IT技術の革新やスマートフォン・タブレットなどモバイル端末の急速な普及により、多くの産業でパラダイムシフトが起こっています。そのなかで、教育の現場も例に漏れず大きく変わろうとしています。教育の現場では、以前から「ICT(情報通信技術:Information and Communication Technology)」や「eラーニング」活用の取り組みが行われてきました。そして現在は、“EdTech”という言葉に注目が集まっています。EdTechとは“Education(教育)”と“Technology(技術)”から作られた造語で、教育現場にICTを取り入れることでより効果的な学習を実現するためのビジネス分野全般を指しています。
テクノロジーでの教育改革にいち早く取り組んでいる国
EdTechにおける先進国はアメリカです。学費の高騰で経済や生活環境による教育格差が拡大していることを背景に、テクノロジーの力で学生たちに学習機会を提供し、格差を埋めて全体を底上げしようとする動きが活発です。公教育現場でのセルフラーニングやアダプティブラーニング(生徒個人に最適化された学習内容を提供)、教員が使う教育管理システムの導入がさかんとなり、発想力や技術力でデジタル教材・教科書やシステムを作り出すベンチャー企業が2000年代中頃から登場し続けています。アダプティブラーニングに特化したプラットフォーム「Knewton」、教員・生徒・保護者がつながる教育・学習支援型SNS「
Edmodo」 など、多種多様なサービスが展開されています。EdTechスタートアップの資金調達額も増加しており、学ぶ側だけではなく、教える側である教員の能力開発、授業支援ツール、校務情報システムも充実しつつあります。
また、非営利団体「Khan Academy」は、子供たちを含むあらゆる年齢層に向けYouTubeを使った無料の動画講座や練習課題を提供しています。2014年に創立された「
ミネルバ大学」では、学生がサンフランシスコの寮で共同生活をしながら、映像やデータを使い、セミナー式でオンラインの授業を受けます。いずれも一方的に授業を受けるのではなく、効率的に質の高い教育機会を作り出すために技術を活用しているのです。
高等教育においては、無料のオンライン講座を受講できる「MOOC(Massive Open Online Course)」の存在が見逃せません。主にアメリカの大学からスタートしたMOOCは、インターネット上に公開された講座をユーザーが受講し、修了条件を満たすと修了証が取得できるというもの。MOOCには、edX、
Coursera、
Udacityなど、世界の大学と提携して講座を提供しているサービスが存在し、非常に多くの人々に利用されています。米マサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバード大学が設立したedXでは、優秀な成績で修了したモンゴルの少年が学費免除でMITに進学した事例もあります。
EdTech市場が世界に広がるなか、近年は中国が大きく躍進しています。中国の子供向けオンライン英語教育を提供するVIPKIDは大規模な資金調達を実施。オンライン英会話の
51Talk、学習プラットフォームの
一起作业などベンチャー企業が台頭しています。
いま、日本の学校教育現場はどうなっているか
日本で学校教育の現場にICTの導入が始まったのは1990年代後半でした。1998年度からは中学校の技術・家庭科でコンピュータの授業が始まり、2003年度に高等学校で「情報」の教科がスタート。この流れに対応するため「PC教室」の整備は進みましたが、授業以外におけるICT活用はまだまだ少なく、いまだに十分な環境が整っていないのが現状です。
タブレット端末の登場以降は、教室で生徒個人が操作できる特性から、資料の提示や学習結果の発表などでタブレットを活用する事例も増えてきました。しかし、まだ全国で活用できているとは言い切れません。文部科学省は2020年度に向け、ICTを活用した指導ができる教員の養成、学校で「1人1台」の情報端末導入、無線LAN環境の整備など、ICT教育の普及を全国へ積極的に推進し、具体的な施策を始めていますが、同省の2016年度の調査によれば、公立小中高等学校における教育用コンピュータ(タブレット含む)1台あたりの児童生徒数は6.2人、普通教室の無線LAN整備率は25.9%という結果にとどまっています。
また、学校教育の現場には、教員の多忙さ、研修時間の少なさなどの時間的制約が存在します。情報端末やサービスを効果的に使いこなせない、使いこなす自信が持てないという教員もいます。1人の教員が多数の生徒に教える「一斉授業」方式がいまも主流の教育現場。ICT活用は、生徒の学力を平準化するためには有効ですが、授業方法のスムーズな移行も課題となってきます。対面での一斉授業の代わりに動画・映像で生徒が予習をし、授業の時間はタブレット端末を利用したプレゼンやグループディスカッションを実施して、課題解決を行う――学習の順序が入れ替わる「反転授業」方式は、学習効率が上がるとされているものの、従来の一斉授業とはノウハウがまったく異なり、教員側の負担も大きくなるでしょう。
教育のICT化に乗り遅れている日本ですが、OECD(経済協力開発機構)が2015年に行った国際的な生徒の学習到達度調査(Programme for International Student Assessment, PISA)では、「科学的リテラシー」「読解力」「数学的リテラシー」の3分野において上位にランクインしています。この調査は、世界72ヶ国・地域で15歳の生徒が持つ知識・技能を調査しているもので、日本は総合的に見ても平均得点の高い上位グループにいます。
アメリカではEdTechスタートアップが公教育の場でも活躍し、生徒全体の学力向上に貢献。教育格差を是正・解消する方向へと大きく進んでいるといわれています。日本が教育のICT化を進める理由には、子供たちの学力に加えて課題解決能力をさらに底上げできるのではないかという期待も込められているのです。
2020年度からプログラミング教育が必修化、「論理的な思考力」を養う
グローバル視点での教育分野では近年、「21世紀に求められる資質・能力」として、アメリカで提唱されている「21世紀型スキル」(メルボルン大学、シスコ、インテル、マイクロソフトなどによって設定された、21世紀に求められる認知的スキル)や、OECDが提唱した「キー・コンピテンシー」などで教育システムの改革が試みられています。日本でも、国立教育政策研究所のプロジェクト研究において「21世紀型能力」が提唱されました。
それらのなかに共通して盛り込まれているのが、「自ら課題を発見して解決方法を探る思考力」「テクノロジーの利用」です。前者は、「アクティブ・ラーニング(課題の発見と解決)」という言葉で表現されます。
文部科学省が定める学習指導要領の次期改訂では、「主体的・対話的で深い学び」としてアクティブ・ラーニングの視点を盛り込もうとしています。学力向上だけではなく、主体的に課題を解決する能力を養うことを目指そうとしているのです。アクティブ・ラーニングの取り組みにICTを活用することで、グローバル化の加速や社会の大きな変化、テクノロジーの進化に対応していこうとしています。
そこでクローズアップされるのが、2020年度からの小中高等学校におけるプログラミング教育必修化です。
小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ):文部科学省
プログラミング教育といっても、小学生にいきなりプログラミング言語を教えるわけではありません。コードを書いたり覚えたりするわけでもありません。一番の目的は、既存科目の授業のなかにプログラミングの概念を盛り込み、論理的な思考能力を身につけさせることです。
現代の生活においては、家電やモバイル端末などあらゆる機器がプログラミングによって制御されています。今後ももちろん、AIやディープラーニングなどが社会の発展に寄与していくでしょう。文部科学省は、ICTが持つ特性や強みとして、「多量の情報を収集・分析できること」「時間的・空間的制約を超えること」「双方向性を有すること」を挙げています。このICTの特性・強みを効果的に生かし、「何かを実現するためにはプログラミングを通じて意図的に処理する必要がある」という思考を習得してもらおうと考えているのです。
例えば、理科の授業では電気製品がプログラミングによって動作していることを学んだり、音楽の授業ではICTのツールを使って音調を試行錯誤しながら作曲することを学んだりといった教育内容が想定されています。
文部科学省では学校現場を想定し、効果的なコンテンツやアプリケーションとして「インストールせずに使うことのできるWebサービス」「民間企業で提供されているさまざまな学習機会」も活用することを視野に入れています。
EdTechのさまざまなプレーヤーたち
教育における「テクノロジーの利用」は、公教育ばかりではありません。「官民一体」となって人材育成に取り組む企業や、ベネッセ、ワオ・コーポレーション、リクルートマーケティングパートナーズなどさまざまな民間企業も「教育×技術」であるEdTechに取り組んでいます。スタートアップ企業も、もちろん続々と登場しています。
例えば子供向けでは、赤ちゃん・幼児・子供向けアプリ「こどもモード」や園児向けのICT教育カリキュラム「こどもモードKitS」を提供するスマートエデュケーション、知育アプリや職業体験アプリを提供するキッズスター、園児見守り用ロボット「MEEBO(みーぼ)」を開発するユニファ。小中高校生の学習サポートでは、オンライン学習プラットフォーム「Quipper School」を運営するQuipper(2015年リクルートマーケティングパートナーズ傘下へ)、中高生向けにプログラミング教育の機会を提供するライフイズテック、SNS機能を備える学習管理アプリ「Studyplus」を提供するスタディプラスなどがあります。
学生のみならず、社会人に向けて教育の機会を提供する企業も。具体的には、オンライン動画学習サービス「Schoo」を運営するSchoo、プログラミング学習サイト「ドットインストール」を運営するドットインストールなどが挙げられます。
また、教員側に立ったサービスをリリースしている企業もあります。小中高の教員がつながれる「センセイノート」、教育系イベントのポータルサイト「センセイポータル」を運営するLOUPE、教育向け3Dプリンターを提供するボンサイラボなどです。
このように、EdTechに取り組み、国や年齢を超えた幅広いサービスを提供する企業は多数存在しています。エンジニアが持つさまざまな技術やスキルが、EdTechのサービスへと直接活かされているのです。
エンジニアの技術と思考が活躍するEdTech分野
日本のみならず、これからの世界は多様化していき、変化の速度も上がっていくでしょう。そんな未来を生きる子供たちに主体的な学びや深い思考力の育成を提供するため、EdTechは今後いっそう普及していくことが予測されます。
そこには、基本的な技術を身につけ、広い視野と時間軸で教育のことを考えられるようなエンジニアリングの素養が必須です。また、優れたデザインやUI/UXを設計できるスキルを持つ人材も重要となってきます。新しいもの、おもしろいものを作りたいという意識は、未来を担う子供たちへとつながります。EdTechが教育を変えるためのツールとして用いられることで、「自分で教育を変える」ことができるのです。
エンジニアが新たなチャレンジをする土壌として、EdTechというジャンルは、大変やりがいのあるフィールドかもしれません。