【うぐひら】夕涼み

Publish to anyone 2015-08-28 11:57:35 41views

文字書き絵描きコラボ企画その2。りぃさんに頂いたお題で先攻、文字書きまつりかのうぐひらです。うぐひら書きたかったので、ちょっと熱がこもりました…!


文字書き絵描きコラボ企画
うぐひら x お題「夕涼み」
文:まつりか 絵:りぃさん





カチャカチャと忙しなく食器を片付ける厨の音はいい。何も考えずにすむ。東向きの厨の窓に、少し傾き始めた陽の光はかすめる程にしか届かず、残暑の熱気も水仕事でだいぶ和らいでいた。

平野藤四郎は同じく非番だった兄・一期一振とともに、午後の厨仕事をしていた。内番表で示される仕事の他にも、彼らの住まいとなる本丸御殿には沢山の雑用があったから、非番のものたちが己の体力と相談し、お互いに協力する形で日々をこなしている。

一期一振の所作は皿洗いのひとつにも気配りと手早さがある。数の多い兄弟を捌く長兄の仕事はなんだって段取りが図られていて、けちをつけるところがない。平野はその効率の良さで手早く洗い上がる皿を丁寧に拭き棚に戻していく。時折はい、と声がかかるが、普段ならもっと他愛のない会話の挟まる単純作業の合間において、二人は静かだった。

長兄の横顔は至って穏やかだ。優しい兄は、自分の内心の吐き出しようのない思いに気付いている。何か言いたいけれど、考えるのも辛くて無心で皿を拭いていた。しかし、手早く仕事が終わってしまいそうなのが少し勿体無いなと、無意識でほんのりペースの落ちた動作のせいで、一期一振から手渡された洗い立ての皿を受け取ることができなかった。兄の視線が、自分の手元、そしてその先の弟の表情へと移行する。

「あっ」

ほんの一瞬ぼうっとしただけなのだが、平野はそれがどのぐらいだったかわからずに動揺して思わず謝っていた。両手が濡れていた兄は頭を撫でる代わりに言葉を発した。

「大丈夫だよ」

優しい声だ。頃合いを伺っていたのか、そのまま兄は続けた。

「傷が痛む?」
「いえ」

昨日の出陣で平野は軽傷を負った。だがそれは手入れ部屋に小一時間入っていれば直ぐに修復できる程度の小さな傷で、生身の身体の方も既にどうということはなかった。

「それじゃ、痛いのは心のほうかな」

かちゃ、と小さく食器が鳴る。長兄の指摘はいつだって的確だ。

そう難易度の高い戦場ではなかったが、その日何度めかの戦闘で平野は普段より疲れていた。パフォーマンスの落ちた身体では、一瞬の隙を突かれ、敵槍兵の俊敏な動きに対応しきれない。
練度の高い仲間が平野と敵槍兵の間に割って入り、庇う形となった。おかげで平野は大事に至らなかったが、庇った本人が受け流し切れずに怪我を負ってしまった。平野はずっとそのことで心を痛めている。

「鶯丸さまのことなら心配ないよ」

一期一振は視線を洗い物から逸らさずに続けた。いつのまにか量【かさ】が減り、間も無く終わるほどの数になっている。

「でも、鶯さまは…。
ーー『ゆっくり茶でも飲んで治すから、それはいらん』と仰って、手伝い札も使わずに手入れ部屋にこもられてしまったんです」

かちゃ、かちゃ。

「…さっき、様子を見に行ったから。私からも、礼を言いたかったからね」

長兄は少し思案してから言葉を続けた。

「存外ね。これは私の少ない経験則からだけれど…思い切りよく飛び込んで、素直に思っていることを言ったほうが、上手くいくこともあるんだよ」

少し上目遣いになったその眼は、何かを思い出しているようで、おそらく平野の知らない時間に想いを馳せる兄はほんのり色気があった。
金色の瞳の奥の萌黄色が晩夏の日蔭に揺らめき、その視線だけがチラリと平野に悪戯な笑みを送る。

「『潜りこんでしまえば、僕の間合い』…だろ?」

その表情と、言に、平野はどきりとする。
何か見てはいけないような妖艶な春色の眼光は瞬きと共にふっと何処かに抜けていった。

一拍おいた今は既に普段通りの優しい兄の眼に戻って、作業に集中している。さらりと、他愛もない普段通りの会話の流れに乗せた。かちゃかちゃと鳴る食器の音が、なんでもない午後の空気をふたたび引き寄せた。

「そうか」

何か思いついた顔。

「そしたらお茶を持って行って差し上げないといけないね」

「え?」

「お休みになられてる鶯丸さまはご自分でお茶は入れられないだろう?」

かちゃ。

「そのお茶は、誰が用意するのかな」

最後の皿を洗い終え、清潔な手拭で肘までの滴を拭き取ると、兄は穏やかな眼を細め、やんわりと微笑んだ。

「お手伝いありがとう、平野。そうそう、さっき梨も沢山届いていたよ」



*   *   *







ふたつ並んだ手入れ部屋の障子はどちらも開け放たれていた。
西日を遮るように掛けられた長い簾の横から、色褪せた朝顔が力なく覗いている。玻璃の風鈴が音もなくその薄浅葱の陰を落としていた。傾いた西日を透かした、実像より長いその色は、庭手に腰掛ける青年の右手にゆらゆらと時折かかる。白い晒に落ちた水色の陰は、不自然なほどくっきりと発色した。ぼんやりと庭の遠くを見つめている眼は百日紅の浅緋を映しとったのだろうか、ほんのり本来の瞳の色よりも艶めいてみえた。その少し垂れ目の目元に長い下睫毛が影をつくる。

じわりと滲むうなじの汗は果たして気温のせいだろうか。平野はその陽に透けた草色の髪をやるせなく見つめた。

「…横にならずに大丈夫なのですか」

どうしてそんな言葉を掛けてしまったんだろう。口を開いたそばから後悔がぐるぐると襲う。
振り返った色素の薄い眼は穏やかだった。
いつだって、穏やかなのだが。平野を庇ってやいばを受けてなお、苦悶というには程遠い落ち着いた瞳を逆に怖ろしく思った。

「やたらと渇いて、こちらの方が涼しくてな。そろそろ茶でも飲みたいと思っていたところだ」

支度した冷茶の盆を平野は静かに置いた。
南洋の工芸品ときく玻璃の透明な器を透き通った苗色の茶が彩った。からりと涼やかな氷の音が揺れる。

「どういうわけか、皆喧しく訪ねてくるくせに、お茶だけは持ってこないんだ。誰かが持ってくるだろうと思い込んでいるのかもしれんな」

浴衣から覗いた受け取る右手に、白い晒。
目元にぎゅっと力をこめて、潤む気持ちをおしこめた。首筋を汗が伝うのを感じる。

「うん、やっぱり美味しいなあ」

満足げに息をつく。平野の気持ちとは裏腹に、こともなげに。いつもの午後と何も変わらないというように。ただ、手当てされた清潔な晒と、薬品に使われた香草の香りが、晩夏の午後の空気に色濃く浮いていた。

「ひらの」

ポンポンと自身のすぐ右隣の床板を叩いて促す。いつもの場所だが、躊躇いがちに座り込んだ。正座はしても背筋は伸ばさない、鶯丸とお茶を頂く時だけの緩めた座り方。

「痛むところはないか」
「はい」
「その割に、ずっと辛そうな顔をしてる」
「それは」

きちんと言おう、そんなんじゃない。
痛いのは僕じゃない。
素直に思っていることを、きちんとーーー

正面から。そう決意して顔を合わせたつもりが、声にならなかった。髪を梳いた大きな手がぐいと平野のこうべを自身の肩に引き寄せた。
強張った自身の四肢が思い通りに動かない。正座した脚が崩れた。

「泣いていいぞ」

四肢だけではない。身体じゅうが、わなわなと震えている。見透かされている。

「こわかったなあ」

ああ、この人にはあさはかな自分の気持ちなどすべて分かっているのだろう。平野は張り詰めていた全身の神経が和らいでゆくのを感じた。

おれを心配して、泣くなと言わないのだから。
自分のために、泣けと言うのだから。

他の何処でだって、泣けないことをわかってる。

ぽろりとひとしずく落としたら、もう止まらなかった。落ちた布地に濃い色の染みを作る。
じんわりと額に浮いた汗の玉を拭う。
ぽろり、ぽろり。
渇いていたこころから、こんなにしずくを落としたら、乾涸びて死んでしまうのではないか。そんな風に感じるほど、次から次へと。

「申し訳…ございません…っ私が…」
「うん」

「至らぬばかりに…このようなことに」
「うん」

支えられた右手は少年の肩にトントンと正しい呼吸を教えるような動作でゆっくり規則的に打たれた。

「からからだなあ」

鶯丸はくすりと呆れるように笑うと、肩を抱く手とは反対の手で器を平野に傾けた。

「おれのお勧めの茶でも飲め」

こんな時でもお茶ですか、と言い返してやりたいが声がでない。そうか、渇いてるからだ。
不満そうに眉を寄せ、膨れる頬のまま両の手でそれを受け取ると、ごくごくごくと一気に飲み干してやった。

「〜〜ッ!私が、淹れたんですよ!」

声が出た。大きな声が。

「知ってるよ」

したり顔の大人の、横髪に隠れた瞳が狡い。

「飲めばわかるさ。元気になるなあ。おれのお勧めの茶は」
「ですから…っ」

ちりんと風鈴が鳴った。

「便利なものでな、涙を流すとすっきりする」

涙なんて流したことのないような顔をして、そんな風に言う。

「からからになるまで泣いたら、うまい茶を飲む」

抱く手は離さない。

「眠って起きたら、いつもの平野さ」

とん、とん。

ああ、敵うわけがない。
昨日からずーっと、頭を悩ませて、小さな身体で震える気持ちを抑えつけていたのに、何もかもが無駄だったみたいに、何もかも知られてる。

とん、とん。

張り詰めた気持ちがそうしてすうっとうるおうと、安心感に包まれた疲労がゆらゆらと平野を眠りの淵に誘った。

風鈴がまた鳴る。揺れた薄浅葱が今度は少年の白い頬に水面を揺らすかのごとく落ちた。
そよそよと撫ぜてゆく夕暮れ時の風が、落ちた泪を、滲んだ汗を冷やす。

とん。

遠くで、小さく蜩が鳴き、すぐ近くの草むらから、秋の虫の涼やかな輪唱が聞こえていた。空いた手で器用に梨をしゃくりと頬張ると、晩夏の夕涼みは、秋の匂いがしていた。








おわり

ーーー

ゆう‐すずみ〔ゆふ‐〕【夕涼み】
[名](スル)夏の夕方、屋外や縁側などに出て涼むこと。《季 夏》


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チョコミントbotまつりか
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