国を挙げての取り組みが注目される「働き方改革」。「同一労働同一賃金」が真っ先に取り上げられ、議論されています。政府の取り組みに先駆け、昭和女子大学では八代尚宏氏を座長に2016年9月~2017年2月の半年間にわたり、「労働法制の変化と『働き方』研究会」を開催しました。「働き方改革」が抱えている問題点や女性と高齢者の活用について、八代尚宏氏にお伺いしました。(以下、八代氏談)
■まず話し合うべきは、男女間の賃金格差
「同一労働同一賃金」の当初の目的は、正規社員と非正規社員の賃金格差をなくすことでした。女性の約半数と高齢者の約9割が非正規社員(契約社員、業務委託、パートタイム、派遣)であることから、「同一労働同一賃金」の問題は、女性活躍推進と密接な関係にあります。
高齢者の非正規雇用が増えているのは定年退職後の再雇用の増加によるもので、今後さらに増加することが予測されています。一方の女性に関してですが、妊娠出産後の女性の離職率の割合を示すM字型カーブが以前よりも緩やかになったのは女性活躍推進が功を奏した結果などと報道される向きもありますが、これは誤解です。母集団に注目してみれば分かりますが、男性と近い働き方の未婚女性が増えている構成変化が大きな要因です。
そもそも「同一労働同一賃金とは何か?」という根本問題ですが、ガイドラインによれば、勤続年数が同じ非正規社員にも正規社員と同じ賃金の適用を求める、とあります。皆さん、これをどう思われますか?
グラフを見れば明らかですが、非正規社員の賃金は男女ともにフラットです。これに対し、正規社員の賃金は年功賃金のカーブの傾きが大きいうえに、男女で賃金の大きな差があります。「同一労働同一賃金」では勤続年数に応じて非正規社員の賃金を正規社員の賃金に近づけるとうたわれているのですが、もともと非正規社員は一部を除いて、勤続年数の短い人がほどんどではないでしょうか。非正規社員の多くが勤続年数に応じて生じる年功賃金カーブが上昇する前に辞めてしまっているのです。
そもそもこうした男女間の賃金格差の問題を話し合わないで、一体何を解決するのか。この差別をどう説明するのか。
実は「同一労働同一賃金」の最初のガイドライン案には、「企業側が不当な差別をしていないことの立証責任」に関する項目があり、これが一番大事なポイントで、私が最も期待していた項目でした。ところが、2016年12月の公表ではこれが抜け落ちてしまったことが残念です。
■「働き方改革」、政府の本気度はまだ足りない
「同一労働同一賃金」の前文の「目的」の中にこんな一文があります。
「(略)同一労働同一賃金の考え方が広く普及しているといわれている欧州制度の実態も参考としながら検証をした結果、それぞれの国の労働市場全体の構造に応じた政策とすることが重要との示唆を得た」
「わが国の場合、基本給をはじめ、賃金制度の決まり方が様々な要素が組み合わされている場合も多いため、(略)まずは各企業において職務や能力の明確化とその職種の賃金の待遇との関係を含めた処遇体系全体を労使の話し合いによって、それぞれ確認し、非正規雇用者を含む労使で共有することが肝要である」
つまりこれは「ドイツやフランスの慣行がどうなっているかは知らないが、日本は日本の慣習に即して現行の基準を変えずに政策を進める」という宣言にほかなりません。労使での話し合いで決めるとありますが、これでは何もしないと言っているに等しい。
さらに言えば、とかく「働き方会改革」においては「意識改革が必要だが、それには時間がかかる」という決まり文句がよく聞かれます。この「意識改革」というマジック・ワードは「意識を変えれば現行制度のままでよい」というメッセージと同じです。国でも企業でも人々の意識を変えるためには、それを支えている制度を変えることが基本です。
なぜ政府が介入しなければならないか――。それは多様な労働者間の公平性を守るためです。いかなる場合も「人種・性別・年齢による差別」があってはならないし、企業は「差別をしていない」ことの立証責任が問われるべきなのです。
「労働法制の変化と『働き方』研究会」の様子■高度経済期の働き方が問題化している
女性の就業促進に不可欠な要因として掲げられている「ワーク・ライフ・バランス」がありますが、これが長らく議論されているにもかかわらず、一向に実現しない大きな要因としては、それが別の形で実現されているからだと見る向きがあります。
「男性が働き、女性が家庭を守る」という過去の高度経済期に成立・普及した働き方(専業主婦世帯を暗黙の了解とした制度や慣行)によって、「家族単位」の仕事と生活時間のバランスが既に維持されているから、という理屈です。しかし、これこそがフルタイムで働く女性の増加によって大きな問題となってしまっているのであって、他の先進国では当然とされる「個人単位」のワーク・ライフ・バランスの改革が求められています。
また女性の活躍を図る手段として、「女性の管理職を30%に引き上げる」という数値目標が設定されています。これも過去の高度経済期に成立、普及した働き方や制度が大きな要因として立ちはだかっています。しばしば、「女性の管理職が少ないのは、管理職候補の年齢層に女性が少ないためだ」と言われます。しかし、そうした男女比率にかかわらず、勤続年数に基づく昇進の仕組み自体が問われているのです。
しばしば育児期間の長さやその改革が企業の子育て支援策として語られていますが、長すぎる育児休業期間はその期間終了後、女性が職場に復帰することをかえって困難にするという批判もあります。子育ての負担はなんといっても育児休業後に復帰したあとに始まるといってよいでしょう。子どもが熱を出したといって保育所から呼び出されるママ達の現実を見れば明らかです。それが予想されるために、育児休業を取得せずに退職する女性の比率も依然として高い。一部の大企業を除いて、賃金カーブが緩やかに上昇する中高年に差し掛かる前に多くの女性が脱落してしまっているのです。
■人事から言われるままに働くのは?
女性が子育て後も仕事を継続できる比率を高めるためには、「(1)育児休業後の子どもを受け入れる保育所の整備」「(2)短時間正規社員制度の普及」「(3)在宅勤務の選択肢の拡大」などが解決策の大きな柱であり、これらを実現するためには、「(1)集団単位の働き方から個人単位の働き方へのシフト」「(2)不況時の雇用ルールの明確化」「(3)労働時間の長さではなく、成果に基づく賃金の制度」などの制度改革の積み重ねが不可欠です。
同一労働同一賃金は、こうした「個人単位」の働き方を推し進め、間接的にワーク・ライフ・バランスの実現に貢献するための手段とも言えます。年功賃金のカーブを小さくするためのフラット賃金をコンセプトとして生まれた同一労働同一賃金ですが、女性の就業率を維持するための共働き世帯を前提とした働き方の選択肢として、もっと議論されてもよいのではないでしょうか。
例えば、当初議案になっていた「職種地域限定正規社員」などがその例です。
これは人事の采配によってジョブローテーションを余儀なくされるゼネラリスト型ではなく、「職務給」で評価されるスペシャリスト型の働き方の典型です。転勤なしで同じ仕事に従事し続けられるというものですが、問題点は「仕事がなければ雇用は打ち切り」という雇用不安定のデメリットがあること。
とはいえ、同じ仕事に従事することで、スキルは上がるわけですから、どこでも通用する力が身につく。一つの会社に仕事人生を捧げることがリスクになってくるこれからの時代には、むしろ適合しやすい選択肢だと言えるのではないでしょうか。共働き夫婦の場合、「職種地域限定正規社員」が適用されれば、「個人単位」の働き方を選択することで双方のキャリアを二枚板で考えることが可能になります。
もっとも、労働者が転勤しなくてもよいということは、企業にとっても、転勤命令を出す義務がなくなることです。このため組合の多くは「雇用不安定」を理由に断固反対しています。しかし、そうした専業主婦付き世帯主の「雇用安定」を守るためには、これまで通りの長時間労働と転勤義務という過去の慣行が不可分のセットになった「無限定」の働き方が必要になります。共働きの組合員も増えているなかで、選択肢としての地域限定正規社員を容認すべきではないでしょうか。
果たして、雇用保障と年功賃金を得るために、現行の、職務を限定せずに人事の言いなりになって働くやり方が、共働き夫婦世帯にとって「よい働き方」であると言えるのでしょうか。夫婦二人が共に所得を持つ世帯が基準となれば、雇用保障の持つ意味も変化すると考えるのが自然ではないでしょうか。
八代尚宏 経済学者。昭和女子大学グローバルビジネス学部長・特命教授。1970年、経済企画庁入庁。81年、米国メリーランド大学Ph.D取得。OECD経済統計局主任エコノミスト、上智大学教授、日本経済研究センター理事長、国際基督教大学教授などを経て、現職。小泉内閣で規制改革会議委員、第一次安倍内閣・福田内閣で経済財政諮問会議議員を務めた。9月に『働き方の経済学』(日本評論社)を発売。 (ライター 砂塚美穂、協力 昭和女子大学ダイバーシティ推進機構)
[日経DUAL 2017年8月29日付記事を再構成]
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