海外生活体験者・学生インタビューvol.114

interviewees_s_114_profile.jpg 千葉愛子さん。1990年宮城県仙台市生まれ。小学1年から中学1年までの7年間をタイのバンコクで過ごす。現地ではバンコク日本人学校に通い、その後は仙台市の公立中学・高校に進む。大学からは上京して津田塾大学学芸学部国際関係学科に入学。現在3年に在籍。大学では、ゼミで心理学を専攻し、アカペラサークルで活躍中。

―それでは早速インタビューを始めさせていただきます。よろしくお願いします!

はい。こちらこそよろしくお願いします(笑)

全校生徒2000人の体育祭!

―いろいろ聞きたいことがあるわけなんだけど、まず海外のどこにいつからいたのか教えてくれるかな?

はい! 場所はタイのバンコクで、期間はちょうど小学校に上がるときから、中学1年生が終わるまでの丸7年間です。

―なるほど。その当時の学校生活はどんな感じだったの?

はい! 私の通っていた小学校は、バンコクにある唯一の日本人学校で、小中一貫ってこともあって、全校生徒が2000人もいる大きな学校でした。授業は日本とあんまり変わらないと思います。でも、タイは一年中暖かいから、季節に関係なく週に一回は水泳の授業がありましたよ。私こう見えて実は泳ぐのめっちゃ早いんです(笑)

―2000人ってすごいな!(笑) 日本人学校だけど、授業でタイ語とか英語は習っていたの? あと地元タイ人との交流とかは?

ありましたよー。タイ語は1年生からで、英語は5年生から、ともに週一で。ただ、地元の人って、日本人に優しくて、しかもある程度の日本語が話せる人が多かったので、両方とも差し迫って覚えようとはしませんでした。特に、英語は家庭教師を雇っていたんですが、あんまり勉強していなくて、今でも後悔しています。地元との交流は年に1回しかなかったので、タイ人の友人はできませんでしたね。今考えると残念です。

―そうなんだ……。やっぱり、現地の学校行ってないと交流の機会がなかなかないもんね。英語の他に習い事してた?

ピアノと体操もやっていました。まぁ、やらされていたって表現の方がいいのかな(笑) あと、学校の部活でバレーボールやっていました。バレーは真面目にやってたんですけど、地元の人との試合では常にボコボコにされました(笑)

―対外試合は地元となんだね。まぁそりゃそうか(笑) 身体能力の差とかあるのかな。

んー、どちらかというと、練習時間の差だと思います。私たちの学校って、下校時間になると、すぐ帰りのバスに乗って帰らなきゃいけないんですよ。だから、日本の学校の放課後っていうのに、すごく憧れたのを覚えています。登下校だけに関わらず、家から外出するにも何かと車やバスを多用するので、そのせいで体力もつかなかったからかと。

―そっか。放課後練習できなかったら、厳しいかもね。それじゃ、小学校の時の一番の思い出はなにかな?

なんと言っても体育祭です! 小中一貫で行なったので、生徒2000人に加えて、その両親も来るわけですから、本当にものすごい盛り上がりでしたよ! 全校生徒を縦割りで紅白に分けて戦うので、いつもは遠い存在だった中学のお兄さんたちと一緒に出来て、楽しかったですね。そのお兄さん方がかっこいいんだ(笑)

―(笑) 確かにそれは日本じゃ味わえない楽しさだろうね。学校ではどういう生徒だったの?

強いて言うなら、幼少期の性格は明るく元気いっぱいな子でした(笑) 転校生が入れ替わりやすい学校という特徴もあって、誰とでもすぐ仲良くなれましたね。

―日本人学校バンコクに1つしかないわけだし、転校生も多いんだろうね。

学期始めに2、3人は必ず転校生が来ていましたよ。私は小学6年間ずっとその学校にいたこともあって、学級委員にもなったし、なにかとまとめ役や代表をやることが多かったです。

「微笑みの国」と物乞い

―今度はタイでの日常生活について聞こうかな。まず、どういうところに住んでいたの?

私はマンションに住んでいました。家は広かったです。確か3LDKで、1部屋がだいたい日本のリビングくらいありました。今の暮らしからは考えられないですが、共同スペースとしてプールやジム、サウナなんかもありました。

―すごい暮らしだね?! 日本より土地や物価が安いからかな?

それもあると思いますけど、こういう暮らしが出来るのは、たぶん外国人だからですね。私のマンションも、日本人やインド人などの外人しか住んでおらず、現地の人はいませんでしたから。学校の友だちに聞いてみても、日本人にとっては結構当たり前の暮らしだったらしいです。

―聞いたことあるかも。老後をタイで過ごせば、少ない年金でも豪遊できるとかって話。

ですよね! 向こうは、日本食屋や紀伊国屋といった日本人のためのお店も多く、なによりタイ人は日本人に優しいですし、タイ人からの偏見とかはなかったと思います。子供の頃でしたけど、現地の人は私に優しく話しかけてくれていましたから。ただ、幼少時からずっと身の回りの世話をしてくれるメイドさんや運転手の方がタイ人だったこともあって、自分の中では認めたくなくても、日本人の方が裕福なんだという認識はありましたね。

―日本人は優遇されているんだね。他に何か日本人とタイ人で違うなと思ったことってある?

違いと言ったらやっぱり人柄ですかね。タイって、「微笑みの国」って言われるくらい、みんなフレンドリーで、道行く人とでもすぐに世間話始めちゃうくらいなんです。毎年夏に日本に一時帰国するたびに、日本人のそっけなさに寂しさを覚えました。

―日本に帰って来てからのお話を聞かせてくれるかな。まずタイと日本のギャップで戸惑ったこととか。

まず、戸惑ったのは日本の校則の厳しさです。バンコクの学校でも制服はあったんですけど、自由度が高かったために、日本がなんでこんなに厳しいのか理解できませんでした。特に、帰って来てからの一年間は反抗していたため、先生ともよく衝突しちゃって、クラスで一番怒られていた気がします(笑)

ギャップとしては、やっぱり衛生面や交通網ですね。バンコクも一応発展はしているんですけど、中心街から少しでも出ちゃうと、道は全く整備されてないし、環境も良くなかったと思います。日本では全く見かけませんが、タイでは物乞いもいましたね。体の細い母親が、生まれたての赤ん坊を抱いて、お金をせがむ姿は忘れられません。

―問題児は、今の千葉さんからは、あんまり想像できないな(笑) 確かに、東南アジアは物乞いや孤児がまだまだ多いって聞くよね。そういうことをみんなにちゃんと知ってもらうっていうのも、タイに住んでいたことがある人の役目なのかもね。

人間は支え合いながら生きるもの

―次は、大学生活について。確か今アカペラやってたよね? どういうところがいいのかな? あと何か自分の中で決めていることってある?

やってますよ! 単純に歌が好きなんですけど、組織としてみんなで何かをやり遂げるってところがいいですね。ライブとか。自分のなかで決めていることとしては、やりたいことを悔いなくやること。自分の足でなんでも出来て、どこにでも行けるのは、時間のある大学生活のうちだけだと思うので。

―では最後に、質問を3つほど。タイで7年間過ごして、一番強く感じたことはなんですか?

タイで一番強く感じたことは、日本での生活とは違って、日本人はタイで裕福に暮らせてしまうことですね。もちろん物価や収入の違いがあるからですが、どんな日本人でも、タイ人との絶対的な違いが、如実に現れてしまうんです。

―タイでの長期滞在が、今の生活にどのように生きていると思う?

長期滞在によって得られたものは幅広いものの見方です。いろんな人種や文化の違いを直接肌で感じ取れたので、海外滞在経験がない人よりも、様々な違いに今では対応出来ていると思います。

―最後の最後。千葉さん自身の将来のビジョンについて教えてください!

最後に将来のビジョンですか。んー、先月の大震災でも感じたことなんですけど、企業に入るなら、しっかり社会貢献しているところがいいですね。人間は支え合いながら生きるものだと思いますから。

―ありがとうございました。インタビューは以上です。これからも悔いのないように大学生活をエンジョイしてください(笑)

はい(笑) こちらこそありがとうございました!

バンコク日本人学校 :
http://www.tjas.ac.th/bangkok/

インタビューアーから一言

千葉さんはサークルの友人です。今回初めて彼女の経歴や体験を詳しく聞くことができました。普段はおっとりした彼女ですが、インタビュー中は過去の体験や感じたことを思い出すように、ひとつひとつ丁寧に答えてくださり、私自身もタイに対する新しい見識が持て、とても有意義なインタビューでした。タイに住んでいた人は少ないと思うので、この貴重な体験をインタビューを通じて伝えることが出来れば嬉しく思います。千葉さん今回はどうもありがとう!

interviewees_s_114_profile_2.jpg 武市大輝。1988年東京都生まれ。6歳のとき父親の転勤によりアメリカ・オハイオ州へ渡米。9歳までの約3年間、現地の小学校に通い、その後帰国。都内私立の中高一貫校へ6年通い、一橋大学経済学部に入学。現在就活を控えた3年生。サークル活動中心の生活を送り、ゼミでは数理ファイナスを猛勉強中。