現実世界における AI の実態

人工知能を持つコンピュータがバランス良く学べるかどうかは教える人たちしだい。

ここ 3 年、夏になると、たくさんの応募者から選ばれた未来のコンピュータ科学者たちが 20 名ほどスタンフォード大学を訪れ、人工知能(AI)について学んでいます。AI 分野の優秀な科学者たちから話を聞いたり、大学周辺のテクノロジー企業を訪ねたり、ソーシャル ロボットやヘキサコプターを操作したり。コンピュータ言語学(たとえば複数の意味がある言葉を機械でどう処理するか)や、時間管理の重要性についても学びます。またプログラムの一環として、フリスビーをする時間も設けられています。AI と聞くと、ビデオゲーム好きの男子が集まって、対戦用の人工知能をもっと賢く、強くしようとしている場面を思い浮かべるかもしれません。でもここでは少し違います。スタンフォード人工知能研究所夏期講習プログラム(SAILORS)では、中学を卒業したばかりの少女たちが「AI を使って人々の生活を改善する方法」を学んでいるのです。たとえば、大型旅客機同士の衝突を防いだり、医師が手術室に入る前に手を洗ったことを確認したり、といった課題を AI で解決できないか検討します。「もっとさまざまな学生に多様な学習の機会を提供することで、AI の教育を再考できるのではないかと考えたんです。」そう語るのは、スタンフォード人工知能研究所所長であり、SAILORS プログラムの創設者でもあるフェイ フェイ リー氏です。「未来の科学技術者にいろいろなタイプの人がいてこそ、テクノロジーを本当に人類のために役立てることができると思うのです。」

未来の科学技術者にいろいろなタイプの人がいてこそ、テクノロジーを本当に人類のために役立てることができると思うのです。

—フェイ フェイ リー、 Google、スタンフォード大学

フェイ フェイ リー、

SAILORS は、リー氏と当時学生だったオルガ ルスサコフスキー氏(現在はプリンストン大学アシスタント プロフェッサー)によって、テクノロジー業界の男女格差をなくすことを目標として 2015 年に創設されたプログラムです。この格差解消は大きな問題でありながらも、早急の解決が必要な課題でした。最近の調査によれば、コンピュータ科学の学位取得を目指す女子学生の数は減少しており、AI 分野の企業幹部に占める女性の割合は 20% を下回っています。今日、AI の普及に伴って、ますます多くの人が AI を活用して毎日を快適に、もっと効率的に過ごすようになっています。たとえば、大勢の人が写っている写真の中からユーザーの顔を識別したり、撮影場所を検出したり、ユーザーに合わせて明日の天気を的確に教えてくれたり、AI はさまざま場面で活躍しています。その他にも、失明につながりかねない糖尿病性網膜症の診断をサポートしたり、世界中のあらゆる場所で捜索救助活動を行えるドローンに活用されるなど、AI が利用されていること自体があまり知られていない応用例もあります。

AI が至る所で利用されるようになった今、この分野の男女格差をなくすことがますます重要になっています。それは単に「男女は平等であるべき」という理由からではありません。機械学習の性質上、多様性は不可欠な要素なのです。AI の目標の 1 つは、人間が当たり前にやっていること、たとえば音声認識、意思決定、広島風と大阪風のお好み焼きを見分けるといったタスクを、機械の力だけでできるようにすることです。そのためには、膨大な量の情報を機械に与えなければなりません。何百万という言葉、会話、画像。つまり、私たちが生まれてから目覚めている間ずっと吸収してきたあらゆる知識を、機械に教え込む必要があるのです(要するにこれこそが機械学習です)。機械は、より多くの車を見ることで、より正確に車を識別できるようになります。しかし、用意したデータセットが限定的であったり偏っていたりする(たとえばある特定の車種の画像が含まれていない)場合や、AI の技術者がデータの不足や偏りに気付いていない(たとえば自動車事情に明るくない)場合は、機械の学習や出力結果に齟齬が生じます。

データを明らかにするだけでなく、現状を正しい方向に変えていく必要があると感じたんです。

—トレイシー チョウ、 Project Include

トレイシー チョウ、

研究や学習の機会をもっと「開かれた」ものにできないでしょうか。この点についても、さまざまな取り組みが行われています。Google で AI と Google Cloud の機械学習部門のチーフ サイエンティストも務めるリー氏は今年、AI 分野の人材の多様化促進を目的として、非営利団体 AI4ALL(AI for all)を立ち上げました。ゲノミクス、ロボティクス、サステナビリティなど、さまざまな分野の専門家が参加しています。AI4ALL は、SAILORS をさらに発展させたもので、全米の有色人種や低所得層の学生にも対象を広げたプログラムです。スタンフォード大学に加え、プリンストン大学、カリフォルニア大学バークレー校、カーネギー メロン大学とも提携しています。リー氏は次のように語っています。「業界の関係者や同僚から言われたんです。SAILORS は確かにすばらしい試みだけど、スタンフォード大学が単独で地域の学生に教育の機会を提供しているだけじゃないかって。そこで、性別だけでなく、より幅広い多様性を受け入れる AI4ALL プログラムを立ち上げたのです。」

同じような取り組みは他にもあります。Google がオークランドを拠点に展開する Code Next では、ラテン系アメリカ人やアフリカ系アメリカ人の学生に、テクノロジー分野への道を拓く機会を提供しています。DIY Girls は、ロサンゼルスの低所得地域の少女たちを対象に STEAM (Science、Technology、Engineering、Art、Math)分野の教育プログラムを提供しています。Project Include では、スタートアップ企業やベンチャー企業による女性や有色人種の雇用を促進しています。昨年 Project Include を創設したのは、Pinterest 出身のトレイシー チョウ氏をはじめ、テクノロジー業界で注目を集める 8 人の女性たちです。チョウ氏は 2013 年に、シリコンバレーを拠点とするテクノロジー企業に対して、女性の雇用者数を公表するよう迫ったことでも知られています。その数が少しずつ明らかにされるにつれ、シリコンバレーで働く人なら誰もが知っていた事実が立証されました。テクノロジー業界は、巨大企業から小さなスタートアップまで、圧倒的に白人男性の世界だったのです。「次なる取り組みは Project Include しかありませんでした。」チョウ氏はそう語ります。「こうしたデータが明らかになっても、状況は大して変わりませんでした。会話に少し変化が現れたくらい。それで、必要なのはデータを明らかにするだけでなく、現状を正しい方向に変えていくことだと感じたんです。」

正しい方向とは、たとえば誰もが AI 分野で働けるようにすること。AI の仕事に携わっている人はまだまだ少ないのですが、それでもすでに人間の世話をするロボットや、ユーザーが何を必要としているかを予測するパーソナル アシスタントが誕生しています。人間が入力したデータや条件に基づいて機械が仕事をするのであれば、そのインプット量を増やして質を高めることで、結果もよくなるはずです。

AI の民主化 は、すでにさまざまな形で始まっています。たとえば、日本のある農家では AI を活用して、栽培したキュウリをさまざまな特徴に基づいて自動仕分けするマシンを自作しました。このような事例はリー氏にとって非常に興味深いものです。16 歳のとき、右も左もわからないまま中国からアメリカのニュージャージー州に移住してきた彼女は、ハウス クリーニング、ペットシッター、中華料理店のレジ係をしながら苦学し、プリンストン大学を卒業後、カリフォルニア工科大学大学院に進みました。

白人男性が多数派を占めるこの分野では、リー氏は 3 つの意味で「よそ者」です。移民で、女性で、有色人種なのですから。普通なら障壁と捉えてしまいそうですが、リー氏はそれをばねにしてきました。彼女はほとんどの時間を、機械学習の構成要素であるコンピュータ ビジョン(彼女はこれを「AI のキラーアプリ」と呼んでいます)の研究に費やしています。コンピュータ ビジョンで視覚データを分析、識別することで、いずれは応答性の高い義肢を開発したり、最も難解な数学的証明を行ったりできるようになるかもしれません。しかし AI に関して重要なのは、その時々の状況に合わせて、膨大な量の情報の中から必要な情報を取り出す方法をいかに機械に教え込むかということです。つまり、人間のように、さまざまな視点から世界中の情報を処理できるように教えることにほかなりません。

ルーカスフィルムとの提携により設立された ILMxLAB では、スターウォーズの広大な世界観に刺激を受けた開発者たちが、インタラクティブな没入型エンターテイメント(たとえば VR でのダースベイダー)の構築に励んでいます。ILMxLAB のコンテンツ ストラテジスト、ダイアナ ウィリアムズ氏は、ストーリーをどう語るかといった、日々直面する問題や技術的課題を解決するためには、幅広いタイプのクリエイターを育成して、多様性のあるチームを育てることが不可欠だと考えています。彼女が積極的に関わっているのが、Black Girls Code のような技術訓練を提供する団体です。彼女は、1980 年代の大学で感じた、有色人種の女性の少なさを忘れることができません。「私はいつも 1 人でした。数学の講義でも、経営の講義でも」と彼女は語ります。「そういう環境はすごく疲れたし、怖いと感じることさえありました。」ウィリアムズ氏が出した答えは、もっと多くの女性をテクノロジーの世界に導くこと。「若いうちに始めることで自信をつけて、強くなってほしいんです。教室を覗いて、自分が 1 人だってわかっても引き返さないために。」

若いうちに始めることで自信をつけて、強くなってほしいんです。教室を覗いて、自分が 1 人だってわかっても引き返さないために。

—ダイアナ ウィリアムズ、 ルーカスフィルム

ダイアナ ウィリアムズ、

Google で機械学習を研究しているマヤ グプタ氏は、また別の角度から AI の改善に取り組んでいます。スタンフォード大学在学時に、ノルウェーの企業からの依頼で、海底のガス パイプラインのひび割れを検出する方法を研究していました。彼女は次のように語っています。「気軽に見に行ける場所ではないので、断片的な情報から状況を推測しなければなりませんでした。」微妙な違いを推測する方法を機械に教え込むのはグプタ氏の得意とするところです。現在、彼女が率いるチームは、曲と曲を違和感なくつなげる DJ のように、コンピュータがリコメンデーションを微調整できるよう取り組んでいます。「つまりは予測ですね。限られたデータに基づいて、状況を推測しようとしているわけです。」

彼女の研究開発チームは、リコメンデーションをはじめとする、主に機械学習の精度を高めるための研究を進めています。「たとえば、ボストン訛りとテキサス訛りを同じくらい正確に認識できるようにしたいとします。ここで、テキサス訛りを少しだけより正確に認識できる音声認識装置があったらどうすべきでしょう。テキサス訛りの認識精度をあえて落として、ボストン訛りと同じレベルにすべきでしょうか。もしこれが単純に、ボストン訛りのほうが認識が難しいせいだったとしたらどうでしょうか。」

グプタ氏のチームでは、人類より飛躍的に精度の高いシステムの実現も目指しています。機械にうまく学習させることができれば、人間が持つ偏見や潜在意識によって惑わされずに済むかもしれません。少なくとも、偏見や潜在意識が垣間見えたときにそれをもっと簡単に認識できるようにはなるでしょう。機械なら、疲れたり、イライラしたり、お腹が空いたりしたせいで集中を切らすことはありません。ある研究によると、昼食前の空腹時には裁判官が仮釈放を許可したがらない傾向があるそうです。「人間の心がどんな状態にあるかを計測するのは難しいんです。」グプタ氏は言います。「私たちが目指しているのは説明可能な機械学習システムです。実を言うと機械学習システムの多くは、すでに人間よりも説明可能になっているのです。」

私たちが目指しているのは説明可能な機械学習システムです。実を言うと機械学習システムの多くは、すでに人間よりも説明可能になっているのです。

—マヤ グプタ、 Google

マヤ グプタ、

AI がますます便利になり、もっと簡単に使えるようになれば、より多くの人々の手に届けることが可能になります。クリスティーン ロブソン氏は、IBM の研究者を経て、現在 Google で TensorFlow などのオープンソース ソフトウェアの研究を進めています。TensorFlow は、翻訳や病気の識別、芸術作品の制作など、さまざまな用途に使用できる機械学習システムです。

ロブソン氏が考える「開かれた AI」とは、彼女のような自称数学オタクだけのものではなく、誰もが気軽に利用できるツールです。「機械学習を、世界中のすべての人が利用できるようにすることが目標です。」彼女はそう語ります。「機械学習の民主化については、たくさんの議論を重ねてきました。私は民主化は可能であると信じています。そのためには、ツールを本当に使いやすくし、こうした手法を誰でも利用できるようにすることが不可欠なのです。」

SF 小説 や映画では、長年にわたって AI の失敗が描かれてきました(メアリー シェリーの「フランケンシュタイン」が出版されて来年で 200 年になります)。しかし、リー氏、ロブソン氏、チョウ氏をはじめ、今日の AI 業界に携わる人の中には、AI が人類に及ぼす影響よりも、人類が AI に及ぼす影響のほうを危惧している人がたくさんいます。たとえば、仮想のアシスタント システムには女性の声が使用されることが多いのですが、これは男女を問わず女性の声を好む人が多いためです。「しかし、アシスタントは女性という状況が長く続くと、それが当たり前に受け止められて、社会的な偏見を助長することにつながりかねません。」そう語るのはチョウ氏です。AI 業界を牽引する人の多くは、AI システムが実生活に入り込んだときに何が起きるかを心配しているのです。そこで重要になってくるのが AI の世界における多様性です。簡単なことではありませんが、AI を支持する人たちは、自らの知性と才能を発揮し、目標に向かって力を尽くしているのです。

AI のツールを本当に使いやすくし、こうした手法を誰でも利用できるようにすることが不可欠なのです。

—クリスティーン ロブソン、 Google

クリスティーン ロブソン、

「すべての人に歓迎されるものにしなくては」とはグプタ氏の言葉です。彼女がライス大学の学生だったとき、壁に飾られていた電気工学の退官教授たちの写真を見て、「自分とは違う人たち」と感じたそうです。ロブソン氏は言います。「AI は魔法じゃない。数学なんだということを、少女たちにわかってもらう必要があるのです。」

SAILORS の学生たちは、自然言語処理を利用して、ソーシャル メディアを検索したり災害救助を支援したりする方法を学びます。「Twitter を使えば、困っている人をリアルタイムで簡単に見つけることができます。」リー氏は言います。学生たちがこの夏期講習やプロジェクトで学んだ貴重な経験は、その後もずっと活かされ続けます。中には、学校でロボットクラブを立ち上げた人、科学雑誌に論文を発表した人、中学校でワークショップを開いて、もっと若い女の子たちに AI のすばらしさを広めている人もいます。背景や経験はさまざまですが、共に無数のプロジェクトに取り組んだ彼女たちにとって、AI はかっこいい最新技術ではなく、人にとって役立ち、世界を良くしていくための強力なツールなのです。2015 年に初めて開催された SAILORS プログラムでは、参加した女子学生からさまざまな思いが寄せられました。最後にその 1 つを紹介します。「私はこれをきっかけに AI の旅に出て、将来は世界の人々の役に立ちたいです。」

ロバート イトウ 氏は、ロサンゼルスを拠点とするライターです。「New York Times」、「Salon」、「Los Angeles Magazine」などで記事を執筆しています。

イラスト: MVM

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