小野寺氏の発言
その答弁では、14世紀ころにアイヌ文化が形成された、そのころに和人も北海道に進出をしたかのような答弁ですけれども、1万年以上前から、和人と言われる、アイヌじゃない方たちが北海道と本州を行き来していたというのは事実であると思いますが、なぜ、そのような答弁になったのか、私は理解をしかねております。(2014/11/11 北海道議会)
『エゾの歴史』
この言葉の公的な使用の初めは、寛政一一年(1799)の徳川幕府の東エゾ地直接支配の開始と関係があるようである。東エゾ地直轄の基本方針として幕府は、「夷人共追々御徳化に感じ、御主法に馴れ、和人風俗に相成度由望候者も有之候はば、月代も致させ…(略)…往々和人に変化いたし候様教育可致事」とし、その目的として、「万々一外国より懐け候事抔有之候共、心底不動様存込せ候儀、御趣意第一」(『蝦夷地御用掛松平伊豆守様御口達書』)と明言している。右に言う「外国」とは、ロシア帝国を指す。風俗を和人同様としそれを通じて和人意識を強く持たせることが目標とされている。
したがって、右に言う「和人」は「幕藩体制を構成する人」の意味で用いられており、たんなる「日本人」の言いかえではない。「日本人」という表現は、縄文文化構成者にたいしても使用されることがあるが、この言葉の意味を明確にするのは、エミシがアイヌ民族であるかないかを云々するより、よほど難しい。この言葉の説明に「八世紀段階では、日本語を日用語とし、古墳文化の伝統をうけつぎ、中央政府の統制に服している人」と記すものもある。ようするに、古代人のことであろう。(海保、pp. 130-131)
A15:
和人という用語は、江戸時代以降のアイヌ民族政策に関する文脈で「日本人」を指すために用いられる。しかし,この用語を縄文文化構成者に対して用いている例があるという(文献不詳)。このときには、前者の意味で「日本人」を指すことはない。言葉の多義性を悪用した詭弁。
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