こんにちは、たけのこです。
新聞にこんな記事がありました。
「家で作り家で食べる。その経験が食への敬意を育む」
外食、中食、コンビニ食…
家で料理して作ることが減っている現代だからこそ、思い返さないといけない価値観だと思います。
今回は食をテーマに書きたいと思います。
※関連テーマ
食に対する敬意は人の心を育ててくれる。
食が人を育てる
人の身体はその人が食べたもので作られます。
しかし、食は生命を維持するだけでなく、その人の感性、精神をも作り上げます。
例えば、私の嫁の弁当
全部素材から手作りです。
加工食品は一つもありません。
彼女はフルタイムで働きながら懸命に作ってくれました。
なぜそれができるか。
それは彼女がそういった家庭での食事を大切にする環境で育ち、彼女自身が食を大切にしているからです。
作る料理を見るとその人のことがわかるという事ですね。
(私は胃袋を掴まれた)
裏を返せば、食を大切にする教育がされていない人には、このような料理は作れません。
最近では私が料理するようになってしまいましたが、私も加工食品やお惣菜は使いません。全て素材からの手料理にこだわっています。
素材から料理することは、何より美味しく作ることができ、使っている素材も信頼を持てるため安心して食することができますからね。
つまるところ、食を大切にする心は家庭が最も教育環境に適しているのです。
食を見ればその人がわかる
「食を見ればその人がわかる」
私はそう思っています。
食を見ると、その人がどんな人間で、どんな感性を持っていてなど、あらゆるものが見えてくるのです。
食べているもの、その感想、食べ方、食事中の様子など食に関する行動を観察すると相手のことがわかります。
歓迎会や懇親会で食事が中心にあるのは、そういう事も理由にあるのでしょう。
食を囲みながら会話をすると相手のことがわかる。
そうすると安心感が芽生えたり、余計嫌いになったり、好き嫌いがはっきりしてよくわからない相手との距離が測れるのです。
私の知り合いで外食の時にはメニューの金額が高い順に頼む人がいます。
高いものが美味しいと思っているのでしょうか。
しかし何を食べても食事の感想を聞くと「うまい」しか返ってきません。
食べることをバカにしているようにしか思えないです。
うまい、まずいだけの感想は、なにがどう美味しいのか、まずいのか全く伝わってきません。
その料理を作るためにどのような調理をして、どのように材料が調達され、材料の生産者はどのような苦労をしているか。
想像力を働かせなければ、目の前の食に対する敬意は生まれません。
私の知り合いからは金額が高いものが良いものという価値観しかなく、食に対する敬意が感じられませんでした。
外食、加工食品ばかり食べる人は脳を添加物に支配されている
現代人の中には外食や加工食品しか食べない人がいたりします。
そういう人達は、脳と舌を添加物に支配されていると考えた方がよいでしょう。
加工食品の多くにはアミノ酸添加物(グルタミン酸ナトリウム等)で味付けされていますし、それ以外にも酸味料や増粘剤、保存料、香料などで、味を完全にコントロールされています。
そうしないと安価な素材を美味しくできませんからね。
そういったものを食べていると人は、アミノ酸添加物が入っていない食べ物がおいしいと感じなくなります。
是非、加工食品や調理済みの食品を食べている人は、手料理を作る際にアミノ酸添加物の無い調味料で料理してみてください。
きっとおいしく感じないと思いますよ。
家庭から食生活を見直していこう
「いただきます」という言葉は複数の意味があるといわれています。
料理を作ってくれた人への感謝、食材を生産、加工、流通させてくれた人への感謝、そして食材そのものの命を食べることへの感謝です。
心から感謝をするためには、その全てをなんとなくでも想像できなくてはなりません。
想像力を育むことがと食育なんです。
外食や加工食品、コンビニ食では生の食材を目にする機会もなく、どのような調味料で料理されているかわからないです。和食が世界文化遺産になったこれを機会に、改めて私たちは日本人の文化の一つでもある食に対して敬意を持ち、想像力を育むべきではないでしょうか。
特に人々が常に時間に追われ、食事の時間や食べるものがおろそかになっている今こそ、自分たちの食を見直す必要があり、それができるのは家庭だけです。
今の食生活がどんなに乱れていようと、それは変えていけます。
まずは家庭の食事から見直していきましょう。