この週末、ひさしぶりに子どもちゃんが高熱を出しました。
熱だけではなく、驚いたことに吐血までしてしまったのです。
(病院で再度診察してもらって、大事には至らないと言われたけど……)
苦しそうで夜も眠れない子どもちゃんを看病しながら、私は罪悪感を覚えている自分に気がつくのでした。
自然と罪悪感が湧いてくる
苦しそうにしている子どもちゃんを見ていると、自然と罪悪感が湧いてくるのがわかる。
私が何か悪いものを食べさせたのだろうか……。
外出したあの時、季節の変わり目にもかかわらず、薄着すぎたのではないか……。
薬を飲んでも一向に症状が改善しないのは、医者に見せた時に私の説明が足りなかったのではないか……。
もう4日目なのに熱が下がらないのは、私の努力が足りないからではないか……。
どうして……。
なぜ……。
というような思考が、暗い部屋で子どもちゃんの背中をさすりながら、次から次に湧いてくる。
もちろん頭じゃわかっているんだけどね。私一人に全ての原因があるなんてことはありえないなんてことはね。でも、つい自分のせいにしてしまう癖が抜けていない。
「母親の罪悪感」(Mommy Guilt)と「父親の罪悪感」(Daddy Guilt)
日本ではあまり聞きなれない言葉だけれども、アメリカでは、育児にまつわる罪悪感について「母親の罪悪感」(Mommy Guilt)や「父親の罪悪感」(Daddy Guilt)と呼ぶことがある。
例えば「つい怒ってしまった」「子どもとじゅうぶんに遊んであげられなかった」「子どもの相手をしていたので、家が片づけられなかった」といった時に「私ってダメだなあ」と感じるようなことを指すらしい。
これらに加えて、「父親の罪悪感」の特徴的なこととしては、「給料が安い」とか「早く家に帰れない」といったことに罪悪感を覚えることを指す。
(私も週3日残業があると、罪悪感が湧いてくる)
どうしてこういう罪悪感を覚えるかというと、
- 本人が完璧主義的な性格だから
- 世間一般に求められる役割(こうあるべき)を多く抱えすぎているから
- うまくできたことよりも、失敗に目を向けがちな人間の性質があるから
などという説明がなされることが多い。
私が罪悪感を強く感じたのは、子どもちゃんの夜泣きが激しかった時かな。何をやっても泣き止まずに、一晩中泣き続けていたことがあって、寝かしつけのひとつもできない私、泣き止ませることのできない私、同じように疲れきった奥さまに対しても何の役に立たない私に、ひどい罪悪感を覚えていたね。
不思議なことに、罪悪感が限界を越えると、危ないことを考え出すんだよね。子どもちゃんをベランダから投げ落としてやろうとか、口にタオルを突っ込んで泣き止まそうとかね。そして、そんな危険な考えをしている自分にハッと気づき、「親としてあるまじき思考」と自分を断罪し、また罪悪感を積み重ねていくという完全な負のスパイラル。
愛しているから罪悪感を覚える、と考えたい
そんなふうに育児の罪悪感にさいなまれつづけた私。
この週末も、苦しそうな子どもちゃんの看病をしながらもドヨーンと落ち込んでいたのだけども、「子どもちゃんを愛しているからこそ罪悪感を覚えるのだ」という結論を、自分で無理やり出した😅
愛しているからこそ、うまくやりたい。でも、うまくできないことだってある。
罪悪感だって、愛情の一部なのだ。