キングはインターネットだった
そろそろ平成も終わろうとするご時勢だが、昭和の雑誌の話をしたい。
インターネットはもちろん、テレビもなく、ラジオもまだ普及途上といった時代に、毎月100万部を売っていた『キング』という雑誌があった。 いま読み返してみると、これがけっこうおもしろい。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。
前の記事:「静岡の知られざるファミレス「五味八珍」」 人気記事:「あの「HG創英角ポップ体」の元となった直筆生原稿を見た」 > 個人サイト 新ニホンケミカル TwitterID:tokyo26 ざっくり『キング』のこといきなり『キング』と言われてもピンとこないと思うので、ざっくり説明したい。
『キング』は、1924年(大正14年)に大日本雄辯會講談社(いまの講談社)が発行していた月刊誌だ。 最初に買ったのがけっこうおもしろかったので、ヤフオクで安いやつを追加で二冊買った
このキングという雑誌は、今の雑誌のように読者層をしぼった紙面づくりということはしておらず、老若男女、すべてのひとが読めるような内容になっていた。
キングは昭和初期に、日本で初めて発行部数100万部を超える雑誌となる快挙を達成した。 しかし、戦時中、キングが敵性語だとされ、『富士』と改題させられ、戦後『キング』に戻したものの、さまざまな要因により、戦前の勢いは取り戻せず、1957年(昭和32年)に終刊となった。 ちなみに、大日本雄辯會講談社が、この『キング』で大成功しているときに設立した音楽部門が、キングレコードである。 なにがおもしろいって、古いんですよ『キング』のなにがおもしろいってもう、何もかもが古いからおもしろい。
1931年(昭和6年)の9月号を見てみたい。 昭和6年9月号の「キング」
まず、表紙をめくったところから、目を引く。蓄音機の広告だ。
蓄音機でかいなー、とおもったが、よく読むと「お座敷用」「携帯用」とある。
山へ! 海へ!
おそらく、たためばスーツケースぐらいにはなっただろう。たしかに、蓄音機は電気が必要ないので、これぐらい小さければ、アウトドアに持っていける。
据え置き型の表現が「お座敷用」というあたりもいい。むかし、おばあちゃんが、室内犬のことを座敷犬と言ってたと、遠い記憶がよみがえった。 そして、折り込み特別カラーページ。 今だとグラビアアイドルのかわいい女の子が、水着でもって海だとか、古民家みたいなところに出かけていって写真を撮ってるページがあるが、キングは鎧武者である。 カラーページが日本画
木島櫻谷。明治から昭和にかけて活躍した日本画家だ。ウィキペディアを読むと、夏目漱石に酷評されたりして、のちにちょっと悲しい死に方をされたようだが、この雑誌が発売された昭和6年はまだご存命だ。
印刷会社?
絵の下に、めちゃめちゃ小さい字で「秀英舎」と書いてある。秀英舎は今のDNP、大日本印刷だ。ダイレクトプレドプロセス(?)というのはおそらく、印刷方式かなにかのことだろうか。
奥付をみてみると、たしかに今、市ヶ谷の大日本印刷があるところの旧住所が書いてある。 今も昔も市ヶ谷加賀町の大日本印刷
明治時代からここにあるのか、大日本印刷
この時代から大日本印刷は、あの防衛省の裏の窪地みたいなところに工場があったのだ。
何もかもが古いと思っていたら、意外と今とつながる部分もあったりして、読んでて飽きない。
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