河野一郎氏の経歴を調べますと、1898年6月2日生まれ、神奈川県足柄下郡豊川村の豪農河野家に生まれる。父治平は豊川村長、郡会議員、神奈川県議、同県会議長を務めており、一郎氏は小田原中学から早稲田大学に進み1923年に朝日新聞社に入っています。
明治から大正にかけての時代に、朝鮮人が村長や県会議員をやる可能性はなく、明治期に朝鮮人が足柄下郡の豪農である可能性も皆無です。
人の動きの少ない農村の場合に、家系を遡ることは比較的容易であり、このような家は江戸期は村名主を勤めて名字帯刀を許されていて、戦国期には国人と呼ばれる在地武士だった場合が多いのです。寺院の過去帳で調べれば、戸籍制度が出来る以前の家系もかなりのところまで分かります。
日韓併合以前に日本に先祖が居住していることが証明されているのですから、顔面鑑定などよりもずっと確かな証拠になります。
河野太郎氏が在日認定に怒った経緯ですが、その記事を要約すると、「名も無き侍」と名乗って武士道を唱えているネトウヨが、帰化した国会議員一覧なるものを拡散しており、そのなかに自民党では河野太郎氏の名があって「この名簿の信憑性はほぼ間違いない、火のないところに煙は立たずである」としていました。証明するものが何もない名簿や一覧を出しておいて、火のないところに煙は立たないから事実だとするのはネトウヨの常套手段であり、この諺ひとつでネトウヨは根も葉もないフェイク情報をネットで発見された真実に仕立て上げてきました。
河野氏が法的な手段をとると表明すると、その「名も無き侍」は記事を削除しましたが、拡散の成果でコピーはあちこちに存在していて、河野太郎氏を非難するときにはいつも用いられるようになっています、それだけネットのなかには同調者が多いのです。さらにこの「名も無き侍」は、記事を削除したものの「捏造までして日本を悪者にした反日破壊工作被害にあっているので、主権侵害テロに対して防衛をしているだけ」と自らの正当性を主張しているようであり、言っていることからして典型的なネトウヨであることは明らかです。
当人は本名も顔も仕事も,年齢も表に出さない状態で、世間的な責任を一切負うことなく、火のないところに煙は立たずの諺ひとつで、証明するものを示さないままで、政治家を在日外国人、帰化人と認定してしまい、その政治的な行動を外国の利益のためにやっているとして全否定できる、こんなもの凄い特権をネトウヨは手に入れてしまいました。