サピアに関しては分かりませんが、ウォーフは著作を出しておらず、論文をまとめた『言語・思考・現実』という本が一冊翻訳されているだけなのでそちらを参照すると良いかと(まあこの本はかなり誤解が多いですが)
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ウォーフを簡単に説明すると、西洋言語は古典的なニュートン力学に基づいた均質的で同時的に流れ続けるという時間概念を前提としていて、これは一種の形而上学であるという指摘です。
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例えば、英語の文法では、行為をある"時点"における状態として表現するものと継続的な状態として表現するものに分けていて、行為の時制を点として表現される時間と流れとして進行する時間を区別しています(goとgoingなどの自制変化に代表できますね)。
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対して日本語で例を出すと、なかなか来ないバスが向こうの方にやっと姿を現した時、「バスが来た」という表現を使いますが、これは英語の現在自制の形(comes/is coming)にも過去自制(came)の形にも、いずれの場合にも相当する形として機能しています。
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同じ出来事であっても、それが言語化される過程では違った捉え方の枠が適用されていて、ウォーフはそこから言語の違いが思考にも影響を与えると考えた訳です。
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(1)馴染んだ言語の違いが、色の視覚や内的な時間感覚に大きな差異もたらす。 (2)馴染んだ言語の違いが、色や時間という概念を用いた思考に大きな差異をもたらす。 1と2は全然違うけど、ピンカーの批判では 曖昧になってる気がします。 (2)はふつうに正しそう。(ex.物理学学習)
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「ホピ族には時間という概念がない」という主張をしたことからウォーフは(1)を主張しているように思えますけど、ウォーフは時間概念を直観に備わっているものとしてみなしていないので、実際には(2)を主張しているように思います。
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