21世紀に入って日本人は、日本型経営に対する自信を失ってしまった。経済のグローバル化を恐れ、米国型の経営へと転換を図るが、その結果、業績があがっているわけでもない。中野剛志氏は著書の『真説・企業論』のなかで、日本企業が短期で成果を出すことに焦っている現状に警鐘を鳴らす。
最近では、台湾、中国、ベトナムなどの企業が、日本や米国など先進資本主義国の企業から生産だけでなく、研究開発も請け負うようになっている。いわゆるオフショアリングだ。さらにITの発達によりコンピューターのプログラミング、会計、翻訳などかつては国内で処理されていた仕事もオフショアリングが可能になった。
〈経済学者のアラン・ブラインダーは、このオフショアリングがアメリカの産業構造に深刻な影響を及ぼしていると警鐘を鳴らしています。彼は、オフショアリングによって、アメリカから海外へ流出する雇用は3000万人に達する可能性すらあると言うのです〉。
日本も米国ほどではないにしても、今後、雇用が日本から海外に流出していくことは確実だ。
このような状況が、国民経済に与える影響を中野氏は次のように分析する。
〈オフショアリングが徹底的に進むと、先進国の国内にとどまる産業は、電子化しにくいためにオフショアリングに不向きな対人サービス産業だけとなります。しかし、対人サービス産業は、対人という性質上、時間当たりの生産性を向上させにくいという性質があります。
例えば、クラシック音楽の演奏は、聴衆に良い音を届けられる範囲に限度があるので、コンサート・ホールの規模を拡大して生産性を上げることができません。あるいは、学校教育という対人サービスのように、そもそも規模を拡大させて生産性を向上させること自体が望ましいとは言えないという場合もあります〉
生産性が向上しないならば、対人サービス産業の賃金は高値になるはずだ。しかし、そうはならない。オフショアリングで失われたサービス部門から対人サービス産業に労働者が流入するからだ。
〈生産性が向上しないということは、対人サービスは相対的に高価格になるということを意味します。つまり、需要の伸びに限度がある。それにもかかわらず、対人サービス産業での雇用を求める労働者が増えれば、賃金は下落することになります。
しかも、最近では、ITの発達がより進んで、対人サービス産業のオフショアリングすらも可能になりつつある。こうして、オフショアリングは、先進国の労働者を窮乏化させていくのです。
(中略)国内から消えていくのは、労働者の雇用だけではありません。技術開発力までオフショアリング、つまりグローバルなオープン・イノベーションによって、国外へと流出していきます。その結果、国内のイノベーションを生む力が弱まっていきます〉