人体に、2つある器官と、1つしかない器官についての、
考察記事のつづきです。
考えなければいけない器官がおおくて、
なかなかこのシリーズが終わりませんね。
でも、もうすぐ終わりです。
さっそく、考察をすすめてみましょう。
【腎臓は、なぜ2つなのか】
腎臓の働きは、体の中にある老廃物や毒素などをこしとって、
より毒性の薄い、尿、という物質につくりかえることです。
簡単に言えば、おしっこをつくるのが、腎臓のはたらきなんですね。
つまり、腎臓というのは、
体にとってマイナスになるような物質を、体外に排出するための、
前段階になるような器官なんです。
マイナスはいらないよー、っていう器官なんですね。
人間の願い、希望には、おおきくわけて、2種類あります。
1つは、プラスが欲しいよー、っていうもの。
もう1つは、マイナスはいらないよー、っていうものです。
このうち、
プラスが欲しいよー、っていう人間の願いをかなえてくれるのが、
生の原理です。
いっぽう、
マイナスはいらないよー、っていう人間の願いをかなえてくれるのは、
理の原理なのです。
このことについては、以下のブログ記事で書きました。
整理すると、
腎臓という器官は、マイナスはいらないよー、
っていうことを担当する器官で、
その、マイナスの排除というのは、理の原理とかかわるものなのです。
なので、腎臓は、理の原理と関わりがある、といえそうです。
いっぽうで、腎臓に、生の原理とのかかわりがあるかどうか、
検討してみましょう。
生の原理というのは、
「他者を犠牲にして、そのことを通じて、自己の生存をはかる」
というものでした。
たしかに、マイナスになるような物質がいつまでも体内に残存していれば、
生存をはかるうえでは、障害になります。
なので、マイナスの物質を排除する準備をする、ということは、
自己の生存をはかることと、つながりがありそうです。
しかし、です。
生の原理における、自己の生存のはかりかた、というのは、
「他者への加害を基礎として、自己の生存をはかる」
というものなのです。
自分の体内にマイナスの物質ができたから、
そのマイナスの物質はいらないよね、というのは、
他者加害とは、かならずしも直結していません。
自己の生存をはかっているかもしれませんが、
「他者への加害をつうじて自己の生存をはかって」
いるとは、いえないのです。
だから、腎臓は、生の原理とは、直結するものではない、と思います。
以上をまとめると、腎臓という器官は、
理の原理とは関わりがありますが、生の原理とは直結しません。
なので、腎臓の数は、理の原理をあらわす数である、2、になります。