間もなく祖父の誕生日です。とはいえ昨年の春に他界しているので、お仏壇に献杯。
身内贔屓も甚だしいのですが、今まで会った中で最も人格者だと思っていて、世界一尊敬している人です。
今日は「人と会う時にちょっと心がけていること」について、祖父に想いを馳せつつブログを書きます。
会えてよかったと思われること
マザー・テレサの名言に、こんな一説があります。
あなたに出会った人がだれでも前よりももっと気持ちよく、明るくなって帰れるようになさい
よく祖父も似たようなことを言っていました。
誰かの生涯において、「会えて良かった」と思われることも素晴らしいことですが、相手にとって「今日あなたに会えて良かった」と思われるような、そんな時間を創れたら理想的だなと思います。
人の時間をもらっている
以前記事にもしましたが、祖父母と3人暮らし経験のある私は典型的なおじいちゃん子であり、「人と会う時は、人の時間をもらっている」という感覚を忘れないように言われていました。
これは仕事においても言えること。私自身、できるだけ短時間で多くのことをやろうとする回遊魚的な性分のため、この言葉にはいろんな意味で納得・共感しています。
相手に選ばれるということ
こちらは糸井重里さんの言葉です。
一番「これ、いいなぁ」と思ったのは、友達同士で遊ぶ時に「あいつ、呼ぼうぜ」と言われる存在、というやつなんです。
いろんなことをして遊ぼうと思うときに、「あいつは呼びたい」と思うやつは、いつもいる。そういうやつの価値には、名前がつかない。そういうやつのいいところには、順位なんかつけられない。
順番のつくような、どんな価値を持っていても、その順番は、もっとすごいやつに追い抜かれるし、その価値は、年齢や動機の喪失やなんかとともに、だんだん減っていってしまうだろうけれど、「いまここに、あいつがいたらなぁ」って思われることの価値は、永遠なんだよ。
相談がある、久々に飲もう、何かを手伝ってくれ。どんな依頼や誘いであっても(一部例外もあるとは思いますが)誰かに呼ばれて会う時は、相手が自分を選んでくれたと受け止めることができます。
必要とされる人、時間を共に過ごしたいと思われる人。そういうでいたいなと思います。
招いて会う
生前、祖父にとっては子が3人、孫が7人、曾孫が10人。
毎年お正月にみんなが集まり、散々騒いで帰ったあとはドっと疲れる、と言ってました。
それでも人が集まる賑やかな家でありたい、お友達もたくさん呼んで欲しいと言われていたので、大学時代に祖父母宅に友人を呼んで鍋パーティーをしたことがありますが、やはり喜んでくれました。
まとめ
私は聖人君子ではないので毎回こんな気持ちを明確に抱いて人と会っているわけではありません。ただ頭の片隅には留め置いてあるため、時々思い返したり意識することはできると思っています。
75歳まで現役で働き、貝柱が大好物でテニスが上手。食後にはいつも至福のコーヒーを淹れてくれ、叙勲を受けて天皇への謁見も果たした自慢の祖父です。
若い時に兄弟を亡くしたり、戦争を経験し、一人で生きてきたわけじゃないと思っているからこそ伝えてくれた言葉なのかなと解釈しています。
本日の名言。
老人の上機嫌ほど美しいものはない。
ジャン・パウル