はじめまして。専業主婦、一児の母として、サラリーマンの夫と娘の3人で暮らしている雨水と申します。こうやって現在の肩書きを書き出すと、極々一般的で社会の一員感がありますね。
しかし、向精神薬の服用歴は15年を超え、相変わらず、多少の改善はあれど情緒不安定なままです。子を持ち母となった今も、残念ながら安定剤と眠剤は手放せません。オマケにコンサータも飲んでいます。
私は23歳ころ、ADHDの診断を受けました。就労中はストラテラを服用し、なんとか乗り切っていました。10代の頃は家庭環境が悪く、中学から不登校になり、変な人達とつるんだり、自殺未遂を繰り返したりしました。
学校からスクールカウンセラーが派遣され、思春期外来のある病院を紹介されて精神科通いが始まりました。そこから今まで色々な病名を貰いました。適応障害、境界性人格障害、双極性障害エトセトラエトセトラ…。
典型的なメンヘラ女だったので、常に彼氏がいたり、生理前の情緒不安定になると急に嫌いになって別れたり、自分で処理できない怒りや悲しみの激情に呑まれるとセックスで誤魔化し、腕を切り刻み、薬をザリザリと頬張ったりしました。
生きていることで蓄積されるストレスを、健全な方法で消化することが出来ないのです。即物的な快楽や痛みで思考停止し、男と刃物と薬で自分を痛め付けて、やっと世界にしがみついていました。
私は自分自身の存在価値が分からなかったし、分からないものを大事にする気にもならなかったのです。
私の生きる原動力は「怒り」でした。存在を認めてもらえない怒り、何者にもなれない怒り、誰にも分かってもらえない怒り。今振り返っても、とてもとても、痛々しい10代でした。この時の気持ちや考察を書き出すとキリがないので、本題へ移ります。
この「満たされない怒り」というのは、なんというか飢餓状態の承認欲求が大暴走している感じでしょうか。私はADHDの診断を受け服薬をし、なんとか一般社会で普通の人に擬態し暮らせるまでになりました。薬漬けではあるが死ぬのが怖くなった。リストカットも殆どしなくなった。ともかく、表面的にはかなり落ち着きました。
そして、好きでたまらない人と結婚して、子供を授かり、母になりました。ここでやっとタイトルの「母になり、愛情への飢餓感・承認欲求が満たされた話」へ繋がります。単刀直入にいうと、初めての彼氏から今の夫まで途切れたことの無い性欲が消えました。
私の性欲はつまり、ある種の自傷性を伴っていました。良くある境界例の性依存や共依存の類だと思います。私はずっと慢性的な愛情への飢餓感に支配されてきました。夫と一緒になり妊娠出産を経て、それが消失するに至りました。
すみません、ちょっと盛りました。消失は言いすぎですね。もちろん今も夫に対して「愛情」「好き」といった感情からの欲求は沸き起こります。でも、これまでの自傷的な動機から起こる半ばヤケクソな性的欲求が無くなったのです。
それは何故か。ひとつめは現実的な問題として育児で疲弊しているから。でもこれは精神的なものというより肉体に作用していますね。とりあえずセックスより睡眠が欲しいです。(子供の夜泣きがなかなかしんどいのです……。)
ふたつめは結婚したことにより家族を手に入れたから。法的に認められ守られた関係。対外的にも私の絶対的な味方を手に入れたのです。同棲時にはなかった安心感や、妻という肩書きを手に入れ、自分の存在意義を明確に感じました。夫と私が家族となった事実にとても安堵し、救われた気分になったのです。
みっつめは子供が自己承認欲求を良くも悪くも満たしてくれるから。私が居なければ死んでしまう、か弱き存在。子が存在する限り母が存在する。私は常々、生きていていいのか許しを乞うて、ここに居ていのか不安で、ひとりぼっちな気がして。そしてそれを確かめる為に自分を虐める。でも今は「私が居なきゃいけない」。子の為に生きなきゃいけない。私を必要とする、可愛い子の為に私は存在している。
今迄散々愛して!必要として!私を認めて!とのたうち回っていた私の承認欲求を、我が子がすべて掻っ攫っていったのです。
結婚は人生の墓場だと嘯く人もございます。まああながち間違いではないのかも知れません。
ですが確かに、家族を持つこと、子を持つことによって少しだけど変わることが出来たメンヘラ女もここに居ます。
また機会があれば、自傷的な人付き合いをしていた頃の私の思いや、メンヘラ女が性依存に陥りやすいのは何故かを書けたらいいなあと思います。おわり。
【投稿者】
雨水 さん
【プロフィール】
ADHDと二次障害で色々患った主婦メンヘラ。一児の母。
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