Photo Stories撮影ストーリー
「みんなのおかげで、この歳になるまで生きていることを本当にありがたい。」遠山サキ/北海道浦河町/2014年8月23日(Photograph by Makiko Ui)
思い思いの場所や服装で撮ったポートレートは、心に秘めた一人ひとりの想いを伝えている。アイヌの人々の「いま」を写真家の宇井眞紀子氏が撮影した。(この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2017年11月号「写真は語る」に掲載されたものです)
25年前からアイヌ民族の撮影を続け、写真集や写真展で発表してきたが、見た人から聞く言葉はたいてい決まっていた。「アイヌの方はまだいらっしゃるんですか?」といった質問、「自然と共生する神々しい人々」というアイヌらしいアイヌ像への強い期待。その度に現状を伝えきれないもどかしさを感じていた。そこで、それぞれのライフスタイルで暮らすアイヌの人たち100組を撮影するプロジェクトを始めた。「今一番言いたいこと」も尋ねて、ポートレートと言葉で写真集を編んだ。
「撮影場所と服装はご自身で決めてください」。「次に誰を撮るかの指名もお願いします」。日本全国100カ所で100組を撮るプロジェクトは、アイヌ自身に委ねる部分の多いやり方で8年かけて進めた。アイヌの方々との共同作業のように創りたかったからだ。
自分が住む地域での撮影を望んだ人がほとんどだったが、生家周辺や生家のあった場所を選んだ人も複数いた。とても緊張していた女性が「(遠く離れた故郷の)阿寒湖が見える」とつぶやいた瞬間、素敵な表情を見せ、夢中でシャッターを切ったこともあった。故郷やルーツへの想いを感じた場面だ。贈った写真に「人生を感じた」というメールが届いて、いたく感動した。
一方で、厳しい状況も改めて思い知った。明治の開拓以来、同化政策によりアイヌ民族の言葉や風習、生業(なりわい)は否定された。「自然界があるから人は生かされている」と考えるアイヌの叡智(えいち)も、開発・発展こそが素晴らしいというおごった考え方から軽視され、それがいわれなき差別にもつながった。アイヌであることを隠したい親族からの反対で、写真集に「出る」「出ない」と心が揺れ動き、悩む人が何人もいたのだ。アイヌが自然にアイヌでいられる社会ではないことの表れだ。
それでも、悩んだ末に自ら撮影場所に許可をもらい、最終的に楽しんでくれた人もいる。自宅のいつものコーナーで、ゆかりのある場所で、大きな樹の前で、アイヌ刺繍(ししゅう)の入ったお気に入りの服を着て、大好きなものと一緒に、我が家の船の前で、家族と、仲間と、親戚一同で……。本人に完全に任せたことで、意図しては創れないバラエティー豊かな表現になった。
アイヌの出自から逃げたこともあった人が、母親から譲り受けた伝統衣装を誇らしげに身に着けて撮影に臨んだときは、希望を感じた。内田有紀さんは、樺太アイヌの民族楽器トンコリ奏者の西平ウメさんが曽祖母だと嬉しそうに語った。椎久慎介さんは、名前の前に「椎久トイタレキの曾孫(ひまご)」と入れた。祖先への尊敬の念が強く感じられた。自分の一言にアイヌ語を選んだ人も。秋辺ポロさんの「イヤイライケレ」は、アイヌ語で「ありがとう」の意味だ。
100人には百様の物語があった。
写真家、宇井眞紀子氏の紹介ページはこちら。
ナショナル ジオグラフィック日本版2017年11月号
宇井眞紀子氏が撮影したアイヌの人々の写真を「写真は語る」に収録。その他、翼竜やジェーン・グドールなどの特集を掲載しています。