私が20代のころの話。
今でも仲の良い友人Kと、会話をしておりました。
Kはその当時頑張っても上手くいかずに色々と悩んでおりました。
もうさ、神様もさ、不公平だよね。頑張ってるんだから少しくらいお願い聞いてくれてもいいのにー。
神様だって急にお願いされたら困るんじゃない?困った時だけお願いされるより、日ごろ信心深い人しか助けないもんじゃないか?それこそ不公平になっちゃわない?
あー、そう言われればそうかも??でも、神様なのに懐狭くね?困った人みんな助けてくれればいいいのに。
その時に気付いたんです。
基本的に神様の制度って、努力した(信心した)人が報われる資本主義なんだなって。
それって、やっぱり「努力したらその分報われたい」という気持ちがあるから、神様って信じられて来たのでしょうね。
私の友人Kのように、努力しても報われないというか、結果が自分の思ったようにならないことって人生に多い訳で。
だから「ちゃんと信心していなかったから」とか理由付けをして、宗教に「努力した人が報われる公平性がある世界」を求めてしまうんだろうな。
八百万の神がいる多神教の神道は、比較的「社会主義」っぽくありません?
どんなものでも神様はついているんだよー的なところが。
良く言われますけれども日本ってなんでもウェルカムな感じで、クリスマス祝って、寺で除夜の鐘をついて、初詣で神社行っても、神社にいる神様が「異教を信じるとは何事だ!」って怒らない、不思議な宗教ですよねw 公平というよりも、皆等しい平等。
まぁ、実際には社会主義や共産主義には理想を唱える絶対神はいますし、資本主義はその逆で強いものが入れ替わる部分がありますけれどもね。
私自身無宗教で、クリスマスやって除夜の鐘聞きながらそば食べて、神社にお参りに行くタイプです。
とはいえやっぱり何かにすがりたいというか信じたいときはあって、でも努力は嫌いなので「とりあえず便所にも神様いるから掃除しよ♪」的な発想が出来る神道は好きです。
でも、もし本当に「神様」がいるのなら。
人間の理解できる「神様」ではなく、人間の脳では本当に理解できない、人智の及ばない存在じゃないかなと漠然と思っています。