【大仁田厚ヒストリー〈25〉】スイングしなかったムタ対ニタのギャラは1000万円だった

2017年10月25日12時0分  スポーツ報知
  • グレート・ニタ

 1999年1月31日。大仁田厚の師匠、ジャイアント馬場が肝不全のため亡くなった。61歳だった。前年12月5日の日本武道館までリングに上がり続けた馬場の急死は、当初は密葬を行った後に公表する予定だったが、翌2月1日に情報が駆けめぐり、全日本プロレスは、同日夕方に会見を開き公表した。

 新日本に初参戦した直後に入ったあまりにも突然の訃報。大仁田は、体の一部がもぎ取られたような感覚になったという。

 「馬場さんが亡くなったってことは今でも現実味がないんだよね。きれい事に聞こえるかもしれないけど、オレの中で馬場さんは今も生きている。入院されている時もひと目お会いできればと思って病院の近くまで行ったんだけど、行くことができなかった。15歳から馬場さんの弟子になって、社会の右も左も分からない坊やを育ててくれたのは、紛れもなく馬場さん。オレは馬場さんが師匠で幸せだった」

 思い出すのは付き人時代、リングの外で静かに読書する姿。そしてリングに上がればファンのために体を張ってファイトする雄姿だという。

 「馬場さんの側近で全日本プロレスでずっとレフェリーをやってらっしゃっる和田京平さんに、言われたことがあって、京平さんが“馬場さんに付け人で誰が一番、かわいかったですか?”って聞いたら“大仁田だな”っておっしゃってくれたって。“なんかしらないけどあいつはかわいいんだよ”って。ありがたい言葉だよね」

 「ウソをつくな」「ひとつのことしかやるな」と指導された。その教えを守ってきたかと言えば、そうではないだろう。それでも大仁田の心の中では常に馬場がいたという。全日本は4月17日に日本武道館で「お別れの会」を開き、2万8000人ものファンが祭壇の馬場さんへ花を手向けた。大仁田も元子夫人へ参列を頼んだという。

 「元子さんに行かせてくださいって頼んだんだけど、“混乱するから来ないで”って言われてね。当日は遠くから手を合わせていたよ」

 師匠との別れ、新日本で初の電流爆破マッチとなった4月の蝶野戦を終え、私生活でも大きな出来事があった。念願だった高校入学を41歳にして果たしたのだ。中卒でレスラーになり学歴がなかった大仁田。全日本を引退後のどん底時代に履歴書を書いた時、学歴欄に「中学しか出ていないオレはたった2行しか書けなかった」という経験が「いつか高校へ行きたい」という目標に変わり、ついに実現する時が来たのだった。

 「高校入学は、ずっとオレにとって夢だったから、本当にうれしかった。プロレスラーではなく一人の人間大仁田厚として大きな出来事だった」

 そんな10代でできなかった忘れ物を取り戻すべく駿台学園高校の定時制へ入学。3年A組40人の生徒の一員となった。蝶野戦の2日後の4月12日の入学式には母の巾江も出席した。「照れくさいがみんなと同級生という気持ちでやる。彼たちの本音が聞けるかもしれないし、今のことを学べるかもしれない」と念願の高校生活へ初々しい抱負を語っていた。

 新日本マットでは蝶野と合体する新たな展開も生まれた。7月21日の札幌中島体育センターで蝶野、AKIRAと組み、武藤敬司、天山広吉、ヒロ斉藤組と対戦。ここで緑の毒霧を武藤の顔面に噴射し遺恨が発生した。8月28日の神宮球場でのビッグマッチで互いの化身である「グレート・ニタ」と「グレート・ムタ」との対決が決まった。

 「マッチメイクはすべて新日本に任せていた。こっちからどうのこうの要望することは、ほとんどなかった。だから誰を当ててくるのか分からなかった。ムタ対ニタも新日本からの提示だった。ただ、言えることはオレのギャラは1試合1000万円だった。オレにそれぐらい払えたということは当時の新日本がどれだけの観客動員と収益を上げていたかってことと新日本はオレを必要としていたっていうことだと思う」

 ニタ対ムタの化身対決は、「ノーロープ有刺鉄線バリケードマット電流地雷爆破ダブルヘルデスマット」で行われた。形式は、リングの一対がロープなし、もう一対に有刺鉄線を巻き、有刺鉄線には200ボルトの電流をながし、小型爆弾を80個設置。さらにロープがない場外には有刺鉄線が敷かれ、24個の地雷を置き、赤と青の両コーナーにスイッチを設定し、これを選手自らが押せば1分後に地雷が爆破する仕組みだった。FMWでやってきたデスマッチを新日本は、初の神宮球場での興行で完全に受け入れた形となった。当日は、4万8000人を集め、観客動員には成功した。

 試合はニタが鎖鎌を使う凶器攻撃で先制しムタが応戦。火炎攻撃も繰り出したニタだったが、毒霧を浴び場外へ転落し地雷の餌食となり最後は鎖鎌を使ったラリアットでムタに敗れた。ただ、健介戦、蝶野戦のようにファンがブーイングを浴びせ殺気立つこともなく試合はかみ合うことはなかった。

 「ムタ対ニタはスイングしなかった。やっぱり、新日本では実物大の大仁田厚が戦わないとダメだなって思った。思想が違うイデオロギーの戦いが化身ではやりにくかった」

 凡戦に終わった神宮球場。今だ腰を上げない長州。じれる展開が11月に大きく動いた。(敬称略)

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