きょうは、大切な友達の四十九日です。
マギーズ東京発の雑誌「HUG」の表紙を手がけてくれたデザイナーの綾仁麻衣子さん。
今月発行した2号目のいくつか表紙のデザイン案を送ってくれて、そこから一緒にひとつの案に絞った矢先に、先月、雑誌の完成を見ることなく、29歳という若さで旅立ちました。
フリーランスのデザイナーをしていた麻衣子さんと出会ったのは、1年半ほど前のことです。
マギーズ東京オープンと同時に雑誌を創刊したいとfacebookでプロボノ編集チームを募集してみたときに、参加したいと連絡をくれたのがきっかけでした。
会ってみると、可愛らしさもありながら、自分を持っていて、凜とした女性。
聞くと、26歳のときに転移した乳がんが見つかり、治療を続けている中でマギーズ東京を建てるためのクラウドファンディングを知り、進捗を楽しみにしてくれていたとのこと。
マギーズは、がん患者さんやご家族のためのものですが、それを支えるプロボノやボランティアは、当事者ではない方が大半で、基本的には当事者であっても治療からだいぶたって心身ともに落ち着いている人にお願いすることにしていたので、「まずはご自身を優先して、センターを訪れてくれるだけでありがたい」とお気持ちだけありがたく受け取ろうとしたところ、「作品を制作する『生産活動』をしていくことが自分のためにもなるからぜひ参加させてもらいたいんです」と。
そうして治療を続けながら、時に彼女自身がマギーズを訪れながら、マギーズ東京オープン日に創刊した「HUG」創刊号の表紙のほか、マギーズ東京のオリジナル商品の開発にも携わってくれていたのでした。
そして、今年に入って体調が優れないと一旦プロボノをお休みしていた麻衣子さんから突然、「これ以上治療はないと病院から見放されてしまい、もう死ぬのを待つしかないみたい。会いたい」と連絡をもらい、ご自宅を訪ねたのは今年6月のこと。
紹介した病院に転院して、緩和ケアなどで一旦体調が落ち着いたという報告と共に、「この繋がった命を還元したいから、HUGでできることがあれば協力したい!」と元気いっぱいに連絡があり、新しい「HUG」の表紙もデザインしてもらって、紙面に登場もしてもらって、一緒に出来上がりをめちゃくちゃ楽しみにしていたのでした。
同時に、「HUG」のプロボノ編集チームにいるライターさんのweb媒体で連載を始めたり、同じくチームにいるウェディング雑誌の編集者さんから紹介してもらって恋人とウェディングフォトを撮ったりして、それを生き生きと嬉しそうに報告してくれて、ものすごい命の輝きを放っていました。
そんな中で、突然病状が悪化したと、彼女の恋人から訃報のご連絡をいただき、どんなに頑張ってもマギーズにもわたしにも命を救うことはできないという現実と、無理をさせてしまったのではないかと自責の念にかられ、ただただ呆然としていました。
初めてマギーズを投げ出したくも、なりました。
でも、お通夜に参列したときに、その気持ちを、彼女自身が和らげ、救ってくれました。
そこには、彼女が、残された人たちのために遺してくれていた彼女の作品が、たくさんありました。
その中に、6月に彼女のお家でふたりで撮った写真や、「HUG」のミーティングの写真がメッセージつきで大切に製本されているのを見つけ、涙が止まりませんでした。
また、下記は、「私が死んだらお葬式で掲示し、Facebookにアップして欲しい」とご家族に頼んでいたという文章です。
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【綾仁麻衣子本人より大事なお知らせ】
綾仁麻衣子は、29年の人生を終えました。26歳のころから乳がんを患い、様々な治療を行いながら延命しておりました。
乳がんになったことで知り合ったピンクリングやマギーズ東京など、沢山の方々にも出会うことが出来、最後の数年はぎゅっと詰まった日々でした。ガンに関する雑誌「HUG」のデザインに携わったり、晩年には、「広林依子」という仮名でハフィントンポストのブロガーにも選ばれ、ガンに関するブログを綴らせていただいて、朝日新聞に紹介されたり、インタビュー記事になったりしました。
http://www.huffingtonpost.jp/yoriko-hirobayashi/
そして、相棒の「くまちゃん」とウェディングフォトも撮ることが出来、前向きに治療を行っていました。
生産活動と名付けていた制作ですが、作れば作るほど生は延長されるので、私が作ったブログなど、読んでいただけるとうれしいです。
皆様が私の作ったものを見て、生き続けていくことが、私への供養になります。
最後に皆様、29年間、私の人生にお付き合い頂きどうぞありがとうございました!
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死と真っ正面から向き合い、遺せるものを考え、「作ったもので生き続けていく」ことを実行した麻衣子さん。
また、お通夜の後、ご家族や恋人から、マギーズや「HUG」のことをいつも嬉しそうに話してくれていたことや、最後は恋人に「言うべきことあるでしょ?」とプロポーズさせてめちゃくちゃ幸せそうだったと聞いて、また「本当によく生きた!」「麻衣子らしい人生だった!」と話すご家族や恋人の愛情溢れた優しい顔を見て、最後までかっこよすぎる生き様と素晴らしい贈り物を遺した死に様に、わたしもいつかそのときがきたらそんな風にありたいと思いました。
そんな彼女の生き様や考えを、ぜひ読んでみてください。
http://www.huffingtonpost.jp/yoriko-hirobayashi/
また、「HUG」は、麻衣子さんや素晴らしいプロボノ編集チームとものすごい愛情を込めて創刊し、新しく出た号は、色々な意味で泣きながらつくった一冊です。
今週土曜日のマギーズ一周年記念フェスティバルでも、通常のオープン時でも、ウェブでもご購入いただけ、丸々マギーズの運営費としてのご寄付になります。
http://maggiestokyo.org/2017/10/20/news-17/
http://maggiestokyo.org/donate/
ぜひお手にとっていただけたら嬉しいです。
記者という本業でも、がんという病と向き合う社外活動でも、「生きる」「死ぬ」と向き合わざるを得ない日々で、変えられない現実に打ちひしがれることも多いのですが、麻衣子さんが亡くなってからこの四十九日の間、いつか必ずくる自分の番がきたときに誰に何を遺したいのか、それを遺せる自分になるためにはどう生きたらいいのか、家族や大切な人と先にお別れしなくてはならなくなったときにどう見送ってもらい、どう生き続けたいのか、すごく具体的に考える機会が増えました。
憧れるほどカッコよくて気持ちのいい生き様を貫いた彼女について、ご家族や恋人に伝えていってくださいと言っていただいてからこれまでうまく表現できなかった思いを、いまだうまく表現できないながらに、書きました。
人生で大切なことを教え、遺してくれた麻衣子さんは、わたしの中でもずっとずっと、生き続けます。