EU離脱などで揺れるイギリスの戦後史を辿った本。イギリスの政治に関しては、今年、近藤康史『分解するイギリス』(ちくま新書)という非常に面白い本が出て、Brexitに至る政治過程や政治制度的な問題を分析してくれましたが、それはあくまでも政治面からのものでした。
 この本はイギリスの社会の変動をほぼ10年単位で追いながら、Brexitに至るイギリス社会の変化を描き出しています。本文だけなら200ページ未満とコンパクトな構成ですが、通説の見直しを迫るような部分もあり、新しい発見もある本です。

 目次は以下の通り。
序章 現代史への視座
第1章 福祉国家の誕生―一九四〇年代
第2章 「豊かな社会」への変貌―一九五〇年代
第3章 文化革命の時代―一九六〇年代
第4章 「英国病」の実像―一九七〇年代
第5章 サッチャリズム―一九八〇‐一九九〇年代
第6章 「第三の道」―一九九〇‐二〇〇〇年代
第7章 岐路に立つイギリス―二〇一〇年代

 第2次世界大戦後のイギリスはその「衰退」が謳われた時代でしたが、これは二大政党の対決の中で政争のために強調された面も強く、50年代から70年代前半にかけては順調に経済が成長し、人々が豊かになった時代でもありました。
 そうは言っても、世界の「帝国」としてイギリスの地位は終焉したわけで、その再編が行われた時代でもあります。
 チャーチルは1948年の演説で、イギリスの外交を捉える視座として、「コモンウェルスと帝国」、「英語圏」、「統合されたヨーロッパ」という「三つの輪」を示しましたが、歴史家のアンドルー・ギャンブルはこれに「連合王国内部」という空間を付け加えて「四つの輪」という枠組みを示しました(11-14p)。
 こうした枠組みに沿って再編成が行われた、あるいはその再編成の途上にあるのがイギリスの戦後史と言えるでしょう。

 第1章は福祉国家建設の動きを中心に1940年代をたどります。
 「イギリスにとって第二次世界大戦は「よき戦争」であったといわれている」(22p)とあるように、イギリスにおける第二次世界大戦の評価は肯定的です。
 それはファシズムに対する戦いという大義があったこともありますが、この戦争が「人民の戦争(People's War)と呼ばれ、福祉国家の成立を促したということからも説明できます。

 1940年に成立したチャーチルの内閣には労働党からも閣僚が入閣し、特に労働・徴兵大臣となったアーネスト・べヴィンは戦時下の人的資源の管理を一任されました。
 べヴィンは中央集権的な管理を行う一方で、労働組合に強力な団体交渉権を付与するなど組合の力を強めるような政策も行いました。
 また、食糧の配給制度も進みましたが、その厳しい統制時代のパラドックスとして、保守党の食糧大臣ウルトン卿は、(国民が)「長年こんなにも健康だったことはなかった」(27p)という言葉を残しています。

 また、イギリスの福祉国家の青写真となったベヴァリッジ報告が出されたのも戦時中の1942年です。
 政府が国民に保障すべき「ナショナル・ミニマム」などを打ち出したこの報告書は60万部以上を売るベストセラーとなり、このベヴァリッジ報告に対する態度が1945年の総選挙での労働党の勝利とチャーチルの敗北をもたらしました。

 労働党政権のもと、1946年に疾病、失業、退職、寡婦、孤児、妊婦、死亡のすべてをカバーする国民保険法と、無料で医療を受けられる国民保健サーヴィス(NHS)を構築する国民保健サーヴィス法が成立、さらに48年には保険からこぼれ落ちた人のための国民扶助法と、この年には国民年金法が成立します。イギリスでは普遍主義的な福祉国家が目指されることとなったのです。

 しかし、第2次世界大戦の終結はイギリスに経済危機ももたらしました。戦時中のイギリスはアメリカからの武器の無償供与によって国際収支の赤字の半分以上を穴埋めしていたのですが、日本の降伏とともにこれが停止されます(41p)。
 イギリスは「帝国」から撤退することで、こうした経済危機を乗り越えようとします。

 第2章は経済成長が軌道に乗る1950年代について。
 1951年の総選挙で、労働党は得票率で保守党を上回りながら議席数で及ばず、チャーチルが再登板します。
 チャーチルは産業の国有化には否定的でしたが、福祉国家路線については大きな見直しはせず、その支出はむしろ増えていきます。
 この保守党と労働党の間での福祉国家路線やケインズ的財政政策をめぐるコンセンサスは労働党時代の蔵相ゲイツケルと保守党時代の蔵相バトラーの名前を取って「バッケリズム」と呼ばれるようになります(49p)。
 一方、「帝国」としてのイギリスの威信は1956年のスエズ事件によって決定的に衰退し、植民地の放棄が進んでいくことになりました。

 第3章では、主に文化の変革を中心に60年代を見ていきます。
 1950年代後半から70年代前半にかけてイギリスでは「文化革命」が進行したといいます。そこで起きたのは、消費主義の蔓延であり、世俗化であり、そして文化の担い手としての労働者階級の登場でした。
 特に労働者階級からグラマー・スクールに入った者や、グラマー・スクールからドロップアウトしたもののアート・カレッジに進んだ者などが中心となります。ビートルズのポール・マッカートニーとジョン・レノンはどちらかというと中産階級の下層の出身ですが、グラマー・スクールで出会い、「労働者階級の英雄」として売りだされました(76p)。
 
 また、女子解放運動などが盛り上がったのもこの時代で、それに呼応するかのように労働党のウィルソン政権のもとで妊娠中絶の合法化、男性同性愛の合法化、死刑制度の廃止、離婚手続きの簡素化などが進みます(83p)。
 スコットランドやウェールズなどの連合王国の内部で自治を求める動きが高まったのもこの時期です。

 しかし、ウィルソン政権は経済運営でポンドの切り下げ阻止に失敗し、労働の現場では非公式の「山猫スト」が頻発することになります。
 この時代、女性や移民もストライキを行うなど、今まで声を上げなかった人々が声を上げ始めた時代でもありましたが、それは労働党政権の経済運営の行き詰まりを示すものでもありました。

 第4書では70年代が「英国病」を中心にとり上げられます。
 70年代=「英国病」というほどに、この時代のイギリスのイメージはあまり良くないですが、「1976年は1950年以降で最良の経済的・社会的指標を示していた」(99p)との報告もありますし、このイメージは再検討の必要があるといいます。
 
 ウィルソン政権が経済運営に失敗すると、労働党内部では左派が力を持つ一方で、保守党内部では「自由市場の哲学」が前面に出てくることになります。労働党と保守党の「コンセンサス」が崩れ始めるのです。
 また、EC加盟はそれぞれの党内で意見の分裂を生みました。

 保守党のヒース政権を挟んで、74年には第2次ウィルソン政権がはじまりますが、経済状況は好転せず、76年3月に突然辞任を発表します。この理由として従来健康問題があげられてきましたが、マウントバッテン卿を黒幕とするクーデタを回避するためという説もあるそうです(116ー117p)。
 新首相にはキャラハンが就任しますが、国際収支の悪化とポンド切り下げの中、ついにIMFへの融資要請へと追い込まれます。そして、IMFの主導のもとで緊縮的な政策がとられることになるのです(しかし、ダイアン・コイル『GDP』によると、しばらくたってから「貿易赤字とGDPの数値が修正され、「危機」が実はそれほど深刻ではなかったことが明らかになったとのこと)。

 そしてサッチャーが登場します。第5章はサッチャリズムの時代についてです。
 サッチャーは労働党政権に対するアンチであると同時に、保守党内部のエスタブリッシュメントに対するアンチでもありました。サッチャーは労働党政権だけでなく、保守党と労働党の間の「コンセンサスの政治」も否定しようとしたのです。

 サッチャーの強硬な経済政策は当初それほどうまく行きませんでしたが、フォークランド紛争での勝利もあって人気を回復させ1983年の総選挙で勝利します。
 サッチャーは「小さな政府」を目指しましたが、その過程で公営住宅を入居者に安く売却する住宅法をつくり、ローンを借りやすくさせました。こうして「財産」を得た人々がサッチャーの支持基盤の一つとなっていきます(134ー135p)。
 サッチャーはクローズド・ショップを禁止し、1984〜85年の大規模な炭鉱ストライキにも強硬な姿勢で臨みます。こうして「鉄の女」のイメージを作り上げていきました。
 しかし、3期目に入ったサッチャーは人頭税の問題とヨーロッパ統合をめぐる問題で失敗し退陣。メイジャーが後を継ぐ事になります。

 第6章はブレアの登場した90年代半ばから00年代にかけてをあつかいます。
 「労働組合とストライキの党」という労働党のイメージを払拭し、政権を奪い返したのがブレアとブラウンでした。
 ブレアの労働党では、ジャーナリストや弁護士、女性や移民やLGBTが意識的に登用され、「多文化主義」がひとつの看板になります。
 また、「第三の道」を掲げ、「福祉から労働へ」というスローガンのもと就労政策の推進をはかりました。「クール・ブリタニア」と銘打ち、イギリス文化の振興も行われました。
 しかし、イラク戦争への参加でブレアの人気は失速し、後任のブラウンはリーマンショックの影響により2010年の総選挙で政権を失います。
 
 第7章は2010年代、キャメロン首相が緊縮政策を打ち出し、そしてEU離脱の国民投票によって辞任する流れです。
 この時期、ロンドンなどの大都市には海外などから資金が流れ込み開発が進みましたが、その開発とともにジェントリフィケーションが進み、貧困層はますます周縁化されていきました。ジェントリフィケーションへの反発から2015年にロンドンの東部の高級シリアルカフェが暴動の対象となったという話は興味深いです(179p)。
 そして、こうした社会の分断が2016年6月のEU離脱の国民投票へとつながるのです。
 
 このようにイギリスの戦後史を幅広く、なおかつコンパクトにまとめてあります。サッチャーやブレアに対する評価がやや辛い気もしますが、これが2017年の視点なのでしょう。そして、サッチャー、ブレアを超えたもっと長いスパンで見ることで現在のイギリスの置かれている場所が見えてくるということを教えてくれる本でもあります。


イギリス現代史 (岩波新書)
長谷川 貴彦
4004316774