ジャスト日本のプロレス考察日誌

プロレスをもっと広めたいという思いブログをやってます。新旧洋邦のレスラーを取り上げた「俺達のプロレスラーDX」を連載中!
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俺達のプロレスラーDX
第114回 リングの殺人鬼とマイク・カーシュナーの数奇な人生/レザーフェイス




「マイクがうちに来たんだ!WWF(現・WWE)に上がってたコーポラル・マイク・カーシュナーが本当にうちに来たんだ!」

日本の弱小インディー団体のスタッフは興奮ぎみで語った。

コーポラル・マイク・カーシュナーは元WWEのスターだ。
かつてはレッスルマニアの本戦に出場し、勝利したこともあった。
アメリカの軍人キャラクターとして星条旗を振っていたあのマイクが弱小のインディー団体にやって来たのだから、アメリカン・プロレス好きな人間からすると凄いことに感じるのかもしれない。

だが、マイクは軍人キャラクターとして来日したのではない。
「人の顔を剥いで作った」というギミックのマスクとチェーンソーを振りかざして観客を追い回す"猟奇殺人鬼"として彼は来日したのだ。
その猟奇殺人鬼の名はレザーフェイスという。
アメリカの有名ホラー映画「悪魔のいけにえ」に登場する殺人鬼「レザーフェイス」がプロレスのリングに現れたのだ。
彼を日本に呼んだプロレス団体はW★INGプロモーションというインディー団体。
1990年代前半の日本プロレス界では"涙のカリスマ"大仁田厚が率いたFMWとW★INGがデスマッチ路線の二大勢力だった。

有刺鉄線電流爆破を主軸にしていたFMWのデスマッチ路線とは違い、W★INGはより危険で狂気に満ちたデスマッチを売りにしていた。

日本初の棺桶デスマッチ。
あのアントニオ猪木VS上田馬之助以来の釘板デスマッチ。
ガラスボードデスマッチ。
闇討ちデスマッチ。
ファイヤーデスマッチは別名、人間焼肉デスマッチと呼ばれていた。

レザーフェイスはW★INGのヒット商品だった。
190cm 125kgの怪奇派レスラーは数々の斬新なデスマッチを彼は闘ってきた。
今回は、殺人鬼レザーフェイスと素顔のマイク・カーシュナーを巡るまるで怪談のような数奇なレスラー人生を追う。

レザーフェイスことマイク・カーシュナーは1957年9月7日アメリカ・イリノイ州シカゴに生まれた。
本名はマイケル・ペンゼルという。
プロレスラーになる前はアメリカ空軍パラシュート部隊にいた。
1980年、空軍を除隊後にマイクはR・T・レイノルズというリングネームでフロリダでデビューする。
1984年にWWEにジョバー(やられ役)として参戦するようになった。

1985年、コーポラル・マイク・カーシュナーというベトナム戦争帰りの軍人キャラクターに変身する。
コーポラルとは郡代の階級の一つである伍長という意味だ。
WWEの愛国者キャラクターとして人気のあったサージャント・スローターが一時期、団体を離脱したため、マイクに代わりの愛国者キャラという仕事を与えたのだ。
WWEではアイアン・シーク(イラン)&ニコライ・ボルコフ(ソ連)の反米ヒール軍団を抗争を繰り広げた。
1986年の「レッスルマニア2」ではニコライ・ボルコフと先に国旗を取った方が勝ちというフラッグマッチで対戦し、勝利を収めた。
スター街道を走っていたマイクだったが、薬物検査に引っかかり、団体を解雇されてしまう。

WWEを去ったマイクはカナダに転戦する。
1989年6月に新日本プロレスで初来日を果たす。
ちなみに坂口征二の引退試合(木村健悟と組んでのタッグマッチ)の対戦相手の一人に指名されたこともあった。
(マイクのパートナーはスコット・ホール)

1991年、テネシーで産声を上げたのがあのレザーフェイスだった。
マイクはレザーに変身することで、マイク・カーシュナーというプロレスラーはフェードアウトし、第二のレスラー人生をリスタートさせた。
1992年7月にW★INGで来日すると、レザーはトップヒールとして活躍する。

レザーの名をプロレス界に轟かせたのは1992年12月20日の"ミスター・デンジャー"松永光弘との釘板デスマッチだ。
この試合形式は1978年にアントニオ猪木VS上田馬之助以来だった。
釘が突き出た板をエプロンや場外に引きつめた戦場で闘い、転落するとKO負けとなるのだ。
この試合形式は本来、リング上で完全決着させる変則のランバージャック・デスマッチのようなものだった。

猪木VS上田は釘板には両選手とも落ちずに決着したが、松永VSレザーは違った。
なんと松永が場外の釘板ボードに転落しKO負けを喫したのだ。
専門誌の試合レポートではこんな見出しが躍っていた。

「あっ、本当に落ちた!!」

さすがに釘板ボードに落ちないだろう。
でも、過激なデスマッチ路線のW★INGなら落としかねない。
二つの予測がいい意味で裏切られたという想いがこの見出しにつながったのだ。

だが、マイクは1993年に来日中に友人をかばい傷害事件を起こしてしまい、逮捕された。
4ヶ月の間、麻布の留置所で拘留されたマイクには執行猶予の判決が下った。
マイクは留置場では自暴自棄になっていたという。

そうこうしているうちにW★INGやIWAジャパンには、二代目レザーフェイスが誕生していた。
リック・パターソンなるアメリカ人レスラーにレザーを名乗ったのだ。

マイクの右腕にはカタカナで「レザーフェイス」というタトゥーが彫られている。
俺こそ、オリジナル・レザーフェイスなんだ。

レザーは1995年6月にFMWで復活する。
リングネームはスーパー・レザーと改名したが、そのコスチュームはレザーフェイスそのものだった。
FMWでもトップ戦線で活躍し、1996年2月には大矢剛功を破り、世界ブラスナックル王座を獲得した。

マイクがどの団体でも活躍できている秘訣となったのはやはりWWEでの経験値だ。
これはFMWやW★INGに参戦していた他のレスラーとは違う部分である。
WWEでの経験がレザーフェイスというキャラクター形成に役に立っていた。

いつしかマイクはプロレスラーとしての活動は日本がメインとなっていった。
フロリダと東京を往復する生活。
長年、日本を主戦場にし、来日中に東京を寝床にしている外国人レスラーを"トーキョー・ガイジン"というらしい。
マイクはまさしく"トーキョー・ガイジン"だった。
ちなみに普段のマイクは心優しき男だという。

実はレザーフェイスのコスチュームはお手製だった。
店で売っている怪物マスクの下にコットンの黒マスクとドレッドヘアを合体させたのがレザーのマスクなのだ。
ちなみにレザーのマスクの表面についてある血は、本物の血だという。

だがレザーはその後、FMWでの活躍は影を潜め、負け要員になる機会が増えた。
殺人鬼の素顔であるマイクは40歳を過ぎ、白髪も生えてきていた。

やがて彼は日本から呼ばれなくなった。
FMWが崩壊した2002年にマイクは引退した。
ここで彼のレスラー人生は終わったかに見えた。
だが、ここからが世にも奇妙な物語が始まるのだ。

引退したマイクはノースカロライナ州でトラック・ドライバーとして働いていた。
だが、2006年10月19日に以下のニュースがWWEから配信された。

「コーポラル・マイク・カーシュナー(本名"トーマス・スピア")が10月15日にメアリーランド州ホワイトマーシュの自宅で死去」

だが、これは誤報だった。
そもそもマイクの本名は"マイケル・ペンゼル"で"トーマス・スピア"ではない。
マイクの母親がWWEにこう電話した。

「私はマイクの母です。息子は"トーマス・スピア"ではなく、まだ死んでいません」

その後、WWEはこのニュースを削除した。
カナダのプロレスサイトでのインタビューに登場したマイクはこう語った。

「"トーマス・スピア"なんてやつは知らん。俺はちゃんと生きている。病気もしていない」

この誤報によって、日本のプロレス団体ではレザーの追悼セレモニーも行った団体もあったのだ。
このニュースはどうして流れたのだろうか。
"トーマス・スピア"という人物なんているのか?
その答えは余りにもミステリアスな結末が待っていた。

実は"トーマス・スピア"という人物は存在していたのだ。
そして、2006年10月15日に"トーマス・スピア"という人物が亡くなったのも事実だった。
"トーマス・スピア"が生前に家族にこう語っていたという。

「俺は昔、コーポラル・カーシュナーというプロレスラーだった。ボブ・バックランドとの試合で腰を負傷し引退した」

どうやら"トーマス・スピア"という人物はコーポラル・カーシュナーを名乗った偽物だったのだ。
カーシュナーを自称する彼はプロレスサイトで現役時代のエピソードを披露したり、ファンとのメールのやり取りもしていたという。
また"トーマス・スピア"の家族は彼の話を信じ切っていたという。
ちなみに本物のマイクはバックランドと試合したことはない。
だから、一部は"トーマス・スピア"の作り話もあったのだ。
"トーマス・スピア"は天国でコーポラル・カーシュナーを演じているのだろう。

マイク死去という誤報は、彼の存在を再びクローズアップさせる機会となった。
50歳を過ぎたマイクに日本のプロレス団体からオファーがかかる。

「日本でもう一度レザーフェイスとして試合をしてくれませんか?」

50歳を過ぎたマイクには二人の孫がいたお爺さんになっていた。
それでも大好きな日本で試合がしたかった。
レザーフェイスが帰ってきた。
マイクは久しぶりに日本の地に足を踏み入れた。
実に9年ぶりのことだった。

もうレスラーを引退して6年。
一般人となったマイクは、自分が"猟奇殺人鬼"になれるのか不安だった。
そんな自分におまじないをかけるようにマイクはホテルの部屋で、飛行機の中でも、リングに上がる直前にこう言い聞かせた。

「心配するな。すべてうまくいく」

こうしてマイクはレザーフェイスとなり、日本でカムバックを果たした。
その後、マイクはターザン後藤率いるスーパーFMWやSMASHにも参戦していた。
ちなみに2015年に誕生した団体・超戦闘プロレスFMWに参戦している「モンスター・レザー」というプロレスラーはどうやらマイクではないようだ。

"リングの殺人鬼"レザーフェイスと素顔のマイク・カーシュナーが歩んだ数奇なレスラー人生。
かつてホラー映画やオカルト映画に出演した俳優はその後、不幸な人生を歩んだり、非業の最期を遂げたりする事例があった。
この一種の"呪い"のようなものがレザーフェイスに変身後のマイク・カーシュナーには付きまとっていたような気がするのだ。
そう考えてみると、レザーフェイスに変身することで、マイク・カーシュナーは天国と地獄を同時に味わったのかもしれない。

マイク・カーシュナーは今年(2016年)59歳になる。
今日も彼はアメリカの広大な大地をトラックで豪快に走っているのだろう。
右腕に「レザーフェイス」というカタカナのタトゥーを刻みながら…。

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