何故嫌われるのか。そんなものが分かれば苦労しない。相手の心を読んでその人が喜ぶ事を言ってあげれば良い、相手が嫌な事を言わなければ良い。不可能である。だから人は当たり障りのない事しか言わないし余計な事は言わない。となると、自分の思うまるで正反対の事に頷き、人の顔色をうかがい、自分を押し殺す作業に入る。こうなると「好かれたい」から「嫌われたくない」に考え方が移行し相手を全て肯定するという非常にストレスの貯まる言動に走ってしまう。最近仕事で思った事例で言うと、同業他社は元請けの顔色を見ながら殿様扱いして何でも言う事を聞いてるのを横目に、私は請けた仕事は赤字になろうがしっかりやるけど「良いように使われているな」と判断すればはっきり断る。「じゃあお前に仕事なんてやらない」と言われれば「じゃあそんな仕事要らない」と断る。結果、価格も含めて私にしか出来ない仕事を提案してるので仕事が無くなることなんて無い。何でもかんでも言うことを聞いて最終的に仕事にもならないのにあっちこっち行かされて忙しい同業他社、適度な仕事量で決まる確率の高い弊社。蓋を開ければ利益に大差などない。嫌われるなら嫌われても良いと思ってはいるが、別に絶えず食って掛かるわけでもない。普通にしてりゃ良いじゃん、と思うわけだ。嫌なら嫌だと言えば良い。しかし嫌だと言えるのは、それを言えるだけの結果を担保しないといけない。その結果を担保する為に一生懸命になってもの申すのか、顔色をうかがって足りない結果を大目に見てもらうのか。両方疲れるけど私は前者を選ぶ。ここのブログも同じ。いつも嫌味を放ってばかりの好感度の高いブログではないのにそれでも好意的に見てくれる方達が数名頭に浮かぶ。ちゃんと見てくれてるんだなぁと感謝するし、私はそういった方達「ばかり」とお付き合いをしたい。本質の見えにくいインターネッツと言えど、上辺だけなのかどうなのかは見てれば分かる。リアルだろうがインターネッツだろうが、私の思う「お付き合いしたい人」の基準は「この人になら別に騙されても良いや」と思える人である。
フィクションです。