橋本麻里

日本美術をおもな領域とするライター、エディター。

公益財団法人永青文庫副館長。

新聞、雑誌等への寄稿のほか、NHKの美術番組を中心に、

日本美術の楽しく、わかりやすい解説に定評がある。

著書に『美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)、

『京都で日本美術をみる [京都国立博物館] 』(集英社クリエイティブ)ほか


 時折だが、日本美術を生業にしている者には畑違いの、しかしひどく魅力的なお誘いが舞い込むことがある。久しぶりのそれは、夏の初めに、ペルーからボリビアにかけて点在する古代遺跡を取材がてら観に行かないか、というものだった。この秋、東京の国立科学博物館で開催される『古代アンデス文明展』に先立つプレスツアーの一環で、訪問予定リストには、ティワナク、マチュピチュ、シカン、ナスカ......とよだれの出そうな名前が並んでいる。「行かない」という選択肢は、そもそも最初からない。


 南米の古代文明に対する漠然とした憧れが芽生えたのは、恐らく幼少期に見ていたNHKのアニメーション、『太陽の子エステバン』がきっかけだったのではないかと思う。ムー大陸やエル・ドラド(黄金都市)といった、奔放な想像力が駆使されたストーリーに夢中になった。今の私にとっては黄金より精緻極まりない石積みのほうがよほど魅力的だが、新大陸を侵略したスペイン人にとってはそうではなかったらしい。


 コロンブスの航海以前、ヨーロッパ全土で保有されていた金の総量はわずか6立方メートル。それが1503年から1560年までに、101トンもの金がスペインへと運ばれたという。歴史学者のフェルナン・ブローデルの試算によれば、16世紀半ばにスペインが所有していた金銀の価値は、現在の通貨に換算して2兆ドルを超えるまでに膨らんでいた。私たちが住むこの日本列島も、13世紀末にベネチアの商人マルコ・ポーロが「黄金の国ジパング」と、その著書『東方見聞録(世界の記述)』の中で紹介している。日本から南米への旅は、要するに旧世界から見て西の果ての新世界と、東の果ての粟散(ぞくさん)辺土とを結ぶ、すなわち黄金郷から黄金郷への旅であり、ゆえに地球半周分の大旅行にならざるを得ない。日本を発ってからロサンゼルス、マイアミと乗り継ぎ、ようやく降り立ったボリビアのエル・アルト国際空港が位置するのは、標高4,061m。世界一の高所にある空港として、文字どおり「名高い」。高山病を警戒して、とにかくゆっくり動くようにと注意を受けるが、軽い頭痛やめまいの原因が、高山病にあるのか長時間のフライトにあるのか、にわかには判断しがたい。へっぴり腰で迎えの小型バスに乗り込み、ホテルのあるラパス(ボリビアの中心都市、憲法上の首都はスクレ)まで下れば、標高は3,600mほど。少なくとも富士山山頂(3,776m)よりは低くなったわけだ。


 客室へ案内されても、長時間のフライトでしびれた手足を伸ばして勢いよくラジオ体操をしたり、ベッドに飛び乗ったりしてはいけない。「国外へは絶対に持ち出さないでくださいね」と念を押された、高山病に効果があるとされるホテル備え付けのコカ茶をまずはゆっくりと飲み、高山病予防に必要不可欠の水分と、微量の安心感を摂取する。ここまで待って何も変調がないことが確認できたので、私はようやくベッドに倒れ込み、行動開始までのわずかな時間、仮眠をとった。