「禁足地」であれば、文字通り「入ってはいけない場所」だが、「禁足地帯」という語は、単なる法的な立ち入り禁止の場所ではなく、風習や信仰も含めて安易に深入りしてはいけない場所」を意味する。
心霊スポットや都市伝説・怪談の現場、廃墟、聖地など「オカルトスポット探訪」を10年以上も取材し、いつしか「オカルト探偵」と呼ばれるようになった吉田悠軌は、新刊「禁足地帯の歩き方」を通じて、それら「禁足地帯」を「精神的な異世界に通じる場所」と定義している。
壱岐の聖域・剣の池。
たとえば、上記の写真は、壱岐の聖域「剣の池」である。立ち入り禁止ではないが、地元の人たちしか知らない、まさに隠された聖地だ。
ここには「異国人の幽霊が現れる」「“しゃべる牛”と遭遇した」という逸話が伝わっているほか、「剣の池には壱岐海人族の王が隠した宝が眠っている」という噂まである。さらに、池を覗くと「いちばん欲しいもの」が浮かび上がるが、手を伸ばせば引きずりこまれる呪いも伝わる。
なぜ、人知れぬ池に、多種多様な伝説が紐づけられ、畏れられているのか?その本当の理由は、おそらくだれにもわからない。
島への上陸は、物理的には制限されていないが、ともあれ、これらの怪奇譚には、まさしく「精神的な異世界」へ連れていかれそうな気持ちを抱かせる。
「禁足地帯」に惹かれる理由
入ってはいけない聖地、見てはいけない秘祭、開けてはならない箱、触ってはいけない神木……。
「禁足地帯の歩き方」に収められたそれらは、なぜ、そこにあるのか。
吉田は、外から畏れるのではなく、現地を訪れることで、禁断とされるものとの人間社会の接点を探っている。謎や未知のもの、まさしくオカルト(隠されたもの)は、秘められているからこそ、人を引き付けるものだ。
吉田はそこに、生きとし生けるものすべてが逃れられない異世界=「死」の香りがあると語る。確かに、恋愛の聖地ですらも、他者を排撃し、自分たちだけの世界を作ろうとする滅亡の匂いがするではないか。
「禁足地帯」とは、おそらく、人間の想いがぶつかりあう現実において、きっちりと社会に区分けできない「隙間」や「境界」に生じてしまう「異世界」なのかもしれない。社会的動物たる人間も、ふとしたはずみで、その隙間から「禁足地帯」へ、ときには自らの意志で、足を踏み入れてしまうのかもしれない。
「禁足地帯の歩き方」 吉田悠軌(著)/価格:1000円+税/発行:学研プラス
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