ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ。口癖は「えー、そんなの別にどっちでも良いんじゃないの?」老害発言の説明文多し。

私が物を無くさないのは縁があるから

私はあまり物を無くさない。そして失くなることを恐れながら使わない。一々箱に片付けたり一々気にしたりしない。放ったらかしに近い。が、失くさない。コツなど無い。気にしない。それは「物と私」に「縁」があるかどうか、と考える。どんなに高価なものでどんなに気を付けていても「縁」があれば無くさないし、「縁」が無ければすぐに失くしたり落としたりする。だから何か失くした時「縁がなかったんだなぁ」といつも考える。だからその物に対してある程度は探すけど必要以上に執着しない。少し前奥さんが凄く落ち込んだ顔をして謝ってきた。ダイヤのネックレスを失くしたとの事。高価な物だったので怒られると思っていたようだが、私は先にも書いたような考え方の為「縁がなかったんじゃない?縁があればそのうち出てくるから別に気にしなくていい」と答えた。本心だ。安心して機嫌が戻った。そんな事でずっと落ち込んでいられたらこっちが気を使う。また何かの記念日に買えば良いじゃんとその話は終わり、ネックレスの事は忘れていた。数年後、引越しの準備で家具を動かしていたら洗面台の横からネックレスが出てきた。良かった良かった。そんな事気にしても仕方ない。私が物を失くさないのはその物達と縁があるから。買う時も縁を感じながら買う。たまに無理に縁を結びつけて買うが、不思議な事にそういう物は必ずすぐ失くすのだ。人の縁も同じだと思っている。会う人は会おうと思わなくてもいずれは会うだろうし、会わない人は何をどうしようと会わない。私と会った人達は皆縁があるのだ。偶然ではなく必然。縁を大切に、出会いに感謝をなどとクソみたいな綺麗事を言うつもりは無い。ただ漠然と「縁」で引き合わされてるのだろうなといつも思う。好きになるのか嫌いになるのか、はたまた関係が濃くなるのか薄いままなのかは分からない。もっと言えば恋愛感情が湧くかもしれない。そんなこれから先の事は分からないが、私は「縁」に「欲」を絡ませることは無い。無理に縁を結びつけると必ず失くす。「縁」を感じながらも「欲」には負けぬ。今のところ、私の「縁」は何も失くさない、良い縁ばかりである。何かを失くした時に初めてその「縁」が「欲」に塗れていたのだと知るのだと思う。