます。そして宇宙そのものに「結合させる慈悲」がある。

宇宙そのものが本来は慈悲なのです。その意味で、宇宙は仏と魔との戦いの舞台です。

「権力の魔性」と「慈悲」との戦いです。
「生命を手段にする」欲望と、「生命を目的とする」慈愛との闘争です。

人間を砂粒化し、「無」化していく力と、人間を宝塔化する力との、せめぎ合いなのです。


御義口伝講義録
   第四 五濁の事   0717
「瞋恚増劇(しんにぞうぎゃく)にして刀兵起り」とは、戦争の本質をついたものである。

戦争など狂人でない限り、誰一人として、望んではいなかろう。

もし戦争を望むような人間がいるとすれば、それは人間ではなくして、人間の仮面をかぶった魔者
である。
誰も願っていないのに、なぜ核兵器が製造され、世界は一触即発の危機にさらされ、また弱小国には
動乱が絶えないのであろうか。

人々を大量虐殺したり、戦車の下敷きにしたり、原爆投下によって多くの犠牲者を出すなどという
ことは、理性ではとうてい考えられないことである。

これは、まったく瞋恚、すなわち、怒りからくるのである。

 

21世紀への選択 核廃絶の指針・・・「原水爆禁止宣言」の意義 P298

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月 2日(木)02時08分55秒
  21世紀への選択  核廃絶の指針・・・「原水爆禁止宣言」の意義 P298

池田
 なかでも、私どもがとくに力を入れてきたのが、核兵器廃絶の問題です。

ご存じのように、私どもSGIが進める平和運動の原点には、一九五七年九月に戸田会

長が発表した「原水爆禁止宣言」があります。

 その一節に、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利を

おびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」とあります。

そして、叫ばれた。「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」と。

これは、人類の生存を危うくする核兵器の悪魔性を糾弾するとともに、核兵器を生み

出し、これを使用しようとする人間の生命に巣くう魔性を鋭く告発したものでした。

そして、この宣言を"第一の遺訓"として私たち当時の青年たちに託したのです。

以来、創価学会では、「核の脅威展」や「戦争と平和展」を世界各地で巡回開催した

のをはじめ、反戦出版シリーズの刊行を行ってきました。

そして最近では、核廃絶キャンペーン「アボリションニ○○○」に賛同した青年部が

一千三百万の署名活動を達成するなど、幅広い活動を展開してきたのです。

テヘラニアン
 「核兵器のない世界」をめざす池田会長の不屈の努力、またSGIの取り

組みについては、私もよく存じております。

実際、私が初めてSGIに注目したのは、そうした活動があったからなのです。

その原点にある「原水爆禁止宣言」を世に問うた戸田会長の名を冠するわが研究所

でも、その深い意義を鑑みて、核廃絶を最優先の研究課題に掲げました。

戸田会長の怒りの叫びは、何百万という世界市民の心に共鳴し続けているのです。

「宣言」発表四十年にあたる九七年九月には、イギリスのタブロー・コートで

「核兵器廃絶のための国際会議」を開催しました。

これには、パグウオッシュ会議名誉会長のジョセブ・ロートブラット博士をはじめ、

軍縮問題の世界的権威が多数参加し、有意義な討議を行うことができました。

この会議を通じて、私は改めて戸田会長の「宣言」がもつ先見性を感じるとともに、

私たちの進める研究プロジェクトが、いかに緊急の必要事であるかを確信したのです。

この研究成果は、戸田平和研究所から本にまとめられ出版されております。

池田
 たしかに冷戦が終結し、全面核戦争の危険性が遠ざかったことで、

"これで一安心"という雰囲気が国際社会に漂い、核兵器に対する人々の関心が弱まった

面があります。

しかし、近年のインドとパキスタンの相次ぐ核実験の強行に見られるように、核保有を

めざす国々が新たに現れ、さらなる核拡散への連鎖が懸念されています。

このまま事態を見過ごせば、人類は引き返すことのできない隘路に進むことになって

しまうでしょう。

しかし残念なことに、いまなお、「核兵器は安全保障のために必要」とする核保有国

の立場は変わっていません。

抑止論に固執し、核兵器廃絶に積極的でない保有国をどう方向転換させるか。

そこで重要となるのがNGO(非政府組織)などの民衆運動であると私は考えます。

イギリスの国際会議でも、その重要性が指摘されたとうかがいましたが。

テヘラニアン
 ええ。
タブロー・コートの会議で「核兵器のない世界への地球的行動・・・軍備管理から

廃絶へ」と題し報告を行った、核時代平和財団のデイビッド・クリーガー所長がNGOの

重要性を強調していました。

会議の合間にも、「核廃絶を現実のものとするためには、国際世論をもっと強く

しなければならない。

だからこそ、SGIのような取り組みが、今後ますます重要になってくるのです」と述べて

おられました。

私も、核保有国が抱き続ける幻想を打ち破る力が、民衆のなかにあると信じています。

  私は、会議の基調講演でロートブラット博士が厳しい口調で語った、

「人類は、短期間のうちに何万発も核弾頭を蓄積してしまった。

これほど愚かで狂気に満ちたことをなぜ許してしまったのか」との言葉が

忘れられません。

だからこそ、国家が「必要悪」とする核兵器保有を「狂気」と断じられる人間本来の

感性と、その不正義を許さない勇気に立脚した民衆運動が求められるのです。

その意味で私も、SGIの平和運動に大いに期待しています。


 

生命軽視が拡がっていると感じます。

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年11月 2日(木)00時58分16秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

池田先生が命がけで戦い進めて来られた『全ての生命こそ宝』という思想!命こそ第一の宝と日蓮大聖人様も御書に書かれておりますよね!

世の中の縮図である学会の世界を私利私欲の為、自分達の保身の為というちっぽけな理由でこれまたちっぽけな安倍総理のワガママに何も言えない意気地無しの公明党議員の面々原田偽物会長を筆頭に執行部の面々が、真面目な会員さんを処分と言う名の首切りをしてきたがゆえの生命軽視の思想が拡がって来てますよね

悲惨な9人の死体がアパートから出てきた猟奇的な事件もまともな人からしてみれば『何故あの様な残酷な事が出来るのか』とても信じられない事ですね!

オリンピックに向けて飛行機の発着経路を変えると云う┐(´д`)┌埼玉から東京の街の中を着陸体制をとるために低空で通過する事になる計画を立てているようだ
┐(´д`)┌

飛行機の部品が落ちる事故が結構有るようじゃないですか?その落下物が人に当たったらどうすんだ!

落下物で被害が出たら金で解決するような事を考えているみたいだが死人が出ても金で解決すんのか?

国交大臣(# ゜Д゜)命も金で買えるとでも思っているのか?

狂った原田が会長などやっているからだ!安倍総理なんかのさばらせてるからだよ(# ゜Д゜)

信濃町(# ゜Д゜)公明党(# ゜Д゜)テメーらが一番
(*`Д´)ノ!!!悪ーんだよ (# ゜Д゜)

 

この本ですね。

 投稿者:ダメよ~ダメダメ  投稿日:2017年11月 2日(木)00時30分1秒
  仰る通り、先生の事以外は本当の事がたくさん書かれていますよ(笑)


小説聖教新聞、って池田先生以外はほぼ真実らしいね。  投稿者:思い出の名シーン  投稿日:2017年11月 1日(水)12時45分37秒
小説聖教新聞  投稿者:八尋みのる
投稿日:2016年 7月 4日(月)21時19分8秒   通報
聖教職員が書いたと言われてますね

産経新聞?週刊サンケイ?
か何かで連載されていたやつでしょ

池田先生憎しの感じだったかな?
昔読んだけど忘れたなぁ
結構リアルな感じはしましたね~
 

質問時間の小細工は加計学園ライン

 投稿者:新感性  投稿日:2017年11月 2日(木)00時16分4秒
  >与党の質疑時間、首相が拡大指示 萩生田氏に
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22804540X21C17A0EA3000/

質問時間の小細工は安倍→萩生田ラインだってね。
これって完全に加計学園ラインじゃないの。面の皮の厚さにもほどがあるね。

で、公明はしっかり頬かむりですか。


民主主義破壊へ  投稿者:新感性  投稿日:2017年10月31日(火)02時03分5秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76117
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年11月 1日(水)23時45分34秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい

 

同盟題目!23時に開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月 1日(水)22時45分11秒
  池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈ります。
よろしくお願い致します。
 

関心を持つ

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年11月 1日(水)22時38分15秒
  希望対話より
「今の日本の社会は、まったく反対の、ぎすぎすした、『人の不幸を喜ぶ』ような社会になってしまった。そのなかで生きている君たちは、かわいそうと言えば、本当にかわいそうだ。しかし、それでも、あえて私は言っておきたい。
『どんなに大人がいいかげんでも、君たちだけは、そのまねをするな!汚い大人のまねをして、人をいじめたりするな!どんなに大人社会が腐っていても、若き君たちだけは、その毒に染まるな!敢然と『ノー!』と言いたまえ!そして、君たち自身の力で、団結で、君たちの望む未来をつくりたまえ!』と。」

:::::::

組織主義が横行し、会員よりも会長が上という、傲慢な組織になったとしても、それに気づいた人が、使命を自覚し、変革していく。それが、先生が望んでいることであると思う。誰にでも使命があるが、自覚(気づき)できなければ、結果的にないのと同じになる。気づくことができること自体が福運なのである。

希望対話の中で先生は、悪がはびこる諸悪の根源は、「自分には関係ない」という心にあると言われている。多くの人は、組織主義は見て見ぬふりをしている。それが悪を応援することにつながる。見て見ぬふりをしているごまかしの自分に気づけるかどうか。また、いかに気づかせていくかが戦いである。

組織主義に染まり、自分には関係ないと容認し続けると、悪を平気で許す無気力な人間になる。悪をおかしいと思えなくなり、常態化する。そして、組織が根っこから腐っていき、やがて崩壊する。魔王の狙いは、いかに会員を無力にし、骨抜きにするか。自分には関係のない問題とさせるかである。

もうすぐ創価学会会憲が施行されるが、ほとんどの会員は内容を知らない。内容を知らないどころか、会憲が制定されたことも知らない人が多い。そもそも関心がない、自分には関係のない問題となってしまっている。また、関心が向かないように、情報も与えない。内容を吟味することがなければ、方針に従うだけの、無気力な人間になってしまう。

悪と戦うということは、自分には関係ないと無気力になるのではなく、大いに関心を持つこと。内なる第六天の魔王の正体が、無関心であることに気づくことができれば、そこから悪との戦いの狼煙が上がる。無関心という無慈悲を打ち破り、会員一人ひとりが、「自分自身が会長である」と自覚することが、創価学会の発迹顕本につながる。

無関心は生命力のなさの表れであり、魔に浸食されている状態である。その状態自体が、悪を増長させてしまっている。第六天の魔王が嫌がることは、関心をもたれること。関心をもった人間がいると、好き勝手できなくなるからだ。関心を持つと決めれば、仏の智慧が湧く。関心を持つか、それとも無関心になるか。これが個々における水面下の、仏法勝負である。
 

皆さん、南無公明党佛をご贔屓に有難うございます!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月 1日(水)22時16分3秒
  表記の通りです。弱肉強食のジャングルの掟で国会を運営しようとする安倍政権!それに何処までも喰いついていくコバンザメ南無公明党佛。今こそ諸法実相を諦観しませう。  

愛人生活がゆきわたる組織へ・・・ダメだったらズボン下げて昏睡レイプ

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年11月 1日(水)22時06分13秒
  原田奴隷学会で、議員辞職した者も、同じようなこと、言ってるんじゃない?女房が~子供が~・・・あのね、全ては、お前のハレンチな常習行為が原因なの!!周りのせいにするな!!全部自己責任です。頭丸めて刑務所に収監されろ、二度と社会に出てくるな!!

以下、某ブログから

ーーーーーーーーーーーーーーーー


「レイプ揉み消し疑惑」の山口敬之氏がFBに投稿!「伊藤詩織なる女性と私を犯罪者扱いする新潮や金平や望月のせいで老父が入院しました」


・2017年10月29日、伊藤詩織さんがレイプ被害と逮捕揉み消しを訴え続けている「安倍総理の代弁者」の異名を持つ山口敬之氏がフェイスブックに投稿。「詩織さんや(この疑惑を追及していた)週刊新潮やTBSの金平茂紀キャスタ-、東京新聞の望月衣塑子記者のせいで老父が入院した」と強い怒りのコメントを綴っている。

・山口氏は、「伊藤詩織なる女性が5月に記者会見を行って以降、私の家族の元には無数の罵詈雑言、誹謗中傷のメールやハガキが寄せられました。週刊新潮はその後何度も何度も、私の人格を否定するような誹謗中傷記事を書き続けました。」とした上で、このせいで老父が臓器を患い入院したと強調。「私は父の内臓から出た、大量の鮮血の色を一生忘れません。」と、読者の情に強く訴えるコメントを投稿している。



以下、山口フェイスブック内容

ーーーーーーーーーーーーー

老父が緊急入院しました。

伊藤詩織なる女性が5月に記者会見を行って以降、私の家族の元には無数の罵詈雑言、誹謗中傷のメールやハガキが寄せられました。週刊新潮はその後何度も何度も、私の人格を否定するような誹謗中傷記事を書き続けました。そして伊藤詩織氏の主張を鵜呑みにし、私を犯罪者呼ばわりするテレビ、新聞、雑誌の報道も後を絶ちませんでした。10月18日には、事実と全く異なるが故に検察審査会によって退けられた主張を、繰り返し書き連ねた伊藤詩織氏の本が大手出版社から発売されました。私の家族は、高度のストレスを半年近く継続して浴び続ける状態に置かれました。そしてついに80歳を超える老父が、昨日倒れました。

倒れる前、父は「検察審査会の議決が出た後も、なぜお前を犯罪者と断定するようなメディアがあるんだ」と嘆いていました。

また、10月24日に伊藤詩織氏が行った記者会見の場で、TBSキャスターの金平茂紀が「理解できないくらい怒りを覚えている」と述べた事について、「金平という人物からお前に取材はあったのか?お前のTBSの同僚はあんなのばかりなのか?」と、老体を震わせて憤っていました。

また、東京新聞の望月衣塑子記者が、伊藤詩織氏の主張だけを紹介した記事を書いたことについても、「どうしてお前の主張は一行も触れられていないんだ」と聞いていました。金平からも望月からも、一切の取材も問い合わせも受けていない私は、黙ってうつむくしかありませんでした。望月は7月に公表されたインタビュー記事の中で、今回の案件に全く無関係な私の老父の職業を暴露した上で、事実と異なるデマをまき散らしていました。

金平や望月のように、伊藤詩織氏側の人権に寄り添っているようにみえる自称ジャーナリストにとって、私や、私の年老いた両親の人権など、一顧だにする価値もないのでしょう。

老父は今夜も、がらんとしたうすら寒い病院で、ストレスにむしばまれた臓器を抱えて独り眠ります。長崎の田舎から出てきて、60年間一生懸命働いて人生の終末期を迎えた83歳の老人を苦しめているのは一体何なのか。私を生み育てさえしなければ、両親がこんな塗炭の苦しみを味わう事はなかったことだけは、間違いありません。

私は父の内臓から出た、大量の鮮血の色を一生忘れません。私はこれまで、決して親孝行な息子ではありませんでした。今回の事で、さらに老父母を過酷な環境に追いやってしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

記者活動再開の告知に対して、たくさんの激励やご意見をいただきました。久しぶりに幸せな気分で皆様へのご返信を書いている最中に父が倒れました。せっかくいただいた激励へのご返信が遅れる事は本当に申し訳ないのですが、今は父の看病や母の支援を優先させて下さい。落ち着きましたら必ずご挨拶いたします。ご理解をいただけましたら幸いです。


【facebook 10.29.】

 

【こ連絡】「教学部レポート」「遠藤文書」の送付にあたり

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月 1日(水)21時30分29秒
  「教学部レポート」「遠藤文書」の希望の方、順次、送付しています。

しかし、こちらからレポートを送付しましたがメールアドレスエラーとなり送れない方がいます。

レポートが届かない等、お心当たりがある方。
再度、ご連絡をください。

レポートは希望を頂いてから概ね2週間程度でお送りしています。行き違いもありますので、中々届かないと思われる方は催促メールを送りください。よろしくお願いします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【教学部レポート・遠藤文書を希望の方】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62638

こちらもご確認ください。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/18051
 

物言わず、付き随う与党の心地良さよ~南無公明党佛・・・

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年11月 1日(水)21時22分29秒
  何を投稿されているか、分からない奴隷の皆さんへ

今、皆さんが支援してる公明党は社会の役にも国会の中でも何も役に立っていません。


自民が野党時代は、質問時間の大幅増を要求!!

与党になったら、今度は野党に質問時間削減御都合主義に、公明党は黙りを決め込む。自民党議員は般若心経読んで時間潰し、公明党議員は南無南無法華経読むのか?

以下、日刊ゲンダイ(2017.11.01)より抜粋
尚、谷川弥一さんは、谷川勃起さんでは有りません。親戚でも有りません、ご参考まで。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

自民が野党に要求 質問時間削減は絶対許してはいけない

野党が憲法に基づいて要求した臨時国会召集を無視して解散したと思ったら、今度はこれだ。政府・自民党が獲得議席に応じて野党の質問時間の削減を要求している問題。自民党の森山裕国対委員長は、党内から質問機会の拡大を求める声があると寝言を言っているらしいが、冗談ではない。

 立憲民主党や共産党など野党各党は31日、国会内で国対委員長会談を開き、質問時間の削減を拒否する認識で一致。結束して対応することを申し合わせた。

 実は自民党が野党の質問時間削減を要求するのは今回が初めてじゃない。2005年9月の郵政選挙でバカ勝ちした時も、13年7月の参院選後に「ねじれ国会」が解消された時も、それぞれ野党の質問時間削減を要求し、突っぱねられている。

「獲得議席に応じて」とは一見、もっともらしく聞こえるが全く違う。国会に提出される法案については既に政府・与党で十分、中身を議論したものだ。自民議員が質問したいのであれば、その過程でやれば済む話だ。
■谷川議員は「時間が余っている」と般若心経

 許せないのは自民党が過去に野党に下野した際、質問時間の大幅増を求めていたことだ。93年の細川連立内閣では、自民党は代表質問で、それまでの3倍の時間配分を要求。予算委では、総質疑時間22時間のうち、実に8割以上を占める18時間45分が自民党に割り当てられていた。それなのに与党になった途端、野党の質問時間を減らせ、とはよくぞ言えたものだ。

 タダでさえ、今の自民党は安倍ユーゲントみたいな議員ばかりだから、質問時間を増やせば、それこそ北朝鮮のようなマンセー国会になりかねない。それに昨年11月の衆院内閣委でカジノ法案が審議された時、質問に立った自民党の谷川弥一議員は「あまりにも時間が余っている」と言って40分の質問時間中に般若心経を唱えたり、「夏目漱石が好きだ」と言って文学論を展開したりしていたではないか。衆院事務局に33年間勤め、国会運営を熟知する元参院議員の平野貞夫氏がこう言う。
「議会制民主主義というのは少数者、つまり野党に発言の権利を与えるということが原則。国会の慣例でも何でもありません。この原則を野党も理解していないが、自民党のムチャクチャな要求が通るようでは、いよいよ日本の議会制政治はおしまいですよ」

「(森友・加計問題は)誠意を持って丁寧に説明していきたい」。選挙後、安倍首相はTVカメラの前でこう言っていたが、やっぱり大ウソつきだった。





 

「今は、学会が貴族仏教だといわれている。難もなく、金もあって・・・将来ダメになります

 投稿者:思い出の名シーン  投稿日:2017年11月 1日(水)20時15分1秒
  誠実一路さん  投稿者:ダメよ~ダメダメ
投稿日:2015年 3月 4日(水)10時11分18秒   通報
おはようございます。

わざわざありがとうございます。又だいせーどーさんもありがとうございました。
信濃町の人びとさんも仰るとおりあまり外野は騒がないほうが良いと思いますが一言。

信濃町も方面もともかく職員幹部は姑息の集団。一部とはいえ、その一部が中枢、中心を担っている。こんな方々に広宣流布だの師弟などと語って欲しくはありませんね。
日蓮仏法でも創価の思想でもありません。宗祖のお心も、歴代のお心も、会員さんの心も、ましてや庶民の心も解かる訳がありません。

だいせーどーさんが引用されていた。

>先生のノーカットスピーチが胸にしみます。

「今は、学会が貴族仏教だといわれている。難もなく、金もあって・・・将来ダメになります。衰亡しますよ。私は戸田先生のいうとおりにやってきた。私は自ら難をおこしてやってきた、なのに今はなんだ?」

難がないどころか、政治権力に取り込まれ、保身に躍起になっている姿。

全く先生が仰られた通りかと。
 

ツイッター座談会 「文化祭の思い出」

 投稿者:静かな大人のカフェ  投稿日:2017年11月 1日(水)20時01分17秒
  A:今日(10月21日)は関西大文化祭’90から27年目やね。みんなあの日の大阪城ホールでの誓いを忘れてないかい?

ただ一輪の花も

集まり咲き競い

花園となる

確かな歩みを

刻む人々も

その始まりは

ひとり

#師弟不二
#常勝関西
#生命の詩常勝の曲
#中大阪ヒューマンハーモニー

B:誰かがツイートしてたのでいろいろ思い出して写真集引っ張り出してきた!文化祭には3回くらい携わったけど、この文化祭が一番好き。あのミュージカルはメッセージ深い…。今でも泣ける…。
#生命の詩常勝の曲
#いくど踏まれても
#一人立つ
https://pbs.twimg.com/media/DM9u3rFU8AAQSIS.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DM9u3-OVoAAYa8c.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DM9u4m-VAAA6EZI.jpg

C:90年の文化祭、どこからか流れてきたノーカット版が家にあったのですが、誰に貸したかわからなくなり紛失状態?
それでも記憶にはバッチリ残っています。探せば記念CDが押入れから出てきます(笑)

B:たくさんの方が反応して下さって嬉しいです!私も手元になく(実家にある)記憶を辿ってますが、歌詞も素晴らしかったですよね。特にソロの歌詞。~歓び分けあい、苦しみ分けあい、人みなこの命は地球よりも尊く重い…でしたか?涙でますね

B:~今こそ、肩を組んで立ち上がる時~ってとこもありました。
全歌詞、思い出したい 笑
#生命の詩 常勝の曲

D:私はこれです。
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E:私は白蓮で裏方やってました。

B:白蓮でしたか。私はまだ頑張り出した頃でぺーぺでした。スタンドで演技してました!

E:私はその頃白蓮総県委員長で、24時間先生の下で闘うんだ??って猛烈にやってました。休みもなく朝から晩まで学会どっぷり。ここで皆さんから批判受けてる職員でしたので?

B:そーでしたか!じゃその頃、どこかでお会いしたかも。若しくはご指導受けたかもですね笑
知り合いが職員だったりするので、どこかで繋がるかも…ですね(>_<)

E:それは繋がりありそうですね~。
当時は指導なんて偉そうに後輩にしてましたが、今考えたら冷や汗?です。この歳になっても若い方からも学ぶことだらけですものね。
会合で幹部指導なんていうから、勘違いする幹部が居るんですよね。

B:そうですよね。今、思うと女子部の頃なんて何も分かってなかった。思うのですが、若くても年をとっていても、偏った集団の中だけでいると、とんでもなく世間の常識がなくなってくるように思います。政治家然り、学会幹部然り…。勘違いが止まらなくなる…

C:こんなん出てきました~
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B:わー、すごい!!これ、ありましたね~!この歌詞、懐かしすぎて泣きました! Cさん、ありがとう!

B:いいね、1000回くらい押したい!!

A:これ、非売品で出回った数すごく少ないんですよね~羨ましい(笑)

B:そうでしたね。圏に1枚くらいの割合でしたかね。私は音源いただいて、聴かせて頂いていて…改めて、あの文化祭のメッセージ深いな、と感動してます。

F:演出をしました。ミュージカルの脚本と詩のほとんども。

B:すごい!感動です!震えるほど…。いろんな文化祭がありましたが、あの文化祭は演出が違いました。あの時も今も、あの場面や歌詞を思うと、熱いものが込み上げてきます。言いたいこといっぱいありすぎます笑 ありがとうございました!感動をありがとうございます!

F:前日リハと当日は、ミュージカルの舞台監督でしたね。
「レ・ミゼラブル」とデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」、そしてピンク・フロイドの「ザ・ウォール」
そして、先生の関西指導のスピーチで、フランスの1968年の学生運動がド・ゴールを倒した5月革命。
だから主人公の1人がメイ

B:メイ…深いです。記憶を辿ると、一人の男性に、メイが一輪の花を持って語りかけるように歌う姿は美しかったです。リハーサルはボロボロにみんな泣いて、泣くなと叱られました(>_<)

B:そして、その一輪の花と歌声で、頑なな心を解かした…そんなイメージがあります。感動的でした。

F:ピンスポットが花に当たるのは、照明クルーと僕との内緒の打ち合わせで、当日一発勝負でした

B:そうだったんですか 笑
一輪の花、美しかったですね。そんな内緒の話があったとは…。演出、素晴らしかったです。あのすごいミュージカルを作った方からお話を聞けるなんて…。何度も思いだし、勇気をいただいた文化祭です。ありがとうございます!

F:筆舌に尽くせないいやな想い出もありますが、
舞台解体のときに、ステージクルーと、照明、音響の業者さん、設営の鉄人会さんが、突然、僕を解体中のステージ上で、胴上げしてくれて、
嫌な想い出を流し落としてくれ、そのまま、福井に向かわれた先生に数時間遅れで、福井に向かいました

B:そんな舞台裏があったのですね…そんなご苦労の中で書かれた詩に、私たちは今でも励まされています。「一人立つ」想いで頑張れています。ありがとうございます!

A:演出Tさんって初めて知ってびっくりでした。なるほどって感じです。CDはそう、確か圏1枚とかでしたよね。今もしょっちゅう思い出して歌口ずさんでます。

B:私も今回お話が聞けて感動しました。やっぱり、すごい方ですね。びっくりでしたが、なるほどなぁと納得でした。音源差し上げたいのですが、どうしたらよいやら、わからなくて…(>_<)ごめんなさい。

A:ありがとうございます。お気持ちだけで大変ありがたいです。昔の先輩が持ってるはずなのでそのうち押しかけてやろうと目論んでおります(笑)いつまでも関西魂燃やし続けて抗いましょうね。

B:今は関東にいますが、関西魂持ち続けていきます!

G:この文化祭が縁で入会したんよね。
携わることは出来なかったけど、雨の扇町リハーサルで初めて聞いた「常勝の空」、今思い出しても感動で泣けてくる!

B:本番も感動なんですが、それまでの練習も思い出がありますね。扇町のリハーサル、わぁ、懐かしい…。

G:折伏の親は私が入会した事で、晴れて正規メンバーとして出演したんです。あとで文化祭の感動話しを機関銃のように聞かされて、内心めっちゃ嫉妬してました(笑)
Bさん、3回も関わられてホンマ羨ましいです!

B:あとの2回は、責任者とイントラですので、出演者としてはこの文化祭だけなので、思い入れが深いのかな。内容も素晴らしかったし!いい時代でしたね。青年部が熱くて元気な時代でした。90年代は…。

G:先生は出演者よりも裏方さんを労われていましたよね。その姿にも感動しました。
Bさんは両側の立場で携われたのですね。本当に羨ましい限りですε-(´-`*)♪
上手く言えませんが、あの文化祭に集約されたものが本来の関西魂、学会の姿なのではと思います。忘れたらあきませんね!

B:そうでしたね。先生は裏方を大切に思って下さいました。本当にどれも宝の思い出です。私が倒れない源泉となっています。

G:直接携わることは出来ませんでしたが、私も宝の思い出です。
お互い様に"関西魂"忘れずに行きましょうね?(???*)?

A:おはようございます(^^) そうだ、いろんな方が携わっておられましたね。私は当時中大阪でヒューマンハーモニーのイントラをしていました~(*´ω`*)

B:私もヒューマンハーモニーでした。出演者でした。あの演技を全体指導されてた方、楽しい方でした。本番で、誰かの衣装かパネルかが、向きが違っていて、「そこ、違う、おまえや、おまえや、そうや…おまえや」(続く)

B:イヤモニから聞こえて、笑いをこらえるのに苦労しました…。思い出がいっぱいありますね!同窓会したら、盛り上がりますね 笑

A:あの時は久保田太郎さんかな…けっこう笑える事多かったですよね、同窓会楽しいでしょうね(*´ω`*)

B:あ、そうだ、太郎さんだ!グルグルグル、回してパァ、とか、振り付けを元気いっぱい指導して下さって、笑わせてくれて、でも近くで見ると意外にイケメンな方で、憧れてました♪

A:背もけっこう高かったんじゃないかな…最後に見たのはS班大学校での滋賀研修道場でした…

B:そう、背も高くて、あの時、女子部に人気ありましたよ。でも既婚者で、ショック受けてました 笑

A:みんな言ってました、女子部あるあるですよね(爆)

B:やっぱり、そうですか 笑 男子部総選挙があの時あったら、関西でダントツ1位でしたよ、太郎さん 笑

A:ああ、わかります(笑)男子部総選挙…ほかもっさいのばっかりやからなぁ(爆)

A:たしか和歌山のメンバーが台風の影響か遅れて駆けつけ、到着した瞬間全員で和歌山コールで迎えて感動したわ~(*´ω`*)

B:ああ、そうでしたね、帰ったら、また台風やなって言われてましたね 笑

G:和歌山から出てくるだけでも大変やからなぁ、あの時の対応は震えるくらい感動したなぁ~(*´∀`)

B:感動でしたね~。私もまだ頑張り始めたところで、なんて素晴らしいところなんだと思いました…

A:ほんと、遠いんで大変だったと思います。端っこになると新幹線で東京行くより時間かかりますから(笑)

G:会館行くだけでも片道40㌔あったからね~
よく通ったなぁ。若さだけじゃなく、それだけ求めたいモノもあったから出来たんやろな。

A:それが大事でございます(*^^*)

A:しかしツイッター面白いですねw

B:twitterでこんな話できるなんで、ホント面白いですね(^^)

C:Twitterは、新時代の座談会場です(笑)

B:ホントにそうです。もっと活用したらいいのに。ネットって言ったら、目くじら立てるからね…(>_<)
 

YouTubeにも1990年関西大文化祭の映像リソースはありませんね

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月 1日(水)19時27分46秒
  創価学会の文化祭の映像リソースはYouTubeで散見されますが、感動の関西大文化祭のものは無いようです。  

RE;「文化祭の思い出」

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年11月 1日(水)19時17分3秒
  ああ、なつかしいなぁ~当時私は間違いなく池田先生の弟子でした。

今も弟子ですけど。。。
 

(無題)

 投稿者:南無公明党佛  投稿日:2017年11月 1日(水)19時09分44秒
編集済
  下手な質問したら、原田奴隷学会の支援も愛人三昧も暴露されるから、寿量品長経唱えて終わります~

南無公明党佛~南無公明党佛~南無公明党佛~チーン

般若心経は、唱えません~南無公明党佛~南無公明党佛~南無公明党佛~チーン
 

質問時間に方便品自我偈を唱える公明党議員

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月 1日(水)18時51分0秒
  質問時間が余れば読経をします  

この掲示板で参考になることのひとつ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月 1日(水)15時59分53秒
編集済
  今では現在のような話題になっていますが

この掲示板は最初からこういう話題になっていたわけではなく、元々は宗門側VS学会側との対話というかバトルというか、昔ながらの普通の掲示板であったようです
掲示板の最初からしばらくはそういうやりとりがなされてるのが確認できます
宗門側VS学会側の対論というネットでのやりとりは昔から普通になされてきましたね

この掲示板にて現在のような話題が出た当初、ネット上の雰囲気はこの掲示板に限らずで、学会批判的な内容はタブー視され、むしろそれが常識的雰囲気でした
事実かどうか以前に、言った瞬間に学会アンチ・内部アンチ扱いされがちでした
実際、話題の当初はそうしたやりとりも行われています

そういう常識を打ち破り幸福・平和への打開に動いた方が信濃町の人びとさんです
どうやって打開することができたのか、「流れ」を変えることができたのか、話題の当初から流れを辿っていくことで、参考になるものがあるかもしれません
どのようにして信濃町の人びとさんは信用・信頼を勝ち取っていったのか

余談ながら、話題の当初辺りの信濃町の人びとさんと現在の信濃町の人びとさんとでは印象が違うのも確認できると思います
境涯革命になっていってるのが文面に出てるように見受けます
この事実はそのまま功徳(冥益)といえるのではないでしょうか
成長の跡が確認できるのは信濃町の人びとさんだけではなく複数います

翻って反板はどうでしょうか
誰一人として成長の跡がなく、冥益とは無縁なのをただ実証してるだけです

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

ボンボン独裁者

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年11月 1日(水)15時54分41秒
  民主党政権時代に野党だった自民党の要求で、

国会での質問時間配分が与党4対野党6から与党2対野党8になった。

モリカケ疑獄追及を恐れるアベは、これを与党7対野党3にしろという。

ボクちゃんのわがままもいい加減にしたら。
 

独裁制、断固阻止

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月 1日(水)12時59分36秒
  今日から特別国会。会期は一応8日までだが、野党側は最低でも30日の実質審議を要求している。当然そうだろう。

与党側も国民の批判をかわすために、会期延長に応じる可能性はあるが、その代わり野党の質問時間を削るとか、モリカケに触れるなとか、色々セコイ条件を付けてきそうな気がする。  どうなるか注目したい。

与野党の質問時間が2対8になっているのは、議院内閣制の欠点を補正する為だ。
そもそも政府は与党が構成しているのだから、野党側の質問時間が短ければ、与党側が圧倒的に有利になり、議院内閣制がまともに機能しなくなる。与党はやりたい放題だ。

自民党が野党であった民主党政権時代には、2対8 どころか 1対9 で野党有利 だった。
自分達が野党だった時には 1対9 を要求し、与党になったら7対3 に逆転させるとは、何たる卑怯な自民党だ。

政界の王者なら、もっと王者らしくしたらどうだ。
安倍首相になってからの自民党は、まるで成り上がり貴族のように、本質的なところで下品極まり無い。家柄は良いはずなのに不思議なほどだ。

今回の質問時間の削減。言い出しっぺは自民党3回生議員達だ。
魔の2回生、と言われていたあの連中が3回生になったのか…。(笑)
だが、ろくな事をしないのは相変わらずだ。

地元の支持者から、もっと活躍しているところを見せろ、と言われたようだが、国会はパフォーマンスの場ではない。
一地域の支持者のウケを狙って国会質問する気なのか?
国会議員の役割を、まるで理解していないようだ。
「魔の2回生」改め「魔の3回生」と言う呼称は、これからも盤石だ。

与党の質問時間を増やしたところで、お経を聞かされるのではたまったものではない。

自民党衆院議員谷川弥一氏は、質問時間が余ったと言う事で、いきなり般若心経を唱えだしたそうだ。
40分の質問時間のうち最後の10分以上は、般若心経と夏目漱石の話に費やしたらしい。(笑)

それほど時間を持て余しているくせに、更に与党に時間を与えたら、いったいどんな茶番が起きるのか想像もつかない。全世界の人に見せたい程の茶番が見られるかも知れない。

菅官房長官は、与党が多くの議席を占めたのだから、それに見合った質問時間を取るのは当然だ、などと言い、ネトウヨも右に倣えで同じ事を言っている。

しかし、独裁制が完成して最初に徴兵されるのはネトウヨの人達だ。
昔は一銭五厘の赤紙一枚で召集されたが、今ならメール一本だろうか。
着信音がチロリ~ンと鳴れば終わりだ。

自らを虫ケラであるとする者は、踏み潰された後に文句は言えない  と言うのはこの事だ。
強い国家と一体化する事によって、自らも強大化した様に思うのは幻想に過ぎない。

納得出来ない論理に従う事は、自らを虫ケラと認める事になる。










 

小説聖教新聞、って池田先生以外はほぼ真実らしいね。

 投稿者:思い出の名シーン  投稿日:2017年11月 1日(水)12時45分37秒
  小説聖教新聞  投稿者:八尋みのる
投稿日:2016年 7月 4日(月)21時19分8秒   通報
聖教職員が書いたと言われてますね

産経新聞?週刊サンケイ?
か何かで連載されていたやつでしょ

池田先生憎しの感じだったかな?
昔読んだけど忘れたなぁ
結構リアルな感じはしましたね~
 

我らの使命とは

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年11月 1日(水)11時38分29秒
編集済
  世界の様々な大不幸・・それらを解決する法を広める資格が今の創価執行部にありなんか・・と思ってしまう。

文化大革命に翻弄された一家の物語  (大紀元より)

趙錫麟教授は著名な冶金学(やきんがく)の専門家だった。

彼は若い頃ドイツのベルリン工業大学に留学し、ドイツ人のケシー・リンク(Kethy Link)さんと結婚し、

一男一女をもうけた。ドイツにいた時からすでに冶金学の権威的存在だった趙氏にはこんなエピソードがある。

ドイツ軍が戦争に負け、アメリカ軍から、軍事研究の資料を提供するよう命じられた。

その会議に出席した双方の代表団の中に、中国人研究者が1人ずついたという。

アメリカ代表団にいたのは後に「中国宇宙開発の父」と称された銭学森(チエン・シュエセン)氏で、

ドイツ代表団にいたのは趙錫麟氏だった。

そんな趙氏は1946年、家族4人で日中戦争が終わったばかりの傷だらけの祖国に戻った。

趙氏は天津北洋大学、後に北京鋼鉄学院で教授を務め、夫人のリンクさんは清華大学、

後に北京大学でドイツ語を教えた。リンクさんは戦後中国の混沌とした状況にも動じることなく、

趙氏の名字と自分の名前の当て字で「趙林克娣」という中国名を作り、

故郷から遠く離れた中国の地で教師と良妻賢母を見事につとめたという。

1957年、一家は北京大学構内の未明湖畔に移り住んだ。

清らかな湖に蓮の花、アーチを描く石橋にあずまや。

この絵に描いたような景色の中での幸せな生活は、長くは続かなかった。

この年に始まった反右派闘争のなか、

趙氏は、かつて私的な場で「ソビエトの冶金学者はドイツの冶金学者にかなわない」と発言したことから、

同じ共産党国家のソビエトを侮辱したとして、「大右派」という致命的なレッテルを貼られてしまったのだ。

さらに当時の教育制度に助言したことから、「社会主義教育制度を誹謗する」という罪まで被らせた。

趙氏の教授の称号は剥奪され、給料も1/3まで減らされ、大学の図書館でトイレ掃除の仕事をさせられた。

トイレ掃除はそのまま21年間続いた。

21年後のある日、「あなたを右派と決めたのは間違いだった」と一言、言われた。

卓越した才能の持ち主だった趙氏。

その才能を生かす前に、「右派」という名のとてつもなく巨大な棍棒で殴られ倒された。

21年後に棒を振るった人間が「人違いだった」と、何の謝罪もなく、

まるで何事もなかったかのように趙氏に言い放ったのだ。

それまで21年間の逆境を趙氏は一笑に付していたが、この時ばかりはこらえきれずに涙を流した。

その間、1962年に1度だけ、夫人と2人の子供にドイツに帰郷する許可が下りた。

当然趙氏に許可は下りなかった。「もうここから逃げなさい。

子供たちと向こうで生活しなさい」と趙氏は夫人に言った。しかし、ほどなくして夫人は戻った。

自分が戻らないと、趙氏は刑務所に入れられ、命さえも落としかねないとわかっていたからだ。

この趙林克娣夫人は、自分たちの不遇にもかかわらず、あの教育を軽蔑した時代の中、

北京大学で精一杯教師の勤めを果たした。また、彼女の人格も周りからの信頼と尊敬を集めた。

かつて彼女からドイツ語を教わった有名な学者は、彼女のことをこのように追憶する。

「1961年の冬、私は重病の父の看病に田舎に帰ろうとし、彼女に挨拶に伺った時のことだ。

東北の田舎はきっと寒いからと言って、貧乏で防寒服さえ買えなかった私にご主人の防寒服をくれた。

私は断ろうとしたが、『服があるのに、凍える人がいるのはおかしい』と言って、

なんとしても私に服を渡そうとした」。

一方、彼女はドイツ語以外にも、英語、ロシア語、フランス語、ラテン語などにも精通しており、

人から頼まれると、報酬など関係なく手伝っていたという。

中略

長男はその後、11歳年上で、3人の子供を持つ女性と結婚した。

2人の間に子供を1人もうけたが、その子が2歳の時に、妻がうつ病を患った。

毎晩のように外を彷徨い、彼はその後を追い、背負って家に帰った。

小さい時に習ったバイオリンを妻に引いて聞かせ、辛い歳月のなか、

ベートーベンやモーツァルトのメロディが妻の心を癒し、ほろ苦くも平穏な生活を送った。

文化大革命の後、長女が先にドイツに戻った。ドイツに戻って真っ先に2つのことをした。

1つは髪の毛をドイツ人のようにブロンドに染めたこと。

もう1つはドイツ語の名前を付けたこと。長男は「天安門事件」後にドイツに戻った。

あの事件が昔の悪夢を蘇らせたためだという。

二人の子供たちは皆ドイツで大学に入り、趙氏夫婦の夢は一世代遅れでやっと実った。

夫人の趙林克娣氏は夫が亡くなってからも、北京の未明湖畔の家で余生を送った。

亡くなる前の数年間は認知症を患った。

05年4月、天寿を全うしようとする時に、長男がこの辛い思い出の詰まった家に戻ってきた。

「お母さん、あなたの息子ですよ」と叫ぶが、

「違う」と夫人は首を横に振って言った。

長男はこの「違う」という言葉こそが母の魂の叫びなのだとわかった。

時代に翻弄された自分の人生、

息子の人生は、本来あるべき姿とは「違う」ことを、夫人の魂は知っていたのだ。

出典:http://www.epochtimes.jp/jp/2010/01/html/d68488.html
 

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