【大仁田厚ヒストリー〈26〉】長州力の“汗つきTシャツ”はアドリブだった

2017年10月26日12時0分  スポーツ報知
  • くわえたばこに革ジャン…新日本登場時の大仁田のスタイル

 1999年秋。大仁田厚は、新日本プロレスから事実上、干された。神宮球場で化身のグレート・ニタに扮しグレート・ムタとの対決。試合は、かみ合わなかったが4万8000人の観客動員に貢献した。ターゲットの長州力との一騎打ちへ一気に動き出すと思われたが、大仁田の思惑とは正反対に新日本のマッチメイクを担当する企画部長の永島勝司から次のオファーはなかった。

 「2、3か月間、まったく連絡が来なくなった。このままだと長州戦は自然消滅するかもしれないなと腹をくくった時もあった」

 新日本からの参戦要請が止まった背景には、オーナーのアントニオ猪木の意向があったと見る。

 「新日本の社内が大仁田と長州の試合を、やらせる派とやらせない派に分かれていた。やらせる派は、永島さんを中心にした営業部門。やらせない派は猪木さんの息がかかった幹部。引退したヤツを上げるのは、ファンも選手も納得しないだろうという意見があったと思う」

 大仁田が干された背景には、当時、新日本の体制が変革期にあったことが大きい。6月に坂口征二が社長を退任し藤波辰爾がトップに就任した。ドーム興行を定着させ成功に導き会社の黒字化を果たした坂口の退任は、通常なら考えられない事態だった。この人事は、オーナーだった猪木のトップダウンだった。猪木は95年の参院選で落選後、新日本の最大の株主となると現場に介入。坂口から藤波への社長交代も自らの意志をさらに通しやすい状況にするために動いたとみられる。

 「あのころの新日本は体制が2つに割れていたよね。だから、永島さんも動くに動けない状態だったと思う」

 オーナーの意向を受けた藤波ら「猪木派」の幹部が大仁田の参戦、長州の復帰に異議を唱えた。リング上は、橋本真也と猪木の息がかかった小川直也との遺恨マッチをドーム興行の軸に据えた。両者の一騎打ちをメインに10月11日に東京ドーム大会を開催。大仁田は、新日本参戦以降、初めてドームから名前が外れた。大仁田を参戦させたい永島もオーナーに逆らうことはできず、結果、大仁田は干されたのだ。

 「こっちから新日本へ“出してくれ”とコンタクトを取ったことはなかった。ひたすら連絡を待つしかない状況だった。ただ、オレ自身は、ここまで長州戦を訴えてきたからには、最終的には実現しないかもしれないけど、とことん終わるまでやってやろうと思った。だから、大仁田興行をやって、そこで、リング上ではファンに向けてアピールし続けたし、マスコミを使って、長州、新日本へ“これで終わりか!”と訴えていった」

 テレビ朝日の真鍋由アナウンサーとの「大仁田劇場」でもアピールし、動かない新日本の外堀を埋めていった。膠着状態が動いたのは、11月12日、後楽園ホールだった。繰り返し長州戦を訴える大仁田に対し、自主興行の試合前、永島が控室の大仁田を訪ね、長州の「汗つきTシャツ」を手渡し「これが長州のメッセージ代わり」と伝えたのだ。

 「永島さんとしては、オレと長州の試合をこのまま終わらせたくないという思いがあったと思う。オレがマスコミを通じて一方的に振っているわけだから、永島さんとしてもあの時期に何かワンアクションを起こす必要があると考え抜いたと思う。だから、あの汗つきTシャツを持ってきた行動は、ある意味、永島さんの独断でアドリブだった」

 Tシャツを手にした大仁田は「山は動いた」と喜び、試合後にはリング上でTシャツをファンに披露し「一騎打ち決定じゃぁ~」と絶叫した。

 「長州は、日頃から選手と一緒に練習していたから、あの汗がついたTシャツというのは、“お前と戦うために本格的に練習してるぞ”というメッセージだと受け止めた。ただ、あの時点でも、長州自身は最終的には復帰を決断していなかった。まだ、内部の調整が付いていなかったはず。猪木さんの意向もあったし、当時の新日本は、長州引退後、武藤、橋本、蝶野、健介の四天王が中心になって動いていたから、彼らだって辞めた長州が戻ってきて、また、主役になられたら面白くないだろうし、不満を覚えるはず。長州は、現場の責任者だったから、彼らを納得させずに自分勝手に復帰したら示しがつかなくなる。すべてを納得させた上で復帰したいという意向があったと思う。ただ、オレとしてはあの頃、永島さんと長州はベッタリだったから、あの汗つきTシャツは、永島さんが“必ずオレが長州を説得させる”っていうメッセージとも受け取った」

 大仁田の証言通り、長州と永島は新日本の社内での調整に時間がかかった。年明けの2000年1月4日の東京ドーム大会でも長州との試合はおろか、大仁田の参戦は見送られた。

 動かない長州戦だったが、私生活では3月に駿台学園高校(定時制)を卒業。日本私立中学高等学校連合会から「建学の精神にのっとった」とし模範生として表彰された。4月からは明海大学経済学部経済学科(2部)に入学し、42歳にして念願だった大学生となった。入学式を終え「まさか、自分が大学生になれるとは。他の学生に負けないように初心に戻り、ファイヤーの気持ちで前進したい」と抱負を明かした。そして、ついに、山が動く時が来た。長州が現役復帰を決断。大仁田との試合を受諾した。(敬称略)

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