「TOKYO」。
(大歓声)東京オリンピック・パラリンピックまであと1,000日を切った。
大会の成功を目指し準備が着々と進む。
だがそもそも「成功」とは何か?何を目指すのか?半世紀前1964年の東京オリンピックには敗戦国日本が自信を取り戻し世界の表舞台へと復帰する大きな意義があった。
高度経済成長真っただ中。
突き進む国の力を信じ今日より豊かな明日を信じる日本人の夢の象徴だった。
一方現代。
オリンピック開催に今どんな夢を託せばいいのだろう。
大きく膨らんだ予算見直される会場整備などさまざまな課題も浮かび上がっている。
世界が注目する巨大イベント…。
開催国ニッポンはジレンマを越えて2020年を意義あるものにできるか?新国立競技場の建設地から程近い渋谷に1975年以降生まれの新世代が集まった!「そんな旧世代のオリンピックを皆さん想像されてるんですか?」って世界中から言われるんじゃないか。
こういうのを使ってもらうとすごい楽しみながら車いすで遊べると。
東京全体を今リノベーションする時期で64年のオリンピックの時が1回目の投資だったとすると今そろそろ改修しないといけないよねっていう。
2020年世界から東京へとやって来る人々にどんな「おもてなし」を?新世代だからこその新たな意義をどこに発見するのか?オリンピックイヤーのその先へニッポンがつくるレガシーとは?さあ始まりました10月の「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」。
今月のテーマは「オリンピック・パラリンピックのジレンマ」という事で今日渋谷にあるコワーキングスペースという場所に来ております。
雑多な感じでね。
何となく図工室みたいな。
そう。
工場みたいな感じのね。
ちょっとねおしゃれな無機質な感じがありますけどね。
いかんせん古市さんのテンションが低いっていう。
だってオリンピックでしょう?1ミリも興味ないんで。
1ミリもですか?うん。
だってオリンピックですよ?いやリオデジャネイロに取材に行った身としては…。
そうかリオまで行ったんですね。
行きましたよ丸1か月。
あんな遠い所までそんなスポーツを見に。
そんなスポーツを見に!?出る側と見る側って結構重なってない事多い…。
やる側と見る側って重なってない事多いんで。
どっちが楽しいですか?僕はやるのが楽しいからね。
シドニーアテネ北京と3度のオリンピックに出場した元トップアスリート。
400mハードルの日本記録は今も破られていない。
引退後はスポーツ教育ビジネスと多岐にわたる活動を展開。
オリンピックの現場を知り尽くした「走る哲学者」が描く2020年とは…。
気が付いたらあと1,000日なんですよね。
今までは5年先10年先の事を考える…。
研究者なのでそういう仕事だったんだけど気が付いたら3年先になってしまっていてこれはどうしよう?意外とそうですよね。
慶應義塾大学大学院准教授。
身体能力の限界を技術で超えてゆく人間拡張工学の最前線を走る。
次世代のスポーツをデザインする超人スポーツ協会の理事としても活躍。
肉体とテクノロジーの革命家は2020年に何をたくらむのか。
建築とオリンピックすごい結び付いてるじゃないですか。
結び付いてますね。
建築いっぱい出来ますし。
大規模なものが出来るじゃないですか。
ハコモノとかたたかれがちではあるので建築家としてはそういうオリンピックを別の面から応援するような役割があるかなとは思ってるんですけれども。
建築設計にとどまらず町づくりを通して社会問題に向き合う建築家。
オリンピック・パラリンピックを新時代の都市開発に挑戦する貴重な社会実験の場と捉える。
東京が生まれ変わるビッグチャンス。
どんな未来像が可能なのか。
今日お越しの皆さんはどうでしょう?オリンピックすごい楽しみもしくはそこそこ楽しみ。
意外といるんだ。
そうですね。
顔つきと違うんですね。
五輪の顔つきってあるの?すごいスポーツマンみたいな感じのね。
(為末)なるほどね。
一方で決まってはいるけどちょっとめんどくさい。
微妙だなっていう方?ああ正直…正直。
ちょっとあとで来てもらっていいですか?
(笑い声)2020年東京オリンピックへの関心度を調査するとどの世代でもおおむね80%が「関心がある」と回答。
しかし若い世代ほど関心度が低い傾向にあった。
2020年東京五輪に「関心がある」と答えた人は7割ぐらいいるっていう。
確かに会場のテンションと大体一緒かなという感じでしたよね。
(為末)結構若い世代の方が「関心がない」多いんですね。
そう。
でも若い世代でも7割とかですよ。
75%とか30代も。
意外とみんな関心あるんですね。
どうでしょうこんなところが楽しみっていう方っていらっしゃいますか?さっきの「すごく楽しみ」派。
何でも大丈夫ですよ。
スポーツ観戦って意味では楽しみという気持ちはあるんですが僕もちょっと建築の設計の仕事をしているので要はここまでの期間で競技場ですとかエンブレムですかデザインの周りにいろんな付随する問題が起きてきたってなってそれを通じて簡単にデザインがひっくり返されてしまう事とかどうやっていろんな人から合意を得ていくのかとかオリンピック後も仕事をしていく対象である世の中っていうものが結構難しい世界なんじゃないかなって事に気付き始めてしまってそういう意味でその先を考えてちょっと今不安になっているというのが正直なところです。
盗作疑惑が持ち上がった公式エンブレム。
そして見直された新国立競技場のデザイン。
オリンピックに関連して巻き起こった騒動は今の日本が抱える問題の縮図なのか?確かにオリンピックがっていうよりもいろんな騒動をきっかけに「日本社会ってまだこうだったの?」とかこんなふうな感じなんだって再認識させられましたよね。
エンブレムだからこれからは小学生が描きましたみたいなものしか結局選ばれないような社会になっていくのかな。
エッジがきいたものはやっぱりみんなから反対されて競技場にしてもエンブレムにしても結局とがったものじゃなくてどんどんマイルドにマイルドになっていく方向じゃないですか。
そうなっていくのかなとかは結構ね。
田舎の国道みたいな国になっちゃうかもね全部。
大体どこも一緒じゃないですか風景が国道は。
(藤村)エンブレムは一応野老さんだし国立競技場も隈さん。
一応2回やり直してデザイナー選ばれた事は選ばれましたよね。
だから小学生のとかいろいろアイデアありましたけれども実際は選び方を間違えなければちゃんと受け入れられるって事にはなったと思うんですけどね。
なんかどうなんですか?よく思うのがこの天才に全部任せるっていうふうにした方がいいのかみんなで話して決めようっていう方が…。
でも後者だと結局みんなが分かるレベルの才能しか採用できないんじゃないかみたいなとこあるじゃないですか。
みんなと一緒に考えればいいと思うんですよね。
だから対話しながらね。
みんなってどこまでですか?
(藤村)世論ですよ世論。
大変ですよこういう人が入ってきたら。
だって結局合意形成ってすごい難しいじゃないですか。
何事につけても。
(藤村)難しいですね。
特にエンブレムとか競技場とかって選挙と違ってまだ選び方の合意の基準がないっていうか選挙だったら何となくっていうか法律上確固たる基準があるわけじゃないですか。
こうやって選挙に出て何票とってとか。
でもエンブレムとかってなにせ初めての事だからその基準とかないわけでそこでの合意形成ってどうしていけばいいんですかね?でもこの前の競技場の選び方でもそうですけれども選ばれてから全部決まってからこれが決まりましたっていうと反発されてしまいますけれども決める前に「こういうのとこういう案とこういう案があります。
どっちがいいですか?」っていうのが明らかになってから1週間後に発表されたじゃないですか。
そうするとやっぱり全然納得度が違う。
ソーシャルネットワークの時代になってから多分初めての大きな合意形成なんですね。
この前だといわゆる新聞とかテレビでしか見られなかったところからもうSNSの時代になってそこで大きな合意形成するって多分今回初めて…。
だから今評判リスクと我々闘いながら建築家も設計しなきゃいけないみたいなそうなってきてると思うんですけど。
建築家としてはやりにくい社会になってるんですか?以前の感覚からすればやりにくいですけれどもこれが当然の世代からすればこんなもんかなっていう。
新しい戦略が何となく形成されてきているっていうような気がする。
なんでしたっけ?ガウディでしたっけ?すごい時間かかるやつ。
サグラダ・ファミリア。
ああいうのは今は絶対無理って感じですか?いやああいうやり方の方がいいんじゃないですか。
じっくり造っていく方がだんだんみんな納得していくみたいな。
急に造ろうとすると競技場みたいに「反対!」みたいになっちゃうと思うんですよ。
「次の次のオリンピックまで見据えて競技場造ります」みたいな。
東京が100年ものですとかっていう。
今オリンピックの準備期間7年ですかね。
すごい短いですよね。
だからやっぱりたった7年であれだけの投資をしちゃうとみんながついてこれないと思うんですけどほんとはもうちょっと長い方がいいですよね。
でも7割が「関心ある」。
8割か。
8割が「関心ある」って事なんですけどでもとはいえやっぱりちょっとついていけてない人も多いと思うんですね。
結局いろんな事が上で全部決まっちゃうわけじゃないですか。
一応国民に開かれてるとはいう建て前ではあるけれどもやっぱり結局偉い人が全部決めちゃうでしょっていう。
上の方だけが結局潤って地方とか関係ないでしょみたいな雰囲気持ってるのもやっぱりあると思うんですね。
そういうのについていけてないんですけどそんなみんなのってるんですか?今オリンピックに。
確かにね。
選手は案外のってないからね。
選手が?
(為末)のってないっていうか「地元で大きな大会来るんで頑張ります」みたいな「ヒーローになれるんですよね」みたいなのはあるけど大会が成功する事に興味がある選手ってほとんど聞いたらいない感じですけどね。
自分が記録出すとかそういうのはあるかもしれないけど。
だからスポーツ界って結構真っ二つで運営する人とプレ−ヤーみたいな。
すごい言葉悪く言うと競馬場を経営する人と走る馬みたいな関係なんですよ。
選手こっち側に回る事ないんで。
こっちは貴族の世界じゃないですかIOCの。
日本のスポーツも「この人スポーツの人でしたっけ?」みたいな人が大体出てくる…。
ロンドンの時はセバスチャン・コーっていって陸上選手でしたけどね。
その温度感は結構スポーツ界自体にもあるかもしれないですけどね。
オリンピックって誰のものなんですか?よく大義名分では出場するスポーツ選手のものとかって結構言う人が多いですけど。
「アスリートファースト」とかね。
でもそうじゃない。
スポンサーのものじゃない?夢が夢が…。
だってロス以降あれだけでかくなっちゃうともうスポンサーのお金ないと成り立たないじゃんこれ。
その後のオリンピックのあり方に多大な影響を与えたと言われる…スポンサー企業からの協賛金や放映権料を主体として運営された。
(動画音声)「カール・ルイス強い!カール・ルイス優勝です!」。
これをきっかけにスポーツの祭典は企業にとって最高のプロモーションの場ともなったのだ。
今オリンピック開催は何のため?オリンピックの歴史振り返っても商業オリンピックって形でやっぱりこれだけね世界中に放送権売ってとかいろいろお金もうけてっていうイベントになっちゃいましたからね。
スポンサーとしては一番いいのはアスリートファーストって言う事ですよねみたいな感じなんじゃないかっていう気はしますけど。
それでもいいんです僕らは。
走れたらいいんだけど。
でもそんなに言うほど全体としてはすばらしいイベントなんだけどそんなにきれいなイベントじゃないよねっていうのは前提として持って。
だけどやるやらないっていうとやった方がいいんじゃないかと僕は思うんですけども。
でもみんな大人だなと思って。
だって明らかに2個の基準があるわけじゃないですか。
世界最大のめっちゃ金もうかる商業イベントっていう事とスポーツ選手のためにっていうねすごいピュアなスポーツ大会ですって事。
2個の事が同時にみんな分かってるはずなのになんでこれを受け入れられるんだろう。
でもやっぱりそれは公共投資するわけだし社会のものでもあると思うんですよね。
これまでできなかった事をやれるようにするっていうポイントがあってロンドンでも例えば東西の格差をオリンピックを使って解消するとかっていうやっぱり目標があってそれに向かって公共投資するっていう事があるのでもうかるだけじゃないと思いますね。
まさにそうでアジェンダがあると急にいいと思うんですけど「アジェンダがなんですか?」っていうのが多分大きな問いじゃないかと思って。
今回のオリンピックですか?
(為末)今回のオリンピックの。
初めて出たオーストラリアの時は確かワンオーストラリアかなんかでオーストラリアっていろんな移民の国の中でオーストラリアを1つにしましょうと。
開会式なんかもそうでしたよね。
ああいうのがあると確かに言われる価値が出てくる。
だけど東京って解決しなきゃいけない問題ってなんでしたっけみたいなのがはっきりしないとさっき言ったような商業化が一本になっちゃうんじゃないか…。
でも最初のオリンピック誘致の時半径8キロっていうあの絵はすごくここに公共投資しなきゃいけないんだってよく分かりましたけどね。
だからあの湾岸にもう一回再投資してここを強化すると東京の都市機能が高まるんだっていうそういう絵だったと思いますけどね。
オリンピック招致活動で当初掲げられていたのは開発途上のお台場など東京のベイエリアに会場を集約するプラン。
コンパクトな開催と同時に資本を集中投下し再開発へとつなげるねらいがあった。
2020年のオリンピックは東京の街をどう変えるのか?64年のオリンピックの時が1回目の投資だったとすると今そろそろ改修しないといけないよねっていうそういうタイミングではあると思います。
実際2020年に街がどこまで変わるのかっていう姿があんまり見えてこないところがちょっと気になっていてあと3年で何か大きく変わるような形になるんですかね?やっぱり建築って最初に建てる時よく分かるんですよ。
まっさらな所にボンと建つんで。
改修って見えにくいんですよね。
やっぱりそういうもんだと思うんですけどね。
今もうすごい複雑な街が出来てて一個一個はすごく大事なプロジェクトだけどただトータルとしてすごく見えにくいものだから例えばオリンピックとかそういう事を一つのきっかけにしていろんなプロジェクトを起こしていくっていうのが今いろんなグローバルシティーがやろうとしてる事でパリもそうだしロンドンもそうだしニューヨークもそうなんですけどそれはオリンピックの今一つの使い方だと思うんですけど。
建築家として東京っていう街って面白いですか?面白いと思いますけどね。
いろんな事が起こってるし何ていうんでしょうね…。
リードしてる街っていうよりはやっぱり何ていうんですかフォローしてる街っていう感じはありますけど。
だからロンドンがこうだニューヨークがどうだっていうのに対してニューヨークにこういう超高層があってそれを日本でどうやって造るかってやってやってるうちにどんどんうまくなってって。
だから地下鉄が入って商業施設があってオフィスがなって1,600%の容積率なんていうのは世界中探してもどこにもないんですよね。
ものすごい難しい超高層ビルを建てられるようになった国なんですよ。
難しいんですね。
めちゃめちゃ難しいんですよ。
しかも周りに全然余裕もないような所に渋谷ヒカリエとかああいう丸の内ビルディングとか。
難しいんだあれは。
めちゃめちゃ難しいです。
あんな事ができるのは日本だけっていえばだけだからそういう国ではあると思うんです。
それって建築家がこんなアイデアでやりたいんだけど日本の建ててくれる人がいないと造れないみたいな事もありえるって事ですか?他の国でこのアイデアを示そうと思うと技術的に難しいなみたいな。
どっちもあると思うんですけど。
全部曲面で出来てますよね。
車の方って全部ああいう3次曲面に何年か前10年以上前になって今普通になりましたけど建築の方にああいう技術が入るかどうかってところだったんですね。
日本の建設会社があれをやったら多分いろんな技術がまたできるようになってまた国際的にも競争力がついたと思うんですけどあれがたまたまできなかったからその機会が先になっちゃった。
テクノロジーを発展させる機会がなくなっちゃったみたいな。
チャレンジする機会だったと。
チャレンジが…っていう機会が建築にもありましたね。
ビルとかは準備期間の7年間で建てると思うんですけど道路ってもっとすごい長い時間かけて計画するものじゃないですか。
最近っていうか数年前に出来たマッカーサー道路あれマッカーサー道路っていうぐらいすごい昔からプランがあったわけですよね。
道路って結局20〜30年のプランで造ってるものだからそんなオリンピックぐらいで街って変わらないんじゃないですか?だからずっとあった計画をいつ動かすかっていう時にオリンピックがあるから動かそうかっていうのが例えば今でいうと環状2号線とかそういう事になるわけだから。
個々の計画をより広範囲で捉えれば長い目で見た価値に気付く。
大きな視野を持つきっかけが大切だという藤村。
オリンピックは街が持つポテンシャルを再認識させ語り合うチャンスを与えてくれるものなのか。
最初のあのエンブレムの合意形成の話に近いですけどオリンピックが来るんですよっていう合意形成ってよく分かんないんだけど「うん」とみんな言っちゃうみたいな。
考えてみると関係ないんだけど「オリンピックが来るんですよ。
ここ道路造りましょう」っていうと確かにそうかもねって。
そこは別の話ですよね。
国内においては合意形成していく時にかかるコストがすごい膨大なやつを解消するためだけの一点だけでもオリンピック呼んだ意味のメリットありましたっていう内向きの理屈っていうんですかね。
ポジティブにいえばあらゆるきっかけにしやすいって事ですよね。
そうですね。
だからクールビズみたいななんか分かんないですけど日本って上から結構言って社会が変わる事があるじゃないですか。
1個はクールビズだなっていうふうに思っててだから本当はその各企業とか各組織で服装を夏はねもっとシンプルにしましょうとかって言えばいい話なんだけど「クールビズです」って国が言った事によってさまざまな場面での合意形成のコストが下がるっていう。
その最たるものはもしかしたらオリンピックなのかもしれないですがでもクールビズって結構分かりやすいじゃないですか。
その目的がね。
冷房をちょっとやめて軽装にして働きやすくしてかつ環境にもいいみたいなね。
でもオリンピックは為末さんが言ってましたけど「じゃあなんだ?」っていうとあんまりまだ分かんなくて。
オリンピックでどんなふうに日本は変わって東京って街が変わって何目指すんだろうって事が結局分かんないなっていう。
湾岸8キロとか建築レベルの話は分かるんですけどその先に「日本どんな社会になりたいの?」っていうのがあんまり分かんないなっていう。
オリンピックをきっかけに今日お集まり頂いた論客の皆さんはどういう社会にしちゃいたいのか。
ご提案があったら是非伺いたいと思うんですがいかがですか?
(笑い声)先生から指されるの待つみたいな空気やめて下さい。
その流れでいくとやっぱり僕はテクノロジーの人間なんだけど今人間とテクノロジーの関係性ってすごい変わっていてどういう本当に人間の生活スタイルが変わっていくのかっていうのが見せられるといいなと思っていて。
だからほんとにもう…テクノロジーが普通に人間に取り込まれてる姿を見せたい。
為末さんは2020年をきっかけに変えたい事とかこうなったらいいなって事何かあります?2020年もし大きなテーマ掲げるとしたらこれまでのオリンピックって自国のプレゼンなんですよね。
僕がいた時代は少なくともそうで「わが国はこういう国でした」「わが国はこういう国でした」「わが国はこっちに向かいます」っていって世界はどこに行くんですかは誰もプレゼンしてくれないんだみたいな。
オリンピックって世界の祭典ですよねって思う時に「人類はどこから来てどこへ行くんですか」っていうのを東京も日本も消してプレゼンしたらどうなるんだろうっていうのには僕は興味があってそうすると考えた時には世界が最も抱える根本的な課題って何でしょう。
例えば貧困の問題とかいろいろあると思うんですけどでも世界の分断とか非寛容みたいな事ってどうやったら解決するんだろうっていうのをアジェンダに僕掲げていいんじゃないかっていう気はするんですよね。
それってみんなうすうす感じてて「なんでこんなに非寛容なの」って思いつつでもどうやったら寛容になれるんだろうっていうのを思ってる気がするんです。
確かに大きい目線って今オリンピックの議論からすっかり失われてますよね。
(為末)そう。
だから急になんかこう日本の新しい産業とかこれも大事なんだけどでも一歩引いてみて人類の祭典っていう大きな大上段を一応理念に掲げてるとしたら人類にとっての有益な事って何でしょうかって議論がもうちょっとアップデートされても…。
あんまり人類感ないですよね。
(為末)人類感ない。
ほんと「日本が…」とかっていう話はたくさん出るけど。
むしろナショナリズムをあおるみたいな感じ。
分断を実は加速させてるんじゃないのみたいな。
選手としてはどうなんですか?やっぱり国背負って戦うわけじゃないですか。
もちろん我々強化費が入る事が多いんでほとんど。
その場合国が選手を応援しようってなってくれないと強化もできないんで。
ある一方で世界的にちょっと面白いなと思ってる流れは僕は難民とかの出身ですっていう選手がそれを事前にオープンにして試合に出ると。
そうすると世界中の同じ境遇の人が応援する。
LGBTもそうだしっていうので。
昔は国以外のくくりがなかったのが今は何らかのマイノリティーであるっていう事をやってみんなのために戦いますよっていうのをやっててでその選手応援しようかっていうそういう課題を解決しようとしてるNGOが出てきたりするようになると実は選手の強化が国じゃなくてそういう同じ課題を抱えてるコミュニティーからの支援で成り立つようになってきた時にその選手は国の国旗で出るのかそのコミュニティーのあれで出るのかみたいな。
簡単に言うと「我々は何に帰属するんですか」っていうのは国家だったのがもうちょっと揺らいできてるような気がしてて。
何となく前回のリオで感じたのが2020はもっと加速するんじゃないかなっていう意味で選手としては代理戦争の側面は分かりつつもこの空気の違いを感じてるところがあるんじゃないか。
僕出てないんで分からないですけど。
でもそういう話なんだったらのっかれるっていうかやっぱり僕オリンピックにいまいちのっかれないのはだって日本の選手とかみんな応援するけど会った事もないでしょっていう。
友達が出てたら応援するけど友達でもないのになんで応援するのっていう。
だったら自分と主義主張が似てるとか考え方が似てるってコミュニティーがもしもあったらそれを応援したい。
国っていう何となく与えられてしまった属性よりも。
これは面白いですね。
どういう属性だったら応援できそうですか?何だろう。
なかなかいないでしょこの属性スポーツ界。
(笑い声)「属性」。
「国」という枠組みで一つになれた時代も今は昔か。
当時の経済成長へのいちずな憧れは属性の違いを見えにくくしていたのかもしれない。
選手たちも日本を代表しその威信を背負う事が自己実現の道と重なって見えていたあのころ…。
だが今や目指すべき豊かさも幸せのかたちも多様化した。
新時代の東京オリンピック・パラリンピック…。
どんな成功モデルがありえるのか。
前のモデルのオリンピックをやろうと東京が思ってたら多分結構「そんな旧世代のオリンピックを皆さん想像されてるんですか?」って世界中から言われるんじゃないかっていう感じはします。
選手村の中にLGBTのあれもないんですかとかそういう事が突っ込まれてくる。
世界の流れがよく分かってない人が設計する事が僕はすごい怖いなって思います。
でもそうなりそうですよね。
そうなりそうな感じはしてるなというのは…。
だからすごい今日共感するっていうか賛同するなって。
藤村さんはどうですか?人類とかっていうよりも多分東京とかもっと具体的な話だと思うんですけど。
イベントとして人類の祭典ではあるんだけれどもイベントというよりは実験とか社会実験とかそういうふうな言い方をした方がよくてその先にこの部分を変えたいという事がいろいろあるんだったらそれを変えるための実験をするっていうふうにしてオリンピックを受け入れるっていうのが私はいいんじゃないかと思うんですけどね。
例えばねだから今公園とか僕よく走るんですよ朝。
いろんな町へ行って…出張すると走るんですけれども東京ってあんまり朝走ってないんですね人が。
日本って本当に外部でスポーツする人いないなと思っていて学校の中ではすごいやるんだけど部活の中ではやるんだけども町の中ではスポーツあんまりしないんですよね。
ドイツなんかは逆でものすごい町でスポーツするのでスポーツシューレがあって緑地計画と結び付いて町全体で体を動かしてみたいな社会でそういう事からすると日本の都市ってまだまだ公園ってスポーツしにくく出来てますよね。
だからやっぱりそういう事は改善できるし自転車で走りにくく道路は出来てるから自転車が走りやすくするとかそういう事をして全体をもっと滑らかにしていくっていう事はいろいろできるはずだと思うのでそういう事をするにはオリンピックがいいんじゃないかなと思うんですけどね。
自転車の道路をもっと増やしてほしいですね。
そういうのとか出来たらうれしいなと。
思いますけどね。
だからもっと体で移動できたりするようなそういう意味での拡張っていうんですかね。
今具体的にここに何造っちゃいたいなみたいなのってあるんですか?今いっぱいありますね。
公園見てると公園とか緑地とか河川とかって今一番何ていうんでしょういろんなプロジェクトが動き始めてると思うんですけれども外でもっといろんな事ができるはずなんですよね。
例えばごはんを食べるでもいいんですけどオープンカフェってこの15年ぐらいだと思いますけど道路でみんなごはん少し食べるようになったりしてますしでもそれがもっと拡張すれば道路でスポーツをするとか道路で昼寝をするとかもっといろんな行動が出てくるはずでそういう事はほんとささいな日常なんですね。
でも日常の風景が一番変わらないといけないと思うのでそういういろんな日常を想像しながらオリンピックっていうものに向かっていろいろ実験をしていってオリンピックを契機にいろんな事ができるようになったねっていう達成をするみたいなそういうのはどうかなと思いますけどね。
でもどの話も日本が断トツで今すごい事っていうよりも世界からちょっとおくれてる事じゃないですか。
テクノロジーにしても中国とかの方がもう電子マネーはとっくに進んじゃったし寛容っていう意味でも日本よりもっと寛容な事を実験してる多分北欧とかいろんな国はありますし公園とかに関しては多分もうヨーロッパとかの方がねちゃんといろいろ進んでる町もあると思うんですけど日本にやって来た人が…さっきもありましたけど海外から来た人が日本に来てこれすごいなとかうちの国でも取り入れたいなとかって思うような事って2020年とかに準備できるんですかね?今からつくったら間に合わないですよね。
(為末)あるもので…。
今あるんですかね?何か。
海外から来て日本ってもっといろんなSFだったりとかアニメだったりとかすごい国だと思ってたけど意外とすごくないなって思って帰っていかれちゃうのかそれとも何かまだできる事があるのか。
それか今既に存在するもので何かあるのか。
「憧れの国」。
「夢を与える国」。
そんなニッポンは可能か?自らの持ち味と世界の人々のニーズ。
両者の幸福な出会いは意外なところにあるかもしれない。
2020年はこの国が今も「クール」で可能性に満ちている事を示す絶好の機会となるか。
日本だからこそ生み出せる新たな夢のかたちとは。
アニメとかSFとか…SFの世界が本当に実現しちゃってるよとかSFの世界にあったあのスポーツ本当に行われちゃってるよっていうところはまだ間に合うと思うんですよね。
今そういうテクノロジーがほんとにこの3年5年ぐらいでものすごく一気に進化していて日本はそこに関しては比較的いい位置にはいると。
ゲーム業界とかエンターテインメント業界とかテクノロジー業界とか含めてまだ総力戦で戦えば全然世界の最先端にいると思うのでそういったところで日本に来てやっぱり「これが日本だよね」って思えるようないわゆるポップカルチャーだったりアニメだったりそういったものとテクノロジーと人間とオリンピックがどんどん融合していった姿っていうのは多分まだ間に合う。
僕らが今「超人スポーツ」って言い方をしてるんだけれども人間を超えた人間たちが戦う場をつくる事によってそういった「身体拡張」だったりとかあるいはそういうポップカルチャーとSFみたいな概念とスポーツが融合した姿っていうものをつくり出していってそれを見せるっていうのは少なくとも仕掛けたいなと。
リオオリンピックの閉会式とかでも結構…東京のプレゼンテーションをした時も何となくあそこで見えたものっていうのは日本ってちょっとやっぱりそういう新しい面白い事テクノロジーとか文化とかを融合していったものを見せてくれるんじゃないかなっていう期待感はあそこで結構生み出されたと思っていてそういったところ日本のクリエーティビティーみたいなところをきちんと知らせていけるとそれは一つ持ち帰ってもらえるものになると思うんですよね。
今日その現物をお持ち頂いたそうで。
超人スポーツ。
何なんですかこれは。
なんかテクノロジーっていうよりも…。
(南澤)おもちゃっぽいんだけど。
おもちゃっぽい。
(南澤)僕の専門ってこういう「感覚の共有」みたいな事をやっていてそういったところから人間の感覚を拡張したりとかあとスポーツでいったらアスリートの感覚みたいなものを人に共有できないかみたいなところもやっていて。
そういった時に例えば簡単に持ってもらって。
ここに僕が砂を入れると。
ザザッザザッザザッ。
ああなるほど。
何が起きてるんですか?全然分かんないですよね。
振ってもらうと。
ああなるほどなるほど。
なになになになに?
(入れる音)ああほんとだ。
あっ入った入った入った。
今古市さんの手元で感じてるんですか?さもこのコップを持ってるかのような感覚をこっちで味わえる。
ですごい雑なんだけどそういうのをこういうふうにバットみたいなものに仕込むと…。
(バットをたたく音)ああほんとだ。
実際ボールを打った時の感覚とか。
ああ…なるほどね。
(南澤)伝わるっていうのが例えばあったりとか。
古市さんのリアクションが小さすぎるので為末さん。
僕も小さいんですよ。
というかみんな小さい。
みんなねちょっと今テンション低すぎるから。
(南澤)こうやってパンって。
(為末)ああなるほどね。
変わらない。
(笑い声)でも分かるでしょうこれ。
どういう事か。
ちょっとバントの感触もお願いします。
(南澤)ボールが飛んできた。
(為末)なるほどね。
はいはい。
バントできたんですか?今の。
(為末)バントした感じ。
例えばテレビ通じてみんなに伝わるよねとか今パブリック・ビューイングって言ってるけどパブリック・エクスペリエンスにできる。
そうするとその選手が何感じてるかってはっきり言って分からないんだけど例えば今こんなに緊張してドキドキしてるんだとかあるいは実際にこの決勝戦のあのショットってこういう感覚で打ってるんだって分かるともっとその選手アスリートとこっち側の見てる人との間の共感っていうのが生まれるかなって話をやったりとかあとは「超人スポーツ」ってこれつくってる車いすだったりするんだけど。
タイヤが随分大きいですね。
あっタイヤだけじゃない。
(南澤)タイヤがついてる車いすで…。
普通車いすっておとなしく移動するものじゃないですか。
あるいは車いすのパラリンピックになってくると今度ハードルが高すぎてそんじょそこらの車いすユーザーじゃ太刀打ちできないんですね。
ですよね。
(南澤)もうちょっと気楽に車いすとかを持ってる人が普通に日曜日に公園でちょっと楽しむぐらいなところに。
これドリフトできる車いすをつくっていて。
ああ横にも回転する。
(南澤)こう横に…。
(為末)なるほど。
勢いつけていくとドリフト…。
そうすると結構車いすユーザーの人にこういうのを使ってもらうとすごい楽しみながら…。
車いすで遊べると。
(為末)なるほどこういうふうにドリフトするんですね。
(南澤)例えばコーナーをヒュヒュヒュッて曲がりながら皇居を1周ランニングしてもいいよねとか。
ちょっとやってみます?アスリートだからうまいかもしれない。
普通の生活でも役に立ちそう。
(南澤)うまいうまい。
めっちゃ回ってる。
めっちゃスピンしてる。
(南澤)うまいうまいうまい。
(為末)危ない。
ケーブル気を付けて下さい。
フフフッ。
(為末)なるほどね。
しかもこれ勢いつきます?普通のより。
(南澤)ちょっとアシスト入れてます。
(為末)すごいスピードが出る。
へぇ〜楽しそう。
こっちは市販のやつなんですけどこういうね移動とかも変わってくるわけで。
今町でこれ使うと…こういうのを普通にオーケーにしてもいい時代になってるはずで。
それは思う。
そういう形でもいいし板みたいななんか動くやつあるじゃないですか。
もっと簡単な誰でも乗れるようなとかね公道で。
(南澤)こういうのが普通になってくると例えばちょっと腰悪くて歩きにくいよねみたいなものも高齢化社会でそういったものも別に気にしなくてよくなるかもしれないし逆にこういうのを使ってスポーツをデザインすると今までのスポーツのいろいろ制約っていうものを一回取っ払ったうえで新しい事ができるから。
という事をやったりしてるんですよ。
そのいすのまま日本中移動できるようにしてほしい。
これも使ってると歩くより楽になってくるんですよね。
普通の移動だったらこっちの方が全然楽で。
人間ってこっち側に進化してもいいんじゃないかなって思えてきたりする。
それ進化なんですか?分かんない。
進化なのか退化なのか分かんないけどそういう選択肢が増えるっていうのがとにかく大事だと思う。
よくSFとかでありますよね。
人間のこういうずっと座ってるようなね。
キットの中にずっといるから体力が本当に弱っちゃったみたいなね。
それ別に悪くない未来なのかな。
幸せだったら。
(為末)そういうのが好きな人はね。
確かにね。
あとそっち側に必ず行かなくてもこういったものをつくる事によって結局生身の体も鍛えられるっていうかバランス感覚も身につくし今まで動かなかった人にとってはより動くようになるとか。
必ずしもこういうものを使う事によって何も動かなくなるわけじゃなくてむしろ動くモチベーションが上がるのかなとは思ってる。
でもこれはだからパラリンピックっていうよりもなんだろうな…今多分障害ある人ってすごいパラリンピックって極端なスポーツしかなさすぎてその中間がないと思ってるんですよね。
逆にその中間があったら体が別にね車いすをふだんは乗る必要がない人であっても同じような目線でスポーツができるんじゃないかとかって事ですよねきっと。
もっとそういったものがある意味2020ではショーケースされる場かもしれないけれどもそのあとほんと日常生活に入っていく事によってこれからそれこそ高齢化社会になってきますけど腰悪いから外買い物に行くのがおっくうになってどんどん悪くなっていくって話よりはそこに対してちょっとしたテクノロジーのサポートが入る事によっておばあちゃんが普通に皇居を1周ランニングしていて健康に過ごせるよねっていうような時代になった方がポジティブなんじゃないかな。
確かに高齢化社会でいうと世界に日本が示せるモデルになりうるテーマではありますよね。
そこに関してはもう先端をいっちゃってますからね。
(藤村)高齢化率はねすごい事になってる。
でも今の僕たちが例えば70とか80…。
今の僕たちが80歳とかかな。
60年後とか70年後とかに…。
下手すると100歳ぐらいまで普通に生きちゃうかもしれない。
そういう時にどんなふうになってるんでしょうね。
今ってだから選択肢がすごい少なくて杖かシルバーカーか車いすかみたいな形じゃないですか。
もっといろんな新しいテクノロジーによってもっとうまく日常生活が送れるようになってるんですかね?なってると思いますよ。
結局それを若者が支えるっていう制度すらも今崩壊しつつあるわけだからそうじゃなくてもうちょっと自動的にというか人間が生活するに必要最小限のものは多分テクノロジーでかなり解決していて。
あとは自分たちが個々がどういう生きがいを持ってどういうふうに過ごしますかっていうところに対して適切にテクノロジーがサポートしてあげられれば別に60…今だったら60歳の方も全然年寄りに見えないと思う。
70歳でも普通に活躍されてると思いますけど普通に80歳ぐらいまで好きに過ごせるようになる。
スイッチはオフして死にたいですね僕。
この辺でもういいかなって思ったら。
そうそう。
そういう権利とかも…。
えっ?自分で死ぬのを選べるようにしといてほしいなって。
自分が高齢化する時に。
多分高齢化社会って世界で最初に安楽死を結構シリアスに1億人規模のレベルで議論しなきゃいけない国になるのは日本じゃないですか。
世界が差し迫ってちょっとやりにくいようなアジェンダを日本が最初にこれですよってやってあげたら結構世界中喜ぶんじゃないかって気も…。
僕はそういう考え方なんです。
いけるところまでサイボーグになって最後の最後に「もういいか」って言ってこう…。
電源オフで。
将来日本にはサイボーグおじいちゃんサイボーグおばあちゃんがあふれるって事なんですか?ニッポンを見れば未来が見える?その想像力はポップカルチャーからロボット工学都市の景観に至るまでハイテク社会を先取りするのか。
世界の人々を刺激し「発想の飛躍」をもたらす人類の祭典…。
東京2020を目前に変化は加速しようとしているのか?でもそれでいえばオリンピックをきっかけに日本は変わる的なのがすごい盛り上がってたけど平成が終わって憲法もしかしたら改正されるかもしれないというふうになると2018年とか19年って結構いろんな事がガラッと変わる年でそこで結構いろんな事が変わったふうになっちゃってオリンピックもういいんじゃないみたいな感じになりかねないですかね?身もふたもない。
もう終わっちゃったよみたいな。
しかも始まる前にめちゃくちゃ盛り上がったじゃないですかひとしきり。
なんならもう終わってもいい終わったのかなっていうぐらい結構この宣伝盛り上がっちゃったから。
前夜祭疲れみたいな。
そうそう。
多分前のオリンピックが1964年にあったっていうのが日本人にとってすごい象徴的なものにしちゃってるところあるんじゃないですか?日本がちょうど近代化し始めて戦後から回復していろいろ経済成長してっていうタイミングであれを成し遂げたという成功体験がいろんなオリンピックを機に変わるんだとかオリンピックを機に新しい国にするんだみたいなちょっとこうそういう期待みたいなものを通常よりも持ってる気がしますけどね。
それでいうとこれからの日本社会ってこうじゃなくてこっちじゃないですか。
右肩下がりと言われている中で同じようなスタイルのオリンピックを目指してしまうとフィットしてない気がしますよね。
同じようなスタイルのオリンピックだと我々ちょっと信じすぎていていっぱい施設を造っていっぱいお金が動いてって思ってるけど今オリンピック自体はもっとオリンピックレガシーとかっていってそのオリンピックのあとに何を残すかみたいな大会にしましょうって大会の運営側はどんどんなってきていてロンドンでもその前でもやってきてるわけですよね。
そういうふうにしてコンパクトなオリンピックにしましょうとかあとに何を残すか設計しましょうとかってなっているのでポストオリンピックのポスト2020を考えるみたいなそういう区切り線にはなってるんじゃないかなとは…。
オリンピックをこれまで開催してきた町は幸せになってるんですか?ロンドンとか北京とか。
あんまり最近の成功例が思い浮かばなくて。
失敗例がすごい報道されてるっていうのはあると思うんですよね。
選手村が売れなかったとかそういうのはすごくいっぱいある。
アテネが財政破綻してしまったとかあると思うんですけれども。
比較的成功してると言われてるのはシドニーでしたかね。
割とオリンピックを都市社会とかの社会課題の解決にうまく使ってその後のオリンピック後をうまく着地させたみたいなそういうところがあるんで。
単純に建築物造るだけじゃなくてやっぱり社会課題と並べてる。
ロンドンもアジェンダで東地区の開発みたいなのが入ってましたね。
(藤村)入ってます。
だからオリンピック今ちょうど東ロンドンのそういうクリエーティビティーオリンピックを機にいろんなクリエーターの人たちが集まったりするようになってイーストロンドンのそういう文化的な動きをオリンピックパークと結び付けるんだとか。
でもあれ成功してるんですか?僕はオリンピック後に何回か行ったんですけど毎回殺伐としてるなとしか思わなくて。
だから全部は成功しないですよ。
もちろん社会的な試みって何でも成功する事と失敗する事あるからその失敗した事をまたフィードバックできるかとかそういう事が大事だと思います。
もうちょっと自然体でいいはずなんですよね。
(藤村)本来はそうですね。
それを本当に成功するのか失敗するのかって。
で失敗例をどんどんあげつらうような今社会になっちゃってるから…
(藤村)プロジェクションできない社会になってきてる。
世界から見た時の日本って経済大国っていうのが結構前半だった気が…。
前半というか64年以降だったと思うんですけどここからは多分それは厳しいけど違うポジションでもとらないと忘れられた国みたいになっちゃう感じがするじゃないですか。
(為末)ロンドンの時ってやっぱり僕ら感動したのは経済はイギリスはどうかは分からないけど新しい形の権威の示し方みたいな感じがロンドンオリンピックの開会式だった気がしてて。
僕結構選手のセカンドキャリアを考える時に現役を終えたあとに次の自分にタイトルつけるのにみんな苦労するんですよね。
「元アスリート」。
僕も「元陸上選手」になったんですけど。
僕もまさに悩み中なんだけどでも引退した次の自分は今度何の形で世の中に存在感を示すのかにみんな模索するんですけど2020以降日本に次の経済大国以外の存在感の示し方は何ですかって事が問われてるのがオリンピックっていう感じがしてて。
ロンドン大会にイギリスの新しい権威の示し方をみたという為末。
老いてなお成熟した存在感を見せようとするかつてのトップランナーの意地か。
さて「経済大国」の名をとどろかせたニッポンがこれから進むべき道はどこにある?どうでしょうここまで何かもうちょっとここ聞いてみたいとか逆にこの話を皆さんの意見聞きたいとか。
今パラリンピックのプロジェクトを自分やっているんですがロンドンのパラリンピックって結構成功したとは言われてるとは思うんですけど成功したがゆえに逆に「あの人たちすごいじゃん超人じゃん」っていう事でパラスポーツへの支援して下さる方が減ったっていうデータもあるそうで。
今結構自分たちから見るオリンピックの選手よりも障害を持つ方から見るパラリンピックの選手っていうのはかなり雲の上の存在だと思うんですけど…思うんです。
それでそこの壁といいますかこのパラリンピックを通してその先にパラスポーツに対してどういうレガシーを残せるかアプローチができるかって事についてお聞きしたいです。
確かにパラリンピックのレガシーってあんまりね発想として議論からちょっと欠けてたっていうか。
僕がパラの支援やってて思うのは何ていうんでしょうね…。
可能性がある方は器具と人が介入するんですよ。
オリンピックはもうほとんど入れないんで今から入ろうと思っても入れないと思うんですけどパラは多分入れるんです今から。
サポートするとか器具で入るとか。
なのでいろんな人が入りやすい世界だっていうのとあと演出が本当はしやすくてバスケットで光らせるのは結構大変なんですけど車いすバスケだったら車いす光らせて車輪が何点とかって光ったりできるんですよ。
だからパラの世界の方がテクノロジーの人が入ると…。
JPCパラリンピック協会の方がIOCよりも怖くない。
雰囲気的に。
それはある。
そういうのは1個あるかなっていうのは一点ともう一点はもうちょっと別の課題でパラリンピックをどうしたら支援できますかっていう人は多いんですけど……っていうのを語ってる人があんまりいなくて。
でも多分本質的にはそれがないと疲れるともう応援やめるって事になっちゃう気がするんですよね。
パラは何の役に立つんですかっていう事だと思うんですよ。
障害者ではない人の。
それを多分考えていった方がいいかなっていう中でいくつか観点はある気はするんですけど多分キーワードとしては高齢化社会とかその辺は1個あるかな。
あともう1個は思うのはパラは競技が多すぎるんですね。
障害がある人が健常者よりも少ないのに競技数がオリンピックよりも多いんですよ。
これは絶対考えた方がよくて。
パラリンピックはそもそも「参加のチャンスを皆さんに」だったんですけどオリンピックとくっついちゃったら勝負の面白さを追求しましょうねっていう事になったんです。
「エンタメですよ皆さん」。
そうすると参加してるのが世界中で数百人っていう競技は残念ながら多分淘汰しないと本当はいけなくて。
それでピラミッドを高くしてこの頂点の戦いがまさにオリンピアンとやってもパラの方が勝ちましたみたいなふうにしていくとエンターテインメントとして人気が出てくるんで。
そこの結構選択って厳しいんだけど多分いずれパラの世界は向き合わなきゃいけない事なんじゃないかと思います。
どっちにいった方がいいんですか?伝える側も結構悩んでる事でもあるんですよね。
でもパラリンピックとオリンピックをくっつけていくんですってもう協会が…世界のトップが言ったんだったらもう皆さんあなたこちら側に来たんですねと。
じゃあ負けた選手もたたくし勝ったら称賛するしそもそもあんまりこれ「メダル取ってすごい」って言ってるけどほとんど参加者いませんよねみたいなのもちゃんと報道していきましょうよっていうのは思いますけどね。
選手はもう気付いてるんでうすうす。
本当にすごい競技とそうじゃない競技があるっていう事を。
それは明らかにしていって僕はいいんじゃないかと思います。
建築だとどうですか?パラっていうと必ず建物のバリアフリーっていう話になりますけど。
ユニバーサルデザインっていう考え方がありますからね。
それはもともと建築も強いんですけれどもパラリンピアンが活躍する事によってそういう設計が大事だって思う社会になるとは思うんですよ。
そういう社会じゃないと当然そういう設備を投資するっていうのはすごくお金がかかる事でもあるのでなかなか合意って得られなかったと思うんですけれどもそういうイメージが変わるのはすごくいい事だと思います。
(南澤)藤村さんがさっきおっしゃってた町の中でスポーツしてる光景がないっていうのが健常者だとかろうじてあるけれども障害者とかパラスポーツに関してだとほんとにない。
皆無になってきちゃっていて。
障害あるなしかかわらずほんとに普通に町なかでちょっと走ってるとか運動をしてるみたいなものが普通になるような光景が生み出されたらいいと思うんですけどそういう都市づくりみたいなものって動き始めたりしてるのってありますか?場所によるんじゃないですかね。
だからそういう事をやりたいという場所だったらやりましょうという当然設計になってくると思いますし。
だけど何ていうんでしょうね…確かに昔は例えばスロープをつけたりエレベーターをつけたりっていうのはあとからつけたりするんでそういう空間って端の方にあったりしたんですよね。
だけどそれが一緒にあるっていうのが。
それってマイナスをゼロにするっていう発想なんですよね。
だからプラスに持ち上げるって発想よりはマイナスだったのをなんとか支援したりでギリギリゼロに持っていければいいなって発想な気がしていて。
そうじゃなくてそもそもこっちのすごさを軸を逆転する事によってそういうある意味福祉機器の面白さだったりとかそういったものが見えてきたりつけてる事がかっこいいみたいなところまで持っていけるといい。
でも建築でも都市でもそういう考え方はありますよ。
実際にそういう事例もあるんですけれども。
私の印象で言うと例えば福祉のあの分野の議論っていうのはあんまり都市に関心がないんですよね。
だからすごく人とか装置とかそっちにちょっと向きがちで町で解決するっていう考えがあんまりないような気がしますね。
それをもうちょっとこう…。
つながってもいいですね。
まさにね今回のパラリンピックそういうきっかけにはぴったりかもしれないですね。
(藤村)そうですね。
続いてまいりましょうか。
東京オリンピックは東京都内のすごいコンパクトな所で限られた場所でやると思うんですけど地方の人はどうやってオリンピックに関わっていったらいいのかをお聞きしたいです。
これはね是非お答え頂きたい。
東京以外はどんなテンションで関わったらいいんですか?実際東京の人もほとんどはテレビとかで見るわけでスタジアムに行かない人が多分多いわけじゃないですか。
だから本当に東京のものかどうかは怪しいはずなのに東京とそうじゃないって区切り感はありますね。
そういう気持ちをね何となく思い起こすのは分かるんですけどね。
地元から出てる人が出るとかって違うんですかね?空気がね。
そうかそうか。
そうかも。
どうしたら巻き込めるんですかね?分からない。
無理やり巻き込んでいいかどうかも分かんないし…。
巻き込まれたくないからですよね。
(笑い声)巻き込まれたいのかなみんなそんな。
でも一応聖火リレーは日本中をね回るんですよね。
どのぐらい盛り上がるんですか?
(南澤)一瞬ですよね通りすぎていくのね。
走った事ある。
聖火リレーですか?一回アジア大会かなんか来て走ったけど走ってる側は…この火をずっと受け継いでるんだっていう。
あと沿道の人が旗振ってる。
あんまり自分の競技経験ではないのですごい…。
まあ走ってたからかな…ちょっと興奮してペース上げすぎて伴走のおじいちゃんを引き離しちゃったというちょっとそういう事をしちゃったんですけど。
でもやれたらやってみたくないですか聖火リレー。
100mとかでもね楽しいじゃないですか。
火は絶対消えないんですか?多分消えないんじゃないかな。
僕はロボットとかにも走らせたいですね。
人間だけじゃなくてもいいじゃんって。
空飛んでるとか。
確かにそういうのはあった方が。
最後はそれかもしれないですね。
日本の。
最後アトムになってるかもしれないですね。
開会式の本番の。
そうですよね。
いいかもしれないですね。
なるほど。
アトムになれば国中を巻き込めるんだろうか。
それも地方それぞれ最初にコミュニティー代表みたいなのが出るといいって話があったと思うんですけどやっぱり自分にひもついてる誰かが出てるとそこに対して何か共感が持てるってところが多分今なかなかあんまりうまくデザインはされてないような気がするんですよね。
もうちょっと「自分ごと」として何かこのオリンピックをきっかけにそのスポーツの形っていうものを…。
体育とかはそうかもしれなくて小学校ってみんな行ってる所で小学校で何か変わり始めるとその家族も変わるし周りのコミュニティーも変わるしっていうふうにそれぞれのところで「自分ごと」にできるようなきっかけっていうのをつくっていってそれが集約される場としての東京大会っていうのがあってもいいのかもしれないです。
「自分ごと」といえばよくオリンピック招致決まった時に独身のアラサーがみんなオリンピックまでに私結婚できてるのかなってすごい心配になったっていう。
それすごい「自分ごと化」する。
響いてますね。
(為末)全然関係ないけど…。
(南澤)全然関係ない「自分ごと」ですね。
急にフッと「2020」って数字が1個基準が現れたからそこで自分がどうなってるって考えちゃう。
それはやっぱりあるんじゃないですかね。
ジャンルを超えオリンピック・パラリンピックの未来像をぶつけ合った新世代。
議論の中で生まれた新たな思いとは…。
はっきりした問題があってできてないわけじゃないんだけどっていう事が実は多いんじゃないかって今日思ったので2020年の時に空気が変わると一番いいんじゃないかなと。
何か俺たち新しい事やっちゃおうぜみたいな前向きな若い人に託してみようぜみたいな空気が出来たら実はもうそのための準備は既に水面下で動いてるんで空気を変える装置としてオリンピック・パラリンピックがあるといいなと思いましたね。
いろんな新しいチャレンジがやっぱり生まれる場であってほしいなと思っていて。
僕らは人間とテクノロジーの関係性をもっと変えていこうってチャレンジをしようと思っているしいろんな人のいろんなチャレンジが可視化される事によって「大丈夫だ。
まだやる事たくさんあるね」っていうのをみんなが共有できるようになるとそのあとの10年20年それをどういうふうに本当に形にしていくかっていう議論が出始めると思うんです。
だから2020年に何か全部完成するとはもうあまり僕も思っていないんだけれどもそこをきっかけにしてこういう方向性こういう選択肢があったんだっていうものが見えてくるとすごく意義があるものになるのかなって感じました。
藤村さんいかがでしたでしょうか?やっぱり寛容さの議論が割と印象に残りましたけどいろんなジャンルの人が「自分のジャンルはなんでこんなにマイナーなのか」って思いながら多分いろいろ試行錯誤するんだと思うんですけれども自分の工夫によって成長できるというか進化できるかってそういう感覚を社会が持てるかどうか。
それを許す社会であるかどうかと。
許すあるいはサポートする社会であるかみたいなそういう試金石みたいな感じなんだなというのは改めて思いました。
スポーツとかだけではなくてそれこそ社会をどう変えるかって話だとか。
建築もそうだしフックがたくさんあるイベントなんだな。
今日もすごい議論が多岐にわたったじゃないですか。
だから自分に関心があるところを見つければいいのかなと思って。
僕は「人類」って言葉が結構印象に残って「人類の祭典」って考えたら意外と確かにそうだなと思って。
人間の限界はどこなんだろうなとか人間に何ができるんだろうとかどう変わっていくんだろうって人類って体ってものに考えてみたら意外と関心持てなくもないかなって。
ちょっとだけちょっとだけ。
ほんとオリンピック期間中スポーツの中継ばっかりするのはやめてほしい。
もっと違う角度でもいろいろやってほしいです。
(南澤)それ大事ですね。
違う角度か。
ちょっと偉い人と話してみます。
という事で10月の「ニッポンのジレンマ」この辺りで失礼します。
お疲れさまでした。
(拍手)右肩上がりから緩やかな下り坂へ。
これまでのやり方が通じない時代だからこそ新たな突破口を探す楽しさもあるはずだ。
「経済大国」から「課題先進国」へ。
多くのジレンマをあえて楽しむ余裕を持とう。
その時ニッポンの新しい存在感の示し方の可能性が開け更に人類の祭典としての意義も更新されるのかもしれない。
ジレンマは常に反転しうる。
マイナスをプラスへ…。
逆手にとる発想を生む対話は終わらない。
2017/10/29(日) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
新世代が解く!ニッポンのジレンマ「オリンピック・パラリンピックのジレンマ」[字]
2020東京、どう迎える?高度成長期、国際舞台への復帰の象徴としての「国民的祭典」から半世紀以上、今若い世代はオリンピックに何を見る?新世代が新たな意義を更新!
詳細情報
番組内容
3年後に迫った東京オリンピック。エンブレム、競技場の問題などごたごたが続き今一つ盛り上がりに欠けるようにも見える。国際舞台への復帰、国民的祭典として自ずから盛り上がった前回と異なり、今「右肩下がり」の中どこにその意義を見出す?そもそも単にスポーツの祭典ではないオリンピック・パラリンピック。新世代のリアルな感覚でフラットに議論、アイデアを出し合い一大イベントの意義を更新、ニッポンの明日をどこに見る?
出演者
【ゲスト】建築家…藤村龍至,元陸上競技選手…為末大,慶應義塾大学大学院准教授…南澤孝太,【司会】古市憲寿,佐々木彩,【声】細谷佳正
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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