新しいファッションを作り出す日本の「生きる芸術」
マリーアン・ラッソン芸術担当記者、BBCニュース/グリーシャム・ターン・ビデオ・プロデューサー
あるアーティストが8年前、奇抜な日本のストリート・ファッションを発明し、以来、インターネット上で世界中からカルト的なファンを集めている。
minoriさん(26)は、白い粉を使った白塗りメイクと年代物の衣装を組み合わせて新しいスタイルを作り出した。
自分の体をキャンバスとして使っており、minoriさんは実質的に「生きる芸術作品」だ。そしてその芸術は主に写真で表現される。
minoriさんの創造的な表現は、このトレンドを取り入れようとする若い女性たちに刺激を与えている。
白塗りの女性
minoriさんは都内で暮らしている。白い化粧のおかげで身元が分からないので、minoriさんが誰であるかを知るのは友達と家族しかいない。つまり衣装を着ていない時は、詮索好きの目から離れてプライベートな生活を送れるのだ。
minoriさんは10代の頃、渋谷区原宿に足繁く通うたくさんの若い女の子の1人に過ぎなかった。原宿は、奇抜で変わった、そしてたいていは斬新でもあるファッションを見に行ったり、見られたりしに行く場所だ。
かつてminoriさんは上品なゴスロリ・ファッションを楽しんでいたが、時がたつにつれ、このスタイルは自分に合わないと感じるようになった。
「自分の肌の色やメイクが服に合わないのにいつも違和感を抱いていた」とminoriさんはBBCに話す。
「顔を白く塗った時に、想像力を働かせて自分の顔を作り上げることができて、素晴らしい気分になった。これだ!と思った」
日本では、白塗りの化粧は中世の時代にさかのぼる長い伝統がある。
9〜11世紀の平安時代、貴族の男性は、その階級を示すために顔を白塗りにした。
この傾向はのちの17世紀、芸者が登場し始めた際に、女性にも取り入れられた。
その後、1926年から89年にかけての昭和の時代に、「白塗り」という用語が生まれた。
当時の超愛国主義に刺激され、人々は男女ともに学ランやセーラー服などの制服に身を包み、日の丸を手に持ち、芸者の化粧品を使って顔を白塗りにした。
インスピレーション
政治的な表現やエンターテインメントのツールとする代わりに、minoriさんは白塗りを芸術の形に発展させた。風変わりな付けまつ毛を付けて、衣装のテーマに合うような複雑なメイクを施すのだ。
日本の田舎で育ったminoriさんは、自然を芸術のインスピレーションが湧く源の1つとして捉えている。
「落ち葉の柄や木の枝、花の形……。そういうモチーフを白塗りと組み合わせてメイクにしたら、美しいだろうなと思った」とminoriさんは話す。
「当時、主流は芸者メイクだったけど、それはつまらないと思った。かつて誰も見たことがなく、やったこともないような何かをすごく作りたかった」
この3年間で、minoriさんは世界のあちこちで開催される日本のファッションのイベントに出演するようになった。ファッション・ブログでminoriさんの作品を知り、minoriさんの作品のファンになった人から招待されるのだ。
また、英国のテレビ局ITVによるドキュメンタリー・シリーズ「ジョアンナ・ラムレイの日本」や、米国人タレントのチェルシー・ハンドラーが出演するネットフリックスの番組「チェルシー」の日本でのエピソードへの出演依頼が来たこともある。
しかしながらminoriさんは、おそらく自分が最も人気がない場所は日本だろうと話す。東京で目にするファッションは多様でありつつ、若い女性がすべき服装への見方はいまだに非常に保守的だからだ。
「多くの日本人は、私のことを変わった存在だと思う。でも全体としては、反応は以前より前向きになって来た」とminoriさんは言う。
家族はminoriさんを誇りに感じており、母親はminoriさんが色々な衣装で写っている写真集を友人に売っている。
生きる芸術
生きる芸術としてのキャリアを歩んでいるのはminoriさんだけではない。英国では、アーティストでありファッション・デザイナー兼スタイリストでもあるダニエル・リズモアさん(32)が、15年にわたりminoriさんと似たことをしてきている。リズモアさんが持っている衣装やアクセサリーの数は、6000以上に及ぶ。
minoriさんはある意味「生きるエネルギー」を表現したいと言い、一方でリズモアさんは、見るものの反応を引き出したいと思っている。
それぞれの作品には違いがあるものの、2人に共通しているのは逆境の経験だ。
「通りで唾をかけられたこともあるし、殴られたり、傷つけられたり、痛めつけられたりしたこともある。でも、自家用機に乗せてもらったこともあるし、世界中を飛び回ったり、宮殿に招待されたりしたこともある。それから私の作品は世界中の美術館に展示されてもいる」とリズモアさんはBBCに語る。
「本当に興味深い生き方だと思う。楽しいしクリエイティブだし、おそらく他の方法では開かなかったであろう扉を開いてくれたし、閉じてもくれた」
「私にとっては、自分の芸術を見せる機会。ある意味、歩くストリート・アート」
しかしリズモアさんは、ありのままの自分を受け入れることを学んできた。そして先日、ロンドンの芸術系イベント「フリーズ・アート・フェア」でminoriさんと会った際、リズモアさんはminoriさんに、他の人がどう反応しようと構わず芸術を作り続けるようアドバイスした。
「ありとあらゆる反応をされる。すごくいい反応もあればすごく嫌な反応もある」というリズモアさん。現在、若者が英国中の美術館に触れられるようテート・ギャラリーが展開するプログラム「サーキット」の大使を務めている。
「人の中には恐れがたくさん潜んでいる。未知のものへの恐れ。文化の欠如から来る恐れ」
「あなたのやっていることを嫌い、理解できないという人は今後もたくさん出て来ると思う。でもあなたにふさわしい人は、そのままのあなたと、あなたの作品を愛してくれると思う」
「それ以外の人は、関係ない」