血のにおいの正体は?
血のにおいというとあの鉄のような変なにおいを思い浮かべる。あれは味だったかもしれない。これはいったい何なのだろうか?
血液は鉄イオンを含んでいるので、そのにおいかと思ってしまうが、実際には鉄が直接臭っているわけではない。血中のヘモグロビンが、皮脂などの脂肪酸と反応し、分解してできる成分の臭気であることがわかっている。
その名は「トランス-4,5-エポキシ-(E)-2-デセナール」略して「E2D」が主成分。この成分が肉食動物を惹きつけることも知られている。
調査を行ったのはスウェーデンのリンコーピン大学のM・ラスカ教授らの研究グループ。実験では、スウェーデンの動物園で飼育されていたアジアやアフリカの野生の犬や、南アメリカのヤブイヌ、シベリアンタイガーなどの肉食動物を対象に行われた。
動物たちに「Trans-4,5-Epoxy-(E)-2-Decenal」を染み込ませた木片を与えたところいずれも、匂いを嗅ぐ、舐める、噛む、引っ掻く、じゃれる、等の強い反応を示したのだ。これは、馬の血液を染み込ませたものを与えた時と全く同じ反応だったという。
一番強い反応を見せたのはシベリアンタイガーだったそうで、逆に最も早く興味を失ったのはヤブイヌであった。そしてどの動物も果物の香りの成分を染み込ませた木片や、無臭の化合物を含ませた木片には興味を示さなかった。
ラスカ教授は、「肉食性の動物は嗅覚を通じ、傷を負った獲物を察知する能力が備わっているのはよく知られていますが、具体的にどういった化学物質が関与しているのかはこれまで明らかになっていませんでした。しかし科学的な分析技術が進んだ結果、最終的に30種類の物質の候補が残ったのです」と話している。
この30種類の候補から「Trans-4,5-Epoxy-(E)-2-Decenal」を選び出すのに必要としたのは、なんと人間の鼻。意外にも人間の嗅覚は発達していて、何と1兆分の1の「E2D」濃度でも感知できるという。そして遂に、血と関連した特徴的な金属的な匂いのするこの物質「E2D」を探り当てた。「Trans-4,5-Epoxy-(E)-2-Decenal」は馬だけでなく、他の哺乳類の血液にも含まれているという。
オオカミを引き付け人を遠ざける血液中の成分「E2D」
哺乳動物の血液から発生する成分「E2D」のかすかなにおいが、一部の動物を捕獲にかきたてる一方で、人を含むその他の動物を怖がらせ退かせることが分かったとする研究論文が、このほど発表された。
英オンライン科学誌「サイエンティフィック・リポーツ(Scientific Reports)」に掲載された論文によると、サシバエから人に至る生物種が示すこの血中成分への真逆の反応はこれまで知られていなかったとされ、その起源が進化の根源にあることを示唆するものだという。
E2Dは血液に金属臭を付与するとされている。
スウェーデン・カロリンスカ研究所(Karolinska Institute)の主執筆者ヨハン・ランドストロム(Johan Lundstrom)氏は、AFPの取材に「血のにおいには、稀な普遍性の特徴がある」と語る。
研究者らはブタの血からE2Dを単離して、それをオオカミに嗅がせた。するとオオカミは、この合成成分を塗った木片を、それがあたかも捕らえたばかりの獲物であるかのように舐め、噛み、守るといった行動を見せた。家畜の血を吸うサシバエも同様にE2Dに引き寄せられた。この反応は、動物の血に対して示すものと同じだった。
では、被捕食生物はE2Dに対してどのような反応を示すのだろうか。研究チームは、被捕食生物が進化の過程でE2Dに敏感になり、リスクの大きい場所を避けるための一助となったとの仮説を立てた。
ネズミを使った実験では、予想した通りの結果が得られた。ネズミはE2Dが発するにおいを嫌い、血に対するものと同様の反応を示したのだ。
しかし、人の反応は予想できなかった。人は血を欲するのか、それとも恐れるのか──。
研究者らは3つの方法でこれを調べた。最初のテストでは、立った状態にある人が、においを嗅いだ後にどのような反応を示すかを観察した。無意識の内に前に傾くのは魅力を感じていることの表れで、逆にわずかに後ろに傾くのは危険を感じていることを示すとされた。
被験者40人は3種類のにおいを嗅いだ。どれもにおいの「良さに」違いはなく、またE2Dが放出されるタイミングや、研究内容や血液との関係についても事前に知らされてはいなかった。
わずか1兆分の1以下の濃度でも検知
実験で被験者らは、「E2D」を検知して体を後方に傾けた。それもごく少量に対しての反応だった。
実験の結果を受けて、スウェーデン・リンショーピング大学(Linkoping University)の動物学者マティアス・ラスカ(Matthias Laska)氏は、「人はE2Dを1兆分の1以下の濃度でも検知できる」「これは珍しいことで、これまでに試された付臭剤の大半は、100万分の1や10億分の1が検知閾値だった」と説明した。
実験ではまた、「微小発汗」の計測の他、視覚テストの反応時間も計測した。ここでは迅速で正確な解答が脅威の感知を表した。
3つの実験のすべてで、E2Dにさらされた被験者はストレスと恐れの兆候を示した。
研究者らは、人の反応が捕食動物ではなく、被捕食動物と同様のものだったことについてはさほど驚きはないと語る。論文では「日和見的に捕食者として存在してきたと考えられている人類だが、古生物学のデータを見ると、初期の霊長類は身体が小さく昆虫などを捕食していた」としながら、マンモスなどの大型動物を狩るようになったのはヒトの歴史の上ではつい最近のことだと指摘された。
E2Dは、血液中の脂質が酸素にさらされて崩壊する際の副産物として発生する。
人間の嗅覚、本当はイヌ並み? 俗説覆す研究報告
人間の嗅覚はネズミやイヌ並みに鋭いとする研究結果を、米国の研究者が2017年5月11日に発表している。100年ほど前から述べられてきた正反対の「俗説」を覆す内容だ。
米科学誌サイエンス(Science)に掲載された論文によると、米ラトガース大学(Rutgers University)の神経科学者ジョン・マクガン(John McGann)氏は、人間の嗅覚が劣っているという、同氏が言うところの「誤解」を導いた過去の研究や歴史的文献を見直した。
人間は約1万種類のにおいを嗅ぎ分けられると長年考えられてきた。だが、その数は実際には1兆種類近いとマクガン氏は言う。
同氏の論文によると、人間の嗅覚は貧弱だとする「俗説」の出どころは、19世紀フランスの脳外科医で人類学者のポール・ブローカ(Paul Broca)だという。ブローカは1879年の論文の中で、人間の脳の中で嗅覚野の容積が他の部位に比べて小さいことに言及していた。このことは人間が自由意志を持ち、イヌや他の哺乳類のように生き残るために嗅覚に依存する必要がないことを意味すると、ブローカは主張した。
ブローカの説は、精神分析学を確立したオーストリアの神経科医ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)にも影響を与えた。フロイトは、嗅覚が欠落すると精神疾患にかかりやすくなると考えていた。
マクガン氏は「嗅覚に支配されていては理性的な人間にはなれないというのが、長年の文化的信念になっている。嗅覚は世俗的で動物的な傾向と関連付けられていた」と指摘する。
マクガン氏によると、嗅覚情報を処理する脳組織の嗅球(きゅうきゅう)が脳全体の容積に占める比率をみると、人間のわずか0.01%に対し、ネズミでは2%に及ぶ。
だが、人間の嗅球は実サイズがかなり大きく、成人で約60ミリに達することもあり、他の哺乳類の嗅球と比べてほぼ同数の神経細胞を持っている。
嗅覚に関する人間とイヌとネズミの間の違いは、特定のにおいに対する感受性の差に帰する可能性がある。「人間にはにおいの痕跡をたどる能力があり、人間の行動状態と感情状態はともに嗅覚に影響される」とマクガン氏は記している。
ただし、上等のワインの香りを嗅ぐことに関しては人間の方が上手かもしれないが、その辺りの消火栓に付いたさまざまな種類の尿の臭いを分析することにかけては、やはりイヌに軍配が上がりそうだ。(AFP)
参考 AFPBB news: http://www.afpbb.com/articles/-/3147858
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