急なできごとに動転してから・・・早、昨日で初七日となりました。

かつて台風の目のようだった「心に青雲」ブログが閉じられているのを、私は、昨日知りました。
14日までは、存在したから、いつ閉じられたのかは、わからない。
本人の意志であったのか、どうかもわかりません。

その前の日に、ご遺族から、指定されていた特定の友人にむけて、お知らせがあり、心に青雲さんが8月12日に亡くなったことが、わかりました。

病を伏せ、ひっそりと消えていきたい・・・というのが、青雲さんの希望でしたから、公表するのは、遺志に背くことかもしれません。

けれど、一人の人の命も人生も重い。
毀誉褒貶はあるものの、
結婚式の花婿よろしく、よいところをほめちぎってもらって、
此の世を去るのがよろしいかと思います。

彼は、儀式を嫌ったのかもしれないけど、葬儀告別式も拒んで、墓を建てることも拒んで、散骨してほしいという遺言を残された・・・

そうするとは、聞いていたけど、本当だった。

病気がわかったのは、昨年の7月でした。
安倍総理への評価がまっこうから対立した私は、しばらく、メールのやりとりをしていませんでした。

そこへ、口腔内の癌が、リンパに転移しているので、大きさにはかかわらずステージ4であるという知らせが届きました。

最終検査の結果をうけ、8月11日日曜日に、身近な友人たちと「送別会」をします・・・
集まった人々は、励まして、別れるなんて言わないでほしいと・・・

そして、彼の身を心配する友人たちが、あれがいい、これがいいと、情報を寄せたり、温泉に招待したり・・・「これほど、皆から思われていたのか!」と、感動したそうです。

そのころに「交感神経」の論争がありました。

タマゴさん、見ていたら戻ってきてください。
でも、もう、青雲さんを揶揄するのは、なし、よ。

死んだら、みんな仏様です。

モニターになって透析が必要な腎臓病を治療させてほしい・・・天寿堂さんは、同じ玄和会の仲間として、同じく、その組織から弾き飛ばされた仲間として、共感していたので、無料での治療を申し出ていました。

週3回、透析に通いながら、病人臭くならないで、普通の暮らしが保てたのは、天寿堂さんのこまめな手当のおかげだったと、思います。

当然、青雲さんも天寿堂さんに感謝はしていましたが、二人の性格が正反対であったために、結局は、相いれなかった。
天寿堂さんが、玄和会の師範を批判したことも、退会したことも、青雲さんには許しがたいことでした。

そういう、気持ちの行き違いが、高まる中で、癌の宣告が来ました。
治療者としての天寿堂さんには「不覚の思い」があったでしょう。

交感神経に入れ込んでいた天寿堂さんは「癌も交感神経の”生命力を高めるパワー”で、治るはずだ」との仮説に立ちました。

けれど、その熱心な施術の結果、リンパの腫れがいきなり倍になりました。
そして、主治医は短期間の悪化に驚き、「治療法は無い。ホスピスしかない」と、宣告したそうです。

手術をしたら、寝たきりになり、話すことも、口から食べることもできなくなる。だからと言って、治るわけじゃない。・・・抗がん剤や放射線治療を拒むなら、それしか、選択肢が無い。

当然、どれも選択しないしかありませんよね。
やがて、首のリンパが大きくなって、食べることも、話すこともできなくなると、医師は告げたようです。

かつて、癌は告知しなかった時代と比べて、なんという残酷なことを、平気で言うのでしょう!

タマゴさんと天寿堂さんの「交感神経」の論争がありました。

私は、かつて実母を免疫療法に、連れて行ったことがあります。
体内の血液の中の免疫細胞を増殖させ、それを体内に戻しせば、自分の免疫細胞ががんと闘ってくれる。
理屈では、そうなりそうでしょ?

もう、手の施しようのない病人は、すがるしかないんですよ。
それで、やってみたけど・・・確かに、風邪をひきにくくなったり、冷え症がなおったり、食欲は出たけど、癌にだけは効果はなかった。毎月、癌マーカーは倍々ゲームで増えました。

なぜ、理屈通りにならないのだろう?
検索しているうちに、交感神経優位で、働くキラー細胞は、最初、癌細胞を打倒すのだけど、一旦押しやられた癌細胞が、最後には、窮鼠猫を噛む反撃に出て、逆転してしまう・・・と、ありました。

つまり、言い換えれば、交感神経の働きは癌を抑え込まない。
反対に副交感神経の働きの方が、癌を相手にするには優れている・・・というのです。

だから、私は、即座に「交感神経が癌を消すという考えは辞めてほしい」と、天寿堂さんにメールしました。

その結果、二人の仲を裂いてしまった。
青雲さんをも怒らせる結果になったのだけど、今でも、交感神経と癌の関係は、いかがなものかと、私は疑問を持っています。

サプリメントにも、温泉にも、顕著な効果は感じられなくて、3か月後には、もう、何も試したくない心境になったそうです。

それでも、医師のみたてでは、「余命宣告」はないものの、とても、年を越せそうにない雰囲気でしたが、正月を迎えることができました。
そこへ、柴さん情報にあるセルパワーを手に入れ、
治りはしなかったけれど、
首のリンパが小さくなるなど、少し良い方に向かって・・・私は、このまま悪化しないでいけるのではないかと思っていました。

誕生日が迎えられるか?
桜が見れるか?
連休まで生きているか?

節目節目を新鮮な気持ちで、通り過ぎる貴重な一年の間に、十分、旧友と別れを言う時間があって、ありがたいメール、言葉、心が温まる交流を重ねることができました。

「ある日、あっけなく死んでしまうより、癌になる方が、よかったでしょう?」と、私は尋ねました。
「この一年、周囲の人のありがたさが身に染みた・・・このほうがよかったと思う」と、言う返事でした。

がん保険て流行っていますよね。
これは、治療のためには使えるのだけど「癌で死んだ」といって、保険金を受け取るのは難しいのだそうです。

最後、肺炎になった。衰弱して心不全に・・・これは、死因は「肺炎」「心不全」であって、癌の死ではありません…というのだそうです。

青雲さんの場合でも、私の母の場合でも、だんだん食欲がなくなり、衰弱して、最後は老衰という状況になる。

69歳で老衰は、早いけど、昔なら70歳は古希です。

普段から節制していたのに・・・まさか、癌になるとは!
という・・・もしかして、まちがった医学情報を信奉していたのか?
ここまでくると、本人も「癌は食事」とは、言い切れなかったと思う。
最後の方の記事で「生野菜は体に悪い?」と、彼は問うていましたものね。

透析をはじめて17年でした。
これは、長いですね。

癌と言うのは、老化の極みだから、許される限界まで、生き抜いたのだと思う。

癌になるとやせると言いますが、お花見の時に送ってもらった写真では、そんなに痩せては見えませんでした。
死因となったのは、癌からの出血でした。
ときどき、大出血を繰り返し、
そのたび、止血して、事なきを得たけど、
ついに、止められないところまで来てしまった。

自転車で近くのクリニックに透析を受けにいけるぐらい頑丈だったのだけど、その日、大出血で病院に搬送され・・・夜、友人たちに覚悟のメールが届きました。

「ついに、お別れのときが来ました。あと、数日しか生きられない」・・・しっかりした文面。
まさか、こんなに、しっかりしているのに。
でも、もう、治療法がない。
というか、一切の現代医学の治療を拒否してしまった。
だから、透析も打ち切ることを、彼は選択してしまった。

自分で決めたのだから、誰も、手出しできなかったのです。

入院後小康状態が二日あったので、お見舞いの人とも笑顔で、お別れが言えた。

その夜、容体が急変して、入院後4日で亡くなりました。

3日前までは、自転車に乗れたのに。
そんな馬鹿な!
信じられない。

そんな急に?!

でも、あれから、時間がたつにつれ・・・あれで、よかった。あれがよかったんだと思えます。

どうせ、ダメなら、ベッドの上で長く絶望するより「さようなら」といって、すぐに去る方がいい。
苦しまないですんだ。

もちろん、最後の1か月ぐらいは、痛み止めが必要だったそうです。
けど、よくきく末期がんの苦しみは全然・・・

やっぱり、そうと決まれば、何もしないのが、一番平安なのでしょうね。

最近、癌が治った話はよく聞くけど、あれは、癌ともいえない小さいものを、癌だ癌だと騒いでいるだけだと思う。

どんなに努力しても死なない人は無いのだから、
それでも、普段の節制が、功を奏して、「全身への転移」なんかは、引き起こさないで全うした寿命は「天寿」だったのだと思います。

透析の無い時代なら、20年も前に寿命が来ているのだから。

しあわせな余生だったと、思う。
死と向かい合いながら、姿勢を崩さず、プライドを貫いたあなたは、立派だったと、言ってあげたいです。

あんなに熱心に入れ込んだ玄和会に、退会届を出したと4月に聞きました。
理由を聞いても教えてくれなかった。

1月、羽田で開いていた道場を閉じたと聞きました。
かつてのお弟子さんとお別れの食事会をした。
お酒がおいしかった。

青雲さん・・・いい人生だったね!
70年に満たなかったけど、中身の濃い、いい人生だったね。
信じた通りに生き抜いた・・・いかにも、全共闘世代。

魂は生きとおしだから、また、どこかの世で会いましょう。

この世で、縁のある人々は、また、同じ時代に別の関係性の中に生まれてきて、前世での心残りを解消していく。そう、命は永遠です。



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