我が子はいわゆる「子鉄」と言われる電車好き。
将来の夢は「高崎線の運転士」とずっと言っていました。
私が幼いころ「バスの運転手」や「バレリーナ」などたくさんの職業になりたいって言ってたのに、息子は全然変わらずで、少しだけ不安に思っていました。
何故不安に思っていたかというと、我が子は赤と緑の色覚異常を持っているからです。
私が色覚異常の遺伝子を持っている可能性が高いのを知っていたので、事前に検査して、すでに5歳くらいの時には「おそらく色覚異常だろう」と判明していました(「おそらく」なのは、子供が検査の内容を理解せずに適当に答えている可能性は否めなかったため)。
今はしっかり「色覚異常」の診断を受けています。
色覚異常は電車の運転士にはなれない
現時点では、色覚異常を持つ人は電車の運転士にはなれません。
整備士など安全にかかわる分野の職種も、一部の会社では色覚が正常であることが条件です。
パイロットなども同じです。
なので、子供が「電車の運転士になりたい!」と言うたび、「なれるといいねー。じゃあ、運行時間の計算とか出来るように算数頑張らなきゃね!」とか言いながら、もうこのセリフは言いたくないな、早く別の夢を持ってくれないかなと思っていました。
不向きな人に人の命を預かるような運転を任せるわけにはいかないのは当然のことだと思っています。
色覚異常だけでなく、身長が低いからモデルやCAになれないとか、努力以外の条件で「~じゃないからなれない」というのは良くあることですし、加えて学力や容姿など、自分が持っているもので勝負するのはどんな職業でも一緒ですよね。
我が子が不幸とは全く思っていませんが、私が「持っているもので勝負しろ」と幼いわが子に理解できるように教えられるかが不安だったんです。
ころころ好きなものを変えていた私に比べ、一途に夢を持っていた息子。
その一途さを凄く応援したいのに、応援出来ないもどかしさ。
もし夢破れた時に「色覚異常はお母さんのせいだ、せめてなんでもっと早く教えてくれなかったの」と言われてしまうかもしれない。
でも、私の時にも「あんたは身体硬いしスタイル悪いし、ましてやバレエを習ったことすらないのにバレリーナになれるわけない」なんていう大人は周りにいなかったのと同様、大人の一言で子供の夢や希望をぶち壊しちゃいけないし。
結局は自分が安心するために「早く新しい夢を持ってくれないかな」と思っていたんです。
世界が広がって行けば
今までは「電車」と言う世界しか知らなかった息子も、小3になってゲームをはじめ、電車で出かけても電車内でゲームをやるようになりました。
新たに「ゲームクリエイター」という職業を知り、電車の運転士とゲームクリエイター、どっちもなりたいんだよなーなんて言い出しています。
このままいろいろ世界が広がって行けば、今度は違う職業にも目移りするでしょう。
いずれにせよ、色々な世界を知った後で真実を告げた方が、今告げるよりは子供が冷静に「じゃああちらにしてみよう」と思えるだろうから、まだ色覚異常の件は話さないつもりです。
ひょっとしたらユニバーサルデザインが急速に進んだり、色覚異常でも色彩を判別できる何かが開発されて、10年後とかには色覚異常でもOKっていう世界になっているかもしれないですしね。
おそらく息子が進路を選ぶ中学生あたりのときに、まだ夢が変わっていなかったらちゃんと事実として色覚異常の件を伝えるつもりではいますが、その時息子自身がどれだけの選択肢を持っているか、あと数年でどれだけ世界が広がるか。
色んな友達やいろんな大人に関わって、世界を広げてほしいと願うばかりです。