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その笑顔はなによりも輝いている。――ラブライブ!サンシャイン!! 2期4話 感想

2017-10-29 20:25:00 | ラブライブ!サンシャ...
#4 ダイヤさんと呼ばないで


「イメージ」という鎖はしばしばその人を規定する尺度として用いられます。よくもわるくもその尺度が人と人の距離感として表面化してくることも多いでしょう。


黒澤ダイヤという少女はどんな人でしょうか。頼れる生徒会長、ルビィの優しいお姉ちゃん、Aqoursのメンバーの前では完璧主義ゆえにやる気が空回ってしまうといった一面を見せたこともあったでしょうか。



きっとダイヤはずっと誰かが規定した「黒澤ダイヤ」でいることを期待され、彼女もまたそれに応えるだけの能力を持っていました。そんなダイヤを見る"周囲"の目は、果南曰く「雲の上の存在」。


この表現とてもおもしろいですね。というのも、雨を降らせるのが雲ですから、雨が降るのは常に雲の下です。だから、一番高い位置にある「雲の上の存在」が地上に雨を降らすようなことありません。上に雲がない場所、そこには決して雨は降らないのです。でも、冒頭部室におけるシーンでは悩めるダイヤのこころをズバリ表しているかのように確かに雨が降り注ぐ。


つまり言いたいことは、ダイヤもまたきちんと地に足の着いた普通の女の子ということですよね。「雲の上の存在」ではないから、人並みに悩むし、嬉しければ涙を流す。




真ん中にポッカリ穴の空いている5円玉、地を転がるその硬貨を見つめるダイヤはいったいなにを想ったのでしょうか。


ダイヤの中に小さく空いていた心のスキマ、それがどのようにうめられていくのか、今回はそんな普通の女の子・黒澤ダイヤの物語です。







転がる想い







説明会と予備予選、そのどちらも最後まで諦めない気持ちで最高のパフォーマンスを披露することが出来たAqoursの9人。自分たちの「道」を一生懸命に「9人」で駆け抜けていくことが「キセキ」たりえるのだと改めて痛感した千歌だからでしょうか。予備予選の突破を疑う様子は全くありません。


1期12話における前回の予備予選突破の結果発表に右往左往していた頃を思うととても感慨深いですね。リーダーである千歌の自信がみんなに広がっていったからかもしれません、緊張こそしているものの他のメンバー達も前回ほど慌てている様子は見られませんでした。





そして、結果は見事にトップ通過...!嬉しさでいっぱいの花丸は果南に抱きつき、善子と鞠莉も思わずハイタッチからポーズを決めるという何とも微笑ましい光景が続きます。









が、その日常的な一幕に困惑を隠せないのがこの人・黒澤ダイヤです。その後、千歌にハイタッチを求められ、手こそ合わせますが、どこか遠慮がち。



世の中には、人の輪の中に自然と入っていける人もいれば、もちろんそうでない人もいます。直接的な対面でのやり取りこそ片手の指で数えられる程度にしかないであろう「SaintSnow」の鹿角聖良とさえ、仲良く交流できる千歌のような人もいれば、同じAqoursのメンバーとも少し距離を感じてしまうダイヤのような人もいる。



もちろん状況こそ違いますが、μ'sにもかつて似た気持ちを抱えていた人がいました。そう、矢澤にこですね。にこもダイヤも根本は同じ。要は仲良く会話を弾ませているみんなが羨ましいんですよね。本当はその輪の中に飛び込んでいきたいけど、プライドがどうしても邪魔をしてしまう。



イメージに反する自分を見せるのが恥ずかしいから、「ダイヤちゃんと呼んでほしい」と打ち明けることが出来ない。イメージという鎖に縛られるダイヤの姿はどこまでも人間らしいなぁと思います。










でも、どうしても一歩を踏み出したいと思った。だから彼女は果南と鞠莉にそれとなく、2人が1年生や2年生と最近仲良くしてるという話を持ち出します。ここで相談という形ではなく、あくまでもたいしたことではないと強調するところがとても彼女らしいですね。


結果的に、生徒会長としての規律や上級生であることの自覚などと素直になれないことを言ってしまいますが、ダイヤ自身が意図して発したものではなくとも、それが彼女なりのSOSであるのだと、しっかりとダイヤのことを理解出来ている果南と鞠莉の姿は、改めて3年生組が今まで一緒に積み重ねてきた時間の長さと絆の深さを感じさせるには十分な印象を含んでいました。



Aqoursのメンバーは9人が揃った花火大会の日から色々なことを一緒に経験して、密度の濃い時間を一緒に過ごしてきました。そこには確かな絆もある。しかし、みんなが果南や鞠莉のようにダイヤと長い年月をともに過ごしてきたわけではありません。もちろん、さん付けで呼んでいない妹のルビィは例外としても、千歌たちに果南や鞠莉のような理解を求めるのは、やや酷というものでしょう。



ゆえに、アルバイトを探す2年生組の談笑の場でも、フリーマーケットにおける一連のやり取りでも、なんとか打ち解けようと試みますがなかなか上手くいきません。あれこれ手を尽くしても、彼女のやる気が空回りするその姿は、どこかコロコロと転げ回る5円玉硬貨のようでもありました。











そして、うなだれているダイヤを見て、様子がおかしいことに千歌は気付きます。Aパートの部室のシーンでも千歌はダイヤを気にかけている描写がありますが、こういうところとても千歌らしいですよね。果南も褒めているとおり、これがリーダーとしての高海千歌の魅力。


しかし、今回に限って言えば、ダイヤの相談相手として適役なのはやはり3年生の2人なのでしょう。そもそも下級生とも仲良くしたいという想いに対して、素直になれないのが今のダイヤの抱えている悩みですから、下級生の千歌が先陣をきって、直接ダイヤ本人に切りこんでいくというのはやや状況が複雑になりかねない。



だから、ダイヤが2人を呼びだしたように、今度は果南と鞠莉がダイヤに直接切り出すのでした。










自分を良く知る2人をごまかすことが出来ないと観念した彼女は、自分の願いを打ち明け、2人のアドバイスのもと、再びアプローチを開始します。


伊豆・三津シーパラダイスでのアルバイトを通じて、1年生・2年生との自然な交流を図ろうとするダイヤですが、これがまた難航。



調理場で千歌や花丸へ砕けた会話を振れば不思議がられ、アシカを手懐ける様子はまさにしっかりした「ダイヤさん」そのもの。「自分から行かなきゃ始まらないよ」と果南に言われ、曜ちゃんや善子ちゃんと呼んでみるけど、更なる混乱を招くばかりで、上手くいきません。


ついには、状況を見兼ねた果南と鞠莉が千歌たちにダイヤの想いを打ち明けていました。自然に振る舞おうと思えば思うほど、ダイヤのやることは裏目に出てしまう。なぜ、彼女のアプローチはことごとく空回りしてしまうのでしょうか。







ダイヤモンドの輝き





そんな折、水族館内を園児たちが走り回るハプニングが起こりますが、事態の収集をつけたのはダイヤでした。


「ちゃんとしてよ...」と涙ぐむ1人のおんなのこに過去の自分を重ねたダイヤは、自然とこの事態を解決すべく動きます。泣く必要はないのだと。そのおんなのこに自分のありのままの姿を見せ、「ちゃんとして」と周囲に働きかけるそのありかたは、決して間違っていないのだと、そう自戒を込めて語り掛けるようにその少女に「道」を示す。


あの少女が将来、黒澤ダイヤのような人になっていくのかはわかりません。彼女がこれからどんな「道」を歩いていくのか、それこそ、それは未来の彼女が知っていればいいこと。ただ、あのとき少女が浮かべていた笑顔と、ダイヤが浮かべていた笑顔はきっと同じものだった。











そして、そのダイヤの笑顔こそが、水族館内において彼女のアプローチがことごとく上手くいかなかったことに対する解答の全てです。


すなわち、「ダイヤさん」らしくなかったから。唐突に意味もなく天気の話をし始めることも、「ちゃん」付けで誰かを呼ぶことも、いつもの彼女らしくない行動でした。ゆえに、千歌たちは違和感を覚える。アシカに怯える梨子やルビィがとても彼女たちらしいように、アシカをきちんと手懐ける姿こそがダイヤらしい。


きっと彼女は自分の堅いというイメージを壊したかったんですよね。たとえ学年を飛び越えても、自然と分け隔てなく接し合えるような関係性を築くことが出来る果南や鞠莉に憧れていた。それは、今回に限った話ではないのでしょう。ずっと、ずっと、子供の頃から鞠莉や果南のそういう姿が羨ましかったのかもしれません。


でも、「ちゃんとしている」のもダイヤの個性。個性とは、すなわち『ラブライブ!』の文脈における、その人の魅力です。「ちゃんとしている」人だって、自分たちと同じようにちゃんと悩むし、自分たちと同じように壁にぶつかるし、自分たちと同じ目線で笑い合える。ゆえに、園児たちをまとめるダイヤの姿を見る千歌は微笑み、転がる5円玉を見た鞠莉も「キレイな5円です!」とそれを肯定する。



みんなとの距離を近づけるために、自分のイメージを壊す必要はないのです。そもそも、ダイヤが感じていた距離は自分自身が作り出していたもの。だって、「ちゃんとしている」ダイヤも、硬貨が転がるように空回りしてしまうダイヤも、もうみんな受け入れている。イメージに縛られて歩みだせなかったのはダイヤ自身。だから、ダイヤがただ黒澤ダイヤのままみんなに近付けばいい。








"結局、わたくしはわたくしでしかないのですね"



それに気づいた彼女にはもう、自分で自分を縛る鎖はありません。そう、イメージを壊さなくたって、その鎖を解き放つことは出来る。



そして、千歌たちも「ダイヤさん」という敬称をどこまでも肯定します。でも、それは敬称「それ自体」に意味を見出しているからではないんですよね。


「ダイヤちゃん」と呼ぶから、距離が近付くわけではないのです。「ダイヤさん」を「ダイヤさん」のまま受け入れてくれた、その千歌たちが彼女に贈る「ダイヤちゃん」だからこそ、本当の意味で彼女のこころに届く。



なによりも堅いダイヤモンド。でも、彼女があの日、みんなの前で浮かべた笑顔はどこまでも柔らかく、まばゆい輝きを放っていたのです。

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