英国に生まれたバレリー・ジェーン・モリス=グドールは、子どもの頃から動物が大好きで、将来はアフリカへ行って動物に関わる仕事がしたいと周囲に話していた。家族にはジェーンを大学に通わせる経済力がなかったため、彼女は秘書の養成学校へ通った。最初はオックスフォード大学に勤務し、その後、ロンドンにあるドキュメンタリー映画の製作会社で働いた。1956年の夏には実家に戻り、ウエートレスをしながらケニアへ行く船の運賃をためた。
翌年、ジェーンはナイロビで、高名な古人類学者ルイス・リーキーと出会う。人類の起源に関する最先端の研究を進めていたリーキーは、大型類人猿にも関心をもつようになっていた。彼はジェーンに科学者としての素質があることを見抜き、ひとまず彼女を秘書として雇った。そしてジェーンがタンザニアでチンパンジーに関する調査を行えるよう、資金を集め始める。
1960年の夏、ジェーンは6カ月間の野外調査を行うのに十分な資金を得て、ゴンベ・ストリーム猟獣保護区内のタンガニーカ湖のほとりにキャンプを設営した。
最初からジェーンは本能に従って研究を進めた。科学の世界では、観察対象の動物に識別番号を振るのが慣例であることを知らなかった彼女は、チンパンジーに自分で考えた名前をつけた。フィフィ、フロー、ミスター・マクレガー、灰色ひげのデビッドといったように。そして、それぞれ異なる特徴と個性をもった生き物として、観察記録をつけていく。
ジェーンは双眼鏡を手に、起きている時間の大半をチンパンジー探しに費やした。そして、座り込んでメモを取る自分の存在に慣れてもらえるよう、少しずつ彼らとの距離を縮めていった。
三つの発見
与えられた調査期間が終わりに近づいた頃、ジェーンは三つの発見をした。いずれもリーキーを大いに喜ばせただけでなく、科学界に衝撃を与える大発見だった。一つ目は、ある雄のチンパンジーが小動物の死骸にかじりついているところを観察したことだった。これは、類人猿は肉を食べないという従来の定説を覆すものだった。その雄には特徴的なあごひげが生えていて覚えやすかったため、ジェーンは「灰色ひげのデビッド」と名づけた。
それから2週間もたたないうちに、ジェーンはデビッドに再会し、二つ目の発見をする。このとき目撃したのは、まさに常識を覆すような光景だった。アリ塚のそばにしゃがみ込んだデビッドは、細長い葉を手に持ち、それをアリ塚の穴に差し込んだ。葉を引き出すとそこにはシロアリがびっしりとついていて、デビッドは葉にしゃぶりついてアリを食べたのだ。
三つ目の発見も、別のときにデビッドがもたらした。葉のついた小枝を手に取ると、まず葉をむしり取ってからアリ塚の穴に入れ、同じようにシロアリを「釣り上げ」た。デビッドは、道具の使用と製作という、それまで人間にしかできないと思われていたことをやっていたのだ。
ジェーンがこの発見をリーキーに電報で知らせると、次のような返信があった。
「こうなったら道具の定義を見直すか、ヒトの定義を見直すか、チンパンジーをヒトとして認めるしかないですね」
この大発見を受けて、ナショナル ジオグラフィックは、ジェーンがゴンベでの調査を継続できるよう、支援を始めた。
だがジェーンが野外調査の成果を発表するようになると、ほかの研究者たちから懐疑的な意見が出始める。彼女が科学者としての教育を一切受けていなかったからだ。
※ナショナル ジオグラフィック11月号特集「ジェーン・グドール チンパンジーを愛する女性の素顔」では、貴重な未公開映像から霊長類学者の知られざる素顔に迫ります。