#3 虹
なにかを「選ぶ」ということは、往々にしてなにかを「選ばない」ことでもあります。「選ばない」とは言い換えれば、「諦める」ですよね。
Aqoursというグループは、一度なにかを「諦める」選択をしてきた人達が集まったグループです。
ずっと誰かに合わせて自分の気持ちを諦めてきたルビィはもちろん、誰かの物語の読者であった花丸もずっと自分の物語を諦めてきた人でしたし、現実と理想に揺れる善子も堕天使を諦めるまさにその決断をしたときに、千歌の手によって救われます。
3年生組についてはより顕著でした。鞠莉の将来を案じた果南はスクールアイドルでいることを諦め、誰よりもスクールアイドルが好きなダイヤもまた果南の想いを尊重して自分の想いを隠す。そして、スクールアイドルを諦めるという2人の強い主張を受けた鞠莉もまた、一度は3人でいる“いま”という時間を諦めざるを得なかった。
ラブライブ!の予備予選とピアノのコンクールの選択を迫られた梨子も、「自分」のステップではなく梨子の代役として踊ろうとしていた曜も同じですよね。
でも高海千歌は決してそれを良しとしない。千歌はなにかを諦めようとしていた人にずっと寄り添ってきました。
"なにかをつかむことで なにかをあきらめない"とは、千歌の信念そのものです。では、それはなぜなのでしょうか?
今回の物語は、千歌のその想いが色濃く描かれた回でした。
キセキの対極にある現実
雨の中から自分たちの音を見つけた。そして、ラブライブ!用の曲も学校説明会用の曲も完成した。それでも、「現実」は彼女たちの行く手を阻むように、重くのしかかります。
学校説明会の1週間の延期。それが意味するのは、奇しくもラブライブ!予備予選の日程と重なってしまうということ。
どちらの出演時間にも間に合うための方法を話し合う千歌たちですが、山奥の会場になっている予選会場から学校への移動手段はあまりにも選択肢が少なく、状況を打開する案はなかなか浮かびません。
というのも、堕天使の翼はもちろんですが、それが実際的に可能かどうかはともかく、ヘリや船を手配するという行為は女子高生が持ちうる選択肢としてはあまりにも現実とかけ離れているんですよね。ゆえに、この手段では現実に立ち向かうことにはなりません。言い方を悪くすれば、現実から逃げるために裏技を使っているようなものです。それはきっと逃げ道であって、Aqoursが歩く道ではない。
だから、この手段は選ばない。学校を守るために外側へ働きかけることとその手段を学校の外側に求めることは全く別のことです。鞠莉さんが言うように、自分たちの力でなんとかしなければいけない。そうでなければ、キセキを起こすと語る資格は確かにないのかもしれません。
そこで、このままならない現実を打破する最後の方法として、ダイヤは予備予選の出場番号「1」を抽選で引くことを提案します。1番でパフォーマンスをすることが出来れば、そのままバスで移動をして学校説明会に間に合うことが出来ると。
抽選を引く役割を担うことになったのが、その人生をかけて、現実に抗ってきた人・津島善子であったことはきっと意味があるのでしょう。花丸の後押しがあったことはもちろんですが、およそ、現実で獲得しうる最高の運勢である「超吉」のダイヤに善子があのじゃんけんで勝利した。
現実をひっくり返すということを表現するのには十分な説得力でした。それでも、キセキは起こらなかった。ゆえに、きっと誰が引いても「1」を引くことは出来なかったのです。
キセキは起こりませんでした。だからでしょう。ラブライブ!に出るのか、学校説明会に出るのか。ダイヤと果南は現実的な選択を言葉にします。
鞠莉さんと果南は学校説明会の参加について、ダイヤや曜たちはラブライブ!への出場について、それぞれ想うところを語りますが、彼女たちだって決して納得はいっていないのです。どちらがいいかという「答え」はわかるはずがありません。
それは、千歌が言うとおり、彼女たちにとって、どちらもとても大切なものだから。ゆえに、彼女たちはどちらを選ぶべきかという問いに手を挙げられないのです。
諦めないこと
どうしてもどちらかを選ぶことのできない千歌の姿を見た梨子は、メンバーを5人と4人の二手にわけて、ラブライブ!と学校説明会それぞれのステージで歌うことを提案します。
「私たちは奇跡は起こせないもの」と語る梨子は、とてもわかりやすいほどに現実的な妥協点を提示していますよね。確かにこの案は一見して、どちらも諦めない選択に見えます。
でもこの案は「よくはない けど 最善の策を取るしかない」ものであって、彼女たちの本意ではありません。ラブライブ!も説明会も出場すること自体に意味があるわけではないのです。彼女たちがこころから願うことは9人が手を取り合って最高のパフォーマンスをすること。
それは、前回の予備予選と照らし合わせてもよくわかります。あの日、千歌が梨子にピアノのコンクールへ出て欲しいと言ったのは、それが千歌のこころからの願いだったから。そしてその想いはメンバーのみんなが共有していたものです。そこにあったのは、諦めや妥協ではなく、こころから自分たちがそうあるべきだという想いだけ。だから、彼女たちは違う場所にいても想いをひとつにして、9人でステージに立つことが出来た。
でも、今回は違う。どちらも諦めないように見えるこの案は、自分たちのこころからの想いを諦めることです。だから、5人だけでは輝けない。彼女たちは9人で歌うからこそ、Aqoursなのです。
Aqoursの道
この世界はいつもあきらめないこころに 答えじゃなく 道を探す
手がかりをくれるから 最後まで強気でいこう
手がかりをくれるから 最後まで強気でいこう
「MY舞☆TONIGHT」の中でも彼女たちが歌っているように、彼女たちに必要なのは答えではなく道でした。
「選ぶ」ことの先に待っている答えは誰にもわからないんです。ゆえに、ラブライブ!の予選に出ること、学校説明会に出ること、5人と4人に分かれて両方に出ること。どれが正解なのか、どれも正解ではないのか。その答えは彼女たちには必要ない。
千歌は言います。「キセキを最初から起こそうなんて人 いないと思う ただ一生懸命 夢中になって なにかをしようとしている なんとかしたい なにかを変えたい それだけのことかもしれない」のだと。
そう、千歌の語る「キセキ」は、正しい「答え」を選ぶことによって起こるものではありません。自分の胸に問いかけて、自分の信じた道を一生懸命進んでいくこと、それこそが自分たちの「答え」であり、キセキはその先に起こるものなんです。
ゆえに、ただ自分たちがこころからやりたい!と思うことに向かって走る道があればそれでいい。彼女たちのこころからの想いはなんでしょう。それは、もちろん予選も説明会も両方とも9人で最高のステージにしたい!ですよね。だから、その想いに従って走ればいい。だって、それこそが答えだから。『君のこころは輝いてるかい?』はまさに、彼女たちのその想いの表明です。
彼女たちは地図を広げて、まだ見たこともない自分たちだけの道を探していく。それが可能かどうか現実的かどうかでは、自分たちの道は選べない。だから、彼女たちは諦めたくないという想いがくれた手がかりで自分たちだけの道を選ぶのです。
高海千歌はきっと子供の頃から「諦める」ことを選び続けてきた人です。お母さんが千歌に言った「今度はやめない?」とは、言い換えれば、今度は諦めない?ですよね。なにかを始めても長続きしない、ほんとうの意味で夢中になれないから、中途半端を嫌う千歌はずっとなにかを諦めてきた。
そして、なによりそんな「普通」な自分自身を諦めてきました。でも、「諦めちゃダメなんだ その日が絶対来る」と歌った、その奇跡と出会った運命のあの日から、彼女は諦めることをやめたのです。だから、彼女はなにかを諦めることを良しとしない。どっちにするかなんて選べないし、どっちも叶えたいから。
なにかを諦めることをやめた千歌たちの道。それは大変な道です。きっと、その道は誰も通らないような、ときにはノンブレーキで駆け抜け、ときには大きな山を越えていく道。でも、その道は背中を押しあって、手を取り合って、みんなで支え合って走り抜けていく彼女たちだけの道です。
その道の先にあったもの、それは「輝きたい!」という想いが詰まった虹色の橋だったのです。
拝読していろいろなことが繋がりました!
諦めないという視点でここまで物語の読み口を広げられるとは本当にラブライブ!はおもしろいですね。新しい気付きをありがとうございました。ダイヤさんのお当番回も楽しみです。ちなみにダイヤさん推しです笑