今回販売される年賀はがきは、来年の干支「戌」にちなんだスヌーピーやディズニーキャラクターの絵柄もあります。
大阪中央郵便局では、早速年賀はがきを買い求める人の姿もみられました。
年賀はがきの受付は来月15日からです。
(黒柳)今日のお客様の30年前のお写真です。
当時は私の母親チョッちゃんの役をやってくださっていました。
そして今ドラマで…『トットちゃん!』というドラマで私の祖母をやってくださっているんです。
ありがとうございます。
いえとんでもないです。
古村比呂さん今日のお客様です。
どうも。
お世話になります。
あの…まあこの前ね5年前に手術をお受けになった子宮頸がんのお話をしてくださってるんですけどその時は頑張るぞってお話だったんですけど。
がんと向き合う今の心境などをお伺いいたします。
5年前に出ていただいた時に3月13日に手術をした子宮頸がんで全摘出の手術をしたって話をしてくれて。
あれどうしたんでしたっけ?えーとですね今年3月に…ちょうど5年目に再発をしまして。
大体5年っていうのが目安だっていうお話だったので…。
なので診察を受けに…。
ちょうど同じ日だったんですよ3月13日で。
そうなのね。
これでひと区切りつくなと思ってたんですがまさかの再発になりまして。
しかも4カ所でって言われたんでしょ?そうです。
大変でしたね。
その時やっぱりちょっと違ったでしょ?やっぱり受け止め方が。
うん。
違いました。
それまでやっぱり5年っていうひと区切りと自分の中で色々頑張ってきてた部分が大きかったのでそれがまた再発ってなるとえっ今まで頑張ってきたのにどうして?っていうちょっと落ち込む気持ちが強くて。
治療は同じような治療なんですか?手術ではなく抗がん剤と放射線治療で。
これが初めて抗がん剤を打った時なんですけど。
ふーん…。
どんどん記録として残していけたらなと思ったんですけどとんでもなくちょっとしんどくて。
つらい?あの1枚だけになったんですけどね。
そうなの?もう写真撮るのも面倒くさいっていうふうになっちゃう?ちょっと気持ちが萎えましたね。
なるほどね。
でもあなたお子さん男の子が3人いてそういう息子たちがお見舞いとか来てくれる?いや通院だったんですよ私治療が。
通院だったのかそうか。
またね男の子ばっかりね。
すごいのよ。
一番上の長男が25歳。
はい。
24歳。
はい。
それから二十歳。
はい。
大人になったばっかりって…。
そうですね。
3人も男の子がいて。
いつの間にか。
林のように林立してる感じでしょ?お家ではね。
そうですね。
でも今回ですか?あなたその…抗がん剤の治療とかなんかつらくてもうやめたいっていうふうにちょっと思ったんですって?そうです。
主治医にも言ったりあとまあ再発で治療法とかも今回は子供たちにも協力してもらって先生のお話を聞いてもらったりとか。
家ではもう駄目だどうしようっていうことが多かったんですけどそれも前はちょっと子供たちにもそういうのを見せたくなかったんですけど今回はもう吐き出して。
そうすると意外とあっそう?っていう感じで流されちゃうんですよ。
そうなの?うん。
でも逆にそれがなんでしょう?「そうね。
頑張ってるね。
大変だね。
大丈夫?」っていう返しじゃなかった分自分もなんていうんでしょう?そんな大変なことじゃない。
あっそう…流れていくっていう気持ちで。
でもさ階段上がっていく時に…駅の階段。
なんか非常につらくてもう駄目と思ってそこでメール打ったんでしょ?そうです。
次男だっけ?長男?どっちの子に?3人に打ったんですけど…。
3人に打ったのか。
返ってきたのが次男が…。
そうそう。
次男が。
早くて。
「大変だ。
どうしよう」って言ったら返ってきたのがですね「そんな日もあるよ」って返ってきて。
ハハハハッ相当おかしいよね。
そんな日もあるって?そう。
それが私すごく救われたんですよ。
そうですってね。
大変だって自分だけじゃないって。
こういう…みんな大変なんだよなって。
なるほど。
でもすごいよく育ってますよね。
そうですかね?そう思いません?それで病院に行った時は長男と一緒に行ったんでしょ?そうです。
5年前に私の手術の時も立ち会ってたんで。
で主治医と話をしてるんですけど5年後この前の治療法とかを一緒に聞きに行った時に先生が「どなたですか?」ってこう長男に向かって言ってあっあの時お世話になった長男ですっていうことで随分変わったのにびっくりされて。
そうですよね。
もう大人でしょうからね。
そうですね。
で色々と「大丈夫でしょうか?」とか長男が話して色々フォローしてくれましたね。
随分やっぱり力になるでしょうねあなたね。
そうですね。
今回は本当にそう思いました。
ねえ。
長男は一人暮らしをしてたの?いやまだなんです。
しようと思ってたの?しようと思ってたんです。
思ってたの?でもあなたの発覚で一緒に住んでくれるっていうことになったんだって?いいのか悪いのかそこはわからないんですがただちょっとどうなるかわからないのでもうちょっと一人暮らしは延ばしてっていうことをお願いして。
一緒に住んでもらえれば随分ね何かあった時にそれだけあなた頼りにしてらっしゃるんだったら。
はい。
あなた色んなことがあった時に大変だろうなと思って男の子3人もいてと思ったけど今はねもうそういうあなたの…片腕って言うと変ですけどなんていうの?色々私のほうがこう…教えられることも増えたり気持ちの持ち方とかそういうのは子供に支えられてるなと思いました。
5年前の時と比べてがんへのあなたの向き方っていうのはなんか変わりました?変わりました。
5年前はやっぱりよしがんと闘っていくぞみたいなこう…。
そうそうそうそう。
ちょっと拳をこう上げるような気持ちが強かったんですけど5年後今回再発した時はなんでしょう?あの…やっぱりがんと一緒に共存していく共生していくような…。
がん細胞さんよろしくねっていう気持ちの…。
闘うっていう気持ちは全くなかったんですよね。
そう…。
でもそのほうが自然なのかしらね今のあなたにとってはね。
うん。
すごく力が入らなくて私には合ってるような気がします。
でもまた…なんで私ばっかりとかって思わない?それは今回不思議と思わなかったんですよ。
そうなの?なんでしょう?やっぱりうん…。
私自身が何か自分の中で変わらなきゃいけないことなんだろうなっていう気持ちのほうが強く自分の体にもなんか頼ってる自分がいて…。
抗がん剤とか色んなことをやってる時に食べられないことがすごい大変だったんですって?そうだったんです。
全てなんか金属のスプーンを常にかじってるようなそういう感覚で。
そう…。
何を食べてもこう…喉を通らなかったんですよ。
そういうのってねつらいですよね。
なんだっておなかすいてる時ってさお箸でもなんでもとにかくガーッて食べちゃうのにね。
そう。
それが私もすごく食欲のあるほうなので…でもできなくて。
でも食べなきゃっていう…。
でみんな息子さんたちは「食べてよ食べてよ」って言う…。
そりゃ言いますよね。
わかってるんだけれども食べられないのっていう。
ちょっとそこはこうね自分でもイラッとしてしまったりしましたね。
ところが突然ある食べ物だけは食べられるってわかったんですって?そうなんです。
ふとじゃあ何が食べられるだろう食べたいだろうって思った時にニンニクだったんですよ。
随分ちょうどいいものが。
そうなんです。
でニンニクをキャベツと…サラダにすり下ろしを和えたものを…時々作ってたのが好きでそれだといけるかなと思って食べてみたらおいしいおいしい。
おいしい?それは食が進む?はい。
それから…。
で食べたら体がポーッと温かくなったんですよ。
ニンニクを?ニンニクで。
なのでこれはいいなと思ってそれからニンニクのホイル焼きとか。
ホイル焼き?はい。
銀紙で包んで焼く…。
でごま油にニンニクを入れて焼いてとかもうニンニク三昧のような生活をして食べていましたね。
そしたらなんか「ニンニクBBA」とかって息子たちから言われたとかっていうんですけど。
徐々に食欲も出てきまして。
あら。
それは良かったですよね。
良かったです。
これがちょうど治療の最終日に記念に撮ったんですけど。
えーそう。
記念に?そうなんです。
それでその…まあ今お元気なんですけどトットちゃんのおばあ様を…まあ私のおばあ様をやってくださってるんですけどあれ引き受ける時がちょうどなんか…。
そうだったんです。
ええ引き受けたく…。
もうお話をいただいて私の迷いはないんです。
ないの?ない。
なかったんです。
ただまあそういう治療が…再発がわかりまして。
そうですよね。
でも私の中ではこれに…『トットちゃん!』に出ることを目標に治療に向かえるという。
ああ良かった。
もうそれはやはり30年目のまた本当にご縁をいただいて…。
朝のテレビ小説でね毎日毎日私の母を…チョッちゃんをおやりくださって。
お世話になり…。
今回は私…。
偶然だけど『トットちゃん!』っていうドラマが始まったらそれのおばあ様があなただったんでとても驚いたんですけど。
本当朝さんにしろ徹子さんにしろ女性のあの愛いっぱいの前向きな…。
もう全然色あせないじゃないですかいつの時代も。
そうかな?そういう役にやっぱり巡り会えるっていうことは本当になかなか…。
そうですよね。
うちの母は本当に元気な人だったんであの時代にはねああいう女性って少ないと思う。
それでそのおばあさんの…おばあさんっていうかおばあ様の役がちょうどその時と重なって。
でもやるって?はい。
もうやるということでちょっとしんどい治療も乗り切りました。
そうなの?それはようございましたよねでもね。
そういう目標があるっていうことがやっぱりね。
やっぱり本当にお芝居やるに当たって…。
私どうしてもちょっと…ちょっと抱え込む役が多かったんですね。
それまでね。
うん。
ただもう本当朝さん徹子さんはどーんと来い!フフフフ…。
今を生きるぞっていうものが…。
その勇気で私は30年前チョッちゃん演じさせてもらってすごく救われてたので今回もこれはぜひ自分の中でやるっていう思いだけでしたね。
それは良かったですね。
今日はなんか宝物と思うようなものを持ってきてくだすったそうなんで。
そうなんです。
そうなんですってね。
なんかわからないんですけど楽しみで。
ちょっとじゃあコマーシャルを挟んで見せていただいていいですか?さっき宝物って言ったんですけどちょっと見せていただいていいですか?はい。
えー!とても光栄です。
あっ!これなんですけど。
私の字だそれ。
うん。
「古村比呂様母からの手紙在中」…。
ちょうどこれ2000年の時に…。
ええ。
あなたが『徹子の部屋』にいらした時でしょ?きっとね。
私たまたま母のところへ行って「今日『徹子の部屋』」とかって言ったら…「古村さんなの」って言ったら母が書いた時かなんかじゃない…?ちょうど当時はね8歳7歳3歳の息子たちの子育て中です。
その時のちょっと母からの手紙を見せていただいていいですか?はい。
母も驚くと思いますよ。
こんなに…。
これなんですよ。
これが朝さんからいただいた手紙なんですけどこれ徹子さんがルビを振ってくださってるんです。
そうですね。
読めない…。
昔の人の字なんであなた読めないといけないと思ってルビをね私が振ったんでちょっと汚くなっちゃったんだけども。
ちょっと…いいですか?読んでいただいて。
これ徹子さんからも。
私…私のはまあね中に…。
ありがとうございます。
その時の母からの手紙をちょっと読んでいただいていいですか?いいですか?失礼します。
「古村比呂様」「随分ごぶさた致してしまいました」「あなたが徹子の部屋に出ると電話してくれましたのでお便りを徹子に書いて渡して戴きたいと思って書きました」「三人の坊ちゃんがいらっしゃるそうで子育にどんなにか大変かと存じますがその分それだけ倖になってかえって来るものですしそれは年を取ってから親孝行をしてくれなどと云うことではなく愛情の限りをそそいで育てさしてもらへたと云うことです」「世界の女性に人生の中で一番倖だった時と云うアンケートを取った時の一位が子供がヒザの上にゐた時だったそうです」「それは世界共通だったそうです」「あなたは今とてもとても大変だと思って毎日子育をしていらっしゃると思うけれど人生の中で一番幸な時なのです」「人間みんな幸な時って分らないんですよね」「その幸の中にいる毎日を大切にして頑張ってください」「あの『チョッちゃん』の時のように」「黒柳朝」ありがとうございます。
ありがとうございました。
娘が言うのもなんですがなんかね割と心…なんていうの?頼れる手紙に思いますね。
私もちょっと色々ありまして…っていうかあって。
そうでしょう。
そういう時に…これを見ると…読ませてもらうと本当にあっ私は本当に日々幸せなんだなっていうのを。
そうですよね。
でも母はその世界のアンケートの中でね子供が膝の上にいる時が一番幸せっていうのが圧倒的にみんなのがね多かったんだからあなた何があってもそういう幸せを…。
あっこういう時だったのかしらね。
この時は今思いますけどねこの時は夢中でした。
そうよね。
だって立て続けに…さっきもねご紹介したんですけど立て続けに3人のね…。
この子…これがね可愛いかってないわね。
これね大好きなのこの写真。
気に入ってくださって。
もう本当にねなんていうの?この世の中に出てきてねやっぱり良かったっていう顔してるじゃない。
ああ…。
幸せだよっていうさ。
その顔がもうなんともね。
何が来ても大丈夫っていう感じがあってこの写真見た時にいいなって。
なんて赤ちゃんってねそういうものを私たちに教えてくれるんだろうと思ってあの時可愛いなこの写真って思ったの。
今の感じ残ってるの?三男には。
先ほどの…うん。
残ってます。
残ってます。
そう?二十歳ですね。
なんて読むの?この名前は三男は。
「大海」って…。
これで「ひろみ」さんっていうのね。
えー。
随分ハンサムね。
随分背も高そうねなんかね。
そうですね。
3人とも高いですね。
ね。
そうね。
とても私より大人だと思います。
そう。
あなたとの写真見てるとあなたのほうがなんか妹みたいに見える。
可愛く。
いやいやいやいや。
本当。
あっそう。
でも確かにあの…なんていうのかしらね?何かあっても私が産んだ子供たちが3人いるんだわと思うとねきっとね。
そしてもう本当徹子さんの考え方とかそういうものを…。
ちょっと昨日『窓ぎわのトットちゃん』を拝読させてもらったんですけどなぜあの時代にああいうものの考え方ができるのかとか…。
そう。
ですよね。
受け止め方とか。
それはやはり…なんかやっぱり魔法のようですよね。
そうね。
私の母が私が小学校ね1年生で退学になった時に何もガミガミ言わないで…何も言わないで二十歳過ぎてからそのこと言ってくれて。
その時言ったらやっぱりめげちゃうと思ったんですってやっぱり。
私だってそれは6歳でもね「あなた前の学校退学になったのよ」って言って新しい学校行ったらそれはねちょっとおどおどして行ったと思います。
でもそんなこと全然母が言わなかったんで次の学校がすごく電車の教室やなんか…『トットちゃん!』の学校だったんでわあこの学校入りたいってもう全然反省なくその学校に飛び込んでいけたのは母が何も言わないでくれたからだと思います。
そうなんですよ。
言わないっていうことがなかなか子育ての中では…。
どうしても言っちゃうでしょう?そうなんです。
だからそこは本当に素晴らしいなと思いまして。
私もいい母に育ててもらって良かったと思ってます。
ガミガミ言われたらやっぱりね本当に…。
あっ痛いです。
もう時間は戻らないですね。
もう大丈夫よ。
あれだけ大きくなったんだから大丈夫。
ちょっとコマーシャルいきますね。
今放送されてる『トットちゃん!』ですけどがん再発の発見が1カ月遅れてたらちょっと『トットちゃん!』に出演どうだったかね?そうですね。
やはりあの…5キロぐらい痩せたもので。
あっそうなの?うん。
気持ちはあっても体がついていかなかったりとか…。
食欲がない時?うん。
あったのでやはりね役柄的にもドラマ自体も…。
でも映ってる時は全然そういう気配なかったですよね。
なかったですか?良かった。
ちょっとじゃあ見てみますね。
はい私の祖母です。
(古村)あっここですね。
ああ。
(門山三好)「チョッちゃん!」
(黒柳朝)「長いご無沙汰お許しください」
(黒柳徹子)「えっ?チョッちゃんって誰?」「ママのことよ」「この子が長女の徹子です」
(徹子)「こんにちは」「トットちゃんね」
(徹子)「えっなんで知ってるの?」
(朝)「この子は長男の明児です」
(三好)「遠いところよく来てくれました」「私はねあなたたちのお母さんのお母さん」「おばあちゃまよ」いいわね優しくて本当に。
ああいう人が今いたらどんなにかいいだろうと思いますけど。
でもこれ本当に治療明けて最初の撮影シーンが今のところだったんですって?そうです。
そして「チョッちゃん」っていうのが最初のセリフだったんです。
そうね。
もうとてもなんか贅沢ですね。
そうね。
偶然とはいいながらね。
思います。
なんかあと今回すごく言葉遣いっていうものがすごく丁寧で素敵だなと思いました。
そう。
三好さんっていう方はね私の祖母ですけど本当に言葉遣いの奇麗な人で穏やかな人でうちの母とか私とは全然違うっていう感じですよ。
そうなんですか?そう。
本当に穏やかでね。
なんかあってもそんな驚かないでじゃあちょっと…それ以上悪くならなくて良かったってちょっとお祈りしましょうっていうような感じの人でしたからなんでも大騒ぎにならなくてね。
ああいう人に育てられた私の母はそんなふうにちょっと見えなかったですけどね。
とても前に前進していく人だと思ったでしょ?そうですね。
でもあれですか?ちょっとまたさっきの病気の話に戻っちゃうんだけどその後再発の兆しはもうない?ないと思います。
うん。
やっぱり100パーセントとは言い切れないというところはやっぱり…そのことは自分も覚悟をしてますしだからこそ今できることとかやってます。
なんかウクレレ?ウクレレだっけ?なんか違うことをやってみようと思って?そう。
始めたんです。
バイオリンとかウクレレとかギターとか…。
メロディーっていうか音が好きで。
これそう?そうなんです。
やり始めて。
えー。
ポロンポロンと弾くだけでも…。
音がね奇麗。
空気が変わるじゃないですか。
それがすごく今は癒やされるんで。
そうなの?じゃあ今あなたは人の前でできるほどじゃないけどちょっと…。
やります。
これは…。
そうですってね。
やってますね。
ちょっと話また変わるんですけどお父様がお亡くなりになったんですってね?そうです。
75で亡くなったんですけど。
何歳?75で…。
そうなの?亡くなったんですけれども。
まあその時に父は自分で終活ファイルっていうのを作ってまして…。
えー。
それで色々自分でここのところにお葬式をお願いしたいとかお経はこの方にお願いしてほしいとかっていうことを全部書いてたんですね。
えー。
それはやっぱり父の遺志だったので私たちはそれをやることが…やっぱりとても…迷いなくできたんですよね。
気持ち良く父が喜んでくれると思って。
それに倣って私もどこに眠りたいかだけはちょっと決めてるところがありまして。
そうなの?それをちょっと封筒に…書いて置いてるんです。
ただそれはどこっていうのわからないようにちょっと宝探し的に私は今置いてまして。
そう。
じゃあこの放送をご覧になったら息子たちは探すかもわからない。
そうか。
でもわからないわね。
そういうふうにやっぱりそれは何かと父に教わりましたね。
そうなの?でもお父様がそういうふうに書いてくだすったおかげで本当に迷いなくできたのは良かったと思ってらっしゃるんですってね。
そうです。
本当に感謝してます。
でもあなたお元気な方なので絶対大丈夫だと思いますよ。
息子30ぐらいになるんだわねもし5年後にお会いしたら。
そうですね。
どうもありがとうございました。
古村比呂さんでした。
ありがとうございます。
(拍手)
(黒柳徹子)ここで暮らすの?2017/11/01(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 古村比呂[字]
〜子宮頸がん再発…心境を告白〜古村比呂さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
女優・古村比呂さんがゲスト。
◇番組内容
46歳の時、子宮頸がんを発症し子宮を全摘出。それからちょうど5年目の今年3月、がんが4カ所で再発していることが発覚。以前は「がんと闘おう」と強い気持ちで病と向き合っていた古村さん。だが、再び始めた抗がん剤治療の辛さから、落ち込む日々が続いたという。そんな古村さんを支えてくれたのが3人の息子たち。闘病中、息子のある言葉がきっかけで気持ちが切り替わったと語る。がんに負けず前向きに生きる心境を告白する。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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