ペプチドリームの窪田規一会長 「この小さな試験管の中で1兆種類もの特殊ペプチドを短期間でつくれる」という 製薬業界では新薬開発が成功する確率は2万分の1から3万分の1ともいわれる。そんな創薬の世界で気を吐くバイオベンチャー、ペプチドリーム。創薬の常識を覆す技術を開発した東京大学大学院の菅裕明教授と、自動車メーカー出身という異色の経歴を持つ窪田規一会長が出会い、2006年に創業した。創薬には多くの時間と費用が必要で、赤字に悩むベンチャーも多いなか、どうやって高収益モデルを築いたのか。窪田氏に聞いた。
■原点は学生時代の起業 やる気と元気と度胸で大儲け
――早稲田大学を出て、日産自動車に入社。現在の「創薬ベンチャー」からは随分かけ離れた分野からのスタートでしたが。
「日産に入ったのは、とにかく車が好きで、あわよくばテストドライバーになりたいという単純な理由。その程度しか考えていなかったので、当然のことながらすぐに挫折した。ただ実は大学2年生の時にすでに起業した経験がある」
「学費を稼ぐ必要もあって、旅行代理店みたいなことを始めて、学生の分際で銀座に遊びに行けるくらい稼いだ。海外のカタログに載っている商品の個人輸入代行業みたいなこともやった。英語なんて全然できなかったが、まあ人生、やる気と元気、度胸があればなんとかなるという考えが、その頃からあったのかもしれない」
■「11.7カ月分のボーナス」に釘付け 会社の中身知らずに転職
――日産を辞め、臨床検査の受託大手、スペシアルレファレンスラボラトリー(現エスアールエル、SRL)に転職しました。
「何をやってる会社かさえ知らなかった。日産を辞めてしばらくは失業保険で暮そうと思っていたが、給付までに時間がかかるので求人誌で探したら、そこに求人が出ていた。年間ボーナスが『11.7カ月』と書かれており、それだけで決めた」。
「以来、25年どっぷりと医療の世界に浸り、臨床診断、検査、治験の支援など、様々な仕事をやった。ただ、上司の言うことは全く聞かない人間で、納得できないと何を言われても絶対にやらない。目標を達成するためのプロセスは自分で勝手に考えて、結果だけはしっかり出すという、上司からすると本当に扱いにくい、嫌な部下だった」
「2000年にはジェー・ジー・エス(JGS)というゲノム関連のベンチャーの専務そして社長になった。ベンチャーといってもゼロから立ち上げたわけではなく、SRLを含む上場企業5社が出資する、いわゆるコーポレートベンチャー。しかし、出資している会社間の関係がうまくいかなくなって5年で事業を畳んだ」
――失意の中で、どのように東京大学の菅裕明教授と出会ったのですか。
東京大学大学院の菅裕明教授 「ちょうど東大でベンチャーを1000社作る構想があって、菅教授の開発した技術を使って、ビジネスができないかと模索していた。実際に菅教授と会ってみると、アロハシャツに短パンといういでたちに、髪の毛を素浪人みたい束ねていて、とてもじゃないけど東大教授には見えない。しかも彼が開発したという技術が、とんでもないスケールで、その風貌と話の突飛さに、なんなんだこのオヤジは!とたじろいだ。ただ、なぜだか妙に気が合って、起業しようと。それがペプチドリームの始まりだ」
■ぶっ飛んだ教授が開発した「神のルール」を書き換える技術
「ペプチドは、複数のアミノ酸が結合してできた化合物で、生体内でホルモンや各種の信号の伝達物質として働くことから、薬の候補として早くから注目されていた。ただし、通常のペプチドは、体内ですぐに分解されてしまうという欠点がある。自然界にも分解されない特殊なペプチドがごく稀に存在するが、それを見つけてくるのは至難の技。だったら天然物の構造を真似たペプチドを人工的に作れればいい。ところが天然由来の20種類のアミノ酸の組み合わせ方には、いわば神さまが作ったルールがあって、絶対に書き換えようがない、というのが教科書にも載っていた通説だった」
「ところが菅さんは、その神のルールを全部書き換えてしまえる技術を開発した。そうやって特殊なアミノ酸を人工的に組み込んだのが『特殊ペプチド』。この特殊ペプチドは、通常ペプチドと違って分解されることなく細胞の中に入り込める、つまり薬として機能できる可能性を秘めている。しかも菅さんの技術がすごいのは、小さな試験管の中に1兆種類のバリエーションの特殊ペプチドを、平均1~2週間という短期間に作れてしまうことだ」
――特殊ペプチドの種類が多様であればあるほど、薬になるものが見つかる可能性は高まると。
「菅さんも、これを単なる研究に終わらせず、実際に薬を作るのに役立てたいと。その時、東大からは、特殊ペプチドをいっぱい作ってライブラリー(新薬の種を見つけ出すためのサンプルの集合体)として売るというビジネスモデルを提案された。しかし、私も菅さんもそういうライブラリー屋、言葉は悪いが下請けのパーツ屋ではダメだと思っていた。なぜなら、それは宝くじと同じで、非常に成功の確率が低いからだ」
■いままでにない創薬のビジネスモデル ストーリーを作れ
「今までの創薬ベンチャーは、いいライブラリができて、ターゲット(薬の標的たんぱく質)さえ合えば、いい化合物ができる。臨床試験でエビデンスが固まれば製薬メーカーに持って行って契約すればいい、という考えでやっていた。しかしライブラリーを作るのにもメンテナンスにも莫大な資金が必要。最初にお金をつぎ込めば、あとは行き当たりばったりでなんとかなる、というのはビジネスモデルでもなんでもない。そこには資金を回収していくきちんしたストーリーが必要だ」
――日本の創薬ベンチャーがうまくいかない根本的な原因ですね。一方でペプチドリームは増収を続け、営業利益率は50%超ですが、どうして高収益モデルを築けたのですか。
ペプチドリームのビジネスモデルは米国流だ 「ドラッグディスカバリー(創薬)に特化して、自分たちが作って売り込むのではなく、国内外の製薬メーカーをパトロンにつける。パトロンになってもらうにはどうすればいいかというと、単に『こんな特殊ペプチドを作る技術があります』とアピールするだけではなく、『あなた方が欲しいもの、これまで欲しくても手に入らなかったものを提供します』というところがミソ。相手の必要に応じて、通常なら数年かかる新薬候補物質を数カ月で作りますよと」
「しかも出来上がったものをただ渡すのではなく、そこで使う特殊ペプチドは我々オリジナルのものなので、臨床試験などの進捗に伴って節目ごとにマイルストーン収入をいただく。新薬を市場に投入した暁には、売上高の一定割合をロイヤルティーとしてシェアしてくださいという明確な『勝利のストーリー』を作った。実はこうしたペプチドリームの手法は、日本では非常に珍しいと言われるが、アメリカでは当たり前のモデル。それを着実に実践しているだけだ」
■契約書でも独創性を追求 座右の銘は「夢なき者に理想なし」
――なぜこれまで、そういったビジネスモデルが日本では生まれなかったのですか。
「おそらく日本の大学や製薬会社では化合物にせよ、ターゲットにせよ、すごいものを見つけたとなると、もう薬になることを前提に、刹那的にお金を集めて突っ走るというモデルが50年間続いてきてしまったからだろう」
「非常に緻密な契約書を作るのも、我々がこれまでのバイオベンチャーと違う点。契約書では、知的財産権やモノに対する権利関係について必ずうちにプラスになるようにしていて、そこは一歩も譲らない」
「さらに、相手が我々の仕事を評価する際のポイントを最初に明確に規定する。いままでのベンチャーはそういう目標の設定や、評価ポイントをなんとなく曖昧にしてきたケースが多かったと思うが、そこはきっちり詰める」
――独自のビジネスモデルを確立したのですね。窪田さんに座右の銘はありますか。
「ペプチドリームという名前はみんなで決めた名前だが、僕が大切にしているのは吉田松陰の『夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし』。そこから転じて辛い時に思い出すのは、Our Dreams Come TrueではなくOur Dreams Can Come Trueという言葉です。夢を夢で終わらせてはダメ。夢は目標であり、必ず達成できるというのを前提に進もうと。その気持ちは創業から11年経った今も変わらない」
窪田規一 1953年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部に入学後、社会科学部に転部。日産自動車を経て、検査会社スペシアルレファレンスラボラトリー(現エスアールエル)入社。2000年にDNAチップ開発のジェー・ジー・エスを立ち上げ。06年ペプチドリーム設立。13年にマザーズ上場、15年に東証一部に市場変更。空手、少林寺拳法、居合など様々な武道に通じ、合計11の段位を持つ
(石臥薫子)
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