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1あしたも晴れ!人生レシピ「脳はいつまでも若々しく“今”を演じる 伊東四朗」[解][字][再] 2017.10.20

・「分っちゃいるけどやめられねぇ」現在総合テレビで放送中のドラマ「植木等とのぼせもん」。
主人公植木等さんの父親役を演じているのが伊東四朗さん。
分かっちゃいるけどやめられない。
これは親鸞聖人の生きざまに通ずるものがある。
寺の住職で含蓄ある言葉が主人公に力を与えます。
父ちゃん!父ちゃん!おしん!おしん…すまねえ。
そちにも…。
その演技の幅と深みで際立つ存在感。
清盛!そんな伊東さんは自らを俳優ではなくあくまでも「喜劇役者」だといいます。
その役者としての原点は…。
高校3年生の時にこの顔のせいで味わった大きな挫折にあったというのですが…。
セリフは完璧に覚える。
ドラマでもコントでも準備万端で臨むのが役者としての信条。
今回ドラマの撮影現場に密着。
人生は外側からも出来上がるって話だ。
リハーサルの合間に見せたこの表情。
鋭いまなざしから気迫が伝わります。
まあそう慌てるな。
おいしそう。
セリフ覚えを維持するための脳のトレーニング。
それは円周率をそらんずる事。
さらに役作りのために心がけているのが自分より若い世代に積極的に話しかける事。
今なお輝きを増す80歳。
その若さの秘けつと「今」にこだわる伊東四朗さんの魅力に迫ります。
世の中の事でどうにもならないなんて事はない。
「あしたも晴れ!人生レシピ」。
今回は喜劇役者伊東四朗さんお迎えしています。
もう本当に伊東さんはどの役もどんな役もすてきに演じられて私たち役者そして男優女優みんなが尊敬しそして憧れてる方で。
伺っておりますとかなり褒めすぎです。
何をおっしゃいますかという感じですが。
改めて今回知って驚いたんですが80歳でいらっしゃって。
はい。
本当にずっと昔から変わられないので。
本当にそうですね変わられない。
褒めすぎです。
そうですか。
役者デビューは21歳ですから芸歴は…。
そうです。
来年60年ですねこの世界で。
わあ。
すばらしい。
自分のですね初めての2時間ドラマ主演という時にご一緒させて頂いて。
もうはっきり覚えてますよ。
すいません。
九州に参りましたよ。
はいそうなんです。
どんなご印象でしたか?とにかくスタイルのいいという方だなというのまず第一印象だったですね。
すいません。
それでね何かどっかでこう風でスカートがふわっとめくれるというシーン覚えてませんか?そしたらそこのビルの男どもがみんな後ろ側に集まって見てるんですよ。
何だ今日ギャラリー多いなっつって。
そうそう。
そんな時ふわっと風が来て「あっ見たなお前ら」なんて言ったりなんかしてね。
セリフが本当に難しくて唐津弁って言うんですか。
今でも覚えてるのは……というセリフがあるんですよ。
「いい仕事をしていらっしゃるようですね」って事ですね。
そうよく分かりますね。
私にとってはほとんど外国語なんです。
そうですよね方言ってね。
ええ。
これで苦労しましてね。
ですからいまだに覚えてるんです。
セリフ覚え今日ねいろいろ聞いていきたいんですよ。
記憶力もう当時から本当にすばらしくていらっしゃるんですけど持続させるために脳のトレーニングをやってらっしゃるという事をお聞きしまして。
暗唱されてましたね今ねばばばっと。
円周率。
そうなんですよね。
なんとか残ってる脳を活性化させたいもんだなと思いながら撮影の合間とか結構素になる時があるんでそういう時を無駄にしないようにして何かを覚えようと思ってるだけです。
そんな伊東さんが今ご出演されているのがNHKのドラマ「植木等とのぼせもん」です。
今回番組ではその収録現場にお邪魔をしました。
ご覧頂きましょう。
午前8時45分。
この日は佳境を迎えたドラマの収録日。
冗談まじりにドラマの収録スタジオに現れた伊東さん。
淡々とした足取りで楽屋へと向かいます。
楽屋に入るとすかさず手にしたのは台本。
赤く囲んである部分が伊東さんのセリフの箇所。
この日収録する分のセリフは既に完全に頭の中に入っています。
熱心に読んでいる台本は届いたばかりの次回作。
ひとたびスタジオに入る時は台本を手にしません。
「無責任」やってた時の方が本当のお前だったのかもしれんな。
「スーダラ」をやり続けているうちにそれがお前の心の中にしみ込んでいったんだな。
撮影の待ち時間。
口元をよく見るとセリフを唱えているようです。
現場で台本を見ないのはなぜなのでしょうか?主人公植木等を演じる山本耕史さんと掛け合うリハーサル。
父さん。
お〜今日は早いな。
冒頭のセリフはこれだけ。
しかしほんのわずかな親子のやり取りが大きな意味を持つので演出家から山本さんに注文が。
演出家とのディスカッションで山本さんがどう芝居を変えるのか。
伊東さん鋭い表情で見守っています。
お〜今日は早いんだな。
子離れせんとな。
どうにもならないなんて事はない。
いくつものシーンとセリフ。
80歳になる伊東さんはその一つ一つをどうやって覚えているのでしょうか。
台本をまず全部読むとVTRでお話しされてましたが。
全部読まないのは失礼ですよ。
よくいらっしゃるみたいですけどね自分のとこだけ読むという。
いろんなやり方があるんですよ。
ずっと台本持ってやってきちっとできればそれでいい訳ですから。
そうかと思えば時たま見る人もあれば持たないでやる人もいる。
それはそれぞれですからね。
出来上がった結果がOKであればどういうやり方でも僕は構わないと思うんです。
ただ私はできれば台本を手に離してる方が手も動かせるし相手の目も見られるし動きも見られるんでずっとここで見ながらやってるというのは相手にとっても失礼もあるし大体自分の身にならないんですよ。
こうおっしゃってる伊東さんの前で台本を広げるのは勇気が要るんじゃ…。
要ります要ります。
要りますね。
弱ったな。
これからは持ってやろう。
本当にお聞きしたいのはどうやって本を覚えられるんですか?どうやって覚えます?通して読むという事を何度もやるんです。
それで読んでいって初見が大事だとは思いながら読んでいってはイメージして戻って読んでいってはイメージして戻すと10時間ぐらいかかる最初は。
そんな事をですね何度かやると流れテンポで読めていけるので自分の役割が大体この時はこのぐらいの感じで言ってみようというのが結局1冊の本を暗記するような形で読んで自分を割り出していくみたいな本当に不器用なんです私。
お勉強させて頂きました。
やめて下さい。
やめてやだ。
ごめんなさい。
もう本当にごめんなさい。
確かにそうですね。
声をお出しにはなりますか?声出しませんね。
あとこうね録音されて。
録音した事は1回だけ。
舞台で「12人の怒れる男」というのをねやったんです。
法廷劇ですね。
ええ。
これは裁判劇なんで特殊な言葉がいっぱい出てくるし。
それで12人出てるんで誰のあとがっていうのもねこれ結構難しい。
3人とか4人だと大体分かるんですよ。
12人だと誰のあとっていうのは間違うとえらい事になるしそれから最初有罪だって言った連中が一人一人無罪に変わっていくという芝居なんで無罪って言わなきゃいけないところを有罪と言ったらえらい事になる。
その逆もある訳ですね。
その台本だけはそういう覚え方をしましたね。
1回映画で落語をやってくれって言われた時にじゃあたまには落語家の役もやってみたいなと思ってお引き受けしたんですけどどこを使うか分からないんで全部覚えてくれってはなしを。
言われて。
もうその時には自室に閉じこもりまして座布団敷いてちゃんと座ってやりましたね。
高座さながらに。
そうなんですね。
一つのはなしを。
電車の中でもやってましたね。
もう寸暇を惜しんでやってました。
間に合わなくなってきて。
落語一つ覚えるのってのは普通の台本ドラマの台本覚えるのとは全く異質のもんだなってあの時思って。
そうですか。
ひとさまのセリフも自分でしゃべる訳ですからね。
1人何役もやりますからね。
それで実際の本番は新宿にある寄席を使って真夜中の3時頃にお客さん入れて撮ったんですけどいきなり初めてのれん分けて出てって座ってはなしを一席やったんですけどこんなにプレッシャーのかかった事はありませんね。
1台で全部撮りますと。
レールは動かしますけどカメラがフィルムがなくなってカラカラカラという音がしたらそこで終わりだと思って下さいって。
1本丸々回したんです。
俗に言う一発撮り。
はい。
もうつばきがなくなりましたね本当に。
あんな経験ってしたくないですもう。
実際それシーンとして使われた長さって?使われたのは2分ぐらい。
ほとんどあとはお蔵しまっちゃいました。
この今ねお話しされてるのを誰かがご覧になってオファーが来たらどうしますか?そうです。
いや今のうちに断っときます。
伊東さんの歴史を振り返りながらですねそのセリフ覚えに対するこだわり秘密をひもといていきましょう。
伊東四朗さんの役者人生の原点は一体どこにあったのでしょうか。
1937年昭和12年。
伊東さんは東京・台東区で生まれました。
高校3年生の時の伊東さん。
就職試験にはことごとく失敗。
伊東さんはその理由を「どうもこの目つき。
印象がすこぶる悪かったらしい」と言っています。
そして大学の売店でアルバイトを始めます。
当時浅草六区には劇場やレビューが建ち並び活況を呈していました。
伊東さんはストリップショーの合間に演じられる喜劇に夢中になります。
渥美清さんなどが演じていました。
劇場に通い詰めるうち舞台の役者にも顔を知られるようになります。
そんな伊東さんに声をかけたのが喜劇役者の石井均さん。
何の準備もないまま一座に加わる事になった伊東さん。
当初は声も小さく客のウケが悪かったため発声練習の日々を重ねます。
やがて舞台やキャバレーでの営業を通して客との間合いをつかんでいきます。
「おう」はさっき済んだの。
「おう」の次。
長嶋!その頃に出会ったのが三波伸介さん。
「てんぷくトリオ」の誕生です。
時代はテレビ演芸ブームの到来。
28歳でついにレギュラー番組の出演を果たします。
ところがディレクターに芸の基礎を厳しくたたき込まれます。
バラエティー番組ですから当時。
テレビの世界はこれまでの即興劇とは違ったものでした。
そしててんぷくトリオの座付き作家として井上ひさしさんが加わります。
それがなかなか来なくて。
とりわけ不器用な伊東さんはセリフを覚えて備えました。
今に通じるセリフ覚えのこだわりはそのころに生まれました。
39歳の頃「電線音頭」でお茶の間の人気者に。
当時共演していた小松政夫さんは…。
セリフ覚えには自信があったものの還暦を過ぎた頃から不安がつきまとうようになりました。
脳の老化で役者として大切なセリフ覚えに支障が出ないか心配しています。
そこで自分なりに工夫して15年ほど前から取り組んでいるのが脳のトレーニング。
その一つがお風呂で暗唱するという円周率。
数字は無限に続きます。
これで30桁なんですよ。
それの覚え方というのがコラムに出てたんでね。
それは…これなんですよ。
1か月で100桁を覚え今では1,000桁まで暗唱できます。
その他にも日本の旧国名や世界の国名など自分でテーマを決めて毎日暗唱しているといいます。
脳トレの効果についてご本人は至って謙虚な様子。
そこで1万人以上の脳画像と生活習慣の関係について分析してきた脳科学者加藤俊徳さんに伊東さんの脳トレについて聞いてみました。
脳科学者の先生もそのようにおっしゃって。
初めて聞きましたね。
無駄な事やってる訳じゃない。
…みたいですよ。
ですね何だか。
お墨付きでした。
はい頂きました。
先ほどもちょっとお話しされてましたがそもそもは役者を目指していたというよりは劇場のお客さんだったんですね。
そうですね。
軽演劇が大好きで見に行って座る所がいつも決まってたもんですから舞台の方から「あいつ来てるまた来てる」って何か有名になったらしいんですよ舞台の上から。
ある時楽屋口の所を通ってたら窓が開いて「おい寄ってけ」って言われて。
それから楽屋に入り浸るようになってそれでいろんな話をしに楽屋に寄るようになった時に石井均さんが「今度一座を持つ事になるからそっちにも来るか」って言うから「是非行かせて頂きます」ってそっちにも入り浸った時にある時「出てみるか?」って言ったのがきっかけですね。
21歳。
大した役じゃないんですよもちろん。
舞台は開くと真ん中に公衆トイレがあってそこからジッパー上げて口笛吹いて上手でも下手でも去っていけとそれだけの役なんですけどそれが僕の初舞台ですね。
そんな事をやってるうちにそのアルバイトの先から正社員にならないかという話があって。
迷われませんでした?こっちでたくさんのお給料もらうのがいいか。
正社員になって。
それともこっちでほとんど給料なくなるのがいいかってそこで迷ったんですけど。
でもこっちを選びましたね。
それが運命の分かれ時です。
そのあとに本格的にテレビショーというかその世界に入られて。
それテレビは「てんぷくトリオ」というグループを組んでからですね。
そこでも出会いがあってすごいディレクターに会ったという事が私を作ってくれましたね。
プロとは何かという事をきっちり教えてくれました。
お金をもらうという事はどういう事なのかという事を。
お金はついてくるもんじゃないんだと。
獲得するもんなんだという事をきちっとね教えてもらったというのは私にとってはとっても大きかったです。
歌一つ歌うにしてもきちんと歌えるかどうか適当に歌ってうまいだけじゃこの世界はだめ。
歌い手よりうまくなきゃだめという。
歌歌い手よりうまい訳はないんですけどね。
ある時台本の裏にそう書いてあったんですよ。
その人の自筆で。
「伊東様コメディアンというものは踊りも歌もダンサーより歌い手よりうまいものなのです」。
え〜。
もう言い切ってるんですよ。
メッセージ。
すごいメッセージ。
だからそういう訳はないんだけどそこまで高めようという事ですよね。
だから稽古もなかなか帰さないしちょっとシャープしてたらだめ。
フラットしてたらだめ。
きちっと教えましたね。
テレビの世界なりの常識というものに直面されて。
そうですね。
セリフはもちろんどのタイミングでどこからカメラを撮るかといういわゆる画割りも決まってる訳ですもんね。
それはそれまでのステージや舞台とは全く違う世界だと。
違うんですね。
ですから段取りという事も覚えましたよ。
いくら芝居がうまくても段取りの悪いやつはだめだと。
要するにこっち側から狙ってる時にこっち向いててどうするんだという事をちゃんと分かってやれと。
立ち上がってそっち行く時にはちゃんと立ち上がって行くだけの間を取ってやれという事ですね。
テレビの場合は映るか映らないかが勝負ですから。
そうですね。
脚本家の井上ひさし先生がちょっとご本が遅れるって。
それもやっぱり急いで覚えねばという事に?これほど急いだ事はないです。
当時は生番組だったんでコントもね。
そうすると一応刑事部屋の机と手錠が出てたり電話が出てたりそれだけのあれはできてるんです。
本がないだけなんですよ。
あと20分で始まる。
え〜。
じゃあしょうがない。
このセットで3人で考えて何かやろうという事で何か考え出してるところへお弟子さんが汗かいて「生原」を持ってくる訳で。
それを3人でずっと読んで一読二読できたかな。
それでもうほとんど時間ですからそれで出ちゃうんですけどね。
それを覚える訓練というのは大変。
自分のやってる仕事を大変と言っちゃいけないんですけど大変でしたね。
訓練というか本番ですもんね。
本番なんですよ。
え〜信じられないです。
信じられないですか?はい。
でも信じられないって言ってる暇がないんですよねもう。
私のさっきのセリフの覚え方の話はカットして頂けませんか。
もうすいませんでした本当に。
直木賞作家になっちゃう訳ですからその後ね。
いや〜すごいですよ。
その必死さをある方がご覧になっていて新聞にお書きになったんですよね。
それが1968年のこの新聞記事。
映画監督の市川崑さんがこのように書きました。
わあ〜すばらしい。
絶賛!それこそアンビリーバボー。
あの市川崑さんがこういうものを見てるって事見てそしてこういう事を書いてくれるって事がね新聞に。
これは力になりましたね。
これで得た教訓は私は誰が見てるか分からないという事ですね。
ですからそれからもう後輩にはよく言ってたんですけど「手を抜くなよ。
誰が見てるか分からないんだから」って事は言った覚えがあります。
ああいった事が新聞に載るとその後の仕事も変わるんじゃないでしょうか?もちろん変わりましたよ。
大河ドラマの出演も決まられて。
「天と地と」というのにね。
石坂浩二さんの上杉謙信の6人衆ですかね。
…の中の1人の鉄上野介という役を頂いたんですけど。
それまでのコントやコメディーとは違う本格的な時代劇でした。
殿!あれにあれに…。
自分のホームではないちょっとアウェーな現場ですよねそれは。
そうですね。
もちろん会う人会う人がみんな初めてですから。
どんな心持ちでした?だって滝沢修さんから宇野重吉さんからいるんですからね。
大御所。
どうします?芝居じゃなくても会っただけでビビるでしょう。
それこそ必死にセリフ入れて。
はい。
あと高松英郎さんがいて橋本功さん山田吾一さんがいて有馬稲子さんがいてえ〜誰か落ちてるな名前が。
最近ね名前がね出てこないんですよ。
伊東さんその時と今とセリフの覚え方というのは違うんですか?覚え方そのものは一緒ですけども。
入り方も大体一緒ですけど忘れ方が早いですね。
そうですか。
ちょっとポロッと抜けるのはちょっと早いかなと。
あのね残っている脳細胞を活性化させるんだという話をVTRでされていましたけども。
お風呂の中でも例えば円周率だとか。
ぶつぶつ言ってないとね忘れるんですよ。
お風呂リラックスできなさそう。
円周率とかやってると。
一つクリアしたらそのあとはズーズブーとなって。
あと電車の中でもやってますんで私の周りから人がいなくなります。
ぶつぶつ言ってるなって。
危ないおじさんだなって事でね。
若々しさを保つために日常心がけていらっしゃる事があるという事でそちらも取材しました。
ご覧頂きましょう。
ドラマ撮影の待ち時間。
隣にいた40歳も若い共演者の山本さんに話しかける伊東さん。
こうして自分より若い人との会話を大切にしています。
若い世代が使う言葉や表現を敏感に感じ取り自分の芝居に取り入れる。
これも伊東さんの役作りに欠かせません。
役者仲間の小松さんも感心した出来事がありました。
新しいものを求め日常にセンサーを働かせる伊東さんの行動に脳科学者も注目。
脳が若返る可能性を指摘します。
すげえな。
オクターブですよ。
…とおっしゃっていました。
ネタも織り交ぜつつ。
ねえすてき。
現場ではああやって若い方とたくさんお話をされるんですね。
あえてねしますね。
ある番組ではV6の三宅健君は毎週会ってましたんでね。
わざとうるさいだろうけどしゃべって中でゲームやるところがあるんですよ体使った。
他の人には負けてもいいけどあいつだけには負けたくない。
あいつだけには負けたくないって事は他の人にも負けないって事なんですよ。
一番若いですからねほとんどね。
そういう事でちょっと利用させてもらった。
うるさかったかもしれないけどいろんな事を話をしましたね。
お若い方とお話しするとか今を知るという事ですか?今を知る。
同じ芝居でもね例えば喜劇で名場面という場面があったりなんかするんですよ何十年も昔に。
でそれをまた再現してやるといった場合時たま演出家で古い人なんかはそのまんまやれって言うんですよ。
そのまんまじゃだめだというのはね言うんですけどねそこに同じ事をしゃべっててもそこに現代がないとお客さんがついてこないんですよ。
確かにそっちでも面白いんです前のまんまやってもね。
でもうんと足りないものがあります。
それは何かというと現代が足りないんですよ。
現代用語であったり現代の雰囲気というものなんですよ。
そういうのを入れて古いものをやったりなんかするとお客さん納得するんですよね。
やっぱり新しい情報を何かキャッチアップしよう何か取ってやろうという思いで?そうですね。
何気ない言葉の中に最近の言葉も入ってますんで「なになにしてもらっていいですか」というのは僕ら使わないですから。
ちょっとした言い回しですね。
最近の言葉でしょこれ?そうですね若い人使いますね。
「こちらスパゲッティになります」って俺なんか「いつなるんだ?」って聞きたくなる。
もともとスパゲッティですけどって。
何でそういう言葉になったのかなって。
なかったですからこれは。
新しい言い回し。
ええ。
だから言葉というのは変化していくんだなというのは分かりますけど。
ただ使ってほしくないのは特に若い女性に使ってほしくないのは僕なんかは「やばい」です。
「やばい」という言葉は使ってほしくないなと思う。
あれ犯罪者の隠語ですから。
「やばい」という言葉は。
そうなんですあれはね。
「やばい」はちょっとふと「やばっ」なんて言っちゃう時があるので気をつけたいと思います。
他にもでも元気の秘密がおありとお聞きしたんですけれども。
時たま歩いてますね。
外を歩くか自分ちのランニングマシンを歩くか。
どのぐらい歩かれるんですか?これだと5キロですね。
外歩く時は6キロくらい。
一番歩いたのは8キロですね。
あと平泳ぎのこういうのをやってたりします。
肩関節を動かす。
はい動かしてます。
賀来さんいっぱいね今日は話伺って役者魂というか大先輩のお話。
もうこんなにぜいたくに伺えてどうしましょう。
私にコンプレックスがあるとするとどなたかの師匠がいてセリフ術を教えてもらったとかそれから演劇術スタニスラフスキー・システムを教わったとかそういう事が皆無なんですよ。
全くなくてこの世界にポンと入っちゃってスーッと何が何だか分かんなくて脇役みたいな事をやってるうちに時たま主役が来たりなんかしてという。
本当にそれこそこうこうですね。
だから人生って挫折なんて何回したっていいんだと思う。
就職試験にどっか一つでもね私が合格してればそこにいましたからね。
何十社と受けた社から全部断られましたんでそれでこの世界にいる訳で。
それもですからその時は大変な挫折感ですよ。
そこで就職面接に受かっていたら喜劇役者伊東四朗は生まれなかった訳で。
ですから人との出会いというのはすごい事だなと思いますよ。
本当に。
この先の役者人生はどうされたいですか?来た仕事はなるべく断らないようにやれるようにしておく。
心構えだけは持っておこうとは思ってますけどね。
楽しくお話を聞きました。
今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
とんでもないです。
「人生の思い出レシピ」のコーナーです。
本日の思い出レシピはこちらです。
お〜。
おわんにひとつまみのとろろ昆布でしょうね。
あ〜あったまるんですよね。
お好きですか?好きです。
私も好きです。
頂いたご投稿をもとにイラストで再現したものですがではその投稿ご紹介お願いします。
はい。
茨城県つくば市にお住まいの小林幸子さん53歳の方からのお便りです。
「私の忘れられない思い出のレシピは父のとろろ昆布汁です。
私の父は水道工事の会社を経営し仕事一筋。
昭和1桁生まれでイクメンなんてありえない男子厨房に入らずの時代でした。
ところが私が小学生の頃母が病気で入院した時父は何の迷いもなく台所で手慣れた様子で米をとぎホウレンソウをゆでごはんを作ってくれました。
そんな父の姿に子どもながらにビックリしました。
とろろ昆布を大きな手でおわんに入れお湯を注ぐとおいしい汁物が出来上がりおなかも心も満たされました。
12年前に他界した父はもういません。
父の料理はあの時が最初で最後でしたが今でも無性にとろろ昆布汁が食べたくなり作ります。
そのたびに父の大きな手と愛情を思い出し温かい気持ちになります」。
そういうお話だったんですね。
何の迷いもなく台所に入られて。
そうですね。
おそらく手慣れた手つきでお作りになったんでしょうね。
驚かれたんじゃないですか。
何かその時のご病気になったお母様への思いとお父様の愛情が重なった何かこう思い出のレシピですね。
この「人生の思い出レシピ」のコーナーでは皆様からのご投稿をお待ちしています。
これまでの人生で忘れられない光り輝く食材や料理をご紹介していきます。
皆様からのご投稿をお待ちしています。
今日は喜劇役者伊東四朗さんのすてきなお話たくさんありました。
挫折。
挫折を恐れるなという。
おっしゃってましたね最後に。
…お話も。
私も何かこう自分が基礎を学んでないような気持ちになってやっぱりちょっとコンプレックスになるような時もあるので何か本当に確かに伊東さんもそうでらっしゃったっておっしゃるしスポーツ選手なんか見てても挫折がそのあと大きく羽ばたくきっかけになったり本当にそれこそライフチ2017/10/20(金) 11:00〜11:45
NHKEテレ1大阪
あしたも晴れ!人生レシピ「脳はいつまでも若々しく“今”を演じる 伊東四朗」[解][字][再]

今なお輝きを増す80歳、喜劇役者・伊東四朗さん。セリフは常に完璧に覚えておく。そして“今”にこだわる、というのが役者としての信条。その若さの秘けつと魅力に迫る。

詳細情報
番組内容
今なお輝きを増す80歳、喜劇役者・伊東四朗さんの若さの秘けつと魅力に迫る。セリフは常に完璧に覚えておく。そして“今”にこだわるというのが役者としての信条。そのために60歳から始めた自己流の脳トレーニング「円周率の暗唱」や「若者と話す」こと。女優でもあるキャスターの賀来さん、自分のセリフ覚えの方法を打ち明けながら、なんとか伊東さんからそのコツを聞き出そうと、スタジオトークも、ひときわ熱をおびてゆく。
出演者
【ゲスト】伊東四朗,【司会】賀来千香子,高市佳明,【語り】北大輔

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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