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◎10/30 地区協議会終了後 ご伝言は破棄して下さい。

 投稿者:あした 晴れるかな?  投稿日:2017年10月26日(木)19時19分19秒
  不屈の執念の大闘争、本当にご苦労さま!災害を乗り越え、嵐の大激戦をよくぞ勝ち切ってくれた。大九州、本当にご苦労さま!
真剣に祈り、戦い抜いた結果は、すべて「梵天・帝釈の御計」である。御仏智であり、深い意味がある。信心の眼で悠然と見つめていけばよい。
御本仏が、尊き全同志を労い讃えて下さっている。
御聖訓には、「悦ばしきかな・楽かな(ママ)不肖の身として今度心田に仏種をうえたる」と仰せである。
大事なことは、わが宝の同志が自身の心の大地に無限の幸の仏縁を広げゆくことだ。これが一番の大勝利だ。
日本の安定のため、世界の平和のため、人類の未来のため、我らの誓願の大行進は止むことがない。
苦も楽も私と共に、同志
と共に分かち合い、次の勝利の種を植えながら、「いまだこりず候」「一度もしりぞく心なし」と、いよいよ朗らかに進みゆこう!
わが愛する九州家族が、
いやまして「陰徳陽報の大果報」に包まれゆくことを祈っています。
世界の大九州の人材城・大九州、本当にご苦労さま

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

管理人さま
お手数ですが、10/30 夜の協議会終了頃、削除お願いします。
 

JACKさま

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年10月26日(木)18時58分56秒
編集済
  情報ありがとうございま~す、創価学会の会員数が減少したとのコト、さもありなんデスねぇ~(笑)

もちろん、少子高齢化により、亡くなられた方も多くいらっしゃると思いマスが、小生思うに、もう一つ大きな要因があると思いマス。

それは、「活動家」の減少でぇ~す(笑)

言うまでもなく、2014年を境にして、極端に増えた査問・処分・除名といった今までの「活動家」の排除の姿勢ではないデスかねぇ~(笑)

処分の人員は一人かもしれませんが、実際は、その一人の回りにいる多数の人に、疑惑を投げかけたコトになりまぁ~す。

いくら、「裏切者だ!」「反逆者だ!」「あいつは法華講にいった!」とかデマを流しても、実際にその人物を知る方にとっては、

疑惑は晴れるものではありましぇ~ん(笑)

かといって、実際に流言する患部の方も、会ったコトも無い、話したコトも無い、ワケですから、真実味などカケラもありましぇ~ん(笑)

そんな疑惑が蔓延する中では、活動に身が入らないのももっともでしょうねぇ~(笑)


そんな中で、「折伏弘教だ!」などと、大上段からモノを言っても、成果が出るとはとても思えましぇ~ん(笑)

ナゼならば、処分した「活動家」は実際に折伏弘教してきた強者だからでぇ~す(笑)

残ったのは、実際に折伏したコトも無い、上からモノを言うだけの患部サマ?(笑)

数字だけは、分世帯の数をちょろまかしたか? 自分の子供を入会させた成果か? インチキ折伏の数を挙げているのかもしれませんが、

実際に、折伏のため、どれだけの題目をあげたのか?、どれだけ通ったのか?、どれだけ話し込んだのか?、といった

現実の苦労を知らない患部サマに、「折伏弘教だ!」などと言う資格はありましぇ~ん(笑)

地区部長会などで、檄を飛ばしても、尻すぼみで終わるでしょうねぇ~(笑)

ナゼならば、「排除」の姿勢が蔓延してるからか? 「選挙」と「財務」で訪問こそすれども、

言うコトは、「肯定者」のみを受け入れ、それ以外の人は「排除」の対象で訪問すらしない(笑)

こんな有様では、先細りしかありましぇ~ん(笑)

要は、「折伏弘教だ!」などと言っても、実際に「折伏弘教」されてきた方々を処分した結果、

残ったのは実際に折伏したコトのない患部さまダケだったのではないデスかねぇ~(笑)

ましてや、教義もデタラメ、御観念文もデタラメでは、実際に折伏される方も苦労されるコトでしょうねぇ~(笑)

もっとも、原田怪鳥様などにとっては、一割か三割かは知りませんが、「ついてこれなくてもやむをえない」んでしょうから、

まさに願い通りになったのではないでしょうかぁ~(大爆)



 

創価学会改革同盟の興隆

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年10月26日(木)18時54分8秒
編集済
  ネットワーク世界に興隆する妙法の地下抵抗運動レジスタンス運動、創価学会改革同盟。団塊の世代の有志が中心になって、全国展開する謎の裏組織!南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。現、原田体制を打破して、広宣流布の王道楽土を築きゆかん!!!  

サンダーバードに贈る唄

 投稿者:平田真吾@南里Guy メール  投稿日:2017年10月26日(木)15時36分10秒
編集済
  Kansas - Carry on Wayward Son

♪疲れ果てた我が子よ、前に進むのだ
やがてお前にも静寂が訪れる
その重い頭を休めるが良い
もう二度と泣く事はない

かつて僕は騒音と混乱の上に立ち上がった
幻滅の向こうにある光を浴びるために
かつてなく高く飛んでいたけど
あまりに高く飛び過ぎたんだ

心に耳を澄ますと
自分がまだ盲目であるって事を

そう。思い出した
自分はまだ何も知らないって事を

夢を見る度に聞こえてくる
あの声が聞こえてくる...

大きな理由を背負った人間の振りをして
仮面をつけて踊っていたんだ
自分自身がまるで大きな出来事であるかのように
もし自分は賢者なのだと自惚れているのなら
それはいかに無知なのかという証明なのさ

荒れ狂う感情の嵐の中
僕は大海にのまれた船のようだった
運命の風に任せて進路を決めていた

だけど今、あの声が聞こえてくる...

進め、お前は決して忘れないだろう
この輝きを越える物など無い事を
お前の人生はもう空虚ではない
その行く手には自身の王国が待つのみだ♪

https://youtu.be/s38ignmTqFQ

 

問題有る最高大幹部さまに忠告します!!

 投稿者:後閑  投稿日:2017年10月26日(木)14時34分20秒
  二号とか三号とか、愛人?に義理本尊流布はしないでください。セカパの子供にも本尊流布は禁止。
議員宿舎に出入りしている者への義理本尊流布も禁止、マンション買って養っている者、その関係者、親類縁者への義理本尊流布も禁止ですよ。
 

(無題)

 投稿者:後閑  投稿日:2017年10月26日(木)14時18分17秒
  明年11・18までの動機が不純ですね・・・
暇なまともな仕事していない本部職員全員、折伏10世帯,会長・副会長折伏100世帯を厳守、出来なかったら退会処分・退職金没収、私財没収して学会組織から追放を明記してください。

公明党議員(国政関わらず)折伏100世帯厳守、出来なかったら公明党解党!!

と言う現場になんでも落とし込まないで、先ずは模範を示して明年11・18までやってください。
現場の我々は、明年以降からどうするか?検討します。財務の金額もね。
 

ムサシについて

 投稿者:陽光メール  投稿日:2017年10月26日(木)13時43分1秒
  ミネルヴァの梟様、開票システム「ムサシ」についてですが、十数年前に
不正選挙ソフトを開発したコンピュータ・プログラマー本人がフロリダ州
タラハセ市(州都)の法廷でそのソフトの内容を詳しく宣誓証言しています。

https://www.youtube.com/watch?v=JEzY2tnwExs

彼によると数字は自在にフリップできるということです。第三者がそれを
見るためにはソース・コードを入手しなければいけませんが、その時点で
それは消滅しますので証拠は一切残らないようです。
 

身口意の三業に悪を止めて善を修すべきこと!!

 投稿者:後閑  投稿日:2017年10月26日(木)13時32分54秒
  アルベアさんの意義された食事は、三業の所作を善に修す行いです。

身のなす所、口の語る所、意の思う所とは、本来仏の当体で有る我が身から発するもの。

感謝の念が絶えない功労者は、どんなところにいても輝き良き友人が多く賑やかで明るい。
逆に嫉妬・悪逆の念が多く常に不足(金・立場・物欲・性慾)を感じて苛立つ者は、黒い焔を燃やし続けて、薄暗く悪臭を放ち、奇妙な顔・形をした化け物ばかりが徒党を組んで集まっている。

食べ物の話をすると、ブタ汁やカレーライス、おしること庶民的な食べ物は、格調高い、威厳の有る世界の創価学会には相応しくないから削除します!となるのでしょうね。

居丈高の反逆者は、庶民的な食べ物は大嫌いです、何故なら、昔に貧乏な生活していたから!だから今になって登り詰めた自身は、そんな貧乏臭いマネ、話は一切しない!金持ちに成ったから?

身口意の三業とは、かくも、そうしてしまう、愚かなその弟子の姿に象徴されてしまうのです。戸田門下多数、そして本部職員に成り優雅な生活をしている池田門下全員。

これらを全員駆逐して創価学会、日蓮世界宗創価学会を解散させましょう!!もう、真面目に信心する学会員には組織は必要ありません!!

会員個人の大切な生活時間を浪費させる公明党もいりません。解党して議員はそれぞれどこかへ行ってください。自民でも希望でも結構ですから。次の選挙まで失業しませんから、あとはあなた方の努力次第です。
 

あら 不思議

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2017年10月26日(木)13時28分25秒
  選挙が終わり 婦人部は昨日、緊急の会合が入りました。
この度の選挙を終えての池田先生の長文のメッセージ。
現場のメンバーに伝えるために必死でメモを取りました。

本日の聖教新聞の紙上座談会を読んでビックリ。

長谷川さん、永石さん、原田さんの発言を繋げると 昨日必死でメモした池田先生からの長文のメッセージと全く同じ内容の出来上がり。

あら 不思議、、、、、。
 

明年の「11・18」を目指す理由

 投稿者:JACK  投稿日:2017年10月26日(木)13時04分41秒
編集済
  選挙前の地区部長会で打ち出された内容をご紹介します。


・創価学会の会員数が減少した。
→ これまでの地区部長会では、会員数の減少にここまで踏み込んだ話は聞いたことがないため、おそらく信濃町側でかなりの危機感を抱いたのではと思われます。

・会員数の減少理由は、高齢化に伴い活動家が亡くなったことが大きい。
→ 高齢化以外にも、未来部や青年部を育ててこなかった、または、未来部や青年部を『消費』し、『摩耗』させてきたことも大きな理由と思われます。
事実、当方がかつて共に青年部として戦い、活動した、男子部や女子部のその後には、活動に追われて精神を壊したり、自分は今のような活動家になりたくないから休眠すると宣言したりした人達がいます。
幹部は口を開けば二言目どころか、一言目が『選挙』か『財務』の話で、育成どころか人の話を聞く耳がない有様では、今いる未来部や青年部がそっぽを向くのは道理です。

・折伏した人材が活動家にならず、選挙等があっても役に立たない。
→ 選挙のために学会に入会させているのではないはずですが、今の信濃町は選挙のために使えるかどうかで、会員の良し悪しを判断しているようです。

・従って、来年の11・18まで1年かけて、大折伏戦を行い、会員を増やしていきたい。
→ 動機は選挙のため…?
 

公明党を支援して功徳はあるのか?

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年10月26日(木)12時52分8秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

「公明党を支援して功徳はあるのか?」

テレビでも放映されましたが、会員さんにとってとても「疑問に思う」テーマです。そして会員さんは悩んでいます。

宿坊の掲示板を閲覧される皆様はどうこのテーマに答えますか?

質問
①功徳が有・無

②文証を引用して有・無の説明

③結論

原田学会の職員や外郭職員もこのテーマに答えませんか?
皆様のご意見はどうでしょうか?
 

公明党が踏み絵を踏む 秋

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年10月26日(木)12時45分12秒
  総選挙が終わったので、特別国会が11月1日~8日に開かれる。

でも、トランプ氏が来るのが11月5日~7日だったり、休日があったりで、特別国会の会期は実質3日間程度しか無いようだ。

モリカケを追及されたくないので臨時国会の召集は、またと言うか、またまた見送る方針らしい。
そしてその後安倍首相は、外交日程がキツイとかという口実で海外へ逃亡。
いったい何時になったら、丁寧な説明とやらをやってくれるのだろう。永遠に逃げ続ける気か?

よほどモリカケ問題を追及されるのがイヤな様だ。
逃げっぷりがあからさま過ぎて、自分は黒です、と白状している様なものだが、それでも悪事に気が付かない国民が多い。


しかし、悪事に気が付かない国民の割合が、こんなに多くなってしまっては、憲法改悪の国民投票が心配だ。

3K、ゴミ売り、犬HK、さらに政教一致珍聞も加わって、9条廃止の大キャンペーンが行われた時、正常な過半数が維持出来るかどうか、非常に心許ない。

更に開票システム「ムサシ」の存在も気になる。
これはまだうわさ話レベルだと思うが、不正選挙を実行する事も、技術的には可能と聞いた事がある。
マニアックな陰謀論者に組する気はないが、今の安倍自公なら…と思う気持ちは私にもある。
試験運用程度はもうやっていたりして…。
それほど信用されていない安倍自公政権だ。

国民投票の際には国連に、不正選挙監視団の派遣をぜひ要請したい。(失笑)


以前の公明党の役割は、自民党が差し出した毒薬をオブラートで包み、薬に見せかける事。
国民投票を間近に控えた最近は、それさえやめて、平和の為には毒薬も飲めと、あからさまに主張を変えている。

池田先生の平和主義に対する明白な反逆だが、学会員の目覚めが始まった。

次の選挙で解党の憂き目に遭いたくなければ、憲法改悪問題にどう対応するか、よくよく考えるべきだ。

安倍首相は憲法改悪に向けて、もうすでに暴走再開。
今度は公明党が踏み絵を踏まされる番だ。時間はもういくらも無い。

池田先生を裏切るかどうか、決定的局面を迎えている。

 

先生のお手紙

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年10月26日(木)12時34分30秒
  また年末に向けて財務や聖教新聞啓蒙が始まるのだろう。先生のお手紙を自認し世界中の人に読ませたいならネットで無料で公開すればいい。全て無料にすれば配達員ゼロ、聖教啓蒙なし。多くの問題が解決する。聖教新聞社の収入は広告収入にする。余った社員は本部か外郭に。これは革命的にいいと思う。  

 SaySaySay 様

 投稿者:アルベア  投稿日:2017年10月26日(木)12時19分36秒
   SaySaySay 様

毎年、3.16の夕飯は豚汁 5.3は、カレーライス 11.18は、お汁粉と決まっていま

す。

親父の決めた我が家の「創価の慶祝行事」のメニューです。

5.3は会長就任の記念で、奥様が「今日はお葬式です」といいカレーを作ったというエピソー

ドがあります。

11.18は戸田先生が存命の時に戸田先生よりお汁粉が振る舞われた事によると聞いておりま

す。

親父とお袋の戸田先生・池田先生に少しでも近づきたいという思いが、我が家の慶祝行事の定番

になったようです。
 

同放

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年10月26日(木)12時07分17秒
  11月17日から同放があるそうです。  

twで見たつぶやき

 投稿者:シャクソンファイブ  投稿日:2017年10月26日(木)11時30分31秒
  twで見たつぶやきです。
やはり心配している人が多いのでしょうか?






今日の聖教新聞。
来月、SGIの秋期研修あり。
そのときに、日蓮世界宗旗揚げで、ダーハラがSGI会長に就任するのか?
御本尊下付と資金援助で締め付けて、各国に賛成させるとか?
 

こんなハズじゃなかったラヴ・ソング

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年10月26日(木)10時07分14秒
  カンピースさん、その通りです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/75961
>「日蓮世界宗」もし、旗揚げされるのであれば、池田先生の揮毫もゼヒ公開<
そしてその揮毫が本物か、科捜研に調べさせよう。沢口靖子を呼べ!
「3・16」「5・3」は三代会長色が強いから消したいのでしょうね。忘れさせたいのでしょう。ただ誕生日を強調して、ここから「別の宗教=世界宗」とするつもりでしょう。

余計なことを訊きますが、アルベアさん、「3・16豚汁」は分かりますが、「5.3は、カレーライス 11.18は、お汁粉」の意味は何かあるのでしょうか? 真似したくなります。男子部会合、牙城会任務に「3・16豚汁」(カップ味噌汁)を何度か差し入れましたが、あまりウケませんでした。皆さんは何かやっていますか? 仮装とか?

さて、今日は10・26。「ケネディ暗殺事件」の全文書が公開されます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171022-00000000-mai-n_ame
「知る権利」です。混迷党ですらこれを加憲すると言っています。学会員にもこの「知る権利があります」先の揮毫の件以外にも池田先生のご指導全てを公開すべきです。例の2006年以降スピーチはもちろん、「提婆達多。お前のことだよ空き家」音声・映像も含めて、ぜんぶ全部です。

あの衆院選……こんなハズじゃなかった?
こうなった原因を分析するためにも資料公開は絶対必要です。
dekahappyさん、そうです。動執生疑の時、来たる、です。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/75958
>信じるものがゆらぎ、絶望との戦い<
天動説を信じる人たちに地動説の真実を教えるのですから。デカショックでしょうね。

ところで、半額セールさん、面白いものがあります。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/75936
人口の変動があるのですから、「絶対得票率」の上昇こそ常勝を意味すると思うのですが、今回、大勝した自民の絶対得票率25%は惨敗した2009年とほぼ同じだったそうです。
現在の選挙制度は明らかに民意を反映しておらず、問題があります。
そこで、「世代別選挙区制度」という妙案があります。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110701/221222/
http://www.west-univ.com/library/2013/13_best2_4.pdf#search=%27%E4%B8%96%E4%BB%A3%E5%88%A5%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA%E5%88%B6%E5%BA%A6%27
例えば「22歳選挙区」「64歳選挙区」に立候補させ、その世代の有権者が投票するのです。議席数はその世代人口比で機械的に決めます。
こうすれば「一票の格差」も「シルバー民主主義」も解消できるでしょう。「ジバン・カバン・カンバン」の地盤から剥がすことも可能です。中選挙区・比例代表併用も可能です。
いかがですか? 「世代別選挙区」で検索すると、けっこう出て来ますよ。

“いやというほどわかったよ 周囲はいいことばっかり言うんだって”
“それで気持が落ち込んで 力負けしちゃうから イヤなことを言われても 結局言うことをきくしかない”
“ありがた迷惑って言葉があるでしょ? 騙されたよ 思ってたのとは大違い”
“そんな人だと思わなかった”
“結局人を追い詰めて 言うことをきくよう丸め込んで そんなに悪い話じゃないって思わせた”
“せめてこっちの本音をわからせたい だからこうしてやるんだよ”
“ラヴ・ソングなんて書かないよ そうして欲しいのがわかってるから”
“それが狙いだって知ってるから わかった?”
“ラヴ・ソングなんか書くもんか だってこう言うんだもの”
“これが運命の分かれ目だって そっちがやりたいようにやるんなら どうぞ勝手にすればいい”
“こっちだって言うことなんか聞かないよ ラヴ・ソングなんて書かないから”
“そうしなきゃおしまいだって脅すんなら せめてまともな理由を教えてよ”
“なんで今ラヴソングを書かなきゃならないの?”
“約束して 灯りはそのまま消さないって”
“そうすれば日が落ちて 太陽の光が消えちゃっても どうにかものが見えるから”
“歩み寄る方法だってきっとあるはず いい? あのね ラヴ・ソングなんて書かないよ”
“そうして欲しいのがわかってるから それが狙いだって知ってるから わかった?”
『こんなハズじゃなかったラヴ・ソング』サラ・バレリス
https://www.youtube.com/watch?v=qi7Yh16dA0w
 

学会員の「信仰観の狂い」を懸念する。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年10月26日(木)09時24分5秒
編集済
  選挙に罰も功徳もありません。

正しい信仰観で公明党支援される会員は問題ない。
選挙は自由であり、公明党支援も選択肢の一つだからです。
故に公明党支援が善でも悪でもない。

しかし時には、善悪の表現が必要な場合もあります。
善悪の表現は、丁寧な投稿をしないと誤解されるので、虹自身も言葉の使い方を注意したいと思います。

さて問題は、テレビの選挙特番で流れた映像です。
>「なぜ、F票を取られるんですか?」の質問に、「功徳があるからです。」との回答。<

この気持ちも、良くわかる。
実際に虹は、娘の脳腫瘍をかけて戦った体験があるからです。

当時の自分を振り返ると、事実が見えてくる。
そこには、娘を守るために、眠りを断ち必死に祈る虹の姿があったのです。
娘は題目で、病魔に打ち勝ったのです。選挙に功徳も罰も無かったのです。

選挙に功徳を感じている会員は、潜在的に罰も感じている。
「公明党に投票しないと罰を受ける」と、思っていないだろうか。
他党に入れる時に、違和感や罪悪感を、感じていないだろうか。

「選挙に功徳がある」という一念は、信仰観を狂わせる要因の一つです。

学会員の信仰観の狂い。これほど怖いものはない。
大聖人は「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」と厳しく仰せられているからです。

~~~~~~~~

>「選挙の支援活動で、やらないと罰が出たりなどしない。
やるやらないは、個人の自由。
功徳があるとすれば、題目があがった結果。」

おととし、学会本部に行き、直接質問した時に、明確に池田先生の秘書の方がご回答くださり、
地元に帰ったら、会員のみなさんに伝えてほしいと言われ、そうしました。<


【「不健康な支援活動」になっていませんか?】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/75710

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、「原田怪鳥様を中心に各部代表者会議」の開催、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年10月26日(木)08時55分48秒
  おはようございます。原田怪鳥様、「原田怪鳥様を中心に各部代表者会議」の開催、誠にご苦労様で~す(笑)

あわせまして、来月SGI秋季研修会の開催も発表されました。誠におめでとうございま~す(笑)

原田怪鳥様、世界中から人を集めて、ナニされるおつもりデスかぁ~? いよいよ「日蓮世界宗」の旗揚げデスかぁ~?

もし、旗揚げされるのであれば、池田先生の揮毫もゼヒ公開していただけマス様にヨロシクお願い致しまぁ~す(笑)

もしかして、研修会とは名ばかりで、その実は、各国代表に、「教師・准教師のいうコトを聞いてりゃいいんだよっ!」と

〇顕ヨロシク、カマすおつもりデスかぁ~(爆)


それと、原田怪鳥様、一つ教えていただきたいのデスが、本日の政教珍聞1面には、このようにありまぁ~す(笑)

>原田怪鳥は(中略)明年の「11・18」を目指して、圧倒的な折伏弘教と人材のの拡大へ出発しようと呼び掛けた<
(政教珍聞1面より抜粋)

本日は10月26日デスけど、明年の「1・2」も「3・16」も「5・3」もスッ飛ばして、「11・18」を目標日とするワケを知りたいでぇ~す(笑)

「本年の11・18」ならば、まあわからなくもないデスし、爆笑創作座談会にも、原田怪鳥様の発言として、

>まずは、来月迎える栄光の「11・18」を目指し、そして池田先生の誕生日である明年の「1・2」に向けて師匠と共に(後省略)<

と、あるんデスけどぉ~(笑)

爆笑創作座談会では、来月の「11・18」明年の「1・2」が一つの目標日になっているのに、

1面では、明年の「11・18」となってるのは、どの様な意義があるのか? 小生の暗愚なアタマでは、全くわかりましぇ~ん(笑)

まあ、優秀なる人材を集めている政教珍聞社デスから、まさか誤植ではないと思いマスが、よろしければ、その意義を教えてくださぁ~い(笑)


爆笑創作座談会も、やれ御仏意だの、深い意味があるだの、陰徳陽報だのと、使い古された言い訳のオンパレードですねぇ~(笑)

コンペートーに国民の期待がないから、こんな惨敗になったんじゃないデスかねぇ~(笑)

どうか、原田怪鳥様はじめ、議員のセンセイ方も、「庶民の視点」「大衆のために」という原点に立っていただいて、

「富裕層の視点」「金持ちのために」というコトにならないように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)



 

二十一世紀への対話 166

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年10月26日(木)08時19分22秒
  2 近代西欧の三宗教

【池田】 宗教は常に文明の源泉であり、創造性の原動力となってきましたが、これに反して近代以後の西欧文明は、むしろ宗教からの離脱を起点としているいわば非宗教的文明とみることができます。これは否めない事実であると思いますし、実際に本来の意味での“宗教”の喪失が賛否両方の意味で、議論の的となっています。しかし、もう一歩“宗教”の概念を広げて考えてみると、近代科学技術文明も、それなりの“宗教”をもっているとみることができると思うのです。たとえば、物質的な富への憧憬、科学の進歩への信念といったものは、現代人の“宗教”となっているといえるのではないでしょうか。

【トインビー】 つまり、近代西欧は、宗教をもつことをやめたのではなく、もつところの宗教を変えたのだとお考えなのですね。まったく同感です。私も、人間は宗教や哲学なしには生きていけないと信じています。宗教・哲学という二っの観念形態の間には、明確な区別はありません。

【池田】 宗教の本質的なものは、人間の生き方に関する思想的側面であるはずです。この観点から現代人の物質的富への憧憬や科学的進歩への信念といったものをみると、それが現代文明において果たしている役割は、まさに宗教と何ら変わるところがないように思われるのです。
このことは、近代の科学技術文明というものを把握し、今日の課題である文明の転換の道を思索するうえで、重要な意味をもつと思います。そして、そこから――あたかもエジプトにおいてファラオの信仰からキリスト教へ、さらにイスラム教へと変転が行なわれたように、あるいはヨーロッパにおいて宗教改革が行なわれたように――現代文明における宗教的変革の道も、明らかになってくると思います。

【トインビー】 西欧文明は、いまや近代的な装いをこらして全世界に――あるいは力ずくで、あるいは自主的な形で――普及していますから、この近代西欧の宗教、ないし諸宗教を見極め、評価することが重要になってきます。一文明における宗教はその文明の生気の源泉であり、この宗教への信仰が失われるとき、文明の崩壊とすげ替えがなされる――このことが、私の信ずるように正しいとすれば、全世界がある程度西欧化している今日、西欧諸民族の近代宗教史こそが、人類全体の現状を認識し、その未来を展望するカギとなるでしょう。
西欧文明は、かつてギリシア・ローマ世界の宗教・哲学がキリスト教にその地位を奪われたとき、このギリシア・ローマ文明に代わって登場してきました。キリスト教は、以後、西欧の主要な宗教として――いや、事実上、その唯一の宗教として――十七世紀の後半まで存続してきました。しかし、十七世紀も終幕に近づくと、キリスト教は、その長期にわたる西欧知識階層への支配力を失い始めました。そして、その後三世紀の間に、キリスト教の退潮傾向はますます広範なものとなり、西欧社会の全階層にまで及びました。また、これと時を同じくして、人類の多数者たる非西欧諸民族の間に、近代西欧の制度、思想、理想――これはむしろ、逆に理想の喪失というべきでしょうが――などが広まったため、これら非西欧諸民族は古来の宗教・哲学による支配力から解き放たれました。つまり、ロシアでは東方正教キリスト教の、トルコではイスラム教の、また中国では儒教の、支配力がそれぞれ失われたのです。
私の西洋史観では、十七世紀における西欧の宗教的変革は、かつて四世紀にローマ帝国がキリスト教化した後の西洋史の流れの中で、最も大きな、また最も重要な分岐点でした。つまり、この十七世紀の区切り目は、私のみるところ、それ以前の宗教改革で西欧キリスト教会がカトリックとプロテスタントの二派に分裂したこと、さらにそれ以前のルネッサンスでギリシア・ローマ文明が、どちらかといえば皮相的な形で西欧社会に復興したことなどに比べると、はるかに重要な歴史的事件なのです。

【池田】 たしかに、十七世紀には、キリスト教が世俗世界における立場を揺るがせ、諸学問に対する教権を失わせるような、画期的な事件が相ついで起こっています。十七世紀の前半には三十年戦争があり、宗教上の見解の相違を政治的・軍事的力によって争った、最後の惨劇が展開された時代です。そして、これを契機として、それ以後、宗教上の争いに政治権力が介入することはしないという原則が、しだいに打ち立てられたわけです。また、ガリレオがコペルニクスの地動説を支持して宗教裁判にかけられたのも、十七世紀前半のことです。デカルトが近代合理主義哲学の基礎を打ち立てたのが、やはり十七世紀の前半でした。ニュートンが活躍したのも、十七世紀の後半から十八世紀の初めにかけてです。
こうした思想上の発展をみると、十七世紀には、ルネッサンスや宗教改革よりもはるかに大きい転換がなされたという博士の所説は、十分に納得できます。たしかに、ルネッサンスや宗教改革は、キリスト教思想の内側での変革であり、キリスト教信仰そのものを揺るがした事件とはいえません。これに対して、十七世紀の種々の変革は、キリスト教信仰と政治との関係、キリスト教神学と科学その他の学問との関係において、キリスト教そのものの座を危うくする変革であったということができますね。

【トインビー】 十七世紀に起こった宗教上の変革は、たんに消極的な出来事、つまりキリスト教の後退として、誤って解釈されてきました。すなわち、人間性は宗教的空白を嫌うものであること、したがってまた、一社会内で古来の宗教が衰退すると、早晩それに代わる一つないし複数の宗教が必ず興ってくるということに対して、認識がなされていなかったのです。
私の見解では、十七世紀におけるキリスト教の後退によって西欧に生じた空白は、三つの別の宗教の台頭によって埋められました。その一つは、技術に対する科学の組織的応用から生まれる進歩の必然性への信仰であり、もう一つはナショナリズム(国家主義)であり、他の一つが共産主義です。
いくつかの宗教が一つの社会に共存するというのは、西洋人の心情としては理解しがたいことです。これは、西欧古来の宗教であるキリスト教が、排他的なユダヤ系の三宗教のうち最も不寛容な宗教だったからです。したがって、西欧諸民族が新たに宗教的寛容を理想に掲げ、その実践に転じたことは、カトリックたるとプロテスタントたるとを問わず、西欧キリスト教そのものに致命的な打撃を与えました。じつは、こうした転向は、カトリック・プロテスタント間の宗教戦争に対する十七世紀の反動の、消極的な側面であったわけです。
これに対して、ほとんどの非キリスト教国においては、いくつかの宗教が共存することは、ごく普通の現象でした。キリスト教同様、ユダヤ一神教の排他性を受け継いだイスラム教でさえ、その教典『コーラン』自体に、他のユダヤ系の二宗教、すなわちユダヤ教とキリスト教に対する寛容を謳っています。ただし、これらの異教の民が、イスラム教徒の政治的支配に従うならば、という条件付きではありますが――。キリスト教以前のギリシア・ローマ世界、ヒンズー世界、それに東アジアでは、いくつもの宗教・哲学が共存することは当然のこととされていました。共産化以前の中国においては、外来の宗教であり哲学でもある仏教が、土着の、同じく宗教と哲学の両面性をもつ道教と、折り合いよく共存しましたし、また、ごくわずかの時期を除いては、国教的な哲学である儒教とさえも、仲良く共存していました。また、日本では、仏教は神道と折り合ったばかりか、協調的な関係にさえありましたし、私の認識が正しければ、徳川幕府のもとでは、朱子学派の儒教が、仏教や神道とほぼ同等の位置を占めていたと思います。
 

わが友に贈る 2017年10月26日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年10月26日(木)07時15分45秒
  打てば響くような
反応のスピードこそ
外交の要諦だ。
迅速かつ誠実な行動で
信頼の輪を幾重にも!
 

底力

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年10月26日(木)06時40分15秒
  今回、私は横浜に在住していますが、事前の投票依頼もなく、事後の投票確認も今回はありませんでした。

10年前は、公明のあり方、政策、投票功徳論、官僚主義等、おかしいと思います。公明には入れませんとお話しすると、あれよあれよと次々と幹部の方、創価同窓の幹部の方、本部職員の方、議員さんと訪問者がたえませんでした。

そのつど、先生の指導、御書のどちらに論拠がありますか?と質問し、こちらから、今こちら掲示板で教えて頂いている先生の指導と同じところを提示する等、対話がありました。

(それはそうだけど、組織がもたない。と最後は皆さんいわれてお帰りになりました。本当は自分がもたないということおっしゃっていることに気付きました)

あるところで、数年前、実名を出して公明の政策に反対の動きをしましたので諦められちゃったのでしょうか?

訪問査問で除名にでもなっているのかしら。
(こちらから除名になろうとは思いませんが・・・)

まあこのあと財務もありますので、はっきりするでしょう。

それにしても元気がないですね。
地元の方は、共に地域社会をつくっていく同志と、共に間違いをおかしても注意し合う、励ましあう同志と思っております。

心配しております。

学会だけでなく、組織の崩落が始まっていると思います。

その崩落に耐えきれず、自我の危機も始まる。

(自我を守るため、存在を確かめるため欲望に走る、攻撃的なることはどうなんでしょうか)

信じるものがゆらぎ、絶望との戦い。


本当の池田門下の底力を発揮するのはこれからだと思います。

共々に頑張っていきましょう!

 

立派な凡夫に私もなりたい

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年10月26日(木)05時31分14秒
編集済
  主人の曰く、予少量為りと雖も忝くも大乗を学す
蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて
千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に
事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。

立正安国論
---------------------------------
立派な凡夫の牧口先生、戸田先生、池田先生は
日蓮大聖人様の衣を大確信でつかんでみごと
万里を超えられた立派な凡夫の見本です。

エロ蛙、エロ河童、エロ坊主頭、エロ議員は
おねいちゃんの下着をつかんで、万里の手前で
地獄に墜落、ああ残念、地獄からやりなおし。
ダメな凡夫の見本でした。がんばれ。

つかむのは末法の御本仏日蓮大聖人様の
衣ですね。へんなものをつかんではダメですね。
幻の創価学会仏も幻なので墜落まちがいなしです。
---------------------------------


http://imagine-happy-life.tokyo/

 

嵐も吹雪もいざや行け!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年10月26日(木)03時46分45秒
  シャクソンファイブ様
代理投稿、いつもありがとうございます!

池田先生のお言葉
「艱難を自ら求め、乗り越えていく正義の人になってほしい。皆がその約束を果たすかどうか、私はジッと見守っているよ」

胸に響きます。
今こそ!師匠との誓願を果たすとき!
 

21世紀への選択 自由で平等な言論社会のうえに民主主義は発展する 投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年10月26日(木)02時34分31秒
  第八章精神の「内発性」ー人類を照らす普遍の光  P261

21世紀への選択 自由で平等な言論社会のうえに民主主義は発展する 投稿します。

ポイント
*、テヘラニアン
 ユルゲン・ハーバーマスが唱える「コミュニケーションの道理」です。

彼は、民主主義の発展の基礎としてこの道理を非常に重視し、「実際的道理」「方便的道

理」「批判的道理」といった他の道理と区別しています。

*、池田
 人間が生み出したイデオロギーや理論が、逆に人間を規定し、人間と社会を荒廃させ、

圧殺しゆく"凶器"となってきたのです。

・・・・・・・・・中略

博士の指摘されたとおり、互いが「誠実さ」と「開かれた態度」を保つことが、真に

対話を行ううえでの不可欠の要件であるといえるでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

世界平和を実現するには、自由で平等な言論社会と民主主義が必要だと対談されています。
現実社会では、自由で平等な言論社会はどこにあるのでしょうか・・・??

権力を持つ愚人は、必ず批判するものを、お金で黙らせ、役職で黙らせ、会憲で口を塞ぎます。

共産圏の隣国・大国も言論の自由はありません。
対話と言えども、その思想を切って捨てなければ、平和実現は絵に描いた餅となりましょう。

自由主義を標榜する、アメリカでさえ、自由に発言するなら命の危険が伴います。
先日起った、機関銃乱射事件を見ても、銃規制を言い出すことは、容易ではありません。

それは、アメリカでは、拳銃を持つことが悪いのではなく、射殺する人間が悪いのだと主張するし、
アメリカ憲法でも、拳銃で自己防衛することは認められた自由主義なのです。

ケントギルバート氏が記していますが、多くのアメリカ人における銃への意識とは、日本で報道され
ているような一方的な「危険なイメージ」では全くありません。
むしろ社会の安全をみんなで守るための大切な道具として認識されているのです。

これほど日本人とアメリカ人との拳銃に対する意識が違うのです。
アメリカ人から、銃を取り上げることは、人権侵害としてとらえられるほど、難しい事だと言わねば
なりません。

このことから、理解出来ることは、アメリカの原子爆弾、水素爆弾をなくすことは、アメリカの国を
なくせと言うほど、困難な事だと思います。

しかし、世界平和と掲げたのですから、言論でアメリカ憲法を徹底的に批判することが必要ですが、
勇気ある言論人は挑戦してみてください。

わたしは、残念ですが、英語が理解できません、中学三年間サボっていましたから・・・。

(-ω-)/鈴之助

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御義口伝講義下  常不軽品三十箇の大事
第十聞其所説皆信伏随従の事

仏法は平和主義である。だが、それは、武力や暴力による流血、殺生の闘争を否定するもので
あって、思想、言論による争いを否定するものではない。

むしろ、仏法は、あらゆる邪義、邪宗を相手に、これを打ち破り、正法正義に伏せしめることを根本
精神とする。

それが「法華折伏破権門理」の原理である。

 もし、これを忘れて、仏法は平和主義であるからといって、邪義、邪悪との戦いを否定するの
は、あたかも、悪人の横行、病原菌の増殖を放置するのと同じで、世界を混乱と不幸に陥れるのみで
あることを知らねばならない。

・・・・・・・・・中略
なによりも、それにたずさわる人々(為政者)が、賢明であり、平和を念願する心情にあふれている
ことが大前提である。

 その変わらない、人間の善意と賢明さとを確立する方途が、どこにあるか。
 善意と賢明とが、人間の本性であると信ずるには、あまりにも証拠は弱く、むしろ、歴史の証明は
逆であるといっても過言ではない。

 この人間の善意と賢明とを盤石なものとし、その勝利を決定づけるための戦いが、日蓮大聖人の
仏法による宗教革命であり、人間革命である。

 

21世紀への選択 自由で平等な言論社会のうえに民主主義は発展する P272

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年10月26日(木)02時27分23秒
  21世紀への選択  自由で平等な言論社会のうえに民主主義は発展する P272

テヘラニアン
 その「ミリンダ王の問い」の現代的意義を考えるうえで示唆的なのは、ドイツの哲学者で

社会学者でもあるユルゲン・ハーバーマスが唱える「コミュニケーションの道理」です。

彼は、民主主義の発展の基礎としてこの道理を非常に重視し、「実際的道理」「方便的道

理」「批判的道理」といった他の道理と区別しています。

「実際的道理」は、それぞれの文化的伝統のなかで、いわゆる「常識」と呼ばれるもので[す。

しかしながら、この道理は普遍的なものではありません。

ある文化における常識が他の文化では非常識になるということが、現実にあるからです。

卑近な例を挙げれば、西欧ではレストランやホテルでサービスをうけるとチップを渡す

のが常識ですが、日本で同じことをするのは非常識になります。

西欧の資本主義国では、サービスは商品と同様であり、それに対しては相応の代金を支

払わねばなりません。

ところが、日本ではサービスは礼遇なのであり、それに対しチップを支払うのは、お金

には代えられない価値の品位を下げることになりますね。

しかし、相反するこの二つの「実際的道理」は、各文化の事情のなかでは、それぞれ理

にかなったものなのです。

池田
 つまり、「実際的道理」とは、ある限定された集団のなかでのみ通用する道理とい

うことですね。

テヘラニアン
 そのとおりです。

二つめの「方便的道理」は、これよりも普遍的なものです。

この道理は、ある仕事や目的を最も効率的に成し遂げるためにはいかにすべきかという

合理的な計算に基づくものです。

例えば科学技術などは、この「方便的道理」の手段であるといえます。

そして、この道理においては、社会と個人をふくむ全世界が、特定の目的を達成するための

操作の対象と見なされます。

さらに、三つめの「批判的道理」は、初めに一定の規範的考えを構築し、その規範と比

べる形で現在の状況を批判するものです。

すなわち、まず理想とするモラルやイデオロギーを打ち立て、その理想の世界観から

現実の世界の状況を批判するのが、この道理であるといえます。

池田
 自らの構築した理論やモデルを絶対視し、現実がこれに合致しないと批判を繰り

返す・・・こうした例は、現代に数多く見受けられますね。

二十世紀は、とくにイデオロギーによる呪縛が数々の悲劇を生み出してきました。

それは、ギリシャ神話に出てくる「プロクルステスのベッド」の逸話そのものの状況を呈

していたといえましょう。

このギリシャの伝説的強盗は、旅人を自分のベッドにおびき寄せては、ベッドに縛りつ

けた。

そして、ベッドの大きさに合わせ、旅人の背丈が短いときは引き伸ばし、長いとき

は足や頭を切り落としました。

同じく、人間が生み出したイデオロギーや理論が、逆に人間を規定し、人間と社会を

荒廃させ、圧殺しゆく"凶器"となってきたのです。

テヘラニアン
 そのような忌まわしい悲劇は、断じて繰り返されてはなりません。

この「批判的道理」とは対照的に、ハーバーマスのいう「コミュニケーションの道理」

は、そうした現実を束縛する理想を初めから立てることはしません。

あえていえば、彼はこの道理を通して「理想的な言論社会」の構築を志向しています。

これは、力による強制がなく、意思疎通のアプローチに平等性が確立され、対話に参加す

る人々全員が、コミュニケーションの手法に通じている社会のことです。

もちろん、現実の世界には、そのような理想に適った社会はありません。

しかし、私たちは意思の表現における自由と平等を尊重することによって、それに近づく

ことはできるはずです。

実際、私たち二人が、空間や文化の障壁を超えて、このように対話していること自体

が、「ミリンダ王の問い」における「賢者の論」に通じ、ハーバーマスのいう「コミュ

ニケーションの道理」の具体例であると思います。

池田
 ハーバーマスは、「誠実な話し手は、自分の発話行為が真面目であるという暗黙の

条件によって、自らが引き受けた結果に対して責任をもつという義務を負う」
(佐藤嘉一・山口節郎・藤澤賢一郎訳『批判理論と社会システム理論上』、木鐸社)

と述べていますね。

博士の指摘されたとおり、互いが「誠実さ」と「開かれた態度」を保つことが、真に

対話を行ううえでの不可欠の要件であるといえるでしょう。

その意味で、ハーバーマスが「支配なき討論」の実現をめざして提示した所論は、コミ

ュニケーションをもっぱら戦略的な手段として捉える発想を、根底から問い直したもの

と評価できると思います。



 

満天下に示す

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年10月26日(木)02時24分16秒
編集済
  選挙になると必ず幹部が言う言葉がある
「池田門下の底力を満天下に示そう!」

今回不思議なことに「負けた」事によって
「池田門下の底力を満天下に示した」と思う

それは、原田学会、公明が池田先生の思想から離れている事に、内外の多くの人が気づいている事の表れである

創価学会は「永遠に三代会長の精神を基準」にするならば、
その基準から外れている原田会長は、辞任するべきではないだろうか?


 

価値を創造することを学ぶ会

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年10月26日(木)01時33分41秒
  創価学会。
普通に読めば、「価値を創造することを学ぶ会」と読める。

価値を創造するって何だ。

蔵の財、身の財、心の財。

お金、蔵の財、価値がないなんていう人はいないだろう。

身の財、健康であることが、どれほど素晴らしいか、そこに価値がないなんていう人はいないだろう。

けれど、見えるそれらの価値は、有限であり、永遠ではない。

さて、心の財。

目に見えない財。

何も価値がないように思えるところ、そこから価値を無限に創出していく。
その方法を学ぶということ。

お金があれば幸せなのか
健康であれば幸せなのか

貧乏だったら幸せになれないのか
病気や障害があったら幸せになれないのか

生きるということ。そこに無限の価値を創出していく、それが信心だ。

悩みがある。それはネガティブでマイナスな事だ。
けれど、信心では、それを使命と捉え、マイナスからプラスへと変換し
価値あるものへと変えていく。

たくましき同志は、困難を乗り越え、それを体験として、人に語り、励まし、蘇生の輪を広げていく。

なんと素晴らしい、価値の創造。

煩悩即菩提。宿命転換。人間革命。それらの言葉を考えていく時

なるほど、大聖人の仏法というものは、
この信心の本質というものは、価値を無限に創造していくことなんだとわかる。

あるがままに生きる。
その身、そのままで、そこに無限の価値を生み出していく。

なるほど、それならばすべての人々が幸福を勝ち取ることができる。

なにも変わらなくていい、そのままの、ありのままの自身で、最高の価値ある人生を生きる。

創価学会、その名称には、実に仏法の神髄、信心の深い意味がこめられていたんだ。

世界宗・・・うーーん。
 

成仏とは

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年10月26日(木)01時30分30秒
  友人と話をしていて、ふと思った。

「病気やら何やら、まだまだ、人間革命しろということなんだろうなぁ」

その友人の言葉に
おやおや、何か成仏というものが、遠い先の話になっているのでは・・・

ということで、戸田先生が、どのようにおっしゃっていたか・・・

「成仏とは、仏になる、仏になろうとすることではない。
大聖人様の凡夫即極、諸法実相とのおことばを、すなおに信じたてまつって、この身このままが、永遠の昔より永劫の未来にむかって仏であると覚悟することである。
もったいなや、かかる不浄の身が、御本尊様を受持したてまつることによって、仏なりとさとるとは、なんというありがたいことではないか。
この果報こそ、なにものにもかえがたい果報であって、ひとえに大御本尊様の大功徳である。」

昭和26年12月1日 大利益論 より (戸田城聖全集1巻)

よく、「気づくこと」という言葉が使われますが、気づけないなら、すなおに信じきって覚悟することです。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年10月25日(水)23時50分6秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
久し振りに、大百蓮華を熟読しています
おやすみなさい

 

同盟題目は23時から開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年10月25日(水)22時54分28秒
  よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康を祈ります。
また、皆様が健康に活躍できるようお題目を送ります。
 

タゴールの予見的中か

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年10月25日(水)20時10分2秒
  僕自身の過去ログより、分割して出したコメントを連結してURLを出します
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47374
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47465

コメントした当時から状況もいまは推移し、現在ならばいろんなものが見えやすい状況です
今回の選挙結果はタゴールの予見的中へさらに一歩近づいたように感じます

文中にある池田先生の考え・思想から、自分はどうしたらいいのか指針となるんじゃないでしょうか

実は僕個人も結論は近いです
男性主導の社会はすでに限界を迎えているように感じられるからです

これだけ文明が発達した現在は、さらなる発展をするには女性の長所を社会が取り入れることで、さらに住み心地のよい平和で幸福な世の中になるように思えるのです

当然、新しい価値観も生まれることでしょうが、それが新たな産業など経済にも好影響なんじゃないでしょうか、と感じてるのです

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

妙法のレジスタンス運動ー創価学会改革同盟とは?

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年10月25日(水)20時01分24秒
  妙法の地下抵抗運動ー創価学会改革同盟が活発に活動を開始し始めている、と仄聞する。わたしの個人のメールアドレスをどうして知ったか、わたしのところにも連絡が来たよぅ。  

サンダーバードさん

 投稿者:  投稿日:2017年10月25日(水)19時00分35秒
  投稿を読ませていただいて気づきました。先生にとっての「学会」は決して「信濃町」ではないんだということ。
腑に落ちました。
 

「南無」する「生死」と「蓮華」の「経」への考察<下>!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年10月25日(水)18時21分46秒
編集済
   「如去」については「法華経の智慧」にさらに詳しく述べられています。

*****

名誉会長  =略= 普賢品で忘れてならないのは、その「最後の一字」です。
「去」の一字です。これは「死」を意味する。

斉藤  はい。普賢品では、普賢菩薩が「末法の行者を守ります」と誓いを述べた後、今度は釈尊が、普賢菩薩をたたえます。 自分も、滅後の行者を守るから、「普賢菩薩よ、その人を仏のごとく敬え」と、先ほどの説法がなされます。

須田  そこまでで、法華経二十八品の実質の説法は終わるわけですね。

斉藤  その後、霊鷲山の大衆は、皆、大いに歓喜し、仏の言葉を抱きしめて、仏に礼をして去ります。これで、しめくくりとなります。この最後の一句が「作礼而去(礼を作して去りにき)」(法華経六七二㌻)です。大聖人は、二十八品の最後の「去」の字は「死」を意味すると仰せです。そして、二十八品の最初の一字である(「如是我聞」是の如きを、我聞きき)」の)「如」の字は「生」を表すと。

須田  「如」で始まり、「去」で終わる。もちろん、これは鳩摩羅什が漢文に翻訳した時に、意識して、そうしたのだと思います。

斉藤  それは何を表しているのか。「生死」の二法であるというのが、大聖人の仰せです。

名誉会長  素晴らしい翻訳だね。(寿量品の)自我偈も、「自」で始まり「身」で終わる。「自身」です。
「始終自身なり」(御書七五九㌻)と大聖人は仰せだ。“自分自身”の生命が、三世永遠に仏として続くというのが、自我偈の本旨です。その元意を端的に表現している。
 二十八品全体でも、始めの一字と終わりの一字が「如」と「去」で、「生」と「死」を表している。

須田  羅什三蔵は天才ですね。

名誉会長  では、なぜ「如」が「生」なのか。

斉藤  「法界を一心に縮むるは如の義なり」(御書七八二㌻)の仰せがヒントになります。わかりやすく言えば、宇宙に一体となって溶けこんでいた生命が、個別の「一心」に縮まって、大宇宙即小宇宙として、この世に生を受けることだと思われます。

須田  「如」というのは、大宇宙の「如し」ということでしようか。「如」には「なぞらえる」とか「したがう」の意味もあります。

遠藤  キリスト教でも、人間は「神の似姿」であり、「神の形の如く人間は創られた」と説きます。
この「神」を「宇宙生命」とすれば、通じる点があるかもしれません。

斉藤  「去」というのは、「(一心を)法界に開くは去の義なり」(御書七八二㌻)で、今度は、一個の小字宙を大宇宙へと開いて、溶け込んでいくのが「去る」ということです。すなわち「死」です。
 もちろん、ここで大宇宙と呼んでいるのは、物理的宇宙のことではなく、それも含めた生命的宇宙です。地獄界から仏界までの十法界のことです。

名誉会長  地獄界の生命で、この世を「去」った場合には、そのまま宇宙の「地獄界」に溶け込んでいく。その生命にとって、全宇宙が地獄界になるのです。宇宙のどこかに、地獄界など(の十種の場所)が定まって在るわけではない。

名誉会長  「如」について言えば、妙楽大師は「此の身の中に具さに天地に倣(なら)うことを知る」と言って、「人体」「日月や山河」などを対応させている。総勘文抄に詳しく述べてある通りだ。(御書五六七㌻)

 また五行御書(御書六九三㌻)にも少し記されているが、我が身を「地・水・火・風・空」と見て、それぞれ天では「土星・水星・火星・金星・木星」の五星に対応し、内臓では「脾臓・腎臓・心臓・肺臓・肝臓」の五臓に対応する等と論じる。そして、これらを貫く根本が「妙法蓮華経の五字なり」とされている。大宇宙も小宇宙も妙法の当体なのです。ゆえに一体です。

 大宇宙と小宇宙が対応しているという思想は西洋の古代や中世でも見られる。近代においては、少し角度は違うが、アインシュタインは、直観的に、宇宙には厳然たる調和の法則があることを信じていたようだ。こうも言っている。

 「科学という営みに真剣に取り組んでいる人ならだれでも、宇宙の法則にはある精神があらわれていると確信しています。人間の精神にはるかにまさる精神です。――このように、科学の営みは、宗教的な気持ちにつながります」(A・カラプリス編、林一訳『アインシュタインは語る』大月書店)

 「いっさいのものが――私たちには制御できないもろもろの力で決まっている。昆虫についても、星についても決まっている。人間も、野菜も、宇宙の塵も、すべて神秘的な旋律に合わせて踊っている。見えない笛吹きが、かなたで奏でる旋律に」(同)

斉藤  示唆的ですね。

名誉会長  アインシュタインは「人格神」という概念を捨てるべきだと考えていた。人格神などと言うから、科学と宗教が「衝突」するのだと。

名誉会長  ともあれ、法華経は、序品と最終品で「生死」を表している。「生と死」こそ法華経の根本テーマである証左です。
 じつは、同じことは二十八品の各品についても言える。各品の初めの題号が「生」であり、各品の終わりは「死」である。各品ごとに「生死」「生死」を繰り返している。その「生死の二法」もすべて、妙法蓮華経の生死なのです。「起は是れ法性の起・滅は是れ法性の滅」です。

 ゆえに、妙法を行じ、妙法と一体になるとき、初めて「生も自在」「死も自在」の境涯になる。「生も歓喜」「死も歓喜」の大境涯になる。そのために法華経は説かれたのです。「如」と「去」については、他にもたくさんの深義があるが、また勉強してもらいたい。

 ~文庫本・法華経の智慧⑥~(263~267㌻)

*****

 アインシュタイン博士の「いっさいのものが――私たちには制御できないもろもろの力で決まっている。人間も、野菜も、宇宙の塵も……」の言葉は卓見と言わざるを得ません。「妙法」です。三世の諸仏は、この「妙法」を宇宙(自然)の中に感じ取ってきたと言えるのでしょう。

$$□■□経とは一切衆生の言語音声!□■□$$
 貪りであろうと、愚痴であろうと、瞋りであろうと、とにかく「生命」は“活動”が楽しいのです。貪りには貪りの喜び(充足)があります。癡かには癡かの喜び(愚痴)があります。瞋りには瞋りの喜び(憤怒)がります。考えることを含め“活動”が「喜び」なのです。それが、どれだけ大きいか、深いか、どれだけ続くかだけの違いなのでしょう。「発散」や「昇華」と言っていいかもしれません。「発散」や「昇華」は「喜び」です。あとは、「意味連関」があるかないかだけということになります。

 「喜び」の中に、その「法界」がその役割を終え、消失してしまいます。その意味で、「喜び」は在世の目的です。この原理は、二乗、三乗でも同じなのかもしれません。喜んでしまえば、すべては終りなのです。「まだまだ」「前へ、前へ」「上に、上に」がいいということです。

 そうそう、「経」とは「一切衆生の言語音声を経と云うなり」(御義口伝708㌻)と仰せです。

                                                                                            (おわり)




 

「南無」する「生死」と「蓮華」の「経」への考察<中>!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年10月25日(水)18時20分43秒
   「法性」は、「一念」にも置き換えられます。したがって「信」にも置き換えられます。

 「一念三千も信の一字より起り 三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり 其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり 解とは智慧の異名なり 信は価の如く解は宝の如し 三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり 智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即なり 信の外に解無く解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」(御義口伝725㌻)。

 余分な通解はいらないでしょう。「三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり」です。「信」と「智解」は同時のものです。

 「生命」の“発動力”の根源も、“安楽”“菩提”の根っこも、「南無妙法蓮華経」といっていいようです。それを「法性」といいいます。「法性」は「仏性」です。同時にそれは、“智慧”の基盤が「南無妙法蓮華経」だということを意味します。「南無妙法蓮華経」とは、「心」を大きく開き、前へ、前へ進むことです。上に、上に登ることです。一歩下がる時(前三後一)も、下に一歩降りることもありますが、それは、次に一歩進めるための、登るための“溜(た)め”です。むしろ“原動力”です。

$$□■□到達点ではない!前へ前へ、上に上に!□■□$$
 「前へ、前へ」「上に、上に」というのは、いまいる処が到達点ではないということです。さらに前がある、さらに上がある、ということです。そうして、前へ前へ、上に上に進むことが「南無妙法蓮華経」であるということです。前進しているということです。水は、留(とど)まれば腐敗します。濁ります。流れることが“清浄”の条件です。それと同じです。

 難しいことではありません。「南無妙法蓮華経」は、「南無」する「生死」と「蓮華」の「経」です。「法は生」「妙は死」の「生死の二法」、「法は開」「妙は合」の「開合の二法」です。合体すればもとのままの「清浄」の「蓮華」です。「中道」です。「因(=華)」と「果(=蓮)」の「果」に集結します。「蓮」がすべてもの始まりであり、終結です。人はみな、「因」と「果」を「因」とする「果報」で人生を歩んでいるということになります。それを見つめないで、あれこれ“騒い”でも徒労になるということです。

 「妙は死法は生なり 此の生死の二法が十界の当体なり 又此れを当体蓮華とも云うなり、天台云く『当に知るべし依正の因果は悉く是れ蓮華の法なり』と云云 此の釈に依正と云うは生死なり 生死之有れば因果又蓮華の法なる事明けし、伝教大師云く『生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳』と文、天地・陰陽・日月・五星・地獄・乃至仏果・生死の二法に非ずと云うことなし、是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり」(生死一大事血脈抄1336~1337㌻)

 「生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顚倒なり 本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し 既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず 剣刀にも切られず弓箭にも射られず 芥子の中に入るれども芥子も広からず 心法も縮まらず 虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず」(三世諸仏総勘文教相廃立563㌻)

 「妙(=死)」は「法(=生)」に至るまで羽ばたきます。「法(=生)」は「妙(=死)」に至るまで走ります。「羽ばたき」「走る」ことが「歓喜」です。「生も歓喜、死も歓喜」です。

 「生命」の活動は、すべてこの「生死の二法」「開合の二法」と言って差し支えありません。生きるための煩悩においてすらそうです。「貪り」も、希求する「生」や「開」に始まって、到達の「死」や「合」で帰結しています。到達は「満足」です。「満足とは成仏と云う事なり」(御義口伝720㌻)です。「貪り」は「枯渇(こかつ)」から生じます。してみると、「貪り」の内因は「枯渇(こかつ)」だと認められます。

 「開と合」の二法については、こう述べられています。
 一心(衆生、実相)の側から「開く」のか、宇宙(仏、久遠)の側から「開く」のかと読むと解りやすいようです。「合」も同じです。「生死」は「一心の側」からが前面に出ます。

 「今の経の法体は実相と久遠との二義を以て正体と為すなり 始の如の字は実相を表し 終りの去の字は久遠を表するなり、其の故は実相は理なり久遠は事なり 理は空の義なり空は如の義なり 之に依て如をば理空に相配するなり、釈に云く『如は不異に名く即ち空の義なり』と 久遠は事なり其の故は本門寿量の心は事円の三千を以て正意と為すなり、去は久遠に当るなり 去は開の義 如は合の義なり 開は分別の心なり 合は無分別の意なり、此の開合を生仏に配当する時は 合は仏界 開は衆生なり、序品の始に如の字を顕したるは生仏不二の義なり、迹門は不二の分なり不変真如なる故なり」(御義口伝781~782㌻)。

 さらにこう続きます。
 「此の如是我聞の如をば不変真如の如と習うなり、空仮中の三諦には如は空 是は中 我聞は仮諦 迹門は空を面と為す故に不二の上の而二なり、然る間而二の義を顕す時 同聞衆を別に列ぬるなり、さて本門の終りの去は随縁真如にして而二の分なり 仍つて去の字を置くなり、作礼而去の去は随縁真如と約束するなり、本門は而二の上の不二なり 而二不二・常同常別・古今法爾の釈之を思う可し、此の去の字は彼の五千起去の去と習うなり、其の故は五千とは五住の煩悩と相伝する間五住の煩悩が己心の仏を礼して去ると云う義なり、如去の二字は生死の二法なり、伝教云く『去は無来之如来 無去之円去』等と云云。如の字は一切法是心の義 去の字は心是一切法の義なり、一切法是心は迹門の不変真如なり 心是一切法は本門の随縁真如なり、然る間・法界を一心に縮むるは如の義なり 法界に開くは去の義なり 三諦三観の口決相承と意同じ云云」(御義口伝781~782㌻)。

                              (下につづく)


 

「南無」する「生死」と「蓮華」の「経」への考察<上>!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年10月25日(水)18時19分34秒
   素粒子と物質の狭間(はざま)は、論理的にはようやく埋め合わせられるようになってきましたが、その前の素粒子と「力」(エネルギー)の狭間(はざま)はどうなのか、さらにその前の「力」と「心」(の働き)は同じものなのか違うものなのかという次元にまで話を推し進めていくと、どうも、いまの人類の知見では論及が難しいというのが現実なのではないでしょうか。電磁波、重力、そして核内の強い力、弱い力の4つ力を統合できないのも現代科学の現実です。アーノルド・トインビー博士と池田先生の「21世紀への対話」でも、やはり「哲学の分野」との当時の結論でした。

 タバコモザイク病のウイルスは鉱物と同じ結晶なのか生物なのか、南方熊楠が追いかけた粘菌(ねんきん)は動物なのか植物なのかにも、いまだ現代科学は明確な回答を与えていません。いや、結論を出せないでいるのです。力や、心も、あるいは素粒子や、物質も、植物や、動物も、宇宙に遍満する「生命」の、その環境との和合による“在り様”の違いだけだと言った方が、現段階では妥当なのかも知れません。

 「仏法を現代人に解かり易く説明せよ」と迫られても、仏法には仏法の独特の概念があります。「三諦論」「一念三千論」「因果倶時論」「諸法実相論」などがその代表例です。現代科学の概念の、いわば外側に有ります。その仏法の概念を理解しようともしないで説明せよというのはわがまま過ぎます。

 仏法は、いわば「生命論」です。ありとあらゆる科学の知識と概念を使って、流用できるところは流用して説明するというのがむしろ現実的です。自身の知識と、その組み立てである智慧で語ってしまえば、それはやはり自身の智慧だけの世界です。仏法ではそれを「楽於小法 徳薄垢重者」(徳薄く垢重いものは小法に於いてねがう)と言っています。両者からのアプローチが必要です。

 忘れてならないのは、仏法を知る道は「自分」と「宇宙」(自然)を知る道です。それに付随して、「生命体」としての「社会」や「組織」を知る道でもあります。自然科学、社会科学、生命科学、心理学等々の基礎科学です。「三諦論」や「一念三千論」や「因果倶時論」や「諸法実相論」の底流にあるものは、おそらく「発動性」と「蓄積」と、その「再生」でしょう。「発動性」は「法性」です。「調和」も、この「発動性」と「再生」がなせるものです。この自己再生する「力」や「智慧」を明らかにすることができれば、「生命」と「物質」の違いも明らかになりそうです。しかも、それは「宇宙」の中に常在するものであるはずです。

 生きとし生ける動物も、植物も、無機の鉱物さえも「生命体」です。その「生命体」を形づくる「発現の力」や「智慧」を日蓮大聖人は「妙法蓮華経」と名付けられました。「妙法蓮華経」とは「法性」です。「法性」とは「仏性」です。
 後に、詳しくあげますが、
 「妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり 仏性とは法性なり」(聖愚問答抄498㌻)とされていることからも、それは明らかです。つまり、「生命」の「発現の力」は「法性」であり、「仏性」ということになります。

$$□■□心は無限にも、永遠にも開く!□■□$$
 「仏性」はむろん、人間の中にもあります。
 「我等衆生」の「仏性」と、世に尊敬を集める「梵王」や社会的リーダーの「帝釈天」の「仏性」も、釈迦十大弟子の舎利弗や目連の「仏性」も、経文に出てくる文殊菩薩や弥勒菩薩らの菩薩の「仏性」も、みんな同じです。そればかりか、三国四師の天台・智顗大師や、妙楽大師、そしてわが日蓮大聖人はじめ三世十方の諸仏が悟り出した不可思議な「妙法」も別のものではなく(一体不二)、その「理(ことわり)」こそが「妙法蓮華経である」とご断言されました。

 だからこそ、「一度でも妙法蓮華経」と唱えれば、一切の仏、一切の法の心中の仏性が現れてきます。人法一箇です。そればかりか、仏道探求の一切の菩薩、一切の声聞、一切の梵王の心中の仏性も現れてきます。帝釈天や、法の番人としての閻魔法王も、宇宙生命の日月、衆星も、さらに天候を左右する天神も、地殻の安定を司る地神も、その心中にある仏性が、妙法蓮華経に呼び呼ばれて現れてきます。私たち六道の人間はじめ、一切衆生の心中の仏性も例外ではありません。
 その各々の衆生の己心にある妙法蓮華経が本尊であると自覚(信じる)すれば、その己心の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて現れてきます。その顕れる処自体が「仏」だというのです。それはちょうど、籠の中の鳥なけば空とぶ鳥がよばれて集まるのと同じである、というのです。

 以下の御文の通解を終わります(笑い)。

 「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解(さとり)の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し」(法華初心成仏抄557㌻)

 さらに、少し視角の変わる次の仰せもあります。

 「夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり 仏性とは法性なり 法性とは菩提なり、所謂釈迦・多宝・十方の諸仏・上行・無辺行等・普賢・文殊・舎利弗・目連等、大梵天王・釈提桓因・日月・明星・北斗七星・二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・竜神八部・人天大会・閻魔法王・上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで所有一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て籠の内の鳥も出でんとするが如し」(聖愚問答抄498㌻)。

 「心」は、その構造として実に単純明快なものであるようです。「合すれば成る」ということのようです。それによって「消失」もします。もともと「ない」ものが「もとに戻る」わけですから何もなかったことになるということです。だがそれを、無限に開いてもいける、永遠に開いてもいけるものでもあるようです。「空(そら)」を自身の「心」とすることがそれです。「不可思議」です。
 そこにあるのは、やはり「意味」でしょうか。「識」と「識」の結合です。「意味」で動いているのです。何を、どのように意味づけるかは、先例もあるのでしょうが、自由自在です。そうして人の「意識」は造られていくのでしょう。

                                (中につづく)

 

先生だって知らないこともある

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年10月25日(水)16時26分31秒
  私は信濃町と南元町は同一体ってことを最近知りました

先生は知らないでいた可能性もありますね

いつまでも母と子の関係では不条理って指導したし

とっくの昔に信濃町と南元町は健全な形になってるもんだと

思い込んでいたのかも知れません

だからこの発言は嘘ではありません

「創価学会というと、すぐに公明党と見られがちです。その公明は自民と一緒になってます。一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。そのように思われることは学会にとっては非常に迷惑なことです。」


信濃町と南元町の関係を良く知る人間は

先生が世間をごまかすために言っただけだと思うでしょう


信濃町と南元町の関係を良く知る3名は

その関係が悪いという発想はないのかもしれない

3名だけでなく、その他大勢

信濃町が変われば同じように南元町もかわる

あたりまえで同一体だから
 

新感性様

 投稿者:政局  投稿日:2017年10月25日(水)14時46分41秒
  まとめサイトは一つの情報源なので、是々非々は各自でご判断いただければと思います。

新感性様の先入観、バイアスのかからない中立的なご投稿を、いつも好感を持って拝見しています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

便乗

 投稿者:新感性  投稿日:2017年10月25日(水)14時30分54秒
編集済
  >よくまとまってます。  投稿者:政局  投稿日:2017年10月25日(水)09時07分22秒

>公明党と公明党支援の創価学会にNOを突きつける創価学会員、公明党関係者たち
http://6027.teacup.com/situation/bbs/75925

政局さん、まとめサイトの情報ありがとうございます。

ただこれを観て思ったのは、(元創価学会職員3名)については、学会本部執行部との
軋轢に伴ういわば便乗ではありませんか?
彼らが争うことなく前職にいる場合、本当に公明党の政策に異をとなえたかどうかは
私は懐疑的です。もちろん、動機や時系列が何であれ異議は異議なのですが、
少なくとも同様の便乗を感じる、そもそも党在職中には右傾化を推進していた元公明党副委員長を除いた、
他の方々とは同列には扱えないのではないかと思ってしました。
 

書いたのが誰だ5

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年10月25日(水)14時01分6秒
  2001年9月25日付 毎日新聞インタビューから

「創価学会というと、すぐに公明党と見られがちです。その公明は自民と一緒になってます。一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。そのように思われることは学会にとっては非常に迷惑なことです。心ある会員にしかられます。また離れていきます。そこで、創価学会の主体性を明確にしておかないと、内部的にも納得を得られないと思って発言を多くするようにしました。私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。 」


毎日新聞のインタビューをとりあげてtwitterでのやりとり

Kさん

池田氏は 「公明党を応援するために信心をしているのではない」 「創価学会の主体性を明確にするために自身が多く発言するようにしている」 とすれば、今の公明党に何も語らないのは、所詮現状の追認・黙認に過ぎないと私は思います。

Sさん

この毎日新聞の記事は私にとっては救いでした。しかし、組織ではこの記事が出た後も投票の自由などはありませんでした。きわめつけは、当時の先生自身が公明党の応援を促していたことです。私は自分の耳で聞きましたので、「なんじゃ、これ」という感じで、先生絶対論から離れるきっかけとなりました。

Kさん

ありがとうございます。貴重な証言です。ということは、すでに2001年当時から池田氏は言行不一致であったということになりますよね。

HさんがKさんへ

「同時に「心ある会員」は池田氏の言葉に依拠するのであれば、組織を積極的に批判すべきは批判してよいと私は考えます。」公明党支援のための信仰ではない。

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言行不一致なんですけど、先生の立場・性格がそうさせている

「なんじゃそりゃ」ですよね、世間には通用しないと思います

「心ある会員にしかられます。また離れていきます」

これは「正気の人はどんどん批判してください、また危険だから退会してください」ってことです

正気でない人も同志だから、正気でない者同士でやっていこうよってことです

ここまで言えば正気になるだろうと、甘い判断があったのかも知れませんね


正気の人には外から攻めてもらい、私は内部から変革していくからって思いがあったのかも

会合でのスピーチがそれにあたりますね、甘い判断ですね


今回、信濃町と南元町は同一体ってことを知りました

いままで知りませんでした

簡単にお互いに手を切ることが出来る関係だと思ってました


このような関係を国民は良いと言うんですかね

表面的には同一体でないと国民を騙して

実際には完全に同一体

国民に知らしめていきましょう


毎日新聞のインタビューは世間をごまかすために言っただけだと

活動家の人々が言っていたことは本当だったのですかね

嘘をつくのは本当にやめてもらいたい

人を騙すことはやめましょう


寄稿文・メッセージ・その他

騙すことに手を貸すのはやめましょう

ますます信用がなくなるので


書いたのが誰だか判らない寄稿文・メッセージ・その他の引用は

結果的に人を騙すことになりますので気をつけましょう

ますます信用がなくなるので
 

なんかおかしい

 投稿者:半額セール  投稿日:2017年10月25日(水)13時16分56秒
  公示日から5日くらい過ぎた頃 知り合いが大勢の人が期日前に来ていたと聞きました。
今回は 投票日の前日に投票に行きました。
台風が近づいてたこともあったので、 ものすごい人の列ができていました。

当日行った友からは 投票所付近の道路が 渋滞するくらい 大雨の中 車で行かれてる方が多く 関心の高さを実感しましたとの声もあり、きっと 投票率が高くなると思っていました。
つぶやきにも そんな声があちこちにありました。

だけど 過去最低の2番目に低いとあり ウッソー と思いました。
日本の全有権者の半分の声だけでは 民意が反映されません。
これからは もっと 高い投票率になるように 国も 工夫してほしい。
それから 一番民意が反映されないことの一つに 小選挙区ということです。
改憲するならば 小選挙区から中選挙区にしてほしいです。

 

思う事 あれこれ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年10月25日(水)13時03分19秒
  台風が去ったと思ったら、またもうひとつ発生。もう11月になろうかというのに、明らかに異常だ。
選挙結果に対する、諸天の怒りに違いない。

選挙当日の深夜、うちの方では洪水警報が発令され、サイレンが鳴りまくって大変だった。
目が覚めた時、水が流れ込んでいなければいいがと心配しつつ、朝まで爆睡した。(笑)

大災害が起こらないうちに、学会本部に巣食う仏法破壊者達を、速やかに排除したいと祈っている。
ヤツらの祈りは叶うはずもないし、そもそも唱題しているかどうかも疑わしいのだが、宿坊の祈りは叶う様だ。
宿板に書いた事は、不思議にも実現する事が多い。まるで、デス・ノート の様だ。(笑)

師弟一致した祈りは叶うが、師弟不一致の祈りなど、1日10時間唱題したところで、叶うはずがない。
学生時代、少し精神を病んだ学友が、毎日10時間の唱題を続けていたという話を聞いたが、その事によって改善されることはなかった様だ。
ただ、唱題を続ける事によって、自らの一念の狂いに気がつくという事は起こり、事態が改善されたのはその後の事だ。
1日10時間の唱題というのは、私も一度だけやった事はあるが、お勧めは出来ない。そもそも脚が持たない。
池田先生の、拝み屋ではないのだから、というご指導もある。


学生時代、池田先生が推薦される世界の名著に、出来るだけ触れるようにしていた。
岩波文庫には大変お世話になったが、今はあまり見かけなくなって残念に思う。日本の文化程度が極端に劣化した象徴だと思う。

世界一流の知性には、納得させてくれる力が有る。
池田先生のご指導にも、まったく同種の納得の力が有ったが、原田執行部や今の公明党には、その納得の力がカケラも無いのだ。

聞いた瞬間、「はぁ~?」何バカな事言ってるの? と言う類の話ばかりだ。
はっきり言って、ネトウヨ並みの知性しか感じない。論じるにも値しないレベルだ。
納得するためには、これまでの自分の全人生を否定しなければとても無理だが、そんな事はしない。

池田先生が紹介された世界の偉人達は、ほぼ全員と言っていいほど、投獄や亡命を経験している。

原田学会による査問や除名は、それと同じ事だ。自分から進んで退会する必要はないが、やめろと言うならやめるだけだ。何も困らない。
ただしご本尊様を奪いに来たら、警察を呼んで現行犯で捕まえてもらうが。

除名は亡命と同じ事。一時的な事だ。
神奈川の落選は原田学会の崩壊の始まり。

54年問題の時、反転攻勢の象徴は関西の六段円塔だった。
男子部組体操の六段円塔が立ち、その後程なく、池田先生は復活された。



 

「やだ」

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年10月25日(水)12時53分31秒
編集済
  娘(1歳8ヶ月)が喋ったよ!
おもちゃを片付けないから、「片付けなさい!」と言ったら、
首を横に振って「やだ」だってさ。
上等じゃないか!

私も「やだ」って言わなきゃ!

「財務の用紙です~」
「いやだ」
 

re:にゃんころ餅さん

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年10月25日(水)12時33分50秒
  にゃんころ餅さん

投稿の背景と経緯について、補足をありがとうございます。

まず、SGI会則が各国SGIの事情に合わせて、各国に存在するということですね。

  グローバル企業の会社の規則もテンプレートを配って、同じような作り方をしますので1つではないこと理解いたしました。

2点目。確かに、SGI Charter(SGI憲章)が掲載されている国は、確かにタブやリンクにRegulationかConstitutionから飛びますね。
正しくは、Chaterのタブから飛んで欲しいですね。
また、SGI.orgのHPは2015年からあまり整備されていないようです。ニュースは最近のも掲載ありますが。

3点目、日本語において、会則と規約は、ほぼ同義に使われますから、用語の統一としては違和感ありません。

私が心配している事は、各国のSGIの皆さまが、今回SGI規約のテンプレートに基づいて、SGI規則を更新することによって、
制限事項が増えたり、同列であった位置付けを虐げられないかということです。

教師の件も、日本の認定教師が派遣されて
その下に現地の方々がつく形には、なって欲しくないと思っています。
 

他人の一票も束縛

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年10月25日(水)12時25分16秒
編集済
  支援ありがとうって言われたから、「いや、共産党支援しましたけど」
って言ったら、頭から湯気出てるんちゃうんかいうくらい怒られた。
どこ支援しようが私の勝手やん!
他人の一票も束縛しようとするの、ホンマおかしいわ。
 

我が家の慶祝行事

 投稿者:アルベア  投稿日:2017年10月25日(水)12時20分1秒
  我が家の慶祝行事

虹と創価家族 様 SaySaySay 様

毎年、3.16の夕飯は豚汁 5.3は、カレーライス 11.18は、お汁粉と決まっていま

す。

親父の決めた我が家の「創価の慶祝行事」のメニューです。

親父を中心に家族が正装し、創価の創立に感謝し、三代会長に感謝する、貧乏時代からの伝統の

行事です。

「祝う」という純粋な気持ちは、まじめに広布の闘いをしてきた方々共通の思いです。

形式化し、希薄化し、「思い込み」「信じ込み」「上書き」を誘導する洗脳教団の11.18等

は茶番劇に化しています。創価の核となる方々の一念の堕落です。

創価の魂は「我が心に在り」との思いで、今年も11.18慶祝の日をお汁粉でお祝いしていき

ます。

慈悲無き者どもの指揮に煽られ踊るは魔の眷属なり、発迹顕本の時は来ています。覚醒による歓

喜の時代です。

「体感・体験」無き人は腐敗・堕落となるのはブッダの時代・大聖人の時代いつも同じ原理が働

き作用しているのです。「体感・体験」無き人とは「身読」なき「思考・概念」の輩集団をいい

ます。

時代は「身読」の時代です。「気づけば」いい事なのですが・・・
 

求めてる人はいる

 投稿者:人力車  投稿日:2017年10月25日(水)11時40分58秒
  現場には先生の御指導を学ぶ場所はありません。以前、幹部に先生はこう言ってます。と言うと「先生の指導は自分に対して言うもの。」と言われました。その方は、一部の人々の中では評判がいいです。

さまざまあげれば、切りがありません。しかしこの掲示板に出会い、水を得た魚のように読む中で、(自分は何に落ち込んでいたのか。なげやりになっていたのか。)と考えるようになりました。

未活動の部員さんに、法華経の智慧を贈呈しました。「選挙や新聞啓蒙、座談会も嫌だけどこういうのは勉強したい。心にはいってくる。」と言われました。

若かりしころ何度誘っても会合に来なかった友人と創価学会や公明党に対する正直な気持ちを話すと、逆に仏法の話に興味を持ってくれて「平和の党なのに最近変だと思ってた。だけどなんか安心した、そういう考えで。宗教の話をいろいろ聞きたい。」と言ってくれました。

道が無くなったように見えても、新しい道が出来ていく、そして体調もよくなっていく。そう感じています。

 

もしも、金利が3%を上回ったら・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年10月25日(水)11時34分5秒
編集済
  https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-10-25/OYCQ366KLVSF01

本日のBloomberg。・・金利6%台・・

さて、さて、日本の金利が3%を上回ると

日本政府の財政は国債の利息支払いだけで約40兆円近くになります。

税全収入のほぼ7~8割が国債の利息支払いに使われてしまう結果に。

従って、政府は赤字を補填するために国債増発(国債価格下落)しなければなりません。

つまり、国債の価格が下がっているので、金利を上げて買い手を求めます。

国債金利が上昇すれば、それにつれて市中金利が上昇し・・5%近くになれば・・・・・

国債は完全に暴落、全税収入は国債金利支払いしても足らず・・

政府財政は破綻します。

長期ローンを組んでいる人たちのローン、組み替えをしなければ返済はできなくなるケースが大半でしょう。

従ってローンの再長期化、ローンのキャピタルは減らない。

さらなる金利の上昇に怯え、購入した家屋は恐負の館と相成り・・

返済不能が続出し、地方銀行の破綻・・・

政府は財政難で福祉を切り捨て、戦争危機のため兵器調達、軍備拡張にお金が必要

日本の重工業会を支えるためにも兵器の増産するでしょう。

特別国債の発行、国民の預金凍結・・預金は国債に置き換えられ、預金封鎖・・

経済の悪化・・・・・・・大恐慌の登場です。

アベノミクスは国滅亡の引き金と言い切る人達がいる・・

このような状況になる一歩手前の状態に日本はあります。

ジンバブエ、ギリシャ、ベネズエラはすぐそばまで来ている。

2020年のオリンピック待望論とスポーツ興隆で国民を欺き、その間憲法改正、

財政破綻の時期を引き延ばし・・・

今、そこにある危機に対して、国民を騙しているのが政府自民党、それに、公明党の政策です。

自公大勝利を選んだ国民、もう、後には戻れない

・・リンダちゃんの歌「もう、どうにも止まらない」です。

後は諸天の加護を・・各々、信力を取りいだし・・

 

あなた買います

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年10月25日(水)11時00分46秒
  『あなた買います』という小説・映画がありました。南海ホークスに入団した穴吹義雄がモデルになっているそうですが、明日いよいよ注目のドラフト会議です。
「優勝したら金がかかるので勝たないでくれ」と球団から言われて大エース江夏豊はテーブルを投げ飛ばしたと、あの「48年の怪」を著書で暴露していたが、そんな球団でも今では3番目の高額年棒を払っています。
http://www.sankei.com/west/news/170517/wst1705170007-n1.html

創価学会にこんなことは出来ない。ビートルズは「愛は金で買えない」と歌ったが、数字は金で買えても人材は金で買えない。
https://www.youtube.com/watch?v=q8zx68HENIA
手間暇かけて育てるしかない。未来部へのマインドコントロールも次第に切れてきます。

>売名のため、あるいは観念で、平和や生命の尊重を語る人もいるかもしれない。しかし、平和を切実に願う人びとや、純粋な青年たちは、鋭く見ています<『暁鐘 四十六』

同じ日の「名字の言」では、大山康晴氏のことを取り上げていますが、今回の衆院選を一時的な低迷と思わない方が良い。この20年で自力票は減り続けているのですから。
あの自民ですら「謙虚」などと嘯いて、小池らも姿勢への反省を見せていますが、混迷党はただ「力不足」だと思っているらしい。これが新しく作った「(敗)因」、「廃因」だ。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/75905
いま新たな勝因を創らなければならない。それが実るのはいつか分からなくても。人材が陸続と育つ「土壌」を創らなければならない。今のように「取り敢えずの成果」を求める「焼き畑農業」のようなやり方をしていては土地が痩せていくばかりだ。こんな自転車操業では「ワシャ止まると死ぬんじゃ」ということになる。

牧口先生・戸田先生の最高の思い出である、アインシュタイン東京滞在中に残したドイツ語の手書きメモが24日、エルサレムの競売商ウィナーズのオークションに出品、注目されたそうです。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017102300540&g=soc
そのメモの内容はこうです。

「意志あるところに道は開ける」
 

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