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「当たり前のことをしっかりと。それがうちのDNA」ファンコミ創業者 柳澤安慶【後編】

2017.10.23 FEATURE

柳澤安慶
 

ファンコミュニケーションズ(ファンコミ)の創業者で代表取締役社長をつとめる柳澤安慶さん(ヤナティ)。前回は学生時代からファンコミ創業前夜までをお話いただきました。後編では、ファンコミの創業と苦難、そして若手起業家のことまで幅広く伺ってみました。

「唯一将来性が輝いて見えたのがコンピュータの世界だった」ファンコミ創業者 柳澤安慶【前編】
 
 

下世話な理由じゃないと踏み切れないことってある

 
リムネットを辞めて、その後しばらくフリーライターとして生活していたということですが、すぐに起業したわけではないんですね。
 
なかなか吹っ切れなかったよね。生活もあったしさ。
 
ではどういうきっかけで起業することになったのでしょうか?
 
下世話な話だけどさ、僕はリムネットを辞める時に自分の株を等価で売却したわけ。でもその後、外資に売却するときにみんなかなりのキャピタルゲインを得たらしいの。僕の替わりに取締役になった人とかもさ。そんな話をライターやって1年後くらいに耳にしてさ。
 
自分としてはリムネットに時間も情熱も注いでいたし、それなりに「自分は貢献した」という気持ちがあったんだけど、それに対しての対価というか、まぁそういうのが得られなくてさ。自分もそうだけど、僕が誘って入ってくれた人達も同じく対価を与えてあげられなかった。正直悔しかったんだよね。やっぱりずっと貧乏だったからさ。
 
そういう話を聞いて「このヤロ―!やっぱり自分でもやってやろうじゃないか」という気持ちになってさ。下世話な理由じゃないと踏み切れないことってあるじゃん。
 
そうですね。
 
それでまず松本さん(現ファンコミュニケーションズ取締役副社長)に連絡したの。
 
松本さんはリムネットを辞められていたんですか?
 
そう。僕より早くに辞めたんだよ。やっぱりリムネットの社長がエキセントリックでさ。長く働ける人は少なかったんだよね(笑)
 
なるほど。松本さんはヤナティさんが声をかけた時は何をされていたんですか?
 
外資系のパソコンメーカーでマーケティングやってたんだけど、いろいろ行き詰ってたんじゃないかなあ。サラリーマンとしての毎日に。インターネットが広がる中で悶々としてたんだと思う。それで声かけたら即断で「やろう」ってなったんだよ。
 
ちょっと話は逸れますが、ヤナティさんにとって松本さんってどんな存在ですか?
 
松本さんは時代の流れにめちゃくちゃ敏感なんだよね。それはもう天才肌なんだよ。だからそんな松本さんにアイディアぶつけると、自分の中でどの程度の場所にいるのかよくわかるんだよね。リトマス試験紙みたいなもんかな。反応が良くないときは、プランを調整してまたぶつけてみる。そんなこと繰り返して反応が良ければ実行する。そんな感じかなぁ。そういう意味ではうちの奥さんもリトマス試験紙だね。奥さんにもよく意見聞いたりするよ。
 
そうなんですねー。すみません、話を戻しましょう。
 
うん。まぁそんな感じで、まずは松本さんと「何をやるか」を考えたんだ。3ヶ月くらい考えたかな。
 
すぐに「アフィリエイト」には辿り着かなかったんですね。
 
うん。候補はいくつかあったんだ。Eコマース、オークションとかも考えた。最終的に候補を絞ったのがアフィリエイトとオンデマンド出版。
 
オンデマンド出版?
 
そうそう。在庫を持たずにコンテンツを作る人に還元できるのでオンデマンド出版は良いなぁと考えていたんだ。紙の価値は永久になくならないだろうし、書籍販売でアマゾンの先を行くならオンデマンド出版だなと。当時ゼロックスからも良いオンデマンド出版システムが発売になったんだよね。でも最終的にアフィリエイトになった。
 
決め手は何だったんですか?
 
『インターネットバリューチェーンマーケティング』って本をそのちょっと前に松本さんと一緒に書いていたんだよ。さまざまなインターネットを活用したマーケティングを紹介していくという内容なんだけど、その時にアフィリエイトをかなり調べたんだ。日本にはまだ無くて、アメリカの事例を。その仕組みがすごく魅力的に見えてね。
 
個人をネットワークすることによりEコマースの販売を促進する媒体ができる。販売代理店的なことにもなるし、個人のメディアが増えれば、規模は無限に拡大する。まだまだインターネット黎明期だったから当時の規模感はたいしたこと無かったんだけど、まだネットを活用していない企業がみんな使い始めたら、これはすごいことになるんじゃないかって。
 
オンデマンド出版も悪くなかったんだけど、アフィリエイトの方がよりネットワーク効果を発揮しやすいんじゃないかと思ってね。それとアフィリエイトは成功報酬という販売に直結するマーケティングの最終形だから、将来ビジネスモデルが進化して陳腐化することもない。ネットのサービスは先行者有利と思われがちだけど、後発の方が圧倒的に投資コストも少なく性能の良いハードウェアが用意できるのでビジネスモデルが変わってしまうようなサービスは早く始めることが弱点にもなるんだよね。まあ起業した後にこの考え方をVCに説明するのがすごく大変だったんだけどね(笑)。
 
そこからアフィリエイトについて徹底的に調べて、松本さんと一緒に東洋経済から『アフィリエイト・マーケティング~究極の販売、広告チャネル』という本も出したんだよ。よくあの当時、編集の人が理解してOKしてくれたと思うよ(笑)。当時はアマゾンやCDNOWなどの上場企業がニュースリリースを出すくらいアフィリエイトユーザーの規模を自慢してたんだよ。それくらいアメリカでは盛り上がってたんだけどね。
 
なるほど。ではいよいよファンコミュニケーションズが始まりますが、創業メンバーはヤナティさんと松本さんの二人ですか?
 
他に数人。元リムネットの人を誘った。エンジニアも。
 
 
柳澤安慶
 

毎日減っていく銀行残高に絶望した創業期

 
創業資金は前回伺ったアメリカのIT株を売ったお金だけですか?
 
自己資金は3,000万円くらいかな。でもアフィリエイトサービスを作って育てていくとなると、最低2億円くらいは必要な試算だったんだよね。こりゃ資金調達しないと前に進めないということで、いろいろ個人的なつてをたどってエンジェル的な人を探したんだよ。
 
資金調達?
 
そんな状況の時にある人から連絡が来たんだよ。1年くらい前にやっぱり松本さんと光文社から『すぐできるインターネット投資術』って本を出していたんだけど、それを読んでくれた方からメールが来て、一度お会いしませんかって。チャンスはほんとどこから転がり込んでくるかわからないよね(笑)。
 
結構たくさん本を書かれているんですね(笑)。
 
そう。それで会いに行った。「本おもしろかったから、投資とかファイナンスに特化したメディアをやろうよ」って誘われたんだ。資金も出してくれるって。こっちも「メディアもいいけど、もっと面白いアフィリエイトっていうビジネスモデルがあるんですが」って説明したら「それも良いね」ってなって。結局二つやることになってさ。1.2億円くらい彼らエンジェルから出資してもらって始めることになったんだよ。
 
そのメディアは今は?
 
今もあると思うよ。途中でうちは手放したけどね。
 
なるほど。では目標金額には届かなかったものの、それなりの資金を得てアフィリエイトサービスの開発がスタートした感じですかね。
 
うん。でも、はじめはじっくり調査して時間をかけて良いサービスを作ろうと思ってたんだよね。というのもアフィリエイトはEコマースがたくさんあってはじめて機能するものだから、ちょっと日本ではまだ早いかなという判断があった。ところが、そうもいかなくなったんだよ。競合サービスがリリースされちゃったんだよ。それで慌てて開発をはじめて2000年の6月に『A8.net』をリリースしたんだ。
 
ついに。
 
リリースしたんだけど、すぐに資金が底をついて、ファイナンスしなきゃいけなくなったんだ。銀行から保証協会つけて借りたし、国民金融公庫からも借りた。借りるときはいろいろ意地悪もされたかな(笑)。でも、何の信用もないスタートアップにお金を貸してくれるところなんてほんとない。そんな時代だよね。
 
今で言うとこの「投資ラウンド」ってのは2回あって。2回とも調達の直前は残キャッシュがゼロになったよ(笑)。一回、ほんとにヤバくてね。当時のオフィスの大家さんに保証金を担保にお金を借りたことがあったんだ。
 
それはかなり追いつめられてますね(笑)。
 
そうだよ。何とかお金を借りれたんで従業員に給料を払うことができたよ。でも当然役員は遅配(笑)。あぁ、あと某企業と協業でシステム開発案件があったんだけどさ、先方の検品が終わって「納品」とならない限りお金が振込まれない。結構大きな金額でさ。それで、検品の時にいろいろ言ってくるわけ(笑)。ヤバいから早く払ってくれよーって(笑)。
 
綱渡り(笑)。
 
ギリギリで「納品」されて、助かったんだけど、入金あったときの喜びは忘れられないよ(笑)。
 
そういう時期があったんですね。
 
あったんだよね。会社のお金もゼロだったけど、僕個人の貯金もゼロになってさ。子供の幼稚園の学費も口座から引き落とせなくて。延滞だよね。引き落とせないから、しばらくして奥さんが幼稚園に学費を手渡しで持っていくんだよ。奥さんも「恥ずかしい」って言ってたし、正直怒ってたよね。
 
買い物に行く時も現金持ってないので、全てカードで決済してたんだけど、ある時カードが使えない店に行ってしまって。しょうがないから店の外でキャッシングして支払ったりしたよ。
 
なるほどぉ…。
 
3年目くらいかな。キャッシュフローが単月で黒字になって。そこからは安定。アフィリエイトビジネスはストックされていくのはわかっていたし、メディアもクライアントもネットワーク効果が効いてきて、ある地点からは安定して黒字化するのはわかってたんだけど、そこまでの道のりが大変だったよね。
 
それまでは時間があれば銀行で会社のキャッシュの残高を確認してたんだ。あーまだ、大丈夫だ。お金が残っているって。残高が少しずつ増えていく局面では、月末になるたびに喜び100倍だったよ(笑)。
 
残高が減っていく一方の時はどんな気持ちでした?
 
そりゃもう絶望だよ(笑)。キャッシュフローはエクセルのシートで管理していたんだけど、どこか間違っていないかなっていつも不安で。夢にまででてきて。3か月先くらいまでドキドキしながら見ていたよ。
 
 
柳澤安慶
 

アフィリエイトの広告効果が認められ、スタッフにも自信が

 
事業自体は最初から順調だったんですか?
 
そうでもなくて、アフィリエイトのモデルを客先で説明しても「成功報酬なんて、そんな上手い話あるの?」と疑われたし、「メディアって言ってもあやしいメディアなんじゃないの?」と信用されなかった。僕は「ネット広告は成果報酬型に進んでいくのは間違いない」って確信してたんだけど、世の中のスピードはそうでもなくて。
 
まだ2001年、2002年の話ですからね。
 
きっかけというか、転機というか、当時メルマガにアフィリエイト広告を掲載するって商品もあって。とある大手のクライアントがユーザー向けに配信してるメルマガに広告を掲載することができて。それまで純広告を掲載してたんだけど、アフィリエイトを試してくれて。で、結果アフィリエイトの方が広告売上が上がったんだよ。先方からも「効果良いね!」って言われたり。
 
やっぱり「アフィリエイト」という新しい商品だったから、うちのスタッフも正直半信半疑な部分があったと思うんだ。自分の売ってる商品に自信が無いというかさ。でも実際にクライアントの売上が上がったり、効果が良かったりして褒められたりして。スタッフにも自信がついてきたのがわかった。嬉しかったなぁ。
 
なるほど、わかります。自信の無い商品を売るのは難しいですからね。モチベーションも上がらないし。
 
うん、そうだよね。あとは、やっぱり孫さん(ソフトバンクグループ代表取締役会長兼社長)がモデムを大量に配ってくれた※1 おかげだよ。あれは大きかったと思うよ。あらゆるネットサービスが恩恵を受けたんじゃないかな。孫さんの力技。孤軍奮闘してたよね、孫さんには今でも足を向けて寝れないね(笑)。
 
 

「一人になっても事業をやる覚悟があるのか?」

 
事業面はそんな感じで伸びてきたと思いますが、一方で組織面はどうだったのか。その辺についてはいかがでしょうか?
 
組織を大きくしていく中でやっぱり力尽きていく人もいる。最初は3年でIPOするという目標を立てていたんだけど、ITバブルも弾けて、事業も計画通りに行かなくて、さっき話したように資金面もギリギリの戦いを続けていた。もう暗黒時代。
 
結局IPOまで5年かかったんだけど、3年目あたりで何人か離脱してしまったんだ。期待してた人達が辞めちゃうのは辛いもんだよ。会社が揺れて、落ち込んだよね。
 
そうですよね。
 
悩み続けて、経営者の大先輩に相談したんだよ。そしたらその人が言うんだよ。「全部取っ替えちゃえばいいじゃん」って(笑)。それで「はっ!」と気づくんだけど、「自分一人でもやれるのか?」「一人になっても事業をやる覚悟があるのか?」「弱い経営になってるんじゃないか?」と言われてるように思えたんだよね。そうしたら急に目の前が明るくなってきて「そうだ、俺は一人になったとしてもやるんだ、俺に怖いものはないぞって」って思ったんだよね。
 
改めて経営をやる覚悟を決めたんだ。そして翌日から会社に残っているスタッフと一人一人膝を突き合わせて話したんだ。ビジョンに向かっていく自分の覚悟を真剣に伝えた。
 
その結果、社員の方々は?
 
一人も辞めなかった。やっぱり嬉しかったよ。逆にエネルギーをもらえた。
 
会社の結束も強まり、改めてIPO準備ですかね。
 
通年の黒字が見えたタイミングでIPOに向けた組織作りを始めたんだ。管理部門をしっかりできる人を探したんだ。そしたら、たまたま会計士の人なんだけど、ちょうど彼が「今度独立するんで」と挨拶だか営業だかに来たんだよね。飛んで火にいる夏の虫だよね(笑)。「独立するのは良いけど、一度上場を実務で経験してからの方が良いんじゃない?」って勧誘して入ってもらうことになった。
 
そこから上場までは順調でしたか?
 
いろいろあったよ。もう語り出したら1日くらいかかるくらいね(笑)。いちばん弱ったのは A8.net が5日くらい止まっちゃったときかな。障害で。生きた心地しなかったよ。あと、黒字化する前だけど、ホリエモン(当時ライブドア代表取締役社長CEO)とか藤田さん(サイバーエージェント代表取締役社長)がアフィリエイトサービスに参入してきてさ。既存の競合よりもそっちの方が怖かったよ。だって彼らは上場してたし、資金力もあった。当然優秀な人もたくさんいただろうし。真っ向から力技で勝負するのはキツいなって。
 
どんな戦いをされたんですか?
 
僕らは最初からアフィリエイトに特化して事業展開してきたし、アフィリエイトというものはこういうものだとお客さんにちゃんと説明して、地道に顧客を開拓してきた。そういうDNAのようなものが僕らにはあった。お金も無かったし、地道にやるしかなかったんだけど、それが逆に良かったのかな。
 
サービスのコンセプトの一つでもあるんだけど、ぼくらは広告代理業をやろうと思ったわけじゃなくて、広告のマーケットプレイス、広告主とメディアが出会う場所を提供しようという考え方がすごく強かったんだよね。だからとにかく一つジャンルのお客さんだけを集めるんじゃなくて、幅広いジャンルのお客さんを集めたんだ。
 
メディアもそう。どんなメディアでも。これは徹底したよ。市場の機能を果たすということになると、広告を売って売上を作るぞと考えるう競合とは当然、必要な機能や能力の優先順位が変わってくるからね。数が重要だったし、一つの業種だけでは絶対にダメ。個人ユーザーのメディアも立派なメディア。だってそもそもインターネットは個人の能力を高めるために存在しているわけだからね。それら一つ一つを尊重して、利用者を集めていく。それがインターネットの上の世界となる。
 
ブログの存在も大きかったね。ブログによってメディアの数は飛躍的に伸びた。Wordpressもそうだね。
 
2004年、2005年くらいって日本でもSNSが登場して、すごい伸びていたじゃないですか。僕らもCGMやっていたので、SNSは脅威に感じたんですが、その辺はどうでしたか?
 
SNSの中には手も足も出せないから脅威ではあったよ。でもトラフィックはその外側にかなりの数がこぼれてくる。今では拡散という言葉は当たり前だけど、SNSの登場のおかげでトラフィックが多様化したんだよね。だから脅威には感じたけど、逆に追い風にもなったのかな。
 
僕らもそうでした。
 
実はさ、ぼくもSNSもやろうとしたんだよ、あるとき『フレンドスター※2』のユーザー数が100万人を突破したという記事を読んでね。しかももの凄いスピードで100万人に到達したって記事に書いてあってさ。衝撃受けたよ。今でも鮮明に覚えてる。その日のうちに役員集めて了承とって興奮しながら事業計画作ったんだよね。でも上場準備の最中でさ、利益計画変えられないから、すごく魅力的に思いながら、中途半端にやっちゃったんだよね。そんなんじゃだめだよね。結局、ミクシィに全部もってかれちゃった(笑)
 
上場準備期間ってなかなか派手なことしにくいのはわかります…。
 
うん。まあ、上場とは関係なく新規事業はいろいろやったんだよね。新しいことは好きだったから。「マケローネット」っていう共同購入サイトは、ネーミングもカエルを使ったデザインも秀逸で、「このヤロー、もっと負けろー」感がでていて、自分ではすごく気に入っていたんだけど、結局ダメでした(笑)。
 
広告だけを集めた検索サイトで「ズバケンネット」というサービスも立ち上げた。これは日本にリスティング広告が導入される夜明け前に日本独自のリスティングデータベースを作ろうというチャレンジだんったんだけど、やっぱり1年半くらいで挫折しちゃった。キャッチフレーズは「検索の悩みをズバット解決」って正義の味方ぽくって気に入っていたんだけどね(笑)。
 
ブログが国内で流行りはじめる前にBlogPeopleというブログのトラックバックをサポートするサービスも立ち上げたんだけどね。個人の力をサポートする好きなサービスだったんだけどね。今一つ時代の波に乗せることができなかったよ。
 
 

「本質的なことを、当たり前のことをしっかりと」続けて上場へ

 
そしてついに上場です。
 
2005年11月だね。あれからもうすぐ丸12年になるね。5年でIPOってそんなに長い時間じゃないけど、まだ若かったから果てしない時間に思えたよね。そのぶん強くなったと思うよ。僕も会社もさ。さっきも言ったけど、企業のDNAってある程度、がまんの時間を経ないと生まれない気がするんだよね。
 
ファンコミのDNAって一言で言うと何ですかね。
 
そうだな、「王道をしっかりと歩いていく」ってことかな。本質的なことを、当たり前のことをしっかりと。僕らはお客さんとメディアを支える縁の下の力持ち。会社を成長させていくのは花火のような事業ではなく、地道な活動にあると思ってる。広告主、メディアの収益を最大化することに注力することに集中することが大切。もちろんそこにいる第3の軸である「消費者」のことも大切に考えて。それがDNA、基本哲学かな。
 
すばらしいと思います!
 
技術面でもDNAは持っていると思うよ。シンプルで拡張性を持つと同時にコスト優位性を常に意識するという。例えば、アフィリエイトサービスを始めた頃はソフトウェアを広告主のサイトにインストールしないとトラッキングできない仕組みだったんだ。他の会社もそうだったんだけど、これってハードル高いんだよね。だってよくわからない会社のよくわからないサービスを始めるのに、自社のサーバーにソフトウェアを組み込むなんて怪しすぎるじゃん(笑)。
 
それで考えたのがイメージタグ方式のトラッキング。これならば簡単にできる。今ではこの仕組みが業界標準になった。
 
今では当たり前のイメージタグの方式はA8.netが最初だったんですか!
 
そうだね。これが一つの呼び水になって、利用広告主数で業界トップに躍り出たんだよ。
 
あ、そういえば「アフィリエイター」って言葉を使うじゃない。その「アフィリエイター」って言葉は実は松本さんが作ったんだよ。うちのサービスを新聞で紹介する時に、アフィリエイトサイトを運営する人って長いじゃない。なんかいい呼び方ないかなって。「アフィリエイター」って和製英語なんだよね。本家の米国にはそんな呼称ないんだよね(笑)。
 
へー、そうなんですね!今ではわりと普通に使いますよね。
 
まぁそんな感じでさ、お金も無かったし、とにかく工夫して、地道にやって上場までいったんだよね。資金に困ってギリギリの状態だった暗黒時代を乗り越え、ようやく上場したから正直ホッとしたよ。個人でしていた会社の債務保証を外すことができたしね(笑)。もし上場できなかったら個人破産は確実だったよね。ふと冷静に振り返ってみるとさ、けっこうリスク取ってやってきたなって思う。危ないことをしてきたもんだ、と(笑)。
 
上場直後にライブドアショックあったから、ギリギリその前に上場できたのは大きかったなぁ。
 
 
柳澤安慶
 

起業が増えることは良い。でも大事なのは続けること。

 
上場から現在までのお話も伺いたいのですが、もうすでに4時間くらい経ってしまいました…(笑)。ファンコミ上場から現在までのお話はまたどこかで別途お伺いすることにします(笑)。
 
そうだね(笑)。
 
というわけでここから締めに向かっていきたいと思いますが、最近は外部の若手起業家などとも交流あったり、ベンチャー投資も少し行っているようですが、スタートアップで頑張る彼らについてはどう思われていますか?
 
起業の敷居は確実に下がってるよね。それはそれで良いことだと思うよ。昔のような良い大学行って良い会社に入って、年齢とともに出世して、みたいなエレベーター式の社会は崩れてると思うし、その中で多様性があるのは良いと思ってる。
 
次の問題として起業した彼らが「会社を存続させ、続けること」をやっていく必要があると思うんだけど。これから経済もいい時ばかりじゃないだろうし。その辺の評価はまだ尚早なのでしないけど、顧客をはじめ大勢の人々を巻き込んでいるんだから、続ける覚悟は重要だよ。
 
ちなみにヤナティさんが「この若手起業家は良いな」って思う人は誰ですか?
 
RIZAPの瀬戸さん、じげんの平尾さんなんかはすごいなと思う。あとは、ふっきー(Gunosy CEO福島氏)も頑張っているよね。みんな共通して言えるのはしっかり利益を出してるとこ。もちろん成し遂げたい夢も良いよね。
 
 

事業の波風ってのは必ずあるので、その波風を楽しめる人になってもらいたい

 
なるほど、ありがとうございます。ファンコミが抱える課題というか、広告事業における課題というか、その辺についてお聞きしたのですが。
 
うーん、今ってさ、スマホになって、広告主とメディアと消費者のバランスがかなり崩れていると思ってるんだ。PC時代にはある程度成立してたもののバランスが崩れてる。ここらでバランスを整えて、再定義していかないと成立しなくなってしまう。そういう意味では広告事業も社会に求められている価値は何なのかを見極めて事業展開していかないとダメだよね。自分たちの底力が試されてる気がするよ。このカオスを乗り越えた先に新しい秩序が産まれる。その新しい秩序の中に自分達が存在しているのか。そこに向けてとにかく頑張ってるよ。へこたれなことが肝心だね(笑)。
 
なるほど。
 
あとさ、お金よりも価値があるものを世の中は常に探していると思ってて、まあ、金余り時代だからね。世の中、社会にとって必要なものを作ることによって価値が認められ、その価値を認めてくれる人がいるから利益が生まれ、利益があるから世の中に分配できる。そういった本質的な仕組みというものがこれからもっと重要な存在になると思うんだ。
 
リーマンショックや震災の後に悩んだよ。事業の価値について。その中で一番価値があるのは結局は情報で、貨幣経済が揺らぐ中ではますます重要になっていく。そして、その情報を支えるのはやっぱり個人なんだよね。情報のインフラの小さな一つがアドネットワークだと思うし、もっと規模を拡張していくことは可能だと思ってる。情報のコミュニケーションを生み出すという価値。それこそ創業の時に重要だと考えたバリューチェーンだよね。
 
そういった新しい秩序の中で価値を生み出し、存在し続けていくには会社が続かないといけません。まだ早い話かもしれませんが、後継者とか考えたりされますか?
 
まあそもそもまずはぼくらの会社が社会に必要とされる存在にならないといけないですからね(笑)。でもDNAを理解した後継者が会社を大きくしていける
仕組みを作らないといけないと思っている。それは僕の最低限の役割でもあるよね。
 
二宮さん(現ファンコミュニケーションズ取締役)とか吉永さん(現ファンコミュニケーションズ取締役)あたりは世代も一回り以上下になりますし、若い人材も抜擢されてますね。
 
彼らなんかはほぼ新卒で入社してくれて、ずっとやってきてるから当然うちの会社のDNAは持ってくれるし、それよりも何よりこれからのアドネットワークのあり方や、広告主やメディア、消費者のエンパワーについて誰より考えているんじゃないかな。期待も込めると(笑)。
 
新卒採用も数年前から始められましたね。
 
来年4月も35人程度、新卒で入ってくるよ。この数年で新卒の採用数を増やしているんで、組織の5人に一人は新卒っていう感じになってきた。まあみんなデジタルネイティブだからね。若い消費者でもある彼らがこれからの広告ビジネスをもっとよくして行こうと考えるところに、ものすごく期待しているよ。若い人達が自分の役割を理解して、責任持って目標、夢を実現していくような組織にしたいね。どんどん権限を渡して自走していってもらう。そういう会社にしていきたいなぁ。
 
うちの人達はみんな真面目だし、控えめなとこがあるけど、心の中に秘めた力を持ってる。その秘めた力を発揮できるように仕組みを作っていきたいと思ってるよ。責任と権限ね。事業の波風ってのは必ずあるので、その波風を楽しめないと難しいと思う。頑張ってもらいたいね!
 
 

※1 Yahoo!BB。2001年9月開始の破格の料金で利用できるADSLサービス。モデムは街角で大量に配られた。参考記事「金がないのにYahoo!BB立ち上げ、ボーダフォン買収–孫正義氏、40代の挑戦を振り返る」(logmi)、「【2001年】孫さんとの思い出(YahooBB立ち上げ) 長編」(須田仁之/STORYS.JP)
※2 2002年にリリースされたSNS。mixiも影響を受けた初期SNSの雄。

 
 
 
「唯一将来性が輝いて見えたのがコンピュータの世界だった」ファンコミ創業者 柳澤安慶【前編】
 

柳澤安慶(やなぎさわ やすよし)
1964年生まれ。成城大学経済学部卒業後、広告代理店に勤務し営業・コピーライターに従事。その後のインターネット黎明期にサービスプロバイダーの立ち上げなどを経て、1999年10月 株式会社ファンコミュニケーションズを設立。創業から6年でJASDAQ市場に上場、2014年には東証一部上場を果たす。国内最大規模のネットワークを誇るインターネット広告企業。Twitterアカウントは若い起業家などからも人気。
ファンコミュニケーションズ
ファンコミ採用ページ
・Twitter:@ankeiy

 
 

インタビュー、テキスト、編集、写真:大柴貴紀