(3)
翌朝、日曜日にもかかわらず良平は8時半に家を出た。
春季セミナーを受けた予備校の模擬テストを明日受けに行くと昨日の帰宅時に母に言って置いたのだ。
服装こそ普段着だが、母に怪しまれないように一応筆記具を入れた鞄を肩に掛けていた。
鞄の中には念の為に双眼鏡も入れて置いた。
勿論、誠一には昨日別れる前に今日は模擬テストで夕方迄家を空ける旨の話はしてある。
昨日の誠一の話がもし本当だとしたら、『もう会わないから二度と来るな!』と言われていたとしても誠一は間違いなく母に会いに遣って来る筈だと良平は思った。
3分ほど歩いて細い路地から大通りに出ると歩道橋を渡って通りの向かいにあるコンビニに入った。
通りに面した雑誌コーナーへ歩み寄ると今来た路地が見渡せる事を確認しておもむろにゲームの雑誌を手に取った。
良平の他にも既に二十歳くらいの男性が二人立ち読みをしていた。
ここで雑誌を立ち読みしながらガラス越しに通りの向かいの路地の様子を窺う積りである。
そんな事は決して有ってはならないのだが、万に一つ、もし誠一が来るとすれば通りを右から遣って来て今眺めている路地を入って行く筈である。
翌朝、日曜日にもかかわらず良平は8時半に家を出た。
春季セミナーを受けた予備校の模擬テストを明日受けに行くと昨日の帰宅時に母に言って置いたのだ。
服装こそ普段着だが、母に怪しまれないように一応筆記具を入れた鞄を肩に掛けていた。
鞄の中には念の為に双眼鏡も入れて置いた。
勿論、誠一には昨日別れる前に今日は模擬テストで夕方迄家を空ける旨の話はしてある。
昨日の誠一の話がもし本当だとしたら、『もう会わないから二度と来るな!』と言われていたとしても誠一は間違いなく母に会いに遣って来る筈だと良平は思った。
3分ほど歩いて細い路地から大通りに出ると歩道橋を渡って通りの向かいにあるコンビニに入った。
通りに面した雑誌コーナーへ歩み寄ると今来た路地が見渡せる事を確認しておもむろにゲームの雑誌を手に取った。
良平の他にも既に二十歳くらいの男性が二人立ち読みをしていた。
ここで雑誌を立ち読みしながらガラス越しに通りの向かいの路地の様子を窺う積りである。
そんな事は決して有ってはならないのだが、万に一つ、もし誠一が来るとすれば通りを右から遣って来て今眺めている路地を入って行く筈である。
その場合時間的にはやはり10時頃だと思うが、一応10時半まで粘って見る積りである。
10時半迄粘っても誠一が現われなければ、無駄な時間を過ごして取り越し苦労に終るがそれはそれで構わない。
昨日の話は誠一の作り話だった可能性が非常に高まるのだから。
そうでなく、もしも、もしも昨日の話が本当だとしたら、半月我慢していてしかも良平が不在だと分かっているのだから誠一が遣って来ない筈が無いからだ。
良平はガラス越しに通りの向こう側に注意を注ぎながら雑誌に目を通し始めた。
一時間が経過し、並んで立ち読みをしていた男性は一人また一人と立ち去り、代わって買い物が済んだのだろうコンビニの袋を下げたOLらしき女性が女性週刊誌を読み始め、続いて高校生らしい男性が良平の傍に来てゲーム雑誌を読み始めた。
良平は既に2冊目も目を通し終え、3冊目を手に取った。
来る筈の無い人をこうして待ち続ける事が馬鹿らしく思え、大きな欠伸をした丁度その時、通りの向こう側に見覚えのある姿が見えた。
何時も見慣れた学生服姿ではないがあれは間違いなく誠一である。
彼の自宅の方角である通りの右手から現われた誠一はあろう事か悠然と路地を曲がったのだ。
手にした雑誌を棚に戻すと良平はコンビニを出て、歩道橋を駆け上がり、駆け下りた。
車がやっとすれ違える幅の路地を誠一は50m先を歩いている。
あのゆっくりした歩き方では我が家まで5分くらいだろうか。
遣って来る筈が無いと思っていた誠一が遣ってきた。
未だ我が家を訪ねて来たと決まった訳ではないが、良平の心臓は激しく動悸していた。
良平は50mの距離を保ちながら家々の塀に添うように誠一の後を付いて行った。
小さな公園の角を誠一が左に曲がった。
後100m程直進すれば我が家である。
良平は曲がり角の手前から公園に入った。
公園の端の木立の間から50m先の我が家の玄関がどうにか窺える。
良平は人目につかない木立の中へ入ると鞄から双眼鏡を取り出して覗いた。
直ぐに誠一の姿を捉えそのまま後ろ姿を追った。
やがて立ち止まった誠一はおもむろに後ろをふり振り返ったが、もちろん公園の木の陰から覗き見ている良平に気付く事はなかった。
人がいないのを確認すると誠一は門扉の無い我が家の門を入って玄関にあるインターフォンを押した。
母は出るのに手間取ったらしく、少し間を置いて誠一はインターフォンに顔を近づけて何やら話し始めた。
勿論良平には声は聞こえないが、横顔を見せる誠一は難しい表情を浮かべて随分長い間話し込んでいた。
漸く誠一がインターフォンから顔を遠ざけた。
暫くすると玄関が開いて母が顔を覗かせた。
母の表情は明らかに困惑気味で、怒りさえ浮かべていた。
倍率が8倍の双眼鏡を通すと50m離れていても本の6m隔てて眺めているのと同じで、母の表情は驚くほどはっきり覗える。
母は叱責するような表情で話し始めたが、時間の経過とともに次第に近所の目が気になりだしたらしく話しの合間に落ち着きを無くして忙しなく外の様子を窺うようになった。
それでも暫らくは険しい表情で話し込んでいたが、このままでは埒があかないと思ったのか近所の目を窺う様に外を覗いて左右に目を配ると、そっと誠一を家に引き入れてドアを閉めた。
来る筈が無いと思っていた誠一は来ただけではなく、良平の見ている前で我が家へ入り、その姿は見えなくなってしまった。
今日が初めてなのか、それとも誠一が話したように今までに2度ほど良平の知らない時に訪ねて来ているのかは定かでは無いが、困惑した母の表情から何の連絡も無い突然の訪問だった事は間違いなさそうである。
そして良平が気になったのは母が怒りの表情を浮かべていた事である。
母が見せた困惑の表情は判らないでもないが、怒りの表情は如何解釈すればいいのだろう。
何の連絡も無く遣って来れば、確かに困惑はするだろうが、しかしそれに対して怒りの表情を露にするのは少し不自然な気がする。
もしや、二度と来るなと言って置いたにも関わらず誠一が又遣って来た事への怒りなのでは。
もしそうだとすると、誠一がこっそり母を訪ねていたのは事実と言う事になり、しかも母に二度と来るなと言わせた様な事柄が二人の間には有ったと言う事になるが。
今日が初めてではないとすると・・それは作り話だと思っていた昨日の誠一の話の信憑性が高まり、事実だと認めざるを得なくなる事を意味するのだが・・それだけは決してあってはならない事で良平は考えたくもなかった。
きっと今日が初めてで、直ぐに母に追い返されるに違いないと信じる事にして良平はこの場で待つ事にした。
そう考えるのが良平には一番安堵出来るし、また実際そうでなければ困る。
誠一が我が家へ入って早くも15分が過ぎた。
そろそろ母に追い出されるようにして玄関に姿を顕わすに違いない。
祈るような気持ちで玄関を見詰めている双眼鏡の視野の中に、良平は誠一の姿が再び現われるのを今か今かと待ち続けた。
ジリジリと待って更に5分が過ぎた。
誠一が我が家に入って20分。
一体二人は何をしているのだろう。
雅かとは思うが・・良平は母の事が気に掛かる。
相手にされず、逆上した誠一が母に乱暴を・・考えたくはないが有り得ない事ではないと良平は思った。
様子を見に行こうかどうか迷っている内に更に5分が経過した。
誠一が入って行ってから25分が過ぎようとしていた。
“後5分待ってみよう・・誠一が家へ入って30分だ・・それまでに出て来なければ様子を見に行こう”良平は残り5分に最後の望みを託した。
しかし良平の望みも空しく何の変化も無いままに5分が経過した。
“もう待てない!”意を決した良平は公園の木立から出て我が家へ向かった。
門を入って玄関のドアノブに触れようとした良平は庭へ回る事を思い付いて咄嗟に手を引っ込めた。
幸い庭には芝が張ってあるので足音が聞こえる心配は無い。
良平は足音を殺して玄関横から庭へ回った。
客間の先にあるリビングの窓からはみ出たレースのカーテンが風に揺れていた。
良平は客間の外壁に身を寄せてそっとリビングを覗いてみた。
揺れているレースのカーテンの直ぐ傍にコードの先がコンセントに刺さったままの掃除機が放置されていた。
インターフォンが押された時、母は掃除中だったのだろう。
耳を澄ましても室内からは音は全く聞こえてこない。
良平は更に身を乗り出して室内を覗き込んだ。
部屋の中には誠一はおろか母の姿も無かった。
リビングの向こう側に見えるキッチンにも二人の姿は見えない。
掃除機を放り出したままで、母は、そして誠一は何処へ消えたのだろう。
良平の心臓が動悸を始めた。
足は自然に動き、リビング前の庭を横切ってその先にある母の寝室へ向かっていた。
寝室の窓まで足を運んだ時には良平の掌はジトッと汗ばみ、口の中はカラカラに乾いていた。
良平は覗き込むのが怖くて暫し躊躇っていたが、心臓の鼓動に耐え切れずに恐る恐るレースのカーテン越しに片目で中の様子を窺った。
最初に窓側の父のベッドが目に入った。
良平は更に顔を傾けて寝室を覗いた。
父のベッドの奥に母のベッドの端が見えた。
母のベッドが僅かに揺れたように感じた良平の心臓は音が聞こえるのではないかと思えるほど激しく動悸し始めた。
気のせいであって欲しいと念じている最中に、今度は気のせいではなく、微かだがはっきりとベッドが揺れた。
生唾を飲み込んだ良平は見るのが怖かったが、ここで止める訳にはいかない。
良平はもう一度生唾をゴクリと飲み込むと、ゆっくりと顔を傾けた。
母のベッドが足元の方からから少しずつその姿を現してゆく。
ベッドがまた小さく揺れた。
“もう間違いない・・母と誠一の二人はベッドの上に居る” 良平はそう確信した。
10時半迄粘っても誠一が現われなければ、無駄な時間を過ごして取り越し苦労に終るがそれはそれで構わない。
昨日の話は誠一の作り話だった可能性が非常に高まるのだから。
そうでなく、もしも、もしも昨日の話が本当だとしたら、半月我慢していてしかも良平が不在だと分かっているのだから誠一が遣って来ない筈が無いからだ。
良平はガラス越しに通りの向こう側に注意を注ぎながら雑誌に目を通し始めた。
一時間が経過し、並んで立ち読みをしていた男性は一人また一人と立ち去り、代わって買い物が済んだのだろうコンビニの袋を下げたOLらしき女性が女性週刊誌を読み始め、続いて高校生らしい男性が良平の傍に来てゲーム雑誌を読み始めた。
良平は既に2冊目も目を通し終え、3冊目を手に取った。
来る筈の無い人をこうして待ち続ける事が馬鹿らしく思え、大きな欠伸をした丁度その時、通りの向こう側に見覚えのある姿が見えた。
何時も見慣れた学生服姿ではないがあれは間違いなく誠一である。
彼の自宅の方角である通りの右手から現われた誠一はあろう事か悠然と路地を曲がったのだ。
手にした雑誌を棚に戻すと良平はコンビニを出て、歩道橋を駆け上がり、駆け下りた。
車がやっとすれ違える幅の路地を誠一は50m先を歩いている。
あのゆっくりした歩き方では我が家まで5分くらいだろうか。
遣って来る筈が無いと思っていた誠一が遣ってきた。
未だ我が家を訪ねて来たと決まった訳ではないが、良平の心臓は激しく動悸していた。
良平は50mの距離を保ちながら家々の塀に添うように誠一の後を付いて行った。
小さな公園の角を誠一が左に曲がった。
後100m程直進すれば我が家である。
良平は曲がり角の手前から公園に入った。
公園の端の木立の間から50m先の我が家の玄関がどうにか窺える。
良平は人目につかない木立の中へ入ると鞄から双眼鏡を取り出して覗いた。
直ぐに誠一の姿を捉えそのまま後ろ姿を追った。
やがて立ち止まった誠一はおもむろに後ろをふり振り返ったが、もちろん公園の木の陰から覗き見ている良平に気付く事はなかった。
人がいないのを確認すると誠一は門扉の無い我が家の門を入って玄関にあるインターフォンを押した。
母は出るのに手間取ったらしく、少し間を置いて誠一はインターフォンに顔を近づけて何やら話し始めた。
勿論良平には声は聞こえないが、横顔を見せる誠一は難しい表情を浮かべて随分長い間話し込んでいた。
漸く誠一がインターフォンから顔を遠ざけた。
暫くすると玄関が開いて母が顔を覗かせた。
母の表情は明らかに困惑気味で、怒りさえ浮かべていた。
倍率が8倍の双眼鏡を通すと50m離れていても本の6m隔てて眺めているのと同じで、母の表情は驚くほどはっきり覗える。
母は叱責するような表情で話し始めたが、時間の経過とともに次第に近所の目が気になりだしたらしく話しの合間に落ち着きを無くして忙しなく外の様子を窺うようになった。
それでも暫らくは険しい表情で話し込んでいたが、このままでは埒があかないと思ったのか近所の目を窺う様に外を覗いて左右に目を配ると、そっと誠一を家に引き入れてドアを閉めた。
来る筈が無いと思っていた誠一は来ただけではなく、良平の見ている前で我が家へ入り、その姿は見えなくなってしまった。
今日が初めてなのか、それとも誠一が話したように今までに2度ほど良平の知らない時に訪ねて来ているのかは定かでは無いが、困惑した母の表情から何の連絡も無い突然の訪問だった事は間違いなさそうである。
そして良平が気になったのは母が怒りの表情を浮かべていた事である。
母が見せた困惑の表情は判らないでもないが、怒りの表情は如何解釈すればいいのだろう。
何の連絡も無く遣って来れば、確かに困惑はするだろうが、しかしそれに対して怒りの表情を露にするのは少し不自然な気がする。
もしや、二度と来るなと言って置いたにも関わらず誠一が又遣って来た事への怒りなのでは。
もしそうだとすると、誠一がこっそり母を訪ねていたのは事実と言う事になり、しかも母に二度と来るなと言わせた様な事柄が二人の間には有ったと言う事になるが。
今日が初めてではないとすると・・それは作り話だと思っていた昨日の誠一の話の信憑性が高まり、事実だと認めざるを得なくなる事を意味するのだが・・それだけは決してあってはならない事で良平は考えたくもなかった。
きっと今日が初めてで、直ぐに母に追い返されるに違いないと信じる事にして良平はこの場で待つ事にした。
そう考えるのが良平には一番安堵出来るし、また実際そうでなければ困る。
誠一が我が家へ入って早くも15分が過ぎた。
そろそろ母に追い出されるようにして玄関に姿を顕わすに違いない。
祈るような気持ちで玄関を見詰めている双眼鏡の視野の中に、良平は誠一の姿が再び現われるのを今か今かと待ち続けた。
ジリジリと待って更に5分が過ぎた。
誠一が我が家に入って20分。
一体二人は何をしているのだろう。
雅かとは思うが・・良平は母の事が気に掛かる。
相手にされず、逆上した誠一が母に乱暴を・・考えたくはないが有り得ない事ではないと良平は思った。
様子を見に行こうかどうか迷っている内に更に5分が経過した。
誠一が入って行ってから25分が過ぎようとしていた。
“後5分待ってみよう・・誠一が家へ入って30分だ・・それまでに出て来なければ様子を見に行こう”良平は残り5分に最後の望みを託した。
しかし良平の望みも空しく何の変化も無いままに5分が経過した。
“もう待てない!”意を決した良平は公園の木立から出て我が家へ向かった。
門を入って玄関のドアノブに触れようとした良平は庭へ回る事を思い付いて咄嗟に手を引っ込めた。
幸い庭には芝が張ってあるので足音が聞こえる心配は無い。
良平は足音を殺して玄関横から庭へ回った。
客間の先にあるリビングの窓からはみ出たレースのカーテンが風に揺れていた。
良平は客間の外壁に身を寄せてそっとリビングを覗いてみた。
揺れているレースのカーテンの直ぐ傍にコードの先がコンセントに刺さったままの掃除機が放置されていた。
インターフォンが押された時、母は掃除中だったのだろう。
耳を澄ましても室内からは音は全く聞こえてこない。
良平は更に身を乗り出して室内を覗き込んだ。
部屋の中には誠一はおろか母の姿も無かった。
リビングの向こう側に見えるキッチンにも二人の姿は見えない。
掃除機を放り出したままで、母は、そして誠一は何処へ消えたのだろう。
良平の心臓が動悸を始めた。
足は自然に動き、リビング前の庭を横切ってその先にある母の寝室へ向かっていた。
寝室の窓まで足を運んだ時には良平の掌はジトッと汗ばみ、口の中はカラカラに乾いていた。
良平は覗き込むのが怖くて暫し躊躇っていたが、心臓の鼓動に耐え切れずに恐る恐るレースのカーテン越しに片目で中の様子を窺った。
最初に窓側の父のベッドが目に入った。
良平は更に顔を傾けて寝室を覗いた。
父のベッドの奥に母のベッドの端が見えた。
母のベッドが僅かに揺れたように感じた良平の心臓は音が聞こえるのではないかと思えるほど激しく動悸し始めた。
気のせいであって欲しいと念じている最中に、今度は気のせいではなく、微かだがはっきりとベッドが揺れた。
生唾を飲み込んだ良平は見るのが怖かったが、ここで止める訳にはいかない。
良平はもう一度生唾をゴクリと飲み込むと、ゆっくりと顔を傾けた。
母のベッドが足元の方からから少しずつその姿を現してゆく。
ベッドがまた小さく揺れた。
“もう間違いない・・母と誠一の二人はベッドの上に居る” 良平はそう確信した。
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