秋の褒章 三谷幸喜さんなど775人と22団体

秋の褒章 三谷幸喜さんなど775人と22団体
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長年にわたってその道一筋に打ち込んできた人や、芸術やスポーツの分野で功績のあった人などに贈られる秋の褒章の受章者が発表され、脚本家の三谷幸喜さんや将棋棋士の森内俊之さんら775人と22の団体が受章することになりました。
ことしの秋の褒章を受章するのは、人命救助活動で功績のあった人や団体に贈られる紅綬褒章が4人。
ボランティア活動で功績のあった人や団体に贈られる緑綬褒章が29人と22の団体。
長年にわたってその道一筋に打ち込んできた人に贈られる黄綬褒章が249人。
芸術や文化、スポーツ、学術研究の分野で功績のあった人に贈られる紫綬褒章が18人。
公共の仕事で顕著な功績があった人に贈られる藍綬褒章が475人です。

紫綬褒章では、世界的な建築家として知られ、東日本大震災などの災害で避難所に紙と布を組み合わせた安価な間仕切りを提供するなど、被災者や弱者の住宅問題に取り組む坂茂さん。
喜劇を中心にテレビドラマや映画など数多くの脚本を手がけ、NHKの大河ドラマ「真田丸」も担当した脚本家の三谷幸喜さん。
重厚な棋風で長年活躍し、「永世名人」の資格も獲得した将棋棋士の森内俊之さん。
「赤いスイートピー」など数々のヒット曲で一時代を築き、心に響く美しい日本語の歌詞を数多く手がけてきた作詞家の松本隆さん。
優しさに満ちた朗らかな笑いの夫婦漫才で知られる漫才コンビ「宮川大助・花子」の宮川大助さんと宮川花子さんらが受章します。

藍綬褒章では、平成21年からトヨタ自動車を率い、優れた経営手腕を発揮してリーマンショックなどの影響で落ち込んだ業績を回復させたトヨタ自動車社長の豊田章男さんや、女性向けのフォーマルウェアの会社を立ち上げ、女性の社長としては国内で初めて株式上場を果たした児島絹子さんらが受章します。

秋の褒章の受章者は今月14日と15日に皇居で天皇陛下からお言葉を受けることになっています。

建築家 坂茂さん

紫綬褒章を受章する建築家の坂茂さんは東京出身の60歳。
坂さんは都内の高校を卒業したあとアメリカに渡って建築を学びました。
独自に開発した、硬い筒状に加工された紙を使った建築などで広く知られるようになり、平成26年には「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるプリツカー賞を受賞するなど世界的に活躍しています。

フランス・パリ郊外のセーヌ川の中州にことし完成した音楽複合施設で、新たな文化拠点として活用される「ラ・セーヌ・ミュージカル」を設計したことでも注目されました。
また東日本大震災や熊本地震で避難所でのプライバシーを確保するために紙と布で作った間仕切りを設置したほか、機能的で住み心地のよい仮設住宅を設計するなど世界各地の被災地を支援する取り組みも行っています。

坂さんは「建築家の仕事は被災者や社会的弱者など苦しんでいる人たちのためにもあると考えて取り組んできた。今は世界中の被災地で若い学生などがボランティアに加わろうと集まってくるので、そこから新しいリーダーを育てていくことも重要な仕事としていきたい」と話しています。

脚本家 三谷幸喜さん

紫綬褒章を受章する脚本家の三谷幸喜さんは東京都出身の56歳。
幼い頃からテレビや映画などのコメディーに親しみ、大学在学中にのちに多くの実力派俳優を輩出する人気劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成して脚本や演出を手がけました。

平成5年に「振り返れば奴がいる」で連続テレビドラマの脚本家としてデビューし、田村正和さん主演の「古畑任三郎」シリーズや、NHKの大河ドラマ「新選組!」や「真田丸」の脚本などを手がけました。
映画監督としても活躍し、劇団で上演していた「ラヂオの時間」を平成9年に映画化したあと「THE有頂天ホテル」や「清須会議」などのヒット作を生み出しています。

受章について三谷さんは「自分の頭の中にあるものを映画や舞台などで具体的に演じてくれたキャストやスタッフ、それに作品を見ておもしろいと思ってくれた多くの観客、視聴者のおかげで受章できたことに感謝したい」と喜びを語りました。
そのうえで、喜劇作家としての抱負について「笑いには大きな力があります。見た人が少しだけ生きる勇気が湧いてくる、少しだけ考え方を変えてみよう、少しだけ前向きになってみようと思える、そんな作品を作っていきたい」と話していました。

将棋「永世名人」資格 森内俊之さん

紫綬褒章を受章する将棋棋士の森内俊之九段は横浜市生まれの47歳。
小学3年生から将棋を指し、昭和62年に16歳でプロ入りして、平成14年、31歳で初めてのタイトルとなる名人になりました。
ライバルの羽生善治さんを相手に竜王戦や名人戦を戦い、これまでに4つのタイトルを通算で12期獲得しています。
平成19年には永世名人の資格を獲得し、ことし5月には日本将棋連盟の専務理事に選ばれ、後進の育成にも努めています。

受章について森内さんは「偉大な先輩ばかりが受章していて自分がもらっていいのか葛藤がありましたが、将棋の世界にとっても名誉なことだと感じています。将棋は近くに誰がいるかによって成長具合が大きく変わりますが、自分はそういう人たちに巡り会えたことを感謝しています」と喜びを語りました。
藤井聡太四段の活躍で将棋ブームが起きていることについて「将棋ファンが増えているので、棋士の存在をアピールして多くの人に知ってもらいたい。将棋は多くの人に支えられている世界なので、ファンを大切に一歩一歩進んでいきたい」と話していました。

作詞家 松本隆さん

紫綬褒章を受章する作詞家の松本隆さんは東京都出身の68歳。
昭和45年に細野晴臣さんらと結成したロックバンド、はっぴいえんどでドラムと作詞を担当し、都市の日常の心象風景を「ですます調」でつづった叙情的な歌詞は日本語によるロックの先駆けとなり、のちのアーティストに大きな影響を与えました。
その後、ポピュラーミュージックの作詞を手がけるようになり、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」で作詞家としての地位を確立すると、寺尾聰さんの「ルビーの指環」や松田聖子さんの「赤いスイートピー」など歌謡史に残る数々のヒット曲で一時代を築きました。
その後もKinKiKidsの「硝子の少年」など時代を彩るヒット曲を世に送り出し、これまでに手がけた楽曲は2100曲を超えています。

松本さんは受章について「ロックバンド出身の僕は『寄らば大樹の陰』という考えを好まず、若いときから大きな組織に頼らずに仕事をしてきました。自分を守ってくれるのは自分の作品だけで、作品が僕の存在を証明してくれると思ってやってきたので、その努力が認めてもらえて大変うれしいです」と話しています。

漫才 「宮川大助・花子」さん

紫綬褒章を受章する漫才コンビの「宮川大助・花子」さんは、めおと漫才の第一人者として長年活躍してきました。

宮川大助さんは鳥取県出身の68歳。
高校卒業後、一度は電機メーカーに勤務しましたが、お笑い芸人の夢が諦めきれず、お笑いの道に入りました。
宮川花子さんは大阪府出身の63歳。
高校卒業後は大阪府警察本部の警察官となりましたが、やはりお笑い芸人を目指してお笑いグループ、チャンバラトリオに弟子入りしました。

2人は結婚後、大助さんからの提案で昭和54年2月漫才コンビの「宮川大助・花子」を結成しました。
優しそうでおおらかな語り口の大助さんと、早口でまくしたてながらもどこか夫婦の絆を感じさせる花子さんのテンポのよい掛け合いは、めおと漫才の新しいスタイルとして人気を集め、舞台やテレビなどで長年にわたってめおと漫才の第一人者として活躍を続けています。

昭和63年には花子さんの胃がんがわかり一時闘病生活を送りましたが、2年後の平成2年には「上方お笑い大賞」で大賞を受賞しました。
平成19年には今度は大助さんが脳出血で倒れましたが、復帰したあとは以前と変わらない漫才を披露し、平成23年には文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。

宮川大助さんは「うれしさと同時に責任を感じています。結成当初は漫才レースという戦いに勝つために夫婦漫才というよりは男女漫才としてバトルを繰り広げてきましたが、妻が病気になったときにその戦いは終わりました。“夫婦仲よく” に勝る宝物はありません」と話していました。
宮川花子さんは「大助さんに、漫才に誘ってくれて、私を大きくしてくれてありがとうと言いたいです。若い男女コンビの見本になれればと思います」と話していました。

秋の褒章 三谷幸喜さんなど775人と22団体

長年にわたってその道一筋に打ち込んできた人や、芸術やスポーツの分野で功績のあった人などに贈られる秋の褒章の受章者が発表され、脚本家の三谷幸喜さんや将棋棋士の森内俊之さんら775人と22の団体が受章することになりました。

ことしの秋の褒章を受章するのは、人命救助活動で功績のあった人や団体に贈られる紅綬褒章が4人。
ボランティア活動で功績のあった人や団体に贈られる緑綬褒章が29人と22の団体。
長年にわたってその道一筋に打ち込んできた人に贈られる黄綬褒章が249人。
芸術や文化、スポーツ、学術研究の分野で功績のあった人に贈られる紫綬褒章が18人。
公共の仕事で顕著な功績があった人に贈られる藍綬褒章が475人です。

紫綬褒章では、世界的な建築家として知られ、東日本大震災などの災害で避難所に紙と布を組み合わせた安価な間仕切りを提供するなど、被災者や弱者の住宅問題に取り組む坂茂さん。
喜劇を中心にテレビドラマや映画など数多くの脚本を手がけ、NHKの大河ドラマ「真田丸」も担当した脚本家の三谷幸喜さん。
重厚な棋風で長年活躍し、「永世名人」の資格も獲得した将棋棋士の森内俊之さん。
「赤いスイートピー」など数々のヒット曲で一時代を築き、心に響く美しい日本語の歌詞を数多く手がけてきた作詞家の松本隆さん。
優しさに満ちた朗らかな笑いの夫婦漫才で知られる漫才コンビ「宮川大助・花子」の宮川大助さんと宮川花子さんらが受章します。

藍綬褒章では、平成21年からトヨタ自動車を率い、優れた経営手腕を発揮してリーマンショックなどの影響で落ち込んだ業績を回復させたトヨタ自動車社長の豊田章男さんや、女性向けのフォーマルウェアの会社を立ち上げ、女性の社長としては国内で初めて株式上場を果たした児島絹子さんらが受章します。

秋の褒章の受章者は今月14日と15日に皇居で天皇陛下からお言葉を受けることになっています。

建築家 坂茂さん

紫綬褒章を受章する建築家の坂茂さんは東京出身の60歳。
坂さんは都内の高校を卒業したあとアメリカに渡って建築を学びました。
独自に開発した、硬い筒状に加工された紙を使った建築などで広く知られるようになり、平成26年には「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるプリツカー賞を受賞するなど世界的に活躍しています。

フランス・パリ郊外のセーヌ川の中州にことし完成した音楽複合施設で、新たな文化拠点として活用される「ラ・セーヌ・ミュージカル」を設計したことでも注目されました。
また東日本大震災や熊本地震で避難所でのプライバシーを確保するために紙と布で作った間仕切りを設置したほか、機能的で住み心地のよい仮設住宅を設計するなど世界各地の被災地を支援する取り組みも行っています。

坂さんは「建築家の仕事は被災者や社会的弱者など苦しんでいる人たちのためにもあると考えて取り組んできた。今は世界中の被災地で若い学生などがボランティアに加わろうと集まってくるので、そこから新しいリーダーを育てていくことも重要な仕事としていきたい」と話しています。

脚本家 三谷幸喜さん

紫綬褒章を受章する脚本家の三谷幸喜さんは東京都出身の56歳。
幼い頃からテレビや映画などのコメディーに親しみ、大学在学中にのちに多くの実力派俳優を輩出する人気劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成して脚本や演出を手がけました。

平成5年に「振り返れば奴がいる」で連続テレビドラマの脚本家としてデビューし、田村正和さん主演の「古畑任三郎」シリーズや、NHKの大河ドラマ「新選組!」や「真田丸」の脚本などを手がけました。
映画監督としても活躍し、劇団で上演していた「ラヂオの時間」を平成9年に映画化したあと「THE有頂天ホテル」や「清須会議」などのヒット作を生み出しています。

受章について三谷さんは「自分の頭の中にあるものを映画や舞台などで具体的に演じてくれたキャストやスタッフ、それに作品を見ておもしろいと思ってくれた多くの観客、視聴者のおかげで受章できたことに感謝したい」と喜びを語りました。
そのうえで、喜劇作家としての抱負について「笑いには大きな力があります。見た人が少しだけ生きる勇気が湧いてくる、少しだけ考え方を変えてみよう、少しだけ前向きになってみようと思える、そんな作品を作っていきたい」と話していました。

将棋「永世名人」資格 森内俊之さん

紫綬褒章を受章する将棋棋士の森内俊之九段は横浜市生まれの47歳。
小学3年生から将棋を指し、昭和62年に16歳でプロ入りして、平成14年、31歳で初めてのタイトルとなる名人になりました。
ライバルの羽生善治さんを相手に竜王戦や名人戦を戦い、これまでに4つのタイトルを通算で12期獲得しています。
平成19年には永世名人の資格を獲得し、ことし5月には日本将棋連盟の専務理事に選ばれ、後進の育成にも努めています。

受章について森内さんは「偉大な先輩ばかりが受章していて自分がもらっていいのか葛藤がありましたが、将棋の世界にとっても名誉なことだと感じています。将棋は近くに誰がいるかによって成長具合が大きく変わりますが、自分はそういう人たちに巡り会えたことを感謝しています」と喜びを語りました。
藤井聡太四段の活躍で将棋ブームが起きていることについて「将棋ファンが増えているので、棋士の存在をアピールして多くの人に知ってもらいたい。将棋は多くの人に支えられている世界なので、ファンを大切に一歩一歩進んでいきたい」と話していました。

作詞家 松本隆さん

紫綬褒章を受章する作詞家の松本隆さんは東京都出身の68歳。
昭和45年に細野晴臣さんらと結成したロックバンド、はっぴいえんどでドラムと作詞を担当し、都市の日常の心象風景を「ですます調」でつづった叙情的な歌詞は日本語によるロックの先駆けとなり、のちのアーティストに大きな影響を与えました。
その後、ポピュラーミュージックの作詞を手がけるようになり、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」で作詞家としての地位を確立すると、寺尾聰さんの「ルビーの指環」や松田聖子さんの「赤いスイートピー」など歌謡史に残る数々のヒット曲で一時代を築きました。
その後もKinKiKidsの「硝子の少年」など時代を彩るヒット曲を世に送り出し、これまでに手がけた楽曲は2100曲を超えています。

松本さんは受章について「ロックバンド出身の僕は『寄らば大樹の陰』という考えを好まず、若いときから大きな組織に頼らずに仕事をしてきました。自分を守ってくれるのは自分の作品だけで、作品が僕の存在を証明してくれると思ってやってきたので、その努力が認めてもらえて大変うれしいです」と話しています。

漫才 「宮川大助・花子」さん

紫綬褒章を受章する漫才コンビの「宮川大助・花子」さんは、めおと漫才の第一人者として長年活躍してきました。

宮川大助さんは鳥取県出身の68歳。
高校卒業後、一度は電機メーカーに勤務しましたが、お笑い芸人の夢が諦めきれず、お笑いの道に入りました。
宮川花子さんは大阪府出身の63歳。
高校卒業後は大阪府警察本部の警察官となりましたが、やはりお笑い芸人を目指してお笑いグループ、チャンバラトリオに弟子入りしました。

2人は結婚後、大助さんからの提案で昭和54年2月漫才コンビの「宮川大助・花子」を結成しました。
優しそうでおおらかな語り口の大助さんと、早口でまくしたてながらもどこか夫婦の絆を感じさせる花子さんのテンポのよい掛け合いは、めおと漫才の新しいスタイルとして人気を集め、舞台やテレビなどで長年にわたってめおと漫才の第一人者として活躍を続けています。

昭和63年には花子さんの胃がんがわかり一時闘病生活を送りましたが、2年後の平成2年には「上方お笑い大賞」で大賞を受賞しました。
平成19年には今度は大助さんが脳出血で倒れましたが、復帰したあとは以前と変わらない漫才を披露し、平成23年には文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。

宮川大助さんは「うれしさと同時に責任を感じています。結成当初は漫才レースという戦いに勝つために夫婦漫才というよりは男女漫才としてバトルを繰り広げてきましたが、妻が病気になったときにその戦いは終わりました。“夫婦仲よく” に勝る宝物はありません」と話していました。
宮川花子さんは「大助さんに、漫才に誘ってくれて、私を大きくしてくれてありがとうと言いたいです。若い男女コンビの見本になれればと思います」と話していました。