「課金がインフラになる日」に向けてエンジニアができること

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何事にも備えは必要だ。ある日突然ではないかもしれないが、その時は着実に、少しずつ歩みを速めて近付いてくる。20年以上前、インターネットが今日の形ですべてのインフラの中心になる世界を想像できていた人がどれだけいただろうか。仮に当時、その未来図を予想できた人が少なくなかったとしても、それを支える技術やビジネス的なつながりを正確に言い当てた人はほとんどいないはずだ。

この20年間、インターネットの根幹を支える技術は少しずつ姿を変えており、われわれは常にそのキャッチアップに追われてきた。そして、自身がその最先端にあるためには、この先にやってくる波を読み、来たるべき時に備えるしかない。次の大きな波は、いわゆる「課金」の世界にやってくると、決済をフィールドに長年取材を続けている筆者は考えている。

“ペイウォール”の壁を崩せるか

サービスやコンテンツの対価に支払いを要求するという行為はビジネスの根幹でありながら、長年にわたってインターネットの世界では鬼門として認識されてきた。ユーザーは可能な限り支払いを抑えるため、無料または安価でお得なサービスへと流れる傾向があり、サービスの提供側もまた、これに応えるべく広告を主軸に据えた実質的な「無料サービスモデル」を構築してきた。

Spotifyのような音楽ストリーミングサービスが興隆したのもこの延長線上である。Amazon PrimeNetflixが毎月定額料金でコンテンツを楽しみ放題になる、いわゆる「サブスクリプション(定期購読)」という仕組みも、「なるべくユーザーの目から見てお得感があり、余計な支払いが発生しない」という流れの基に成り立っている。

一方で、広告を中心としたビジネスモデルで稼ごうとしたものの、それ故にコンテンツ自体への課金が行えず厳しい状況となっているところがある。出版業界だ。ライバルがコンテンツの無料公開で顧客を集めているために課金に踏み込めず、いわゆる「ペイウォール(Paywall)」(課金またはログインしているユーザーだけが記事を読める仕組み)の先にユーザーを誘導できないというジレンマに陥っている。

電子書籍はその利便性からユーザーに受け入れられつつあるものの、日々消費される雑誌やニュースなどのコンテンツにとって未だにペイウォールの壁は厚く高く、多くの事業者が乗り越えられていないのが現状だ。米国では比較的早い時期からThe Wall Street Journalがペイウォールでの記事提供に道筋をつけ、英Financial Timesや米The New York Timesなど経済系新聞や老舗新聞が有料での記事提供に踏み切る一方で、多くのニュース媒体は課金モデルへと誘導できていない。日本国内でも日本経済新聞がオンライン版の有料提供を始めたほか、新聞社を中心に追随の動きがみられるが、なかなか難しいのが現状だ。

ペイウォールの例。Wall Street Journalのオンライン版ではほとんどの記事にアクセス制限がかかっており、サブスクリプションに登録しない限り閲覧できない
ペイウォールの例。Wall Street Journalのオンライン版ではほとんどの記事にアクセス制限がかかっており、サブスクリプションに登録しない限り閲覧できない

ペイウォールが障壁となっている理由は主に2つあると考えている。

ひとつはユーザー側の意識の問題で、「あえて課金してまで記事を読みたくない」というものだ。これは「無料コンテンツでないとダメ」というわけではなく、「記事を1~2本読むためだけに月額課金を行いたくない」「ユーザー登録が必須となっているため、先方に個人情報やクレジットカード情報を渡したくない」という部分が大きいと考える。現在のコンテンツにおけるペイウォールの仕組みがサブスクリプションを前提としており、これに代わるモデルが現状ほとんど存在していないのだ。

もうひとつの問題はコンテンツを提供する事業者にもある。サブスクリプションはユーザーが一定数に達すると安定した収益となり、ビジネスの構築が容易になる。読み放題モデルというのはユーザーの利便性もさることながら、事業者側にとってもメリットが大きい。Amazonが「Amazon Alexa」+「Amazon Echo」で行っているスマートスピーカー戦略も、オンライン/オフラインでの小売りサービスを買収・拡充しているのも、同社のオンラインアカウントの登録ユーザーを増やし、究極的には同社のサブスクリプションであるAmazon Primeへとユーザーを誘導していく狙いがある。

またペイウォール構築の問題として、中小規模の事業者ほど課金インフラの構築への取り組みが難しいということが挙げられる。課金に関する情報は個人情報のなかで最も重要なもののひとつであり、その取り扱いには細心の注意を必要とする。ユーザー情報やカード情報の管理、これを安全に取り扱う仕組みの整備など、単にコンテンツをインターネットに公開することに比べ技術的ハードルは高い。しかも、ペイウォールを構築したことで必ずしもユーザーがその壁を越えてくる保証はなく、それでビジネスが成り立つかは未知数だ。

ネットにもリアルにも存在する「支払いの壁」

雑誌や新聞のコンテンツにおける課金は顕著な例だが、「支払いの壁」はさまざまな場所に存在する。オンラインにおける決済は現状、クレジットカードが中心となっているが、この利用も容易ではない。

例えば気に入った商品がオンラインのショッピングサイトにあったとして、それを購入するまでにサイトのユーザー登録を行い、クレジットカード情報や送付先情報を入力していくうちに、ユーザーが購入を諦めてしまうという状況は少なくない。ショッピングカートに商品を入れておきながら決済が完了しない状況を「カゴ落ち」と呼び、ショッピング業界での課題となっている。煩雑な入力手順もさることながら、新しいショッピングサイトを訪問するたびに、相手が信用できるかどうかわからないにもかかわらず、個人情報の多くを何度も渡さなければならない。実際、中小のショッピングサイトほどユーザーの目からみて「信頼性が低い」と判断され、日本では楽天などをはじめとする大手サイトに顧客が集中する現象を生み出している。2013~2014年にかけて米Yahoo!では億単位の大規模な情報漏洩事件が発覚した。世界的規模の大手インターネットサービスでさえこの状況であるなら、技術力やノウハウ、資金面で不利な中小の事業者に疑いの目が向きやすいのはなおのことだろう。

リアル店舗での買い物でも似たような「カゴ落ち」は存在する。例えば、現金の持ち合わせがなく、クレジットカードは手元にあるのにカード決済が行えなかったり、ちょっとした飲み物や菓子を買うだけなのにレジに大行列ができていたりすると、途中で買い物を諦めてしまうという人も少なくないはずだ。カード決済が可能だとしても、毎回サインを必要とされれば回転率が落ち、1日の店舗全体での売上に影響を及ぼす可能性がある。各種電子マネー、クレジットカード、デビットカードを使った非接触決済のインフラが少しずつ整備されつつあるが、そこには「少額決済を可能な限りスムーズにして店舗の回転率を上げる」という目的がある。最近ではスマートフォン利用者が増えたことで、「財布を取り出さずともスマートフォンだけで決済が行える」状況が生まれ、「カゴ落ち」につながる要素を軽減できている。

「意識せずに支払わせる」世界へ

カゴ落ちを防ぎ購買を完了させる第1段階として、まずは「支払いに対する抵抗感」を薄れさせることが重要だ。支払いまでの手順を可能な限り簡略化し、さらに安全性をアピールする。典型的なのは、昨今話題になっている「Apple Pay」である。Apple PayではアプリまたはWebブラウザで課金が発生するタイミングになると、画面にApple Payボタンが出現し、「Touch ID」という指紋認証を経ることで支払いが完了する。ユーザー登録などの作業もほぼ必要なく、ワンタッチで支払いから商品発送までの作業が行われる。安全性についても、クレジットカードなどの個人情報はiPhoneといったデバイス内部にのみ保存されており、決済時に必要最低限の情報が相手に送信されるだけだ。カード情報が相手に直接参照されることもないため、中小のオンラインショッピングサイトにとっては、決済へのハードルのひとつをクリアできるサービスといえる。

Apple Payを使うことで、店舗での決済が簡単になる。写真は香港の7-Elevenで買い物をしたところ
Apple Payを使うことで、店舗での決済が簡単になる。写真は香港の7-Elevenで買い物をしたところ

こうした決済代行サービスは、オンラインマーケットプレイス「eBay」が興隆した2000年代前半に、PayPalによって培われてきた。また、大手インターネットサービス事業者が自身のユーザーアカウントを使って別事業者の決済を代行する「ID決済」のようなサービスもあり、その需要を埋めてきた。最近では携帯電話のキャリアが決済を代行する「キャリア決済」の仕組みが広がっているほか、Apple PayやGoogleのように、スマートフォンのプラットフォームを提供する企業が決済代行を行うなど、時代や技術の変革に合わせて拡大しつつある。またスマートフォン向けアプリやサービスの増加で課金ニーズが増えてきたことを受け、より簡単にWebサイトに課金の仕組みを埋め込めるPayPal傘下のBraintreeや、Stripeといった決済サービスのベンチャーが出現するなど、課金の仕組みそのものがビジネスとして立ち上がりつつある。

次なるステップとしては、いかに「意識せずに支払わせる世界を実現できるか」だろう。現状、支払いという行為は、それそのものが利用者にとって意識的なハードルとなっており、これを越えさせるのが「ペイウォール」における課題だと説明した。サブスクリプションはユーザーにコンテンツを消費させるという行為のハードルを下げた一方で、この最初の壁を越えるのが難しいという問題がある。それを解決するため、個々のコンテンツやサービスにおける単価を引き下げつつ、支払い手順をさらに簡素化させ、「抵抗なく、気付いたら支払いが完了していた」という仕組みを構築することが大きなビジネスになると考えている。筆者はよくUberの事例を出すが、このサービスのすごいところは「配車サービスを受けて目的地に到着した時点ですでに支払いが完了している」という点にある。タクシーを使った際に、目的地に着いて慌ただしく荷物を受け取りながら料金を支払うという経験は少なからずあると思う。海外ではさらに料金交渉も含めてトラブルの種になりやすく、これが理由で海外でのタクシー利用を嫌がる人も少なくないだろう。Uberはこの手順をすべてなくしてしまった。しかも料金はほぼ最低水準のシンプルなもので、交渉の余地がない。

アプリを使ってレストランでのテーブル会計がすぐに完了するOpen Tableのようなサービスも、こうした「意識させない」仕組みのひとつだろう。Mastercardの研究所が公開している「MasterCard Pepper Cafe」では、Pepperを使った接客ロボットが対話インターフェースでカフェのオーダーを取り、来店者が持つスマートフォンと自動的にリンクして決済まで完了させる。来店者がここで行うことはたったひとつで、Pepperの「注文を完了しますか?」の問いに同意するだけだ。端末を読み取り機にタッチさせたり、ましてや財布を開いて現金に手を付ける必要はない。

シンガポールにあるMastercard Labで開発が行われているPepperによるコンシェルジュサービス。「Mastercard Kai」と呼ばれるAIアシスタントが動作しており、対話インターフェイスで航空チケットの確保やアップグレードが可能になる
シンガポールにあるMastercard Labで開発が行われているPepperによるコンシェルジュサービス。「Mastercard Kai」と呼ばれるAIアシスタントが動作しており、対話インターフェイスで航空チケットの確保やアップグレードが可能になる

消費型コンテンツにおけるペイウォールにおいても同様に、1記事当たりの課金額を数百円、あるいは100円未満まで下げ、ペイウォールを越える際に「了承」ボタンをひとつ用意しておくだけで、おそらくクリックする人は確実に増えるだろう。こうした仕組みは「マイクロペイメント(少額決済)」などと呼ばれる。ビジネス全体として採算ラインを越えるかはまた別の話として、マイクロペイメントで購買のハードルを下げることは、確実に利用者を増やす結果につながる。

課金そのものが広域インフラとなる日

筆者が考える今後5年、10年先の世界では、より自然な形で「課金」が普段の生活へと溶け込んでいると予想している。可能性のひとつとして、運転手を必要としない「自動運転車」がある。これが街中に展開されるようになると、車を運転する人口は徐々に減っていき、車を所有する概念そのものが希薄化するだろう。

これまで、車を所有する人は保険をかける、レンタカーを借りる際でも保険に加入するなど、利用者が「運転する」という行為に対して何らかの「保険」を相応の金額で負担していた。それが、自動運転により責任の委譲が発生するようになる。具体的には、自動運転車を製造するメーカー、その自動運転車を配車サービスのように利用者に提供する事業者など、事業者側の責任となるわけだ。ただ、メーカーやサービス事業者が従来の保険負担をすべて行うのは非常に難しく、利用者に対して乗車した時間単位で相応の負担を行ってもらえるよう、料金システムを設定することになるだろう。つまり、数十分といった時間単位で切り売りされる「マイクロ保険」と呼べるものが多数出現すると予想する。そこでの最大の問題は、従来までは複雑な手順を踏んで書面でのやりとりも発生していた契約情報の交換や保険額の算定について、リアルタイムで行う必要があり、さらにその数が膨大になることにある。おそらく、既存の中央集権型サーバーでは早晩システムがパンクし、処理しきれなくなる未来がやってくるだろう。

今後は「IoT(Internet of Things)」の世界の到来とともに、膨大な数のデバイスがインターネット接続され、しかもマイクロ保険のような時間課金を含む大量の契約情報がネットワーク上を行き来することになる。既存のインフラでは対処しきれない時代はすぐ先まできている。そこで「ブロックチェーン技術」が活躍するだろう。仮想通貨「ビットコイン」で注目を集め、情報を分散管理して安全性も高いというその仕組みはさまざまな応用が検討されており、既存の情報交換インフラを飲み込む勢いを得つつある。

2017年9月、KDDIなど3社が「Enterprise Ethereum」というブロックチェーンの仕組みを使い、携帯電話の端末修理事業における実証実験を開始したことを発表した。「スマートコントラクト(電子契約書)」と呼ばれる、あらかじめ設定した手順に沿って契約情報送信や各種操作を自動化する仕組みが組み込まれており、将来的にはパートナー企業とのやりとりで発生する情報交換をこのインフラ上に展開してさまざまな付加価値サービスを提供していく計画だという。これは、IoT時代になり通信を使ったさまざまなデバイスが増えてくるなかで、インフラ事業者として何ができるのかを考えた結果だという。同様に、「MUFGコイン」の名称で仮想通貨のインフラ実験をスタートした三菱UFJフィナンシャル・グループにおいても、IoT時代におけるさらなる決済情報のやりとりや、スマートコントラクトによる処理の自動化など、ビジネスとエンジニアリングの“先”を見越した投資を行っているようだ。

三菱UFJフィナンシャル・グループが進めている仮想通貨「MUFG」。実際には単なる仮想通貨というだけでなく、将来的に大規模な情報交換基盤へと発展させていく意図があるようだ
三菱UFJフィナンシャル・グループが進めている仮想通貨「MUFG」。実際には単なる仮想通貨というだけでなく、将来的に大規模な情報交換基盤へと発展させていく意図があるようだ

このように、ビットコインを発端としたIoTや仮想通貨技術は発展を続け、従来の中央集権型のインフラを大きく書き換えるかのように拡大を続けている。いまはちょうどその入り口にさしかかった段階であり、高度な技術は課金や決済というビジネスそのものの姿が変わる世界に合わせながら、人々の生活にさらに溶け込んでいくことになるだろう。

執筆者プロフィール

鈴木淳也(Junya Suzuki)

モバイル決済ジャーナリスト、ITジャーナリスト
国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で複数の雑誌編集に携わる。2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」(現アイティメディア)の立ち上げに参画したのち、2002年秋より渡米を機に独立。以後フリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行う。2011年よりメインテーマを「NFCとモバイル決済」に移し、現在ではリテール向けソリューションや公共インフラ、FinTechなどをテーマに、世界中で事例やトレンド取材を続けている。


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