こんにちは!小・中・大学生時代に会津に訪れたけど全く記憶がないこーにゃーです。
会津観光二日目に訪れた飯盛山。戊辰戦争時は白虎隊が自害した悲劇の地として有名です。
嫁と一緒に訪れました。
白虎隊とは
戊辰戦争時に会津藩が組織した16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊です。隊は士中・寄合・足軽から成ります。
本来は予備兵力という立ち位置で城下防衛の任に当たっていたが、戦局の悪化に伴い戦前に駆り出されます。
白虎隊士中二番隊は戸の口原の戦いで決定的な打撃を受けて潰走、飯盛山へと落ち延びます。
飯盛山から鶴ヶ城を見た時城が炎上し市中は火の海になっている光景を見た隊士は自刃を決行。(実際には城は燃えていなかったが誤認してしまった)
唯一生き残った生き残った飯沼貞吉のみが一命をとりとめ、白虎隊の生き様が後世に伝わりました。
飯盛山へ
まずは山頂まで!石段は183段あります。
この日は雨が降っていたので、スロープコンベアで登りました。
【スロープコンベアの料金】
一般料金 | 中学生以上250円/小人150円 |
団体料金 | 大人30名以上210円/200名以上170円 |
修学旅行特別料金 | 中・高校生150円/小学生100円 |
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白虎隊十九士の墓
スロープを上り、最初に見ることが出来るのは白虎隊十九士の墓です。飯盛山で自刃した19名の墓があります。
【埋葬禁止令】
自刃した白虎隊の遺体を、明治政府はそのまま放置しておくよう命じ、埋葬の許可がされませんでした。風雨にさらされ、遺留品は盗賊に盗られ、動物に食べられひどい状態でした。
不憫に思った当時の山主、飯盛正信がこっそり骨を広い集め、今の墓前広場の前に仮埋葬しました。しかしこのことが明治政府にわかると、正信は処罰され、許され出てきたときには酷くやせ細ってしまっていたそうです。
その後明治23年にようやく19名のお墓が建ちました。
今は安らかに眠っています。
白虎隊自刃の場
白虎隊士20名が自刃し、19名が亡くなった場所です。
ここから見る鶴ヶ城です。天気も悪く、非常に見えづらいです。
天気が良くても、2センチほどにしか見えません。城が燃えているように見えても仕方ないと思います。
戸ノ口堰洞穴
1835年に完成した洞穴で、戊辰戦争の際は白虎隊が戸の口原で敗れた時に潜った洞穴です。
なんとか逃げてきた白虎隊はここから飯盛山へ向かいました。
飯沼貞吉のお墓
飯盛山で自刃した20名のうち、喉笛に刃を突き立てたにも関わらずただ一人生き残った飯沼貞吉は、維新後電子技師として生き、日清戦争時には電信技士としてソウルに渡っています。
この時、「自分は白虎隊として死んだ身である」と、ピストルの携帯を断ったそうです。
1931年に78歳で逝去。会津には生涯二度と戻ることはなかったのですが、遺言により遺骨の一部を飯盛山に眠る同士と同じ場所に埋葬されました。
尚貞吉は後に貞雄と改名しているので墓石は貞雄とされています。
近隣施設
【白虎隊伝史学館】
時間の都合上入ることが出来なかったのですが、白虎隊を始め会津藩士や新選組ゆかりのものを中心とした5000点程展示がされています。
<料金>
大 人 300円
高校生 200円
小中学生150円
【白虎隊記念館】
白虎隊をはじめとする戊辰戦争関係の史料を収蔵、展示しています。アニメによる白虎隊の解説ビデオもあります。
<料金>
大 人 400円
高校生 300円
小中学生200円
【旧滝沢本陣】
参勤交代や領内巡視などの際の殿様の休息所。戊辰戦争の際に本営となり、白虎隊もここで命を受けて戸ノ口原の戦場へと出陣しました。建物のあちこちに弾痕や刀傷あります。
<料金>
大人 300円
高校生250円
中学生150円
子供 100円
国指定重要文化財「さざえ堂」
白虎隊と直接の関係性はありませんが、こちらもご紹介。
形がさざえの殻に似ていることからさざえ堂と呼ばれ、階段がなく螺旋通路で上り下りができ、人がすれ違うことなく一方通行で巡ることができます。
これは世界に例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。
<料金>
大 人 400円
大学・高校生 300円
中学・小学生 200円
感想
会津の歴史を知る上では、19名の若い命が失われた白虎隊の悲劇は知らなければなりません。戊辰戦争の悲惨な爪痕が残るこの飯盛山は、ぜひ見てほしいと思います。
個人的には明治政府から白虎隊員の埋葬禁止令が出されていたことに非常に驚きました。
是非、鶴ヶ城と合わせて観光してみてください。
アクセス
【車】
会津若松ICより15分
鶴ヶ城より10分
【周遊バス「ハイカラさん」、「あかべぇ」】
「飯盛山下」下車徒歩5分