ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ。口癖は「えー、そんなの別にどっちでも良いんじゃないの?」老害発言の説明文多し。

私の方が頑張るという悪に取り憑かれているのか

私は会社を2つ持っている。と言ってもただの零細企業で、申請と金さえ払えば会社なんて誰でも持てるし作れる。「誰でも」だ。社長なんて「誰でも」出来る。会社はそこから利益を出して継続する事が難しい。企業生存率なるものがあるらしいが、あるサイトを覗けば10年後残っている会社は6.3%とあった。この数字が本当なのかどうかはさておき、私が今まで周りを静観していた経験から言うとあながち遠い数字ではないと思う。私は浮いては沈む人間を何人も見て来たし、会社を継続させる難しさを身をもって知っている。当たり前のように儲かる時もあるし、当たり前のように突然絶望が目の前に現れる時もある。その絶望はある時突然やってくる。突然やってくる絶望を予期・回避するために我々は日々闘うのである。昨今インターネッツではブラック企業や育児休暇について書かれた記事をよく見かける。私でも「こりゃ酷いな...」という劣悪な環境を知ることがあるが、そこに書かれてある事全てが全てそうなんだろうかなどと思う事が多々ある。私も勤めている時は「クソが」と思う事は多少はあったが、自分を正当化して権利を主張した事・しようとした事は無い。それは、自分は会社にどれだけ貢献してるだろうかと常々考えていたからに他ならない。私は今まで自分の環境は自分で作ってきた。「お前に辞められると困る」と言われる位置に就くまで死ぬほど仕事をしてきたのだ。金の事など考えず、その位置に就けば給料など勝手に上がると思っていたし勝手に上がっていた。それが嫌なら辞めれば良いだけの話だ。100%やれと言われれば150%やろうと努力した。とは言ってもそれを今の従業員にそれをやれとは全く思わない。思わないが「当たり前の権利だからといって当たり前に主張して欲しくない」なとは思う。これをやりだすなら私は管理を厳しくしないといけない。じゃあ売り上げ目標は、ノルマは、納期は、仕入れの査定はと雁字搦めにしてその権利の主張を受ける事になる。幸いなことに今の従業員は皆優秀で、誰かに何かがあれば、私から・他の連中から「休めよ」と言える社内の環境である。会社なんて売上が増えれば増えるほど一人でなんて出来ない。誰かに頼らないといけないし頼るべきである。会社に金が無いなら責任をもって私が300%稼働する。それは自分だけの為ではなく、会社・従業員の生活を守るためである。数字や結果・技術を持った人間がこれでもかと成果をあげているので、おかげ様でお互い良い関係であると思う。休みたければ休めばいいしサボりたければサボればいい。私はそこに何も関与しない。しかし、あまり成果が出せていない人間に「これは当然の権利だろ出来ないなら会社が悪い」と面と向かって私が言われたらどう思うだろうか。正直キツイ。それは業務的な事ではなく心情的な部分で、だ。ここはてなでは「そんなもんマネジメントが悪いんだろ」とテンプレを貼られるだろうが、私はそういうやり方は好まない。先に書いたように、やる事をちゃんとやっていれば「辞められるより休んで復帰してくれた方が良い」となると思っている。それで文句を言うような会社であれば辞めるのが正解だ。もう一度書く。ちゃんとやる事をやって会社に貢献していれば、の話だ。胸を張れば良い。休むか・辞めるかを提示すれば「休め」と言われるはずだ。そこで文句タラタラの雑魚は放っておけ。頑張る事すらブラック臭がする今のご時世、自分の環境を作るために頑張るのも「悪」なのか。休むためには権利を翳さないと休めないのか。頑張って胸を張れば良いじゃないか。私は今のこの世界とシュプレヒコールを見て、いつも一人で居心地の悪さを感じている。