ベトナムでインターンシップを始めて、(ほんの少しの時間でも教えたことがある人も人数に入れれば)150人弱の学生に日本語を教えてきたところですが、ここまで深い話を、日本語でできる学生は今回が初めてでした。
いやーやっぱり、先生というのは、レベルの高い学習者、意識を高く持てる学習者を教えたいと、思ってしまいますよ。僕が万が一教師になったとしたら、開成高校あたりで授業したいところです。
あ、でもあそこ男子校だから、女子がおらんやん。やっぱり駄目だ。
さて、昨日、授業の作文のテーマ(学生が自由に決めてよい)として、みなさんにとっての幸せって何ですか?というテーマを書いてきた生徒がいまして、幸せについて再度考えるきっかけになったので、書いてみようと思いました。
この質問に他の学生さんの答えはいろいろ。
A「買いたいものを買う。あとは、自分のやりたいことをすること」
これ二つ意見言ってるけど、自分のやりたいことをするってことに買いたいものを買う事ってのが、包括されている気がしましたが、まぁスルーしておきました。
B「家族と過ごしているとき」
さすが、尋常じゃない家族愛を持っているベトナム人です。僕は京都にある大学に通っていたんですが、その時実家である北海道には、年に1,2回帰ればいいくらいでした。ベトナム人はほぼ週末毎回実家に帰っている人が大勢いて、驚いたのを思い出しました。うちの親も生まれてきた僕がベトナム人だったら、今よりもっと幸せになれたのかっもしれません。たまには実家に帰ろ。
C「車を買ったとき(しかし今は持っていない)」
とりあえず車が欲しいってことですかね。
そんなこんなで、いろいろな生徒が自分の幸せの定義を語っていましたが、最後に僕も質問されたので、考えましたが
僕にとっての幸せは、正直特にないです。
まぁ言うならば、僕はどんな状況でも、どんなことでも、大半のことなら幸せと感じることができる人間なので。これがこそが僕の幸せ!ってのをイメージできません。
いつも後の祭りで、振り返って幸せだな~って感じることが多いということです。
このときは多分話している日本語が難しいのあまり伝わっていなかったと思います。
皆さんはどうですかね?
自分にとっての幸せはこういうものだ!だからその幸せのために今頑張ってる、努力している、そのときの幸福感を得るために。って考え方が基本ですか?
それとも、それとも今ある事実を無理やりにでも自分が幸せと感じることができる状況下にいるという見方をできる超ポジティブタイプですか?
完全に二極化の話ではないし、それぞれ違う土台での話だと思うので、そんなにロジカルな話題ではありませんし、今回の話題に対する答え方のタイプを僕なりに抽出してみただけですのでテキトーに流し読みしといてください(笑)
幸せは何ですか?と聞かれたときに、どっち寄りの答えが思い浮かぶタイプに当てはまりますか?
僕が後者のような考え方をするのは、このテーマの発表の時に、ちらっと発表者が言っていたことに寒気があるかと思いました。
「幸せという感情は、人間にしかありませんね!?」
幸か不幸か、このクラスには、猫を飼っている女の子がいて、猛反発していました。(笑)猫もうれしい時はとても喜びます、だから猫も幸せを感じます。みたいな。
まぁ気持ちはわかるけど、一歩間違えたらただのエゴですからね、と僕は思っちゃいました。ほんとに猫が言葉で幸せと言ったわけでもないし、どんな行動がうれしいという行動なのかなぜわかるのか。そもそも、どうしてうれしい感情があるということも言い切れようか、いいy)
まぁ本人にはこんなことは言いませんでしたけど。思ったことをすぐに口にしないようになったのは少しだけ大人になったという事でしょうか(笑)
さて、動物にほんとに感情がないのかどうかは僕にはわかりませんけど、人間が幸せと感じることができるのは、人間は考える能力があって、それを評価できるからだと僕は思ったんですね。考える葦ですから。
つまり結局、幸せというのは、あたりまえですけど、人それぞれが勝手に評価して生まれるものなので、定義がバラバラなんですね。あたりまえ体操ですね。
哲学者のアドラーもそんなこと言ってました。
事実は一つしかないけど、捉えられる現実は人の数ほど存在する、とかなんとか。
雨の日が悲しい現実に見えるかうれしい現実に見えるかはその人次第ってことですね。
つまり幸せも一緒ですね。
ベトナムでデング熱にかかった!周りの人から心配されて、人のやさしさを再確認できた!幸せ幸せ!
理不尽な仕事を任された!でも自分が成長できるチャンスが転がってきたってことやん?幸せ幸せ!
みたいな。無理があるか(笑)でも僕はこんな感じの考え方で、ほんとに総じて幸せだな~って思えているんですよね、価値観だから共感できない方も多いかもしれませんが。
そう考えるとですね、これは多分誰にとっても同じだと思いますが、幸せは多いほうがいいものだと思うんですよ。
つまり人生幸せと思ったもん勝ち。
極論言ってしまえば、考え方によっては、人生ずーっと幸せでいられるってことです。
そんなことができるなら、ずっと幸せでいたいでしょう!?って僕の価値観ではそう感じます。
もちろん不幸と幸せのメリハリがあるからより幸せに感じられるという価値観もいるでしょう。ただ僕が幸せとは何かと聞かれた時はこういう思考プロセスで序盤で述べたような解答になるんかなと思いました。
でも今の人たちって、幸せと感じる人が少ないのかな、って最近思います。
日本の国民の幸せ度ランキングって世界と比べると、いつもかなり下の方にあるというのを聞いたことがありませんか?
調査の対象になっている国の数はとても少ないので、あんまり指標にはならないかもしれませんが、たとえば2015年12月、米国の世論調査会社ギャラップ・インターナショナルとWIN (Worldwide Independent Network of Market Research) による共同調査が行っている毎年恒例の幸福度ランキング。この年は日本は56か国中28位くらいだったかな。ほかにも先進7か国であるアメリカやドイツ、ドイツ、イギリスも40位以下とかそういうレベル。
ちなみに、ベトナムは5位でした。
ちなみに1位はコロンビア。あの誘拐や殺人事件発生率がトップクラスの国で有名な。
例えば日本で女の人が一人で夜中に歩いてても、危ないことには変わりないですけど、命に代えてまでその女の人を止めに入るくらいではないですよね。
また、きれいな水が確保できる、住むところがある、勉強できる環境にある人が大半を占めている先進7か国の国の国民が幸せと感じないと回答する人が多いようですが、彼らは何を目指しているんでしょう(笑)
幸せなんてそこらへんに転がってるのに、どうしてそんなに不幸になりたいんでしょうか(笑)
アニメ新世紀エヴァンゲリヲンの最終話でも、こんなようなことを言ってました
「与えられた他人の真実でしか物事を見ようとしない」
「晴れの日は気分良く……」
「雨の日は憂鬱……」
「……と教えられたら、そう思い込んでしまう」
「雨の日だって、楽しいことはあるのに」
「辛い」という漢字は、一本の一の字を足すだけで「幸せ」という字になることから幸せと辛いことは紙一重と解釈する言葉をどっかで聞いたことあります。
これを授業の最後に生徒に説明して、生徒からの尊敬の意を稼ぎましたとさ。
めでたしめでたし。