松尾/アフロスポーツ
瀬戸大也「引退するまで一緒に戦う」―― 戦友・萩野公介の涙で強まったふたりの絆
10/29(日) 10:43 配信
アスリートが成長していくプロセスで不可欠なのが、競争相手である。いわゆるライバルだ――。
うまく、強く、大きい相手ほど、その存在価値は大きい。だが、両者のレベルがかけ離れていると、それは憧れでしかなくなってしまう。紙一重の実力を持ち、戦いのレベルは世界基準。瀬戸大也にとって、萩野公介は、まさにそんな存在だ。
ライバルであり、友人であるふたりが歩んできたライバル関係とは、どんなものだったのだろうか。その関係は、どのように変化しつつあるのだろうか。そして、瀬戸にとって萩野とは、どんなライバルなのだろうか。(ライター・佐藤俊/Yahoo!ニュース 特集編集部)
ライバルの定義
ライバル――好敵手。
一般的には、勝負の世界で火花を散らして戦う宿敵、だろうか。
しかし、瀬戸大也にとってライバルの定義はちょっと違う。
「自分のライバルは、海外の選手ではなく、国内の同級生なんですが、完全な敵でバチバチやりあうという感じじゃないですね。お互いを理解しあい、尊重しあって高めあえる存在であり、友人であり、世界で一緒に戦っていく戦友です」
その戦友とは、萩野公介である。
ロンドン五輪では400m個人メドレーで銅メダル、リオ五輪では200m個人メドレーで銀メダル、400m個人メドレーで金メダルを獲得した世界のトップスイマーのひとりだ。
「公介とは、日本での試合の時はふたりでの勝負になりますが、海外で世界と戦う時は本当に戦友みたいなんです。公介がいると落ちついてレースができるし、リラックスできる。不思議なんですが一緒にいるとすごく安心して戦えるんです」
瀬戸自身が語るように、不思議な関係だ。
ふたりは似た者同士ではない。瀬戸は明るい性格で感覚派、萩野は冷静沈着で理詰めで考えるタイプ。たとえば、強度の高い練習が翌朝からあるとする。その前日の夜、瀬戸は練習をがんばるために遠くても自分が好きなものを食べに行き、元気をつける。萩野は近場で食べられるものを食べて明日のために体を休めることを優先する。
しかし、世界に出ていくと海外の選手を相手に共闘し、ふたりで世界一を目指していく。ひとりを蹴り落として成り上がる感覚はないのだ。ともに世界のトップレベルで戦える力を持つ者同士にしか分からない、普通のライバルの定義を超えた関係が瀬戸と萩野の間にはあるのだ。
負けたくない気持ち
瀬戸が戦友に出会ったのは、小3の夏の全国大会だった。
萩野は当時から「天才スイマー」と言われ、瀬戸はなかなか勝てなかった。初めて萩野を破ったのは中2の時の400m個人メドレーだった。
「公介は初めて同年齢の選手に負けたので相当悔しかったと思いますね。でも、当時からガチガチにやりあう感じはなかったですし、公介も『話しかけてくるな』みたいな感じはなかった。正直、いつからお互いをライバルとしてとらえ、付き合うようになったのか覚えていないですけど、お互いの感じはその当時からほとんど変わらないですね」
高校生になり、日本のトップスイマーに成長したふたりはメディアにもよく取り上げられ、ライバル関係が注目されるようになった。
「ふたりで一緒に行こう」
そう誓い合った2012年のロンドン五輪は、瀬戸が選考会で3位となり、萩野だけがロンドンに行くことになった。萩野は高校生ながら400m個人メドレーで王者マイケル・フェルプスに競り勝ち、男子個人メドレー種目では日本人初となる銅メダルを掲げた。瀬戸は、そのシーンを見た時、萩野が違う世界に行ったような気がして悔しくて仕方なかったという。
“公介には負けない”
その一心でひたむきに今まで以上に水泳に集中した。その結果、13年の世界水泳選手権400m個人メドレーで優勝し、ロンドンの悔しさを晴らした。さらに14年の世界短水路選手権でも勝ち、瀬戸が萩野を一歩リードしたのである。
「ふたりで国内はもちろん世界でも争って、決勝にいくと『さぁどっちが勝つんだ』っていう勝負ができる。それが最高に楽しいんですよ。そこで公介に勝つと本当に胸を張って喜べるんです」
メダル獲得という重圧と期待
15年の世界水泳選手権は、ロンドン五輪以降、ともに積み重ねてきた力を試す最高の舞台だった。
「ここで真のチャンピオンを決めよう」
そう誓い合ったという。
しかし、直前のフランス合宿中、萩野が自転車で転倒して右ひじを骨折、世界選手権の欠場が決まった。瀬戸は「公介の分まで頑張る」と、気持ちを奮い立たせて世界にひとりで挑んだが、その時、萩野がロンドン五輪で感じていただろうメダル獲得の期待の重さとプレッシャーを初めて実感した。
「公介がいない中、金メダルを獲らないといけないという重圧はすごかった。ふたりで出場していると公介との勝負を楽しめば自然と金メダルに手が届くと思っているので、メダルとか特に意識しないんですよ。でも、ひとりだとすべて自分にかかってくるんで……キツかったですね。それに、ここで自分が勝ったとしても公介がいないんで真のチャンピオンとは言えない。やっぱり世界で公介に勝ってこそ、そのメダルに価値がある。だから本当の勝負は翌年のリオ五輪になるなって思っていました」
瀬戸は孤独な戦いの中、圧巻の泳ぎを見せた。
400m個人メドレーで自己ベストを更新して金メダルを獲得。2大会連続での金メダルとなり、「瀬戸強し」を世界のライバルたちに印象づけたのである。
しかし、「本当の勝負」と位置づけたリオ五輪の400m個人メドレーでは萩野が金メダルを獲得し、瀬戸は銅メダルに終わった。競泳でのダブル表彰台は60年ぶりの快挙だったが、瀬戸から見れば五輪で再度、水をあけられ、また闘志を燃やしたのである。
こうして、ふたりはずっと抜きつ抜かれつの戦いを繰り広げてきた。そのプロセスの中で瀬戸は萩野から多くのことを学んだという。
「公介の水泳に対する姿勢、ストイックさに触れると自分は甘いなって思います。理詰めで水泳を考え、トレーニングはもちろん、食事や体のことを常に気をつけている。『大也の感覚で動いているところ俺もほしいんだよね』って公介は言うけど、公介の論理的な考えにはいつも『そうだな』と思わされる。今年、プロになってからはプロ意識が非常に高くなり、よりストイックに競技に集中するようになった。そういう部分は見習っていかないといけないと思っています」
戦友の涙
今年7月、ふたりのライバル関係に転機が訪れた。
ハンガリー・ブダペストでの世界水泳選手権、萩野は手術した右ひじのために調整が遅れ、距離が長い400m個人メドレーではなく、200m個人メドレーで金メダルを獲ることに集中した。しかし、結果は銀メダル。萩野の落胆ぶりは、瀬戸が「痛ましい」と感じるほど大きかった。
つづく800mリレーの前、瀬戸は思いつめたような表情をした萩野を見たという。
「チームのキャプテンだし、自分が盛り上げていかないといけないのに結果が出ていない。責任を感じ、このレースは自分が、という思いがすごく強かったと思う」
萩野は、第1泳者として出場した。
瀬戸は声を大にして応援したが萩野は伸びない。そのまま失速し、6位でバトンタッチ。最終的に日本は5位に終わり、メダル獲得はならなかった。
レース後、萩野を中心としたチームに重苦しい空気が漂う。メダルを逸した敗戦の責任を負い、悔しそうに顔を歪める萩野を見て、瀬戸は彼に近寄り、こう言った。
「公介、どうした。こういう時こそ笑えよ。元気出せよ」
その瞬間、萩野は立ち止まってうつむき、ボロボロと涙をこぼした。そのまま崩れるように四つん這いになり、号泣したのだ。
「ビックリしました。公介があんなふうに人前で泣いたのは初めてだったんで……。涙を見て、自分も泣きそうになりました。それだけつらかったんだと思います。康介(北島)さんが引退して金メダリストの公介は大きな期待を背負い、自分が前の世界選手権で感じたメダルを獲らないといけない重圧の中で戦っていた。でも、思うような結果が出ない。今まで溜めていたものが一気に出たんだと思います」
瀬戸と萩野の間には、これまでお互いに涙を見せることはもちろん、喧嘩や言い争うことさえ一度もなかった。近すぎず遠すぎず、お互いが程よい距離を保ってきた。それがお互いに気持ちよかった。だが、萩野が自分の弱さを素直に吐露した姿を見せた時、周囲や自分との関係に変化があったという。
「あの涙は、公介にとってすごく良かったんじゃないかなと思います。それまで人に弱みを見せず、自分の中にすべてを溜めて戦ってきたけど、あの涙でもういいや、弱みもすべてさらけ出していいやってフッ切れたと思うんです。同時に公介の感情をみんなが受け入れて、よりみんなとの信頼関係が深まった。自分もうれしかったですね。ライバルの自分の前で弱い姿を見せるのは自分のことを信頼してくれているからだと思うんです。信頼してくれているからこそ安心感が出てくるんだとそのとき思ったし、そういう公介がますます好きになりました」
その後、ふたりで特に話をすることはなかった。瀬戸は萩野の気持ちを理解したし、萩野も瀬戸に涙ですべてを伝えたからだ。
ふたりの強い絆
9月、萩野はアメリカに旅立った。アメリカに行く前、萩野は「ちょっとチェイスに会ってくるわ」と瀬戸に伝えていったという。チェイス・カリシュとは瀬戸が3位に終わった今年の世界水泳選手権400m個人メドレーで金メダルを獲得したアメリカの強豪選手だ。萩野はそこでチェイスを世界トップに導いたトレーニングを学びつつ、スイマーとして尊敬し、かつマネジメント会社の社長でもある北島康介とともに新シーズンに向けて強さを磨いた。
瀬戸は世界水泳選手権、400m個人メドレーで銅メダルを獲得した後、ユニバーシアード、愛媛国体と転戦し、オフに入った。10月1日に結婚式を挙げ、新婚旅行に行き、その後、旅行地から直接、オーストラリアの合宿に入った。さらに海外での高地合宿を経て、2018年4月のパンパシフィック選手権に向けて萩野と戦う準備をしていく。
「アメリカに行った公介には康介(北島)さんが付いているんで、平泳ぎメッチャ強くなると思うんです。でも、公介は今年、苦しんだので来年はひじのことを気にせず戦える、強い公介になって戻ってきてほしい。自分もパワーアップして、もっと強くなる。そうして東京五輪を目指して毎回、ふたりで表彰台を独占していく。そんな存在になっていきたいですね」
萩野の涙から、ふたりの関係はより強い絆で結ばれ、深まった。
このライバル関係は、果たしていつまでつづくのだろうか。ふたりが目標としている東京五輪での400m個人メドレーで終わりを迎えるのだろうか。
「いや、どうかなぁ……たぶん、引退するまで一緒に戦いますよ」
やっぱりライバルというよりも戦友という言葉がよく似合う。
瀬戸大也(せと・だいや)
1994年5月24日、埼玉県生まれ。小学時代、全国大会で萩野公介と出会い、中2の時に400m個人メドレーで萩野に初めて勝つ。それ以来、2人で日本の水泳界を引っ張っている。世界水泳選手権では2013年、2015年と400m個人メドレーで連覇、3連覇がかかった今年は銅メダルに終わった。2016年のリオ五輪では400m個人メドレーで銅メダルを獲得。レースで実戦経験を磨き“3勤1休”で練習に集中するスタイルに変更。東京五輪では「爆発力」を生かして金メダルを獲ることを最大の目標としている。
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